では何故今日その言葉が頭に浮かんだかだが、例によって元ネタとは全く関係のない発想だったのである。
感情は伝搬する。即ち、伝染る。
これは心理学的にも根拠のある話で、自分が相手に好意を持っていたり、逆に敵意を秘めていたりするとそれは相手に伝わり、好意的な相手に対しては嫌悪感を抱きにくいし、敵意を以てみられていると感じるとそれまでは何とも思っていなくても何となく苦手に思えてきたりするものだ。
だが、今日思ったのはそれとは少し違う。微妙に似て非なる「感情の伝染」なのである。
故あって少し疎遠になっていた友から久々に連絡があったりすると、嬉しい反面、最初はちょっと警戒してしまうのが深読み・裏読みしてしまうこの性格の悪いところだという話を以前書いたこともあるが、今も以前と同じように親愛の情を以て接してくれることがわかると安心するというか、本当にこれは本人であろうかとか、言葉はさりげないが実際心中は如何なものだろうか、負の感情は本当にないのだろうかとか、いろいろ疑ったのが申し訳なく恥ずかしい。
それでも以前と変わらぬ包み込むような優しさを示されると、また誤解を与えてしまってはいけないと慎重になる余り言葉を選びつつもどうにかして真意の欠片でも伝えたいと思い、言葉数も少なくなりがちながらも、心の中は感謝でいっぱいになる。
そういう人からの優しさを受け取ると、普段は冷淡な自分も少しだけ優しくなれる。
つまり、「優しさは伝染する」。
いつもなら木で鼻をくくったような言葉やあからさまに興味のなさげな態度で接している相手にも笑顔になれるし、会話もできたりしてしまう。
自分でも不思議なほど優しい自分がそこに居ることに我ながら驚いてしまう。
それも友からのもらった優しさのおかげとふと気づく。
そこで思ったのだ。「優しさは、伝染する」と。
占い好きの自分は血液型や星座を始め、占い全般結構信じる方だが、先日見た占いがあまりにも件(くだん)の友に当てはまっていて、タイミングもあり、これは偶然ではなかったのかなと思ってしまう。
最近読んだコミックの一つが神社を題材にしたものであったり、身内に神社めぐり大好き人間のOLが居たりするもので先日もとある有名神社を参拝したりしたのだが、神様の思し召しなり縁というものはやはりあるのだと思う。
いくら好きでも縁がなければ結ばれることはないし、何か事が起きた時は起こるべくして起こっているのだと気づかされる。後になって、ああ、あの時はわからなかったけど、神様はこうなることがわかっておられたのだなと気づく。
そのコミックの台詞にあったが、神様にお祈りする時は、「~しますように」ではなく「~するように頑張りますので見守って下さい」というのが正しいそうだ。
いうなれば、
「幸せになれますように」ではなく「幸せになれるように努力しますので見守って下さい」
「試験に合格しますように」ではなく「合格できるように頑張って勉強しますので見守って下さい」
「お金持ちになれますように」ではなく「お金持ちになれるように一生懸命働きますので見守って下さい」
「好きな人に思いが届きますように」ではなく「思いが伝わるように頑張りますので見守って下さい」
ということだ。
だから、神様にお願いしさえすれば何かいい感じに叶えて下さるだろう、ではいけない。
神様は全て縁があればあるように、縁がなければないように、頑張っている人には「ほんのちょっとだけ背中を押して下さる」のだそうで。
神様には人間の善悪は関係ない。
なるようにしかならないけど、祈ってくれた人が自分で一生懸命頑張っているなら、少しだけ手を貸そうと思われるのだそうだ。
哀しい別れや辛い経験も、なるべくしてなったこと。
でも、その日があるから今日がある。
人生を俯瞰で見れば死ぬほど苦しんだことも悩んだことも皆そうなるべき運命というシナリオだったのだ。
どれほど親しい人でも縁がなければいつかは別の道を行かねばならないし、どんなに嫌いな人でも人知の及ばない何らかの意味があってそこに居るようになっていて、後から思えばあの時あの人にあんな思いをさせられたけど、巡り巡って今に繋がったのだから、それなりに意味はあったのだなと思うのだろう。
そんな風に思えば人間関係のストレスも少しは軽くなろうというものだ。
そして人から受けた感情が伝染るのであれば、できたら優しさや慈しみなどの良い感情を受け取りたいものだし、与えたいと思う。
それを気づかせてくれた友に感謝。
そういう風になったのも先日の神社の神様の御利益なのだろう。
友から優しさの贈り物が届いたのも「幸せ御守り」の説明通りに願いを込めたから、パワーストーンを置いたから、なのかも知れない。
思い込みが激しいたちだから「気のもん」なのかも知れないけど、神様のお蔭だと信じたい。
件の友も「『言霊』を信じてるから悪いことは口にしない方がいいと思っている」と言っていた人だった。
これから忙しい時期になり、心も殺伐としがちだが、文字通り「心を亡くす」=忙殺されることのないよう、思いやりの心を以て人に接することができますように。
基(もとい)、接するように努力しますので見守って下さい。
と神様にお祈りするのである。