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明日から12月です。12月に入っては、ぐっと寒くなることでしょう。
「春温かくなるまで里帰りは出来ない、、なので、もう1度行っておきたい。」
と、言ってくれて、何とか実現の里帰りでした。
母の施設に行く途中、もう此処ぐらいしか見ることが出来ないのですが、
こんな風に竹で編んだ間垣がありました。
同じ能登でも、私の育った町では見たことがありませんでした。
奥能登 輪島での風景として有名です。
この荒れた海に沿って道が走り、そこに家が立ち並んでいます。
実家に入って、すぐに掃除機をかけ、石油ストーブに灯油を入れ、カーペットのスイッチを入れ
コートを着たままの作業です。
今の母の部屋を尋ねると、まずコートを脱ぎ、もう一枚脱ぐほどの温度設定です。
なのに、よく今まで、この寒い家で暮らしていたものだと思います。
朝食時に、体操の時間や入浴時、出て行かなかったら、職員さんが部屋に知らせ(確認)に来てくれます。
毎晩7時ごろ、見回ってくれて 1日が終わります。
職員さんとも親しくなり、お友達も出来たそうです。
もう次の春まで里帰りは出来ませんが、安心していられます。
家(建物)の方、まず、母が入所したときに新聞と電話の解約をしました。
その後、私たちは毎回 実家に泊まりましたので、電気・ガス・水道は残していたのですが、
調味料の賞味期限も切れてきて、料理もままならなくなってきたし、、、
火の元が心配なので、プロパンガスを撤収してもらいました。
これから水道の凍結も気になりますので、水道課の方と相談して止めました。
電気も、その都度ブレーカーも下ろすことにしました。
完全な空き家になっちゃいました。
施設になじんで本当に良かったです。
ご近所の方は施設入所に自分から進んで入ったのに「囚人ではないのに」と、
ぼやきがいっぱいでした。
施設の方は悪くはないのですよ。
こうして、良いお話をお聞きするのは嬉しいものです。
この垣で 海からの風を防いでいても 外に出ればどんなにか寒いだろうと
察しました。
これも 元気な男性がいないとできない仕事でしょうね。
ご実家の家仕舞い 寂しいでしょうけど 仕方ないですね。
うちの親戚にも 空き家になった実家へ 年に数回 お墓掃除などで帰省されている家がありました。
懐中電灯と 水のタンクと 湯を沸かすためのガスのカセットコンロを
車に積んできて お風呂は 近くの温泉に入って。
施設になじまれた様子で ちょっと安心でしょう。
それでも、、なんだか寂しい気もしますね~。
お母様のこれからの人生が幸せでありますように。。
慣れ親しんだお家が徐々に死んでいくのはたまりませんね
私も前の家のもう一つ前の家が既に地球上から消え去った事で
たまに夢の中に出てきます^^;
家はやはりいつまでも愛着のあるものですから・・・
「故郷の廃家」という歌をご存知ですか?
まさに歌詞の通りですね( _lll)
→https://www.youtube.com/watch?v=l41JlE8WyOY
このレコード懐かしいんです 子供の頃いつも聞いていましたから
お母様が施設でこれからも楽しく暮らせますように・・・
今でも実際にあるのですね
海からの強風を防ぐためでしょうが これも力仕事
若い方が居なくなれば出来ない事でしょうね
お母様施設に馴染まれて本当に良かったですね
家仕舞い 寂しい事でしょう お察しします
朝ドラでは馴染になりましたね
お母さまの施設入所に伴って 家は完全な空き家
永年 子どもたちにとっても心のよりどころだった家 少し寂しいでしょう
全国には こうして空き家になって行くケースが多いと聞きました
あとは 改築にも 売るにも 取り壊しにも費用が掛かり この辺もまだ課題ですね
そちらは海風が強いんですよね
お母さま今はご自分でしなくても
暖かい住処も食事もありますね
よかったですねなじまれて
家じまい考えさせられますね
うっかり、同じ写真を張り付けていました。
チョッと遠くからのものと変えました。今は、この一角だけでしたよ。
我が家に来ること、わが家に近い施設、実家近くと選択を迫っていたのですが、
どれも「うん」とは言ってもらえず、
自分でも無理だと納得したのでしょうね、、、
とは言え、直前まで渋っていたので、何時退所すると言い出すかとハラハラしていました。
自分に置き換えても、新しいことに挑戦は難しいですものね。