これでも物書きのはしくれであるとするなら、老若男女あらゆる人に公開する文章を書く以上、不公平があってはいけない。
ロールプレイングゲーム(RPG)ではプレイヤーが経験値を獲得してレベルアップして強くなる設定なので、開始直後のプレイヤーは極めて弱い。
まだ能力が低く技や魔法も使えないし、攻撃しても敵に与えるダメージが少なくて苦戦するし、雑魚敵に簡単にやられてゲームオーバーになる。
ゲームはシナリオに沿って進むので、解明できなかった謎や取り残したアイテム、仲間に出来なかったキャラクターや召喚獣などがあっても重要なポイントを抑えてさえいれば一応クリアは出来るが、もう一度初めからやり直して、あの時別の選択肢を選んでいたらどうなったかとか、前回出来なかったことを全てやり尽くしたいといういわゆる「やりこみ」をする時、どうでもいい雑魚敵とかに煩わされたら面倒だということで二回目からはレベル1ではなくある程度のレベルからスタートしてすいすいとゲームを進められるように選べるのが「強くてニューゲーム」なのである。
先日ネットでとある有名掲示板のスレのまとめなるものを読んでいたら、
「たまにお前人生何回目だよ?って言いたくなる奴が居るよね」
という話が出ていた。
若いのにやたらとものを知っている奴、初めてやるはずなのにやたらと要領が良い奴、何をやらせてもそつなくこなしてしまう奴。
こいつらってきっと一回人生クリアしてから「強くてニューゲーム」なんじゃないかって思ってしまう、という話である。
それとは少し違うが、RPGには難易度が選べるものがある。
プレーヤーにもゲーム初心者も居ればゲームの達人も居る。
難し過ぎれば初心者は最初でゲームオーバーばかり繰り返して全く先へ進めないから面白くないし、簡単すぎれば達人レベルにはつまらない退屈なゲームになってしまう。
どんなレベルのプレイヤーにも楽しめるように、イージーモードやハードモード、中にはエクストラハードモードまであったりする。
人生もまた然りであって、割合と穏やかで波風も少なく幸せな人生を送る人もあれば、何で自分だけと神や仏に恨み言を言いたくなるような壮絶な人生を送る人もある。
それが前世の行いなのか何なのかわからないが、ハードモードの人生をクリアしたらきっとイージーモードより達成感があるよ、などと言われても当事者にとっては慰めにもなるまいが。
以前自分が今までの人生を嘆いた時、ある人が言った。
「今までのあらゆる選択の結果が今のあなただ。あなたはろくな人生じゃなかったと思っても、もし恵まれた人生を送っていたらあなたは今のようなあなたではなく鼻持ちならない嫌な女になっていたかも知れない。」
そうか、艱難辛苦汝を珠にするってことか。それならあながちハードモードの人生も悪くないかもな、と思ったものだ。
なのにその同じ人が最近寂しそうに言った。
「時間を巻き戻せたらいいのに」と。
今朝ふと「強くてニューゲーム」という言葉が頭に浮かんだのはそんなことがあったからかどうかわからないけれど、人生で「強くてニューゲーム」が本当に出来たとしたら、一体どんな装備をしてどんな能力を身につけて生まれて来たいだろうか。
大金持ちになって贅沢三昧?
ハイスペックな能力を持って地位と名声を手に入れる?
絶世の美人になって数多の男性を虜にして逆ハーレム?
それもいいかも知れない。
だがそれはあくまでも今の人生のリベンジだ、と思うからであって。
実際には人生にはリセットボタンはないし、「強くてニューゲーム」というモードはない。
というか、そもそも一度もクリアしていなければ「強くてニューゲーム」の選択肢は現れない。
自分はプレーするよりプレーヤーの隣でちゃちゃ入れる方が多いが、もし人生がゲームなら、
「今度はイージーモードでいいから」
「強くてニューゲームでいいから」
と言われても、もう結構。
後悔がなかったとは言わないし、やり残したことは多々あっても、プレーするのは一度で充分である。