きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

人形の家 あとがき解説

2020-01-13 13:57:52 | 日記
 小説の序章の原案が出来上がって、原稿の下書きを入力し終えたのは2017年7月30日のことです。

〈 またあの夢だ。私の知らない名で、繰り返し私を呼ぶ声。優しく温かい響き。知らない声なのに何故か懐かしいような気がする。
遥か遠い昔の微かな記憶のような夢。そんな記憶など存在しないはずなのに。〉
序章の書き出しは、人造人間である『人形(プペ)』が見るはずのない夢を見るところから始まりました。
〈 私は何処から来たのか。どうして生まれたのか。
私は知らないし、知る必要もない。
それでもあの知らない声を聞くと、何故だか私の両眼から温かいものが溢れ出す。
涙。
私は泣いていた。
感情など持たない人形の私の眼から何故涙が零れるのだろう。
どうして私は泣くのだろう。〉

 第1章として書かれたのは、実は完成版の「承」に当たる部分でした。
かつての序章は後半二章を完全に別の展開とした為に全て割愛しました。

 当時は、現実世界の仕事で「サービス付き高齢者向け住宅」いわゆるサ高住の入居者相手の仕事をしていた時、実在したとある高齢男性が、居室を訪問する度に、「○○(娘の名)か?…顔が違う。」と呟かれた経験をヒントにしました。実際の娘さんはとても良い方で、まめに訪問され献身的に支えていらっしゃいましたが、作中では、自分の代わりに、老父の元へ訪問させる人形を雇うマダム、という設定になっており、『人形の家』というシステムの説明部分を加えた為に第2章から第1章へと変更になりました。

 第2章として書かれたのは、当初の第1章です。
一番ベタな顧客、ベタな依頼内容でした。実は『慰癒治療(セラピイ)』の場面は当初もっと過激で、エログロが半端ないのと、医療の知識がそれほどないことで、かなり毒気の抜けた大人しいものになりました。
消さずに残しておいたら良かったのですが、今となってはもう再現不可能です。

 そして幻の第3章、第4章。
当初は、序章でヒロインの人形の夢に出て来る声の主に似た男性から、逢瀬を楽しむ定期契約の申込みがあり、感情のないはずの人形がその『顧客(クライアント)』に惹かれていくという展開でした。
実は人形はクローンみたいなもので、オリジナルの女性が居て、その女性がファザコンで、顧客は父親に似ていて…というのが当初のプランでした。

 一方『操者(スピラ)』の方は、最初は、「人間に不信感を持っている人間嫌いの研究者」というくらいの設定しかありませんでした。
第5章で過去の物語を作る際に、元々人形の設定が「不老不死で自己再生・自己修復が出来る宇宙生命体の遺伝子と植物状態の人間の女性から作られた」というものだったので、操者が研究者で師匠の妻或いは娘に恋していたとか、操者は医学生の宇宙飛行士で、大富豪の民間宇宙事業に参加し、浦島状態で地上の妻と心がすれ違い、難病で植物状態の妻を救うべく秘密研究に従事するとか、紆余曲折しました。

 第6章(最終章)では、夢の中で操者とオリジナルの女性が相対し、オリジナルの憧れた父親の姿が現れ、人形がそれを見ているような形で、物言わぬオリジナルの心情が吐露され、最終的には操者がオリジナルを殺して人形を壊し、自分も死ぬという結末でした。
そこでもまた何度もいろいろ変更して書き直したりをしていましたが、現在の起・承以外はどこもかしこも納得がいかず悩んでいました。

 そこでふと保存していた機種変前のスマホの画像に、最初にメモしていた原案が残っているのを思い出しました。

それで何とか起死回生の一発となるアイディアが浮かばないかと「変更案」を作ってみたのですが、単なるマイナーチェンジであり、これもまたピンと来ませんでした。

 そんな時に、気になっていたとある映画を見に行く機会がありました。
何故行き詰っているのか、自分は小説で何が言いたいのか、執筆を開始してからあまりに時間が経ち過ぎたことと、その間に自分の心境や境遇に変化があったことで、完全に方向を見失っていることに気が付きました。
 ならばいっそのこと、全く違う作品になってしまってもいいのではないか。
その時は何か思うところがあったのだろうが、今となってはもうそれを正確に思い出すことが出来ないのなら、今の感性で描きたいことを書けば良いのではないか。
そんな風に思うことで、前半の二章はそのままに、後半を全く違うものとして書き直す決心がつきました。

 その為、当初イラストに描いていた人物像とは微妙に違ってきたこともあり、イラストは削除して、本文中の人物描写も一部変えることにしました。
当初は操者は長身で長髪黒髪で、手塚治虫先生の「ブラックジャック」のような感じでしたが、単に蓬髪を束ねた黒衣の男性ということになりました。
人形も当初は小柄で幼女のような姿という設定でしたが、そういう描写は削除して、単にフード付きのコートを着た女、ということにしました。

 先に書いたのは最終章の方でした。現在の結に当たる章です。
ざっくりとこちらを仕上げてから、前章に戻り、後に最終章の微調整と、前半の二章の手直しをして完成に至るというプランでした。

 回想の章と仮題をつけて書いたのが、現在の転です。
元ネタの映画やそのノベライズをご存知の方なら、何となくモデルになった部分はお分かりになるかと思います。
「ほぼ、まんまやん」と思われるかも知れませんが、そうではないと筆者は固く信じています。
強いて言えば「父親」というキーワードを完全に抹消したことくらいで、その呪縛から解放されたということです。

 それによってどろどろした恨みとか執着とかいう負の感情に満ちた作品から、純粋に「生命を救いたい」という志から始まったはずなのに、「救う」ということはどういうことなのか、という問題にぶつかってしまった苦悩の物語に変わりました。

 医療業界の端に居ると、元ネタ作品でもそうですが、「生きるということはどういうことなのか」「長生きしたら幸せなのか」などという問題には常に悩むところです。

 個人的には安土桃山時代、織田信長の「敦盛」ではないですが、人間が人間らしく自然に生きて死ぬなら、五十年くらいで寿命が尽きる方が楽なのではないかと思うことがあります。
人間も動物の一種なので、生殖活動の終わった更年期くらいでお役御免、さっさと人生劇場の舞台から降りても良いんじゃないかと思うことはあります。
男女ともに、加齢による病変や疾患で、死ぬまで薬を飲み続けないといけないとか、昔もっと短命だった頃には存在しなかった症状に悩まされねばならないことを思えば、強ち長生きするのが幸福とばかりは思えない気がします。

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