「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

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前玉(さきたま)神社と静御前の話

2020-12-06 07:30:00 | 日記
10月始めに、Iさんが静御前のことの記事を書いていて、左胸が痛いと言っていたので、それに対してミクネの神(天之常立之神)が話してくれました。


左胸が痛いのは、静の痛みだよ。

何でですか?

静は、暑かった日に心臓が止まってしまったのだ。
過労だな。
無理していたから、、、
かわいそうなことだったよ。
Sとあくえりには、カケラが入っているよ。
Iにも、ほんの少し入っているよ。


私がブログをしてから何年にもなりますが、本当にいろいろな神様や歴史上の人達が話してきました。
私は、その度に調べたりして記事にしましたが、浅く広くな感じですね。
読者の皆様の中には、激しく感じる方がいらして、静御前については岩手県在住のあくえりさんが筆頭でしたが、Sさんも最近話していてそうだったのかと思いました。

Iさんが、記事を書いていて左胸が痛くなったのは、感じやすいだけではなかったようです。

ミクネの神に由ると、Iさんの痛みのために、懐かしい蝉丸が、薬を作ってくれたようですよ。


次の日に話してきたのは、スサノオノミコト改めサンでした。


スサノオノミコトだ。サンとも言う。
「時の扉」が開いたお陰で、忘れられたポータルが開いて嬉しいよ。
行田(ぎょうだ)には、富士王朝の時の王がいたのだ。
だから、富士に向かって墓は建てられていた。
埼玉は、かつてスカイウェイが通っていた時は、三鷹とも近いので、栄えていたよ。
辣腕な前玉(さきたま)の神がいたからな。
今回は、静(御前)のことで、行ってもらったが、変わらない大事な場所だとわかってくれてありがとう。
ボーーーースーーーーは、もう治ったと思うよ。
蝉丸が、薬作ってくれたからな。


Iさんは、小山の須賀神社の後に、急に行きたくなって行っていた神社があったそうです。
宇都宮の二荒山(ふたあらやま)神社ですね。





Iさんの📩

宇都宮市教育委員会発行の「宇都宮の旧跡」(1989年発行)、同じく宇都宮市教育委員会発行の「宇都宮の民話」(1983年発行)によると宇都宮二荒山神社の下之宮西側に鏡ヶ池という大きな池が存在し、そこから発見された鏡が静御前が亀井六郎を供に奥州の源義経のもとへ向かう途中に義経の無事を祈願するために立ち寄った宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で参拝する前に手を清めた際に落とした鏡とされ、その鏡は宇都宮大明神に奉納されたとされている。

と、あるのだが、
コレは、お供の者が亡くなった静さんの代わりに奉納したんだろうね。


10月6日は、朝から空が騒がしく、みんなから写真が送られてきました。

みゆきちゃんから



みこちゃんから



私も撮ってみました。



そして、Iさんから







静御前が舞っているような雲に見えたようで、神様になったのだろうと、感じたようです。
私は静御前を呼んでみました。


静です。
のーーーーうーーーー(能)に、赤い花が歌われていました。
繋がっている人達は沢山いるので、正確に聞いてくれて、ありがとうございます。
たーーーーしーーーーて(足して)、わからないくらいのパワーになっているので、大丈夫だと思いますよ。
Iさんが、静は神になれたと言っていたでしょう。

はい。

まだ、面接は終わっていないので、もう少しですね。


赤い花の能ということで検索してみると、この物語が出てきました。

🌟能「項羽(こうう)」のあらすじ

中国、長江(揚子江)の上流、烏江(うこう)の野辺で、草刈の男(ワキ)が帰路の便船を待っていると、老船頭(シテ)が舟を漕ぎ寄せてきます。
老船頭と草刈の男の間で船賃の問答をした後、草刈の男を乗船させて対岸へ渡します。
老船頭は、船賃の代わりに美人草を所望します。そして、昔、楚の項羽(こうう)の后(きさき)虞(ぐ)美人が亡くなったその墓からこの草が生えたので、美人草と呼ばれるようになったと語ります。




その夜、草刈の男の夢の中に項羽(後シテ)と虞美人の霊が現れて、項羽が漢の高祖・劉邦との戦いにおいて、四面楚歌の中で虞氏は悲しみのあまり高楼から身を投げた様子や項羽が旧知の敵将・呂馬童(りょばどう)を見つけると自らの首を刎ねよと言って、この烏江の露と消えた最後の様子を語り、自分こそ項羽の霊だと明かして消えゆくのでした。


丁度、この日私は熱海に行っていて、Sさんにこの話をして、前玉神社での赤い花の写真を見せていました。

Sさんは、以前に能舞台をよく見ていたそうで、

項羽」知ってるよ。
静は、白拍子(しらびょうし)やったからね。

あ、そうだね。




私は、なぜ「赤い花」が欲しいと言っていたのかと思いましたが、能での「赤い花」は、虞美人草(ぐびじんそう)で、春の花だから代わりに必要だったようです。


続きます。

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