昨日、前庭の草取りをしてたら、
一昨年のチューリップ。掘り出すのを忘れてた。というか、
大きく育ったシロタエギクに覆われて気付かなかった。
元気に顔を出して、存在をアッピール。(喜)
まずは前庭のみ、草取りか土取りかな状態。だったけど、まずはスッキリ、
その後、昼食の準備、
その前に
予てより計画してたアレンジパンの準備を(オヤツに間に合う)
新玉もベーコンも準備、その他材料を確認し、次々投入。
さて昼食の準備を
ドライイーストが残ってるではないか!!
大慌てで投入し、再びお昼の準備中 慌てなくて良かったんじゃない。
確か、以前のホームベーカリーでは、イーストは後で投入する仕組みになってた。
昼食後の片付けも済んだ頃、作業の時間を知らせるブザーが鳴り、
取り出して、伸ばして特段の異常はないようだ。
ベーコンとスライス新玉を並べて巻いて、再びベーカリーさんにお任せ。
私はお昼寝タイム。 の、つもりは無かったんだけど、
目覚めて待つこと暫し、、
一人、お味見(切り取った頭の部分)。
明日の朝食用にと、夫に伝えると、今(夕食)が良い。と、仰る。
他のおかずとの組み合わせは?かまわないと仰られれば、拒む理由もない。
と、私の今朝の朝食分が残りました。
今日は1日晴れるという予報です。
大物の洗濯をしています。
久々に見つけた⇧スミレ。偶に見つけてはいたけど撮りにくい場所だったり、
⇩は、たぶん タチツボスミレ ハートの葉っぱが可愛いです。
一昨日、月当番と言うことで広報が届きました。&年度初めは区費などの集金があります。
我が家の小銭を搔き集めて、お釣りの準備。
数種類の印刷物を各戸別に組み直して準備。
朝のうちに回って、お留守の家は、、の予定。
普段 会わない方もいらっしゃって、チョッとおしゃべりしたり、、
準備よく、きっちり用意してくださってる方もいれば、
お財布探しの方や、、1万〇百円に2万円出される方もいる。
「千円札無いの?」なんて、文句を言う私。
「あら、集金当たったの、大変やねぇ~」とねぎらってくれる方。
この集金月に当たらなくて良かった。って仰る方もいる。
春休みでお孫さんの顔が見えたり、、けっこう楽しく回った。
残りは、夕方帰られたころに訪問予定。
お昼前には雨が降ってきた。その前にほゞ済んでよかった。
と、
お孫さんだけでお留守番してた お宅の方が持ってきてくださった。
用事で見えられたので、ついでにと集金させてもらい。
残りは1軒。帰られたころを見計らって、
と、1日で終わったじょ~~~
区費他の区費と社寺費に分けて、役員宅に届けてお終い。
畑は無理でも庭の草ぐらいはやらないと、これ以上の勢力拡大は阻止せねば、、
勿忘草に似てるけど、とっても小さな花のキュウリグサ。
昨日、夫の伯母が産後の手当てが間に合わず亡くなった話を書きました。
それで思い出した話。
ハハ(姑)は畑仕事を時々手伝ってもらう事がありました。
Nオさんと呼ばれてて、ご近所の畑仕事を手伝っていらしゃいました。
丁度、お昼時に行ったら、台所の上がり框にNオさんが座ってて
ハハ(姑)がカレー皿を手渡すところでした。
「上がって貰わないの?」と、思わず、、
「ここで良いって、上がらんのよ。」
「Nオさんに 昼、カレーで良いかい?って、聞いたら、
『ええの』って、事でカレーに決まり 」
チチ(舅)同い年だと聞きました。当時70前後だったと思います。
子供の頃、小児麻痺を発症し、船で田辺の病院まで行ったそうですが、
知的障害が残ったそうです。
その頃、陸路は完備していなくって船の方が早かったそうです。
今は高速も通っていますが、私が初めて夫の車で帰省した時(半世紀前)、
くねくねした山道を走った記憶があります。
今だと車で2時間弱、もっと早くなってるかも
その後、Nオさんの東遠に当たる友人から聞いた話です。
「オバサンがNオさんの生活が立つように物差し持って畑仕事を教え込んだんやって、」
だから、仕事は手を抜くことなく、きちんとしたものだそうです。
上に上がらず、上がり框に も 教え込まれていたのでしょう。
そのオバサンの思いを思うと、胸が詰まります。
オバサンが亡くなった後、兄弟と一緒に暮らしてて
そのお嫁さんがマネージャー役だったようです。
私の同級生のお兄さんも知的障碍者の方がいました。
小学生の時、学校付近にのんび~り散歩してるような人が
男の子たちが取り囲み、「Ⅾちゃん、~~」「Ⅾちゃん~~」というのしか聞こえませんでしたが、
その傍で、「Ⅾちゃん、からかったら、Tが怒って来るぞ。」
「怒ったら、凄いから気ィつけぇよ。」
T君は同級生で朗らかなひょうきん者って、印象でした。
怒ってる姿は想像できませんでしたが、お兄さん思いなのだなぁ~
家族でⅮちゃんを守ってるのだなぁ~と感じました。
何度か、Ⅾちゃんの散歩に遭遇しましたが、、その後、どうされたのか、、聞いていません。
今朝は鈍よりした空模様。降らないとの予報ですが、、
ハナニラの公園で、オオイヌフグリを小さくしたような花?
何だろうと、帰ってから調べたら、小米イヌフグリかなと思われます。
葉の形がよく似ていて、まだ実が付いていないので確認できないのですが、
オオイヌフグリの実と同じようなものになるはずなのですが、、
歳をとると、昔話をしたがると言いますが、、そんな昔話で恐縮です。
こちらに来た頃、夫の祖母は元気でした。
90歳少し前だったのか?おしゃべりも面白かった。
あ、歌も上手でした。何の時か串本節を歌っってるのを夫はテープとっていました。
祖母とは、楽しい思い出ばかりでしたが、
祖母の男2人女4人づつの子のうち3人が祖母より先に亡くなっていました。
戦死した次男と三女は「我が子ながら、器量よしやったよ。出来の良い子から先に逝く。」が祖母の口癖。
ハハ(姑)が亡くなって、義妹(夫の妹)と、写真を整理してた時
軍服を着たハンサムな男性の写真を見つけ、
ハンサムだったと噂の無い叔父かしら?と、盛り上がったものです。
戦後生まれの夫たちは会ったこともありません。
三女の幼馴染からも「えみちゃんは綺麗な人やったよ。」と、聞いたことが
夫は、そのえみちゃんのことは、少し記憶にあるそうです。
新宮の病院へハハ(姑)と叔母とに連れられて見舞いに行ったそうです。
病院の窓から見た市電のことを、なぜかハッキリ覚えてるそうです。
長女だった叔母の話は、あまり聞きませんでした。
(若くして亡くなった二人の方がより不憫が募ったのかもしれません)
難産で、娘を二人残して亡くなったそうです。
あの頃は家でのお産でしたから、お医者様は間に合わなかったのでしょうか?
祖母の葬儀にその娘 2人も列席し、葬儀の後の内緒話。
長女が亡くなった後、しばらく2人は我が家で暮らしたそうです。
「次女ちゃんは優しかったけど、四女(末娘)ちゃんは怖かった。」そうです。(笑)
末娘だった叔母にとって、年の近い姪たちに祖母を取られたようだったのでしょうね。
叔母達の子供の頃の可愛いエイソードを聞いて
ふっと笑ってしまいました。
コメント欄は閉じています。一緒にふっと笑っていただけたら、
帰ってから、スッキリ晴れが続かなくって&工事の砂ぼこりが舞ったりして
洗濯物受難の日々、今日は大丈夫かなぁ~~予報では晴れだけど、
どんより?薄曇り?な空模様の今朝、
植物園の様に いっぱいのチューリップを植えたいけど、、
せめてプランターいっぱいに植えました。
2鉢のうち成長の遅かった この子たちも咲きそろった。
どんな球根を選んだのか、すっかり忘れてて成長の違いは種類の違いだったのかも、
先に紹介した この子たちも すっかり開花。
そして一昨年、植えっぱなしで良いと言うチューリップを植えていた。
今年も咲きました。
お顔が小さい背高ノッポです。
もう1種類あったはずだけど、お休み中かなぁ~~
お休み中と思いたい。