きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

R/G・B 第1章 最強の剣士たち

2023-05-30 23:58:34 | 小説

§ スラムからの志願兵たち §

 その頃大メイガス帝国東部の首都トートより南方のスラム街には、東部地方に昔から伝わる剣術兼格闘術・グランヘル流汎用戦闘術の修行に明け暮れる若者たちが日々腕を磨いていた。彼らの多くは近隣集落の元農民であったが、表出したリビドを魔導の力として利用したことにより、土地が瘦せて農業が立ち行かなくなった故郷を捨て、スラム化した街に集まり剣技や格闘技の腕を磨いて、魔導都市となったトートへ行って帝国魔導兵士に志願し、ゆくゆくは魔導士になることを夢見ていた。魔術師(師族)は血族だが、魔導士(士族)は非術師(平民)でもなれる。一般の志願兵の中でも剣技や格闘技に秀でた者は、優れた兵士だけが選ばれる魔導兵士に取り立ててもらえるかもしれない。魔導兵士となればそれぞれの個性に適合する魔導武器が支給され、その武器に装備された魔導石の属性魔法が使用可能となる。更に疑似魔法の腕を磨けば、上級魔導士になれるかもしれないし、魔法の種別に特化した特殊魔導士になれるかもしれない。上級魔導士や特殊魔導士にはなれなくても、一般魔導兵士にさえなりさえすれば、下級とはいえ士族扱いとなり、身分も報酬も保証される。才能や腕がなければ成り上がることが出来ない実力世界ではあるが、逆に下剋上のチャンスがある。そんな夢を抱いてトートを目指し帝国軍に志願した若者たちの中でも、特にグランヘル流汎用戦闘術に秀でた者として名を馳せていた三人組が居た。そのリーダー格で、剣技は勿論、格闘術にも優れたグランヘル流汎用戦闘術宗家の巨漢イワン、イワンの片腕と言われ、剣技は勿論、薬などの知識にも詳しい頭脳派のグレン、二人の弟分で若輩ながら天才剣士として知られる美少年シオンだった。

 海峡を挟んで大メイガス島の北方に位置する北メイガス島は、古来『北の大地』と呼ばれる未開の地で、近年大メイガス島北部地方の農民たちは、土地の痩せた故郷を捨てて北の大地・北メイガス島に開拓民として移住し始めていた。その一方で、大メイガス帝国北部の中心都市ホクト周辺にも帝国魔導兵士を夢見てノルドラ流剣術の修行に精を出す若者たちが居た。目指す方向は違っても新天地を求める気持ちはどちらも同じだった。ノルドラ流剣術免許皆伝で、ノルドラ流剣術の第一人者としても名を馳せていたのがオリベという青年だった。彼らもまた魔導士ないし魔導兵士になるため帝国軍兵士に志願するべくトートを目指していた。

 

 彼ら心ある若者たちは、「祖先が非術師として虐げられては来た悲しい過去は動かしがたい事実ではあるけれども、黎明期より代々受け継がれて来た『ユマ族としての誇り』を常に心に刻んで片時も忘れることなく、剣術や格闘術は戦うための技術のみならず、己の心身を鍛え磨き、魔術師に虐げられないための、即ち、ユマ族としての尊厳を失わないための力であり、このメイガスの地にユマ族として生まれた者として、他民族に媚びることも阿ることもなく、ユマ族の品格を汚さぬよう強く逞しく生きるために、誇りを貫き護る力を身に着けるのだ」という思いを心の拠り所として、日々厳しい修行に明け暮れていた。それ故、若き皇帝が大陸の獣人国と同盟を結び、国内に得体の知れない獣人たちが数多く流入して、皇帝や師族の加護の下に大きな顔をしている現状を憂えていた。非術師たちが決して手離さなかった『誇り』こそが、どんなに虐げられても彼らにとっては、唯一無二の心の支えだったからである。


 トートのエド総統は隣国の干渉を憂い、国内各地に潜み水面下で体制転覆を謀る不穏分子を警戒していた。獣人たちはその姿のままで行動することもあるが、怪しまれぬように師族の協力で変身魔法によってユマ族を装い、暗躍することも多かった。そんな獣人たちに対しては勿論のこと、今はまだその背後に潜んでいる、対魔術師との直接戦闘に備えて、より多くの魔導士の育成、より強力な魔導兵器の開発は急務であり、全国各地から魔導士候補の志願兵を受け入れていた。志願兵の多くが非術師ながら剣技や格闘技に秀でたスラムの若者たちだった。志願兵としてトートに集められた若者たちは、まずは一般帝国兵として戦闘訓練を受け、優秀な者は魔導の力を与えられ、その力に適応可能な者は大メイガス帝国魔導軍の魔導兵士の証である碧眼を入手出来たが、中には体質的に魔導の力を受け付けない者も居り、過敏な者は即死するか中毒症状で廃人となる可能性もあった。或いは飛躍的に身体機能や五感・認知機能が研ぎ澄まされる代わりに、代謝が過剰に促進されるために、老化に似た急激な細胞の劣化症状を起こし、最終的に突然魔物(モンスター)化する謎の病に侵される可能性もあり、それは魔導の力によって惹き起こされる体内細胞の損傷による突然変異と推定されていたが、詳細な原因も治療法も解明されていない不治の病であった。


 志願兵の中には東部スラム出身のイワン・グレン・シオンが居り、また北部ホクト出身のオリベが居たが、彼らはそれぞれの流派での第一人者であり、問題なく戦闘訓練を優秀な成績で通過し、希望通り魔導兵士となって碧眼を入手することが出来た。イワンは筋骨隆々とした巨漢で、体術使いの格闘家としては右に出る者はなく、東部に伝わるグランヘル流宗家の継承者で剣技も一流、地元では情に篤く漢気のある人格者と慕われていた。短髪の黒髪を撫で付けており、太い眉の下の大きな目は敵を睨み付ける時はぎょろりと力強いが、仲間を見つめる眼差しは暖かく頼り甲斐を感じさせた。イワンの支給された魔導武器は重量と打撃を生かせる剣・ファルシオンで、雷属性の魔導石が装備されていた。グレンは知的で美形だがいつも眉間に皺を寄せて物憂げな様子だった。真っ直ぐな黒髪は前髪を中央で分け、戦闘服や防具は紅い色を好んで身に着けていた。支給された剣はツヴァイハンダーで、装備された魔導石は黒魔法(氷属性魔法)と白魔法(回復・治癒魔法)の両方であったため、特殊魔導士の一つである赤魔導剣士の適性を認められたことになる。シオンは長い前髪を左右に分けて垂らし、黒い長髪を頭頂近くで一つに束ねており、まだ若いので二人からは弟のように扱われているが、見た目は華奢でも身体のばねを活かした俊敏な動きは他の追随を許さぬ天才剣士であった。支給されたロングソードはミスリル製の超軽量仕様で、風属性の魔導石が装備されていた。オリベは丸顔で切れ長の眼を持ち、前髪は上げて耳の高さで束ね、それより下の黒髪は下ろして肩の高さで切り揃えられていた。額の中央にある黒子が印象的で、温厚で誠実そうな人柄が表情に現れていた。地元では人情家と評判で、北部出身者からの人望は篤かった。支給されたのは弧を描くように湾曲した双剣で、緑魔法(支援魔法)の魔導石が装備されており、特殊魔導士の一つである緑魔導剣士の適性があることが示された。属性魔法の適性の有無に関わらず、全ての魔導兵士は護身用の初期魔法として炎属性魔法の魔導石が標準装備として与えられるので、オリベがそれ以外の黒魔法を持つことはなかった。



§ 最強の剣士たち §

 首都トートから少し南方に下った東部のスラム街で出会い、共にグランヘル流汎用戦闘術の修行に励んだイワンたち三人だったが、同郷と言っても厳密には幼少期を過ごした出身地は別々の集落であった。グレンの実家は元々ゾンネンハイムという村の豪農で、かつては村長(むらおさ)も務めた家系ではあったが、リビド湧出以来土地が枯れて農業が立ち行かなくなり、食い詰めたならず者に村が襲われて、村人たちは金品や食料の強奪を目的に家を焼かれたり、目の前で家族を殺されたりしてゾンネンハイムが壊滅した。グレンは偶然生き残ったが、弱ければ自分や同胞の身を守れないとひしひしと思い知らされ、同様に故郷を捨てて他の村からやって来たシオンと共にスラムでグランヘル流汎用戦闘術に入門し、指導者を努めていたイワンに師事した。多くの入門者たちは故郷で貧しい暮らしに耐えかねて、或いはならず者に生活を脅かされて故郷を後にした者だったので、グランヘル流汎用戦闘術を身に着けることで自分や周囲を守り、立身出世に役立てることを目的としていた。しかし、『グランヘル流汎用戦闘術は単に戦闘技術を極めるだけのものではなく、心身を鍛えることにより自信と誇りを持って生きるための修行である』というのが流派の理念だった。それ故、イワンは入門者たちに常々『貧しくとも道を外してはならない。どんな時もグランヘル流汎用戦闘術門下生の誇りは手離すな。』と教えていた。

 イワンがグランヘル流汎用戦闘術の使い手の中でも最強となるまで腕を磨き続けことで、イワンは若くしてグランヘル流汎用戦闘術宗家を継承することになった記念及び祝賀の行事として、古来より北部に伝わるノルドラ流剣術の使い手を招待し、双方の流派から五人ずつ選んで対戦する他流試合を行うこととなった。シオンとグレンも勿論その五人の中に選ばれており、二人ともノルドラ流の剣士に勝利した。ノルドラ流剣術の使い手五人の中でも最強である免許皆伝のオリベが最後にイワンと対戦したが、接戦の末オリベが敗れた。オリベは噂に聞くイワンの実力と人柄に惹かれ、実際に会う前から彼を尊敬していたし、イワンもまたノルドラ流免許皆伝で人格者と名高いオリベの噂は耳にしていたので、互いにそれぞれの流派を代表して実際に対戦できたことに感謝し、固い握手を交わして再会を誓い合い、そしてその約束通り、オリベはイワンとトートで再会を果たした。

 志願兵は、訓練期間の成績を考慮されて魔導兵士となるのだが、属性疑似魔法の優秀な使い手としての上級魔導士や、特殊魔導剣士〔黒魔法と白魔法の両方が使える赤魔導剣士、一度攻撃を受けた敵の技を模倣して使える青魔導剣士、魔法効果のある魔道具(アイテム)を駆使する黄魔導剣士、支援魔法が使える緑魔法剣士の四種類〕を含む全ての魔導兵士の配属が決定し、それぞれ各地の部隊に振り分けられて任務に就くことになった。中でもサイト警護は最重要任務であり、魔導兵士の中でも特に精鋭と思われる者が選抜されたのだが、そのサイト警護部隊に配属された者の中にイワン・グレン・シオンの三人とオリベが居た。彼らはサイト近郊の小さな農村ミーブハイムに駐屯することとなり、ミーブ隊と呼称された。彼らミーブ隊の任務は西国の師族及びその私設軍隊の監視や、サイトで暗躍する獣人などの不穏分子の探索及び取り締まりであった。日々交代でサイトの巡回警備にあたるため、ミーブハイムの村長の協力を得て一部の民家を借り上げて屯所とした。

 ミーブハイムの村人たちは、村長の決めたこととはいえ、最初は東国から来た帝国魔導軍の魔導兵士たちに対する恐怖心や不信感を露わにして警戒を解かず、腫物に触るように遠巻きにしていたが、オリベは人懐こい笑顔を絶やさず、積極的に老若男女を問わず村人に声を掛け続けた。

「おはようございます。今日は暖かくていい陽気ですね。」「こんにちは。ほほぉ、こちらは名産のミーブリーフの畑ですね。」「やあ、元気な坊やたち。鬼ごっこ楽しそうだね。」

無視されても、逃げられても、飄々とした態度を貫くオリベに対して、村人たちは徐々に心を開いて行った。

「おはようさん。いつもご機嫌さんでんな。」「あんさん、お国はどちらどす?」「おっちゃんも僕らと一緒に遊ばへん?」

 オリベとは対照的に、美形のグレンや美少年のシオンはミーブハイムの村でもサイトでも女性たちから熱い視線を向けられたが、彼らがそれに応えることはおろか、浮ついた態度をとることもなかった。特にグレンは紅い戦闘服や防具を好んで身に着けたので遠目からでもかなり目立ったが、グレンは常に眉間に皺を寄せて物憂げな表情を崩さなかった。それがまたたまらないと屯所宛に恋文を送り付ける女性も少なくはなかったが、グレンは全く興味を示さなかった。

 ミーブ隊の隊士たちは烏合の衆ではあったが、その大半が北部出身者と東部出身者のどちらかであったため、自然と隊内部は東部と北部の両派閥に別れることとなり、各派閥にそれぞれの指導的立場となる者が現れた。北部出身者の指導者はオリベであり、東部出身者の指導者はイワン及びグレンとシオンの三人組であった。両派を統合して指揮する総隊長を選出するためイワンとオリベで模擬戦を行い、勝者となったイワンが総隊長、元よりイワンの右腕と称されていたグレンと、イワンとの直接対決で惜敗したオリベの二人が副長を務めることとなった。イワンの腕前と漢気に心酔していたオリベはイワンが総隊長となることに対しては異議はなかったが、イワンに代わり実質的に指示を発する立場となったグレンに対してはお互いの真逆の性格から相容れないものを感じていた。また個々の隊士の実力や適性、使用する疑似魔法の属性等を考慮して隊士たちを小隊に分け、各小隊の隊長にはそれぞれの小隊で中心となる者を選ぶこととし、最上位に位置する一番隊の隊長は若輩ながらシオンが務めることとなったが、天才剣士と呼ばれる彼の腕前を知る隊士たちが異論を唱えることはなかった。

 合理的かつ論理的で、冷徹・非情な印象と、操る黒魔法が氷属性であることからグレンは隊士たちから『氷の副長』と呼ばれたのに対して、オリベは隊士にも村人にも老若男女分け隔てなく常に温厚柔和であったことから、万人に降り注ぎ癒しを与える陽光のようだと『陽光(ひかり)の副長』と呼ばれ、東部出身の隊士を含む多くの人々から慕われた。村人に対して威圧的に接したり不法行為を行うなど素行の良くない隊士に対しても、厳しい規律を重んじるグレンは激しくく𠮟責して、「隊則は絶対に厳守すべきであり隊則に則って厳重に処罰すべき」と主張したが、オリベは事情を良く訊き質した上で、「村人はサイト側に近い存在だから反感は買うべきではない。隊の印象が悪くなれば村人の中に敵対感情が生まれる。ここミーブハイムで生活させてもらって村人には世話になっているのだから恩義に報いるよう努めなければならない。」と説諭し、更生させようとするといったように全く逆の対応を見せた。ただやり方が違うだけで、そのどちらもが心底ミーブ隊全体を思ってのことだったが、グレンはオリベの手緩さに対し苛立ちすら感じていた。自分が良かれと思って隊士を厳しく監督管理しているのに、ただ甘やかすだけに見えるオリベを皆が慕い、グレンだけが悪者扱いで嫌われ疎まれるのは本来的には理不尽なのだが、寧ろ総隊長のイワンがミーブ隊を一つに纏めるために、憎まれ役が必要であるのなら、敢えて自分がその憎まれ役に徹しようと考えていた。部隊内は依然として北部派と東部派が暗黙の裡に存在していたが、各派の冠する副長の性格の違いで、東部派でありながらグレンよりもオリベを慕う者も多く、シオンすらもオリベを兄のように慕い、オリベもまたシオンを弟のように可愛がっているのを見て、グレンは心に生じる口惜しい思いを密かに押し殺していた。魔導兵士として西国に派遣されてから、体調を崩しがちなシオンが病を患っていることに気づいていたグレンは、魔法や薬で少しでもシオンを回復できないかと試行錯誤しながら面倒を見て来て、誰よりも彼の身を案じているというのに、シオンが「博識なオリベに教えを乞うため」と称していそいそと足繫く彼の元に通い、どんどんグレンから離れてオリベに傾倒していくのはどこかやりきれず、居たたまれない思いだった。若いシオンにはイワンのために憎まれ役に徹しようとするグレンの真意は伝わらず、直接苦言を呈するとシオンは反発して、あたかもグレンがオリベに嫉妬しているかのように言われてしまうのだった。

「副長になってから、あの人は、グレンは変わってしまったよ。あんなに冷たい人じゃなかったんだ。昔は実家に伝わる万能薬で仲間の怪我や病気を治してくれたりするような、もっと優しい人だった。」

とシオンが愚痴を零すのを聴いて、オリベは穏やかな笑みを湛えながら、

「シオン、そんな風に言うもんじゃないよ。彼には彼の考えがあり、彼なりのやり方があるんだ。今は理解できなくても、いつかきっと君にもわかる時が来るだろう。」

と諭したが、それを聞いたシオンにとっては、ただ、敵対する立場であってもなおグレンを擁護するオリベの株がますます上がっただけだった。


§ 紅い悪魔と星の命 §

 ミーブ隊の派遣された当初はまだサイトの街中は平穏で、軒を連ねる商家などを巡回して目を光らせ、不審者へ声掛けをしたりする程度で見廻りの任務も退屈にさえ感じられたものだが、反帝国魔導軍の不穏分子が行動を隠蔽する策も時を重ねる毎に巧妙な手段を講じるようになり、目立たぬように商人や旅人に変装したりして少人数単位で行動するのが常ではあったが、時折まとまった人数で会合を行うという情報を得て不穏分子の捜索に向かう任務が下されることがあった。事前に敵に察知されて逃走されることも稀にはあったが、その場で敵と戦闘状態に突入することも多かった。ミーブ隊は総隊長であるイワンは常に屯所に留まり、副長のグレンとオリベや主だった隊士に現場の指揮を委ね、シオン率いる第一小隊などが迅速に現場に向かい、任務に対応することにしていた。巡回取り締まり中に遭遇した少人数の敵を相手にするくらいならシオンたち小隊長の判断で良かったが、事前情報を入手した際に各小隊の手に余る規模の会敵が想定される場合には、二人の副長も同行することもあり、次第にその機会も増えて来た。

 「隊士諸君、次回の作戦行動についてグレン副長から指示があります。」

オリベが小隊ごとに集合した隊士たちに向かって声を掛けると、隊士たちは緊張した面持ちで檀上のグレンを見上げた。

「諸君、本日諜報部より明晩敵がサイトにて会合を行うという情報を入手した。サイト大通り南の宿屋にて商人に扮した多数の敵が会合を行うという。第一小隊は正面から、第二小隊は裏口からの突入に備えて待機、合図と共に同時に突入する。第三小隊は大通り東側、第四小隊は西側、第五小隊は北側を警戒し、逃走者があれば確保せよ。なお、第一小隊には俺・グレンが、第二小隊にはオリベ副長が同行し、最後尾に控えて支援する。」

隊士たちから「おお」と声が漏れた。二人の副長が同行する以上、今回は重大かつ困難な任務なのだろう。しかし、ミーブ隊屈指の剣技の腕前で、特殊魔導剣士である副長二人が出動するのなら、これ以上心強いことはない。第六小隊以降は屯所に残り、ミーブハイムと屯所の警護にあたることとされた。

 闇に紛れ現場の宿屋付近の物陰に潜んで待機していたミーブ隊第一小隊の前を通り、商人姿の男たちが数人ずつに分かれて宿屋に入って行った。定刻までに宿屋に集まった不審者は約三十名。他にも事前に宿泊者や宿屋の従業員に紛れ込んで潜入している者も居るかもしれない。商人の寄り合いを装い、宿屋に集合して比較的西国に近い幾つかの帝国魔導軍施設に対する攻撃計画を練る会議が行われるものと思われた。定刻を過ぎ、敵が会議に集中している頃合いを見計らって合図と共に表と裏の二か所から宿屋への突入が開始された。

「大メイガス帝国魔導軍ミーブ隊第一小隊長シオンである。この宿屋にて反帝国魔導軍不穏分子の会合が行われるとの情報を得た。帝国魔導軍西方警護任務により、不穏分子の捜索を開始する。ご協力願いたい。」

シオンは早口でその場に居合わせた宿屋の経営者と従業員に告げた。

従業員や一般の客は、裏口から突入した第二小隊の隊士たちによって一階の大広間に集められ、保護かつ監視下に置かれた。敵の大半は二階の大部屋で会議に参加していたが、一部は対帝国魔導軍の警戒に当たるため一階で一般客に雑じって隠れていた。その男達の一人が二階の仲間に知らせるべく階段を上ろうとしたが、即座に最後尾に居たグレンが音もなく忍び寄り一瞬にして切り捨てたため、男は声を上げる暇もなく、男の血飛沫で階段は緋毛氈を敷き詰めたように真っ赤に染まった。シオンと第一小隊の先頭は既に階段を駆け上がり、敵本体と対峙していた。一階の大広間で一般客に紛れていた敵が飛び出して、まだ最上段まで到達していなかった最後尾の隊士に切りかかろうと階段目掛けて突進するが、グレンは眉一つ動かさず

「凍てつけ!フリーザ!」

と詠唱して氷属性魔法を発動した。具現化した氷塊が頭上から落下して男を直撃すると、男は瞬時に凍りつき、戦闘不能状態になった。グレンがシオンたちを追って階段を上がりかけた時、後ろから「わあああーっ」と叫んで別の男がグレンに向かって切りかかろうとした。

「止まれ!ハルト!」

後方からオリベが時間魔法を詠唱する声がして、その男の時間だけが止まったようにピタリと静止した。その男の後ろから更に別の男がグレンの背に向けて剣を振りかざすのを認めるや、オリベは

「焼き尽くせ!ファイア!」

と炎属性魔法を発動した。階段下で二人の敵が一気に炎に包まれる間にグレンは階段を上りながらちらりとオリベを見た。オリベは微笑んで頷いてみせた。その碧眼は

(どうぞあなたは階上へお進みなさい。一階は私が引き受けましょう。)

と語っているように思われ、グレンは眉一つ動かさず無言で頷き返して階段を上った。

 二階では多数の敵を相手にシオンたち第一小隊の隊士たちが戦闘を繰り広げていた。剣で切りかかる者、魔法を発動する者、誰もが精一杯戦っていたが、敵もかなり腕の立つ者が揃っているのと、魔法防御の魔装具(アクセサリ)など、主に属性魔法対策を講じていて、なかなか一筋縄ではいかない様子だった。グレンはツヴァイハンダーによる近接物理攻撃と氷属性魔法による遠隔攻撃の合間に、

「癒しを!ヒーラ!」

と詠唱して体力を消耗した隊士を回復したり、

「戻せ!キューア!」

と詠唱して状態異常で苦戦する隊士を治療するなど、次々と白魔法を発動した。赤魔導剣士のグレンの参戦で、押されていた第一小隊は一気に勢いづき、すぐに戦闘は終了した。

 一方、一階では緑魔導剣士のオリベが第二小隊と共に一般人を装っていた敵と戦っていた。支援魔法を駆使して物理攻撃や魔法攻撃から隊士を守ったり、敵に対して状態異常を起こさせたり、放たれた魔法を跳ね返したりしつつ、近接物理戦闘では双剣で圧倒し、炎属性魔法で遠隔攻撃にも対応できるオリベが活躍し、二階に比べて少人数だったこともあり、間もなく敵は鎮圧された。僅かではあるが、騒ぎに乗じて逃亡しようとした者は、第三から第五小隊により捕縛されることとなった。

 その後も同様の任務が何度かあり、反帝国魔導軍の中で「ミーブ隊は強敵だが、中でも二人の副長と第一小隊長は別格」と噂が広がった。緑魔導剣士のオリベの支援魔法は敵としては厄介だし、天才剣士のシオンも強いけれど、特に紅い戦闘服の赤魔導剣士グレンは敵からは『紅い悪魔』と呼ばれ、最も恐れられた。日常では相反する二人の副長だが、戦場においては互いに背中を預け合い阿吽の呼吸で共闘する姿を見ると、まるでイワンやシオン同様に長年共に戦って来た盟友のようにさえ感じられた。

 グレンの実家は、リビド表出で東部の農業が壊滅する前は、ゾンネンハイムという農村の豪農で、村長一族の家系だったため、家伝の秘薬『ゾンネ万能薬』を用いて村人の怪我や病気を治療していたこともあり、少年時代のグレンにも多少なりとも薬の知識があった。そのためか、魔導の力で魔導剣士となった時も、攻撃のための氷属性黒魔法と共に回復・治療の白魔法が使用可能な赤魔導剣士の適性があったのかもしれない。魔導剣士として西国に配属され、敵と戦闘を繰り返すようになると、元々自らの闘気を鼓舞するために好んで身に着けて来た紅い戦闘服や防具は、情け容赦ない大量殺戮によって赤い血の雨を降らせ、自らも血塗れとなることの象徴となり、敵からは『紅い悪魔』の異名で恐れられることとなった。しかし実際には、グレンは治療者(ヒーラー)として友軍隊士を回復・治療の白魔法を用いて救いながら、黒魔法や剣技で敵を倒し、時にはやむを得ず非戦闘員の民間人をも戦闘に巻き込んでしまうことを気に病み、一方で人の命を救いながら、他方で人の命を奪っているということに対する葛藤で常に心を責め苛まれていた。表向きは冷徹で非情な『氷の副長』としての仮面を被り、口では「戦闘に犠牲はつきものだ。仕方ない。」と言いながらも、内心では人知れず苦悩していた。あまりにも完璧に見えるそんな彼の演技を看破し、その素顔を垣間見ることが居たとすれば、師でもあり盟友でもあったイワンと、互いに反発しながらも常に背中を預け合って共闘して来たオリベくらいであったろう。グレンが弟のように思って接して来たシオンですら、彼の複雑な心情を理解するには余りに若過ぎて、ただ漠然とした苦悩の影を察知するのみで、その実像の全てを把握し得るだけの洞察力を会得するに足る人生経験をまだ積んでは居なかった。

 ある日のこと、珍しくこれといった任務もなく、通常の見廻りを終えて屯所に帰還したグレンが報告のためイワンを訪ねると、イワンは庭に面したテラスの椅子に腰かけていた。報告を終えたグレンをイワンが引き留めて傍らの椅子を勧めた。

「最近はお互い任務に忙しくてあまりお前とゆっくり話す機会がなかったな。少し付き合わんか。ミーブ隊総隊長と副長ではなく、ただの師弟、お互いの友の一人として。」

「珍しいことを仰いますね。少しなら俺は構いませんが。」

そう言ってグレンが椅子に腰を下ろすと、イワンは急に表情を引き締めた。

「捕らえた反帝国魔導軍の連中もいろいろな連中が居る。皇帝を尊び実権の奪還を目論む者、没落した師族の復権を望む者、大陸に憧れを抱き獣人に与しようとする者。そして最近増えて来たのが、『魔導の力は星の命を削る』という学説の信奉者。彼らは、帝国が魔導の力として利用することでリビドが枯渇すれば星が滅亡するから反帝国魔導軍を掲げ魔導士を倒すという訳だ。確かにある意味でその説は真実かも知れん。だが、魔導士が誕生する前、非術師は師族から同じユマ族として扱われなかった。奴隷として虐げられ、獣のように狩られ、ただ奴らの卑しい欲望のためだけに辱められ、娯楽のためだけに殺し合いをさせられた。ユマ族の誇りを忘れた『けだもの』は師族の奴らの方だ。星の命・リビドの恩恵を受け、魔導の力を得たことで、非術師も人並の暮らしができるようになった。未来のためというのなら、星の命を蝕む魔導は害悪かもしれない。しかし、だからと言って魔導の力を捨てて、もとの貧しい悲惨な暮らしに戻れるだろうか。一旦知ってしまった豊かな暮らしを捨てて、悲惨な過去の暮らしに戻れるはずがない。今を生きるオレたちが未来のために犠牲になることはできない。もしかしたら、未来のいつか、何か他の解決法が見つかるかもしれないことを微かに期待しながら、オレたちは今を生きるしかないんだ。誇りを捨てるくらいなら、誇りを抱いたまま死ぬ方が良い。そうは思わんか、グレン。」

「あなたは師として俺に『いつどんな時でも決してユマ族の誇りを忘れるな』と教えてくれた。それは片時も忘れたことはありません。若い皇帝も反帝国魔導軍も皆獣人たちに騙されているんだ。もし帝国魔導軍が反帝国魔導軍に敗北するようなことがあれば、獣人たちに蹂躙されてユマ族は滅びこの国は終わる。星の命が危ういなどというのは詭弁ですよ。」

グレンはイワンの碧眼をじっと見つめ返して静かに答えた。

「そうだな。だからオレたちは何があっても絶対に負ける訳にはいかない。だが、どんな戦争でもいつかは終わる。そしてその勝敗を決めるのは、当事者のオレたちでもないし、どちらかが正しいから勝つとかいうことでもない。双方が正義や大義を掲げるのが戦争だからだ。決して負けないということは具体的にどうすることなのかそれぞれが考えねばならん。当人が望むと望まざるに関わらず、誰もが天からそれぞれの役割を与えられている。今も皆に憎まれ反感を買おうとも、敢えて『氷の副長』の役割を演じてくれているお前なら、わかってくれよう。来るべき時が来たら、オレはオレの役割を果たすから、お前はお前なりの役割を果たせ。お前の生き方を決めるのはお前であってお前ではない。お前とは長い付き合いだから、オレは今お前が悩んでいることはわかっているが、お前の物語の主人公はお前だ。天から求められるそれぞれの役割を肩代わりしてやることは、他の誰にも出来はせん。いつか進むべき道が示される時が来るから、その時になれば自然と答えは出るだろう。ならば、それまでは大いに悩め。」

イワンの言葉の真意は、その時のグレンにはまだ完全に飲み込めてはいなかった。理屈としては理解しているようで、まだ腑に落ちていなかった。しかし、その言葉は呪いの様に後になってグレンを縛る見えない鎖と化すことになるとは、その時のグレンにとっては知る由もないことだった。そしてテラスへと続く廊下の曲がり角で、偶々通りかかったオリベが聞くともなく彼らの会話を耳に挟んで立ち止まっていた。オリベもまた、繰り返される共闘の任務の中で、何度も互いの背中を預け合って戦ううちに、グレンの仮面には気づいていた。グレンの剣技には一点の曇りもなく、寧ろ敵からは『紅い悪魔』、隊士からは『氷の副長』と呼ばれるその仮面の奥で、冷徹な表情とは逆に炎の様に熱い魂が燃えていることを知った。赤魔導剣士として理想と現実の狭間で悩むグレンに対して、オリベは正反対の性格ではあるが、根底では互いに尊敬しあえる相手であることに気づき、グレンもまた度重なる共闘を通じて、オリベを認め始め、自分とは違う相手を互いに認めて尊敬しあえる関係へと変化し始めていた。


§ 謎の病 §

 戦闘に明け暮れる日々の中で、魔導剣士となった時から時に体調不良に見舞われ続けて来たシオンの病状が加速度的に悪化しつつあった。幼少時は虚弱体質であったシオンは、体の成長に伴い、またイワンに師事して修行を重ねたこともあって丈夫な体を手に入れ、外見こそ華奢ながら強靭な肉体を手に入れて自らの弱点を克服したかに思われていたが、トートでは志願兵としては優秀な成績を残したものの、魔導兵士となるための魔導耐性に問題があった。それは兵器開発や疑似魔法研究に重きを置く方針の弊害で、まだ魔導の力を人体に適用した場合に発症する可能性のある謎の病についての研究があまり進んでおらず、過敏な者は即死する可能性もあるため、一応は魔導兵士候補生に対して事前に魔導耐性の検査も行われ、適応可能な者のみが選ばれることにはなっているが、検査の精度は極めて低く、陽性・陰性はそれほど明確ではなくて偽陰性・偽陽性が隠れていて後になって判定が覆ることも決して珍しいことではなかった。シオンも耐性検査では問題なかったはずだが、漆黒の髪に一筋、二筋と銀白色の毛髪の束が混じり始め、元より色白な方ではあったが、徐々に色白を遥かに通り越して、最近では顔面蒼白という方が正確ですらあった。時折咳き込むこともあり、次第に呼吸すらままならぬほどの咳嗽に苦しめられることさえもあった。トートからミーブハイムへ赴任した当初は、魔導の影響の強い東部とは違って、環境の良いミーブハイムに来たのが転地療養のような効果を生んだのか、一時的に寛解したように見えたが、激務が続くようになると、一気に悪化した。グレンは家伝の『ゾンネ万能薬』や白魔法で何とか少しでもシオンの症状を改善できないかと日々試行錯誤を重ねていた。

「けほっ、ごほごほっ。」

「シオン、大丈夫か。さあ、ゆっくり、これを飲んで。」

苦しそうに咳き込んでいたシオンに向かってグレンが差し出した薬を口に含み、流し込むように飲み下すと、シオンは胸を押さえ、ゆっくりと息を吐き出した。

「ふう、何とか落ち着いたみたいだ。ありがとう、グレン。」

「そうか、それなら良かった。」

顔を上げて微笑んでみせようとするシオンだったが、細めた目元には黒々とした濃い隈が影を落としており、血色の良くない頬はこけて透けるように青白く、ただ薬で咳を止めただけで、決して具合が良くなったようにはとても見えなかった。

「段々に咳き込む頻度が増えて間隔が狭まって来ているようだね。次の任務から外れて、少し休養を取った方が良いのではないかな?」

偶々居合わせたオリベも心配そうにシオンの顔を覗き込んで言った。

「ううん、オリベ。僕なら大丈夫。発作止めの薬はグレンからもらっていつも持ち歩いているから、いざという時はそれを使うし、任務に集中している時は意外と発作は出ないから。」

シオンは精一杯の空元気を振り絞って明るく答えて見せた。

「一番隊はグレン副長が支援に回れば大丈夫だろう。このところ激務が続いているから君はあまり無理はしない方が良い。体調管理も私たちの大切な仕事の一つだからね。」

「うん、ありがとう。そのうち休みをもらうことも考えてみる。」

オリベの助言に笑顔で答えるシオンを、グレンは少し複雑な気持ちで見ていた。もしも相手がオリベでなくグレンだったら、きっとシオンは意固地になって素直に聞くことはないだろう。その違いは甘えなのか遠慮なのか、グレンにはわからなかったが、シオンの身を案じる気持ちは、オリベよりもずっと強いはずだとグレンは信じたかった。何より、シオンの病と薬に対する知識は誰にも負けないと自負していた。

 そんな折、同時に複数の任務に対応する必要に迫られ、やむなくグレンとオリベの二人はそれぞれが単独で、シオン率いる一番隊とは別行動を強いられることになった。一番隊の指揮はシオンに一任され、情報では最も有力とされた二ヶ所の現場に二人の副長と共にそれぞれ二番隊・三番隊を配置し、一番隊が担当するのは最も信頼度の薄い情報で、「もしかしたらミーブ隊に揺さ振りをかけるための偽情報ではないか」とすら分析されていたが、念のための調査を兼ねて出動するような現場だった。それならシオンの負担も軽く済み、片付けばシオンを説得して暫く静養させても良かろうと総隊長イワンと二人の副長は考えていた。

 「大メイガス帝国魔導軍ミーブ隊一番隊隊長、シオンである。この屋に不穏分子潜伏中との情報があった。帝国魔導軍西方警護任務により、探索にご協力願いたい。」

いつものようにシオンがそう告げて、現場の商家に突入すると、奥から一斉に多数の敵が向かって来た。二階からも怒涛の如く敵が駆け下りて来て、一気にその場は戦場と化した。一番隊は隊長のシオン以外の隊士も皆剣技にも疑似魔法にも優れた実力者が揃っており、ミーブ隊の小隊中では、頭一つ抜けた存在であったので、大量の敵に不意打ちを食らっても、慌てることなく応戦し、それぞれの隊士が獅子奮迅の活躍ぶりだった。シオンも愛剣のロングソードで応戦しながら、敵の隙をついて

「舞い上がれ!エーア!!」

と詠唱して風属性黒魔法を発動し、階上の敵を吹き飛ばした。しかし、一体どれほどの人数の敵がこの一軒に隠れ潜んでいたのかと思えるほどに、その兵力は一番隊を遥かに凌駕し圧倒した。しかも、その敵の中には大陸の同盟国からやって来たと思しき獣人も多数含まれていて、この国では馴染みの薄い異国の銃や武器を使う者も居て、一番隊は苦戦を強いられていた。一方、それぞれ別の現場に到着した二人の副長・グレンとオリベはその場の敵の手ごたえのなさに

(しまった。謀られた。偽情報かと思われていた一番隊の現場こそが敵の本隊だ。)と直感し、早々に戦闘を終了させて、一番隊の下へと急行した。(シオン、無事でいてくれ。)と心の中で祈りながら。

「げほっ、げほっ、ぐわっ。」

咳き込んだシオンは、敵の攻撃から咄嗟に身を躱し、密かに持ち歩いていたゾンネ万能薬を取り出して口に含もうとしたが、反動で薬と共に大量の血を吐き、いつもとは比べ物にならない程の酷い発作で、よろめきながらも、物陰に身を隠して敵から逃れようと試みたが、何度も喀血して既に顔面は蒼白となり、崩れ折れるように壁に倒れ掛かり、座り込んで動かなくなった。シオンを庇う様に取り囲みつつ応戦する数人の隊士たちが、必死に声を掛け、シオンの名を呼んだ。ぴくり、と動き始めたシオンに隊士たちが安堵したのも束の間、シオンの体はむくむくと異形の魔物に変化した。隊長の身に起こった突然の変異に動揺し、隊士たちが叫び声を上げて一瞬怯む隙をついて襲い掛かろうとした敵も、魔物となったシオンの姿を目の当たりにすると悲鳴を上げ、恐怖のあまり我を忘れて、魔物に対する一斉攻撃を始め、茫然自失の一番隊隊士たちの眼前でシオンが今にも嬲り殺されようとしていた、まさにその時、それぞれの現場から救援に駆け付けたグレンとオリベが敵を一掃した。隊士たちが魔物を指し示し、口々に「隊長が…。シオンが…。」と呟くのを聞いて、グレンは魔物に駆け寄り、その体を抱き上げると、絶命したシオンは次第に元の姿に戻って行った。その傍らでオリベは言葉もなくただ立ち尽くしていた。グレンはとめどなく涙を流し、

「救えなかった…。また、俺は救えなかった…。」

とただ繰り返すだけだった。

 グレンが幼い頃、彼の両親は相次いでシオンと同じ病に罹患した。故郷のゾンネンハイムに突如としてリビドの湧出が認められ、それを自宅の敷地内で発見した両親は、あまりにも不用意にリビドに接近してしまったため、本来黒髪と黒い瞳だったのに、二人ともその両眼は突然碧眼となり、その後シオン同様に徐々に銀髪となり、みるみる衰弱して、酷く咳き込む発作を繰り返すようになった。両親を蝕んだ謎の病はゾンネ万能薬を用いても回復することなく、数日後父親は魔物に変化して自我を失い、グレンに襲い掛かったため、グレンが退治せざるを得なかった。絶命して元の姿に戻った父親と、父親を殺害したとしか思えない状況のグレンを目撃した母親は錯乱し

「人殺し!なんて恐ろしい!親を殺すような子は私の子供じゃない!悪魔よ!悪魔に違いないわ!」

とグレンを罵り、その出来事はグレンに深いトラウマを植え付けることとなった。更に息子が夫を殺害したショックからか、母親もまた魔物に変化してしまい、グレンは自我を失った母親をも手にかけざるを得なかった。両親を弔ったグレンが親族や村人に「病気で錯乱した両親が互いに傷つけ合って亡くなった」と説明したのは、自分の罪を隠蔽するためではなく、両親の尊厳を守るためだった。自宅敷地内に湧出したリビドはその後すぐに消失してしまったので、グレンの両親以外のゾンネンハイムの村人たちに謎の病の被害は広まることはなかったが、短期間で急激な両親の衰弱具合と発作を見て来たグレンは、シオンの様子が両親とそっくりだったことに衝撃を受け、当時はまだ子供だった自分に力がなかったために両親を救うことができなかったが、今なら白魔法も手に入れて、ゾンネ万能薬の改良研究も重ねて来たので、今度こそシオンを救うことが出来るかもしれないと思っていたのに、やはり救うことは出来なかった。その無念さが、人前でも抑えられない涙となって流れ続けたのであった。ただ、両親と違ってシオンが自我を失い、仲間を襲わなかったことだけが唯一の救いだった。それはきっとシオンがイワンに師事した修行時代からずっと抱いて来た『誇りだけは失うまい』という思いで、魔物化しつつある間も懸命に自我を保とうと病魔と闘い続けたからだったろう。

 オリベはいつになく人目も憚らず涙を流し続けるグレンの姿を見て、生前の、まだ少し元気だった時のシオンの言葉を思い出していた。

「僕はね、こんな病になってしまったのは悔しいけど、それほど悲観はしてないんだ。僕はこの病のことはよく知らないけど、きっとグレンが治してくれると思うから。グレンはあまり話したがらないから僕もあまり詳しくは訊けなかったけど、グレンの両親も同じ病気で亡くなったらしいんだ。その時グレンはまだ子供だったから何もできなくて手遅れになったと随分悔やんだみたいでね。グレンは僕の病を治すためにずっと家伝のゾンネ万能薬の研究を続けてくれてるから、僕も『実験台になるから研究に役立てて』ってお願いしてるんだよ。」

オリベはそれを聞いた時は、然程気にも留めていなかったが、シオンが魔物化して命を絶たれねばならない運命を背負っていたことを知ると共に、グレンの心の闇を僅かながら覗き見て、少しだけ彼を理解できたような気がしたのだった。


§ 反帝国魔導軍の反撃 §

 帝国魔導軍と反帝国魔導軍との戦闘は全国各地で加速度的に苛烈を極めるようになり、傭兵である師族の私設軍隊や大陸同盟国の獣人だけでなく、遂に満を持して一部の魔術師たちが直接戦闘に参加し始め、帝国魔導軍は徐々に師族側の勢力に押されて次々と倒されて行った。ミーブ隊と同様に西部に駐屯していたサイト付近の部隊も次々と降伏したり、全滅したりして行った。ミーブ隊もまた多くの隊士を失い、これまでは殆ど現場で戦うことのなかった総隊長イワンまでが自ら戦闘に参加せざるを得ないところまで追いつめられていた。敵が間近に迫った時、イワンはグレンだけを呼び出し、二人きりになってグレンに言った。

「『オレは投降する。代わりに隊士たちだけは助けてくれ。』と敵軍に訴えてオレが時間を稼ぐ。その間にお前は残った隊士たちを連れて逃げろ。戦争が終わって平和な世の中が来れば、お前は薬師として人を救うことで、今まで人を殺め続けて来たことに対する償いが出来る。だからお前は絶対に生き残れ。」

「イワン!あなただけを犠牲にして生き延びるなんて、俺にはそんなことはできない。」

「グレン、我々に残された時間はそんなに長くない。黙ってオレの言うことを聴いてくれ。いいか。オレはミーブ隊の総隊長だ。オレには本来なら全ての隊士を守る責任がある。だが、現実にはそれは難しい。救える命と救えない命があるなら、救うべき命を優先するべきだ。以前お前に『誰もが天から与えられた役割がある』と話したことを覚えているか。お前にはまだ果たさねばならない役割が残っている。お前はシオンを失ったのを随分と気に病んでいたが、お前はシオンの命は救えずとも、お前が与えた薬のおかげで、自我を失わずに済むだけの余力が残されていたからこそ、シオンは自らの誇りを守れたのだ。シオンはお前に感謝していたと思うぞ。ここで可能な限り多くの、お前たち隊士を救うこと、ミーブ隊の総隊長としての責務を果たして死ぬことがオレの役割だ。俺に付き従って来た全ての隊士たちに対する責任を負ってオレは自らの死を受け入れるべきだと思う。ユマ族の誇りを守るために戦い、シオンのように先に命を落とした仲間たちのために、そしてこの先も生き延びて、誇りを胸に抱いて天から与えられた役割を果たすべき者を護るために、オレは死ぬ。だがな、グレン。死ぬのも地獄なら、生きるのも地獄。行く道は違っても、どのみち辿り着く先は同じだ。オレは一足先に逝くが、シオンと一緒にあの世でお前を待っている。お前は自分の役割を果たして、天寿を全うしてから、ゆっくり来るんだぞ。さあ、行け、早く。もう敵がそこまで迫っている。隊士たちのことは頼んだぞ。」

グレンが口を開こうとした瞬間、敵が攻め入って戦闘が開始されたのか激しい物音が聞こえ、オリベが飛び込んで来た。

「もう時間がありません!行きましょう!」

事前にイワンから伝えられていたのか、オリベは既に隊士たちと共に離脱する準備を整えていた。

「オリベ、グレン。頼んだぞ。」

とイワンが言うと、

「わかりました。さあ、グレン。行きましょう。」

とオリベが答えた。グレンは頷いて、イワンに

「わかった、イワン。隊士たちのことは任せてくれ。」

と言った。グレンはオリベに誘なわれて残されたミーブ隊と共に離脱し、その直後にイワンは攻め入って来た反帝国軍に投降、捕縛されて、後日サイト近郊にて公開処刑された。断罪され刑死したとはいえ、その誇り高い戦士の堂々たる最期は、目にした者たちの涙を誘い、「漢らしい立派な覚悟だった」と称えられた。


【第1分岐点】

ミーブ隊総隊長イワンの刑死後、グレンはどうなったのでしょうか?(次章はそれぞれのタイトルに続きます。)

A 自分を責めて殉死しようと思い詰める。[Case:A]に続く。

B 心の支えを失い、腑抜け状態になる。[Case:B]に続く。

C 一人死に場所を求めて彷徨う。[Case:C]に続く。

D 別の生き方を求めて旅立つ。[Case:D]に続く。

E 誰にも知られずそっと姿を消す。[Case:E]に続く。

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