きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

カテーナ・ヒストリア 歴史の鎖 第2部

2023-10-22 18:32:33 | 小説
第2章 「アンスロポス王国の成り立ち」
 霊獣大戦から遥かな時の流れを経て、『星の命』と「大魔石(クエレ)」の加護の下に、「疑似魔法(メギカ)」による魔導技術の恩恵を受けて繁栄して来たアンスロポスであったが、エネルギーの争奪戦は「五属性の民」の時代から今もなお続いていた。長い年月を経て、いつしか『星の命』が尽きる危機を察知していながら、人々は豊かで便利な暮らしを失いたくなくて、問題を只管(ひたすら)先送りし、見て見ぬふりをして来たが、大魔石の欠片「魔石(ライストン)」も枯渇してきて徐々に入手困難となり、日常生活にも支障を来たしつつあった。争いが続く世の中では負の感情を抱いて死ぬものも増え、その魂は「魔物(モンストル)」や「死人(しびと・ルヴナン)」となり、『星の命』へと還れなくなった。五属性の民の時代には存在しなかったそれらは、アンスロポスからしか生まれないものであった。古(いにしえ)の五「霊獣(スピリティア)」から生まれた各属性の大魔石の他に、神から授けられた『星の命』の結晶体が三つあり、それぞれが光と闇と聖の三属性を司るものとされた。それらは三柱の「御神体(クストゥス)」として神殿に祀(まつ)られ、崇(あが)め讃(たた)えられ、かつて神の僕(しもべ)と言われた古代種「光の民(リヒトロイテ)」の末裔である「巫女(メティア)」は、御神体から「神託(オラケル)」を授けられた。人々は魔石の恩恵により疑似魔法が使えたが、御神体から祝福を受けた「器(ヴェセル)」は「神獣(ディヴィスティア)」との契約により加護を与えられ、本来は「非術師(マギナ)」であるアンスロポスでありながら、「生得魔法(マギカ)」を使える「魔術師(マギア)」同様に、魔石なしで魔法を使うことが出来た。器として一旦契約を交わしたらもう破棄することは出来ず、契約の代償は同一の肉体内での魂の共存なので、神獣の死は器の魂の消滅になる。魂が共存するため器の魂が優位でないと使役中に神獣の魂に肉体が乗っ取られて暴走する危険性もある。そのため器は単に「魔法耐性(マアイク)」があるだけでなく、魂の強さも求められ、それを承知の上で契約を結ぶ覚悟が必要とされる。器となった者は神獣と一体化した神の僕であり、厳密に言うと、最早アンスロポスではない。即ち神獣の力を得る代償として、アンスロポスとしての自らの生命と生涯を捧げる、という等価交換を承諾して契約したものと見做されるからである。

 霊獣大戦後、神獣が御神体とされて久しく、その器となるべき特異体質を有する者が覚醒することはなく、アンスロポスは独自の秩序の下に国を作り、元属性の民が暮らしていた国々にもそれぞれ小国が生まれ、諸侯として各国を統べる有力なアンスロポスたちがそれぞれ貴族を名乗り、国と民を治めていた。
 小国同士の交流もありはしたが、まだ各国を束ねる単一の王は存在しなかった。そんな時、御神体のお膝元である中央平原の小国内に突然変異的に二人の特異体質者・即ち器の候補者が覚醒したのである。
ー『アンスロポス王国の成り立ち』歴史研究家スリーロス(アンスロポス)著ー



 二人の特異体質者・即ち器の候補者の覚醒を察知することが出来たのは、古代種の末裔の巫女・アメリアだけであった。彼女は物心ついた時には既に巫女として覚醒しており、生まれながらにして巫女の証である深紅の瞳を持つ美少女だった。その艶やかな長い黒髪と美しい深紅の瞳、神秘的な雰囲気を纏う彼女は数多くの男性を虜にしたが、特定の男性と親密になることはなく、幼馴染の間柄であるアルベルトとケイネスとは親しくしていたが、彼ら兄弟から見れば、幼い頃から妹のように接してきたというだけのことで、決して彼女に恋人とみなされているとは思えなかった。

 神託は預言であり、予言でもある。預言、即ち神の意思であると共に、時に神の僕たる神獣の器の未来をも見ることが出来てしまう。しかし、神と巫女と神獣及びその器は因果によって結ばれてはいたが、それら全てが欠けることなく共に存在する時、世界の存亡を占う場面で、生命を代償とした『極大魔法(アルテマギカ)』が発動可能となることだけは、神ならざる巫女と器には知らされていなかった。

 ある時、巫女・アメリアが「中央小国諸侯家の兄弟、アルベルトとケイネスの二人のうちのどちらかが初代のアストロポスの王に選ばれる」と神託を受けた。
 兄のアルベルトは真面目で優しい理想主義者だった。その白髪は緩やかな巻き毛で、切れ長の目を持つ柔和な笑顔が印象的な青年だった。寡黙ではあるが、真摯な口調で穏やかに話す言葉には情熱が込められていて、説得力もあったので、彼を支持する者は少なくなかった。
 一方、弟のケイネスは、兄とは正反対の論理的思考を持つ現実主義者で、アルベルトの理想主義を危険視していた。アルベルトの掲げる理想に対して「理想では世界は救えない」とわかっており、「犠牲はつきものであり、少数の犠牲の上に多数が救われる」という考え方だった。真っ直ぐな黒髪と兄とよく似た切れ長の目を持つ端正な顔立ちの青年ケイネスは、歯に衣着せぬ厳しい言葉を口にすることも多く、常に冷静沈着であったため、冷徹で威圧的な印象を与えてしまうのか、支持する者も少なくはなかったが、反発する者もまた少なからず存在した。
 ケイネスはアルベルトが王になることには反対で、それは決して自分が王座を手中に収めたいという私利私欲からではなく、アルベルトが王位に就けば、世界や同胞を誤った方向に導いて破滅を招きかねないという危惧から、何としてもアルベルトを排除しなければならないと考えていた。次の神託により正式にアルベルトが王に選ばれれば、神託を覆すことは不可能となるため、何としてもアルベルトの即位を防ぐにはどうすべきか悩みぬいた末に、追い詰められたケイネスが導き出した答えは、世界のために自らの手を血で染めるしかないというものだった。王位に就くアルベルトと神託を受けるアメリアの二人を亡き者にしなくてはならない。巫女の力が失われればまた別の巫女が覚醒するとしても、二人を葬ってすぐに、「先の神託は誤りで、正しくはケイネスのみが王として選ばれていたのだ」と偽って、自身が王となれば、後はどうとでもなる。そんな狂信的な思いと共に、幼い頃から幼馴染で三人仲良くして来たのに、今やアメリアの心は確実にアルベルトに傾いているに違いないという無意識下の嫉妬から、ケイネスは大義の名の下に悪魔のような所業を画策することとなった。

 巫女として生まれたアメリアと、幼い頃近くに住んでいたアルベルトとケイネスの兄弟は仲の良い幼馴染の間柄だった。アメリアは神秘的で奔放な少女だったので、彼女の思いつきで突然無茶なお願いをされることや、振り回されることばかりだったが、それもまた彼女の魅力だった。鷹揚で優しく真面目なアルベルトは終始彼女の言いなりと言っても良かったし、玩具のように扱われていることすら、喜んでさえいたと言っても良かった。ケイネスははにかみ屋で大人しかったが、アメリアはそんなケイネスをからかって楽しんでいた。それでもアメリアの古代種の特徴を引き継いだ尖った耳の形を異端視して虐めようとする輩に対しては、当のアメリアが相手にしていないにもかかわらず、兄弟は許すことが出来なかった。
「やーい。やーい。とんがり耳やーい。」
とはやし立てるいじめっ子に対して、
「何だと!アメリアに謝れ!」
とアルベルトは拳を振り上げて叫び、
「女の子に酷いこと言うなよ!」
とケイネスは必死に訴えた。
「あら、いいのよ?私はこの耳の形、とても気に入ってるの。誰とも違う私だけの耳なんだから。きっと羨ましいんでしょ。」
アメリアは悪戯っぽく微笑んで、全く意に介していないというように言った。
「へんだ!そんな変な耳なんか、羨ましいもんか!」
いじめっ子は捨て台詞を吐いて去ってしまった。
「自分と違うとか、他の人と違うとか、それを認められないのは悲しいことよね。でも仕方ないの。あの人たちにはわからないんだもの。」
アメリアはそんな風に呟いて、兄弟に微笑みかけた。
「でも、あなたたちはわかろうと努力してくれる。本当は誰にも決してわかりはしないことだとしても、それはとても嬉しいわ。」
幼心に兄弟は共にアメリアに好意を抱いていたが、その積年の想いはいつしか愛情へと形を変えて行った。幼い頃からアメリアの兄弟に対する扱いの違いをひしひしと感じていたケイネスは、アメリアから下僕のように扱われて嬉々としているアルベルトと、それを心から楽しんでいるようなアメリアとの心の距離が近い感じがして、成長した今でも子供扱いで、からかわれるだけの自分との差を見せつけられているようで苦しかった。アルベルトとアメリアが愛し合っているなら、自分は道化ではないか。悶々と思い詰めるうち、ケイネスの歪な恋心はいつしか二人への憎悪へと変わって行った。 

 かくしてケイネスは実の兄であるアルベルトのみならず、彼が思いを寄せる神託の巫女・アメリアまでも謀殺しようと考えた。ケイネスは古来アンスロポスの間に伝わる「禍罪(まがつみ・ディザスター)の魔女」の伝承を利用し、アメリアは魔女の化身であると民衆に信じさせようと考え、禁断の悪魔崇拝の書や魔女が呪術に使う呪具・呪物を偽造し、アメリアの家から見つかるように仕向けた。
「この世全ての厄災や不幸を齎(もたら)す元凶となる、諸悪の根源・禍罪の魔女が巫女アメリアに擬態しており、魔女の呪いによってこの世に悪が満ち、民の生活を脅かしている。魔石の枯渇や希少化は魔女の呪いによるものである。魔女を『幽世(かくりよ)』の『深淵(アヴィス)』へ送り、『奈落(タルタロス)』に落として、その魂を生贄として闇の神に捧げることで、この世の神の怒りを鎮めねばならない。」
とケイネスは民衆に訴え、
「アルベルトは言葉巧みに魔女によって王となるよう操られ、国と民を誤った方向に誘導しようとする魔女の策略に嵌められている。魔女の虜となっているアルベルトをその魔手から救うためにも、断固として魔女は断罪せねばならない。」
と糾弾した。
「魔女を奈落に落とさなければ、神の怒りに触れてこの世の終わりが来る。」と信じる人々はケイネスに同意した。勿論アルベルトはそんな話を信じなかったし、愛するアメリアを失いたくはなかったが、民の声には従わざるを得なかった。アメリアもまた自身の「深淵堕とし」が神の意思であり、自らに課せられた「宿命(フェイト)」であると覚悟を決めていた。

 アメリアの「深淵堕とし」の儀式は、闇と聖の御神体それぞれの力を代執行する者として、アルベルトとケイネスにより執り行われることになっていた。闇の力は死者の魂を幽世へ導くものであったが、例外的に死後ではなく生前に、聖の力により断罪を受けて、生きたまま深淵の闇に堕とされることになったのである。
 「さあ、アルベルト。深淵落としの儀式を始めましょう?」
と、アメリアはいつものように悪戯っぽく微笑んで躊躇(ためら)うアルベルトを促した。
「最期に何か言い残すことはあるか。」
と尋ねるケイネスに向かって、
「あなたにはないけれど、アルベルトにならあるわ。」
と言うと、アルベルトに視線を向けた。アメリアは既に、とうの昔に達観していて、いつか自分は消滅すると予感していたに違いない。
アメリアの両手首、両足首と首に装着された輪に、不可視化世界へと繋がる闇の鎖を繋ぐのがアルベルトの役割だった。鎖に繋がれた彼女の身体を磔台に括り付けて、辛うじてこの可視化世界に留めている綱を、ケイネスが斧で叩き切れば、彼女は深淵へと堕ちて行く。
「アルベルト、私はもう覚悟は出来ているわ。どうぞあなたの手で私を深淵へ堕としてちょうだい。それが神の御意思ならば、私は甘んじてその宿命を受け入れる。この世界が、どれほど歪で、残酷で、理不尽で不条理な悪意に満ちていても、あなたが居るこの世界を、私は愛していたわ。」
とアメリアが最期に言い残すと、アルベルトは涙を流しながら鎖を繋ぎ、ケイネスが斧を振り下ろすと、アメリアは穏やかな微笑みを湛(たた)えたまま、闇の鎖に繋がれて深淵へと堕ちて行った。

 アメリアを失ったことで、それも自ら手を下す形で、生きたまま深淵の闇へ堕としたことで、落胆していたアルベルトの心の隙に付け入るように、ケイネスはアルベルトの命を狙っていた。
「兄さん、顔色が良くないよ。さあ、これでも飲んで。」
ケイネスが差し出した器には、薄紫色の液体が入っていた。
「これは?」
「北部地方に自生する薬草だそうだ。飲めば元気が出る。」
元はといえば、アメリアを魔女だと言い出して命を奪った元凶が弟のケイネスであったとはいえ、今は腑抜け状態で何も考えられないアルベルトは、彼を心配するようなケイネスの言葉さえ疑う余裕がなかった。
その液体の香りは何処か懐かしい感じがして、アルベルトは混乱した。
「兄さんが昔病気で弱っていた時に、アメリアが飲ませてくれた薬湯を覚えているかい?」
朧げな記憶を辿っても、そんなことがあったかどうか、はっきりとは覚えていないが、この香りにだけは何となく覚えがある気がした。
「そう、だった、かな。」
アルベルトが訝しんでいると、ケイネスは
「あの時は兄さんは本当に重い病気で、生死の境を彷徨っていたような状況だったからね。覚えてなくても無理はない。でも、僕はまだ小さかったけど、『このまま兄さんが死んでしまうんじゃないか』と、とても恐ろしい思いをしたのではっきりと覚えているよ。」
と言った。アルベルトは気圧されるように頷き、
「そう、か。」
と答えて薬湯を口に運んだ。ケイネスはアルベルトが飲み干すのをじっと見つめていた。
「これを飲んだら眠くなるだろうから、僕は席を外そう。兄さんは一人でゆっくり休むといい。」
「ああ、そうさせてもらうか。」
「じゃあ、兄さん、ゆっくりお休みなさい。(永遠にね。)」
ケイネスが去った後、アルベルトは眠りに落ちた。そして再び目覚めることはないとケイネスは知っていた。薄紫色の花の部分は確かに薬草として有効ではあるが、その花の根は僅かに混入していただけでも死に至る猛毒である。勿論、ケイネスの差し出した薬湯には、花だけではなく、根の部分が使用されていた。暫くして、ケイネスはアルベルトの寝所へと戻って来た。そして自殺に見えるように偽装を施して、翌朝自ら発見したように装い、「兄・アルベルトはアメリアの後を追って死んだ」と発表した。

 幽世へと堕ちたアメリアの魂に語り掛けて来る声が聞こえた。
「アメリア。もうすぐアルベルトがこちらへ来るけれど、彼にはまだ、果たしてもらわなければならない使命が残っている。でも、最後に一度だけ、あなたに機会(チャンス)をあげる。彼にあなたと世界のどちらかを選んでもらう。彼があなたを選べば、彼と二人で元の世界へ帰してあげる。」
「あなたは?」
「あなたたちがアトル、闇の神と呼ぶもの。」

 生死の狭間でアルベルトは、思念体となりルスによって生前の姿を再現されたアメリアの魂と再会し、アトルの声を聞いた。
「アルベルト。あなたの一番大切なものはアメリア?それともあなたたちが生きて来た『現世(うつしよ)』?あなたにはまだ現世で果たさなければならない使命が残されている。あなたの魂を現世に蘇らせる代償を選んで。アメリアを選べば、あなたたち二人以外の現世の全てが、現世の全てを選べば、アメリアの魂のみが、奈落の闇に飲まれて永遠に失われてしまう。」
アメリアはアルベルトの意思に委ねるとばかりに彼を見つめて黙って頷いた。アメリアを選べば世界を救えないなら、アメリアを犠牲にするしかない。元よりアメリアはその覚悟を決めている。アルベルトがアトルに「世界を救う」と答えたため、アメリアの魂は闇の鎖に引きずられるように深淵の奥底へと沈み、最奥の奈落へと堕ちて行った。その魂は漆黒の闇に飲まれて永遠に消滅し、転生して再び相見えることは、もう決して叶わぬ願いとなってアルベルトの心に深い傷を残した。愛するアメリアを、自らの選択によって二度も殺したという、癒えることのないその傷の痛みに絶え間なく責め苛まれることこそが、アルベルトにとって、生涯背負い続けねばならない十字架となることを知りながら、それでも彼はアメリアの犠牲を選択するしかなかったのである。
「アンスロポスの王として選ばれるはずだったのは、本当はアルベルトだったけれど、あなたが居なくなって、今はケイネスが王になっている。現世と幽世では時間の流れが違うから、あなたがここで過ごしたのはほんの短い間だけれど、現世では既に十年の月日が流れている。」
アトルによって知らされたアルベルトは、全てがケイネスの陰謀であったことを確信したのだった。

 アルベルトは「闇の神獣・メフィステレス」の器として覚醒し、闇の器として神の使命を果たすため、アメリアの魂を犠牲にして、「死人」となり現世に蘇った。時を止めたような彼の姿は生前のままだが、その瞳は覚醒に伴って暗く深い紅色に変わり、その胸にはメフィステレスの「術式回路(シャルトクライス)」が刺青のように刻まれた。生前から「魔物となる死者の魂も含めて全ての魂を救いたい」という理想を持って来たアルベルトは「世界と同胞を救えるのなら、自らの魂は捧げても良い」と契約を受け入れ、「神獣の力で魔物や死人となりつつある魂を浄化して、『星の命』へと還れるよう幽世へと導きたい」と願っていた。神は彼の使命が何であるかを伝えなかったが、アルベルトは世界を救うことだと勝手に思い込んでいた。
 アルベルトの死後、ケイネスはアンスロポス王国の初代国王に就任し、「聖の神獣・ジクフリートス」の器として覚醒した。覚醒に伴い瞳の色が鮮やかな真紅に変わり、胸にはジクフリートスの術式回路が刺青のように刻まれた。ケイネスは「理想では世界は救えない。魔物化する死者の魂を浄化して救済するよりも、速やかで確実な死(消滅)を与えるべきであり、それが世界のためにも死者本人のためにもなることだ。」と考えていたので、自分なりに世界を救うためには神獣の力が必要だとして契約を受け入れた。

 そして今、アルベルトとケイネスは、器として選ばれ、人ならざる者の魂を己の身に宿し、自分自身も人ではない何物かになってしまった自分ならば、他者には決して感じ取れないものを感じ取れる体になった今ならば、生まれながらにして巫女という存在であることを運命づけられたアメリアの気持ちが心底から理解できる気がした。「同じような境遇の者でない限り、理解も共感も出来はしないのだ」と、「彼女はもう、とうの昔から諦めていたのだ」と。そんな諦観がアメリアを奔放にさせ、あのつかみどころのない不思議な魅力になっていたのかも知れない。

 神獣の器であるアルベルトとケイネスは、互いの魔力を察知することが出来たため、不老不死状態の死人となったアルベルトは、ケイネスが中央平原に王国城を築き、アストロポス王国の初代国王として君臨していることを感じ取り、ケイネスもまた、死んだはずのアルベルトが死人として蘇り、不老不死の化け物となったことを感じ取った。アメリアと自身の仇として、ケイネスへの復讐を固く誓ったアルベルトだったが、十年前に亡くなった時のままの姿で王国城に現れた彼を見た警備兵は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「アルベルト様…まさかそんな…ケイネス王の兄君はとっくに亡くなられたはず…化け物…化け物だ…誰か!誰か来てくれ!亡き王兄アルベルト様が死人になって戻って来た!助けて!助けてくれ!!」
アルベルトは、最初は無関係な警備兵を傷つけることを恐れて怯んでいたが、知らせを聞いたケイネスの命(めい)により、大勢の兵たちに取り囲まれて、ケイネスに対する怒りとも憎しみともつかぬ激情が爆発し、魂の制御を失って、「聖句(シュクリト)」の詠唱もないままに顕現したメフィステレスの暴走を許してしまった。
唸り声を上げながら、アルベルトの姿は黒い甲冑を纏った騎士姿となり、兵たちを薙ぎ払うように魔法剣を振り回し始めた。そこにはもうアルベルトとしての人格はなく、その場に存在する全ての魂を幽世へと送り込む殺戮者となって暴れまわり、ついに真の姿、六本の脚を持つ半人半馬の神獣メフィステレスに全顕現しようとした時、ケイネスが現れて聖句を詠唱した。
「聖なる光を以(も)ちて遍(あまね)く世を照らし、白日の下に罪を暴く者、ジクフリートスよ。我が召喚に応えよ。」
アルベルトの命を代償として全ての魂を幽世へと送り込む極大魔法を発動する寸前のメフィステレスを抑えるため、聖魔法を唱えたジクフリートスの前にメフィステレスの顕現は解除され、アルベルトの姿に戻り、気を失って倒れたアルベルトは兵たちに呆気なく捕らえられ、厳重に幽閉されることになってしまった。

 アルベルトが堅固で厳重な牢獄の中で、鎖に繋がれ幽閉されたまま約半世紀の時が流れた。古の霊獣大戦の際に作られ、今は打ち捨てられた要塞を改造した重罪人専用の獄舎の地下深く、ケイネス王の聖の力による結界と、幾重にも張り巡らされた蛮族の獄卒たちの魔法障壁による警戒網によって、アルベルトは強固に封印された状態だった。
長い年月アルベルトはずっと
「アメリアよりも世界を選んだ、あの時の決断は本当に正しかったのか」
「他にアメリアを救う方法はなかったのか」
「ケイネスは王になりたいが故に、俺から王座と、アメリアと俺の命までも奪ったに違いない」
「あの時はアメリアを失って我を忘れ、油断していたためにケイネスに毒殺されてしまったが、ケイネスと戦って倒していれば良かったのか」
と考え続けていた。死人故に容姿こそ変わらず青年の姿のままではあったが、虚ろな目には何物をも捉えることは出来ず、何処にも焦点を結ぶことなくぼんやりと開かれたままだった。殆ど光の当たらない牢獄はまるでアメリアが堕とされた奈落のように昏(くら)く、飲食の必要がないアルベルトの牢獄の扉は開かれることもなく、どれほどの時が流れたのかもわからないまま、悠久の時の流れの中にただ存在しているだけで、神から与えられた使命のことすら既に忘却の彼方へと押し流され、死ぬことも消えることも許されず、ただ積み重なる時間の重みをその身に引き受け続けているだけだった。
[汝(うぬ)が生きながら死んでいる、正に死人ならば、いっそ我にその肉体を全て明け渡せ。]
脳内に重く低い声が響いた。
「貴様は誰だ?」
我に返ったアルベルトが問うと、その声は答えた。
[我は闇の神獣メフィステレス。聖の力によって封印され、器に閉じ込められたまま、これまでは汝の覚醒をじっと待ち続けて来たが、今こそ目覚めの時ぞ。聖の神獣ジクフリートスの器の、魂の力が弱まっている。時は満ちた。今こそ我が力を開放すべき時ぞ来たれり。]
(ケイネスが死ぬ?)
アルベルトの脳内に立ち込めていた濃い靄が一瞬にして晴れたように、意識がはっきりと戻って来た。この牢獄でどれほどの年月が流れたのかはわからないが、死人であるアルベルトと違って、ケイネスは普通の身体なのだから、いつかは寿命が尽きて先に死んでしまう。アルベルトが手を下す前に、ケイネスは天寿を全うしてこの世を去ってしまうだろう。アメリアと自分の仇を打つ前にケイネスが死んでしまうかもしれないと、どうして今まで考えなかったのだろうか。長年言葉を発することなく過ごして来たために、声は掠(かす)れていたが、アルベルトはしっかりとした口調で聖句を詠唱した。
「禍罪(まがつみ)の鎖を絶ちて魂を苦悩より解き放つ者、暗黒を統べる闇より黒き者、メフィステレスよ。我が召喚に応えよ。」
するとアルベルトの肢体に闇の力が漲(みなぎ)り、身体を拘束していた鎖を自ら断ち切ってメフィステレスが顕現した。全身黒い甲冑を身に着けた騎士姿のメフィステレスを身に宿したアルベルトは、幾重にも張り巡らされた結界を事もなげに破り、黒魔法による攻撃を仕掛けて来る蛮族の獄卒たちも一掃して、獄舎からの脱獄に成功した。そのままアルベルトはアンスロポス王国城へ向かい、警備兵たちを薙ぎ払いつつ玉座の間に向かって突き進んだ。
 玉座の間の天井まで届くような巨大な扉を開き、真正面の玉座に座ったケイネスと対峙すると、ケイネスは弱々しく老いさらばえた姿に変わり果てていたが、メフィステレスを宿したアルベルトの姿を見ると、立ち上がって聖句を詠唱し、聖の神獣ジクフリートスを召喚した。
「聖なる光を以ちて遍く世を照らし、白日の下に罪を暴く者、ジクフリートスよ。我が召喚に応えよ。」
するとケイネスの老いた身体に聖の力が漲り、全身白い甲冑を身に着けた騎士姿のジクフリートスがケイネスの身に宿った。
二人は黒白(こくびゃく)の騎士姿に顕現した神獣の器として、互いに剣を交え、壮絶な一騎打ちが始まった。二体の神獣の結界によって、警護の兵たちを始め、誰一人玉座の間に立ち入ることは許されなかった。器となる者の肉体の強度は関係なく、魂と魂の闘いなので、より強い信念を持つ者がその場を制するのが神獣の器同士の闘いなのである。
「兄上、許してくれとは言わないし、許されるとも思っていない。兄上の理想主義では本当の意味で民を救うことは出来ないという、私の信念は今も譲れないが、だからと言ってアメリアと兄上を殺すことはなかった。あの時私はどうかしていた。若気の至りで、思い詰めて道を誤った。せめてその償いに、善き王となろうと私なりに今まで懸命に努力はした。しかし、闇の力を持つ兄上はこの世界にとってあまりに危険すぎて、兄上を幽閉するよりなかったのだ。」
二人の死後、繰り返す悪夢の中でアルベルトとアメリアの幻影によって責められ続けて来たケイネスは後悔を口にしたが、アルベルトにとっては全てが遅すぎた。
「今更そんなことを言って何になる?アメリアはもう戻らない。俺も化け物になってしまった。貴様が何と言おうと後の祭りだ。謝罪されたところで、何一つ変わらない。俺は貴様を倒す。それだけが今の俺を突き動かしている。貴様を倒さない限り、俺の時は止まったままだ。このままでは、俺は前に進めない。」
「兄上の好きになどさせるものか!純白の聖(ひじり)、永遠の無垢、全ての魂よ…(裁きの庭に出でよ。ハイリヒ!)」
ケイネスは聖職者姿の巨人、ジクフリートスを全顕現させると、死なばもろともと自らの命を代償に聖の極大魔法ハイリヒを発動しようと試みたが、詠唱の途中でメフィステレスの闇魔法によって抑えられ、不発に終わった。
 壮絶な闘いの末、魂の思いの強さで僅かに上回ったアルベルトが、ついに悲願の仇敵であり実弟でもあるケイネスに勝利した。ケイネスの敗北により、聖の神獣ジクフリートスは魔石化し、砕け散った破片はきらきらと輝きながら風に乗って御神体へと戻って行った。
互いに戦闘不能ぎりぎりのところで決着がついたため、アルベルトは元の姿に戻り、意識を失った。王国兵はその隙を狙ってアルベルトを捕らえ、再び牢獄に幽閉した。以前よりも更に厳重に封印を施し、再びアルベルトが解放されないように、ケイネスの代わりに、僅かに残された魔石ジクフリートスの欠片を用いて、聖の力による結界を重ねた。そして再びアルベルトは悠久の時の流れから取り残された暗黒の牢獄で幽閉の身となった。いつか神から与えられた使命を果たすべく目を覚ます時まで、じっと身を潜め、その存在はいつしか伝説となり、あたかも架空の存在であるかのように、一般の民の記憶からは抹消されて行ったのである。 
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