遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

負けないぞ。(⌒▽⌒) 2(ハゼ蘭)

2019-09-08 15:14:36 | 母の老い
昨日、草取りしながら、ふとハハ(姑)のことを思い出しました。

ハハ(姑)は、私にとってthe姑って、人でした。
でも穏やかな気持ちで思い出したのです。

そして夕食時に、夫が、自分の両親や伯父叔母親戚のこと知らない事が多かったのだなぁ~~と、感慨深げに

そうなのです、言わないようにしていました。
それが最近は、ポツリポツリと漏れ出しています。

あの頃、言っても分かってもらえなかったと思います。
ただ両親の悪口を言う妻。と、思われてこちらの関係が悪化しそうでした。

色々ありましたが、恨みつらみの入らない話が出来るようになりました。



ハハ(姑)の実家は商売をしていたので、使用人もいて末っ子のだったこともあり
甘やかされて特にお父さんっ子だったそうです。
新婚時代はチチ(舅)が東京でサラリーマンだったので、朝 送り出した後、毎日銀座に出ていたそうです。
近くには、叔父夫婦がいるくらいで暢気なものだったようです。
それにしても毎日って、

その後、チチ(舅)が招集されたので、ハハ(姑)一人が夫の実家に戻ったそうです。
当時としては当たり前だった 夫の家族との同居。
両親に嫁入り前の妹が二人、親戚の子供も居たそうです。
そして、やったことのない畑仕事。今のように耕運機も無い。

苦労したんやなぁ~~、と、夫。



暢気そうな私の姿に、気の利かない私にイラっとする気持ちが抑えられなくなっていたのかも、、
しれません。

夫が一度、私をかばってくれたことがありました。
ハハ(姑)が夫の前で私に嫌味を言ったことがありました。
入院し、お正月に一時帰宅が許され、迎えに行った夫とともに帰ってきた時のことです。
久々の帰宅に嬉しそうでした。嬉しくって、気が緩んだのでしょう。
夕食の準備が整った食卓を見て、「刺身も無い貧しい食卓だこと。」と、いったのです。
入院中、チチ(舅)の世話をしてきました。そのことのお礼は、期待していませんでした。
けど、、怒りで、、顔が上げられませんでした。
その時、「あほなこと言うな!!」と、一言。
泣きそうになりました。頑張ろうって、思えました。
 
今度、キチンとお礼を言わなきゃね。





 
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16 コメント

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旦那様が (ぐり)
2019-09-08 16:53:48
味方してくれるって心強いですよね
主人の母は小言や嫌味を言ったことがない人だと記憶していますが
でも私はそう気づかなかっただけかもとも思えますが
次男の嫁なので同居をしたことがないのほほんとした私です
時が経って振り返れば冷静に物事を見つめることもできますね
タカコさんも旦那様もいい方ね
ハゼ蘭とは3時草のことでしたね
我が家も育てたことがありましたがすっかり忘れておりました
時間が薬 (よう)
2019-09-08 19:49:09
病気やケガとおなじで 時間の経過とともに 痛みが薄れてみると
むしろ この痛みを経験したことが 自分を見つめ直すいい機会だったと
良い方へ思い直すことができたりするものですよね~
Unknown (タカコ)
2019-09-08 19:54:59
ハハ(姑)は、世話好きなしっかり者でもあったんです。
多分、肝臓の持病を持っていました。疲れやすい、
だから、つい当たってしまってたのかも
認知症の所為だったんだと、

三時草を育てたのですか!!こちらでは野草です。確かに可愛い、庭に植えた友人が、増えて大変だったって言っていました。
ようちゃん、こんばんは^^ (タカコ)
2019-09-08 20:01:16
そうなのです。おかげで少しは成長できたのかと感じます。(*´艸`*)

ハハ(姑)が「寝るは極楽、起きるは地獄。」って、よく言ってたそうです。
それほど大変だったのでしょう。
Unknown (kebaneco)
2019-09-08 20:05:15
いいエピソードですね。
何にもないときは普通でいいんだけど、
緊急事態というかここは、という時に守ってくれたら、
あたしも一人でも頑張ろうと思えるかも。
夫婦ってそういうものかも〜
(-。-; ホッ (キミコ)
2019-09-08 21:57:39
よかったぁ!!旦那様がかばってくれはったんですね
間に誰か入ってくれると場が変わりますからね

お姑さんの事 昇華されつつあるのですね
悪い事や嫌な事も時間が経てば天に昇っていきます
元々他人だから受け取られ方の学習を出来てませんしね
私のお姑さんはまだマシな人だったけれど 小姑の仕打ちがとてもつらかったです
それに関しては誰もかばってくれませんでしたから・・・
ああ でもいいんですよ みんな天に上がっていきましたのでね
私が今更愚痴る事もないし・・・( ̄≠ ̄) イワナイ
Unknown (ひまわり)
2019-09-09 07:39:47
よーく分かります
お世話大変だったものね
でも 今では良い事しか思い出さないのではないですか? 良く言われますもの
舅 姑に仕えた事のない私 でもね小姑には泣かされました
それでも亡くなってる今は懐かしい思い出になっています
kebaさん、おはようございます。^^ (タカコ)
2019-09-09 08:32:02
この話、チチ(舅)が生きてた頃ですから、20数年前のこと
そんな古い記憶を頼りに、頑張ってまーす。(*´艸`*)
キミコさん、おはようございます^^ (タカコ)
2019-09-09 08:37:39
ハハ(姑)の事、病気の所為と理解してても
この気持ちが晴れることは無い、と、思っていましたが
時が解決してくれました。今、あるのはハハ(姑)との出会いがあってこそ
と、思えています。
実の母のことだって、よく分かっていません。
ひまわりさん、おはようございます。^^ひまわりさん (タカコ)
2019-09-09 08:45:50
いろんな出会いで、育って行くのでしょうね。
一番困ったのは、正解がないことでした。
こうしなさいと言って貰えたら、その通りやればいい。それはダメと言われれば、止めればいい。
どうすれば、と聞いても、、途方に暮れたことも
やっぱり、病気の所為ですよね。ハハ(姑)自身も分かっていなくって
焦っていたのかもしれません。

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