継続の法則 自助努力のススメ 公認会計士 内藤勝浩のブログ

目標、正しい理想に向かってコツコツ自助努力を継続する人を応援するブログ

徳・民主主義、徳・資本主義 ひとり会議 弐拾参

2024-03-29 14:26:02 | 新型コロナウィルス



「今日の議題は、『徳・民主主義(とく・みんしゅしゅしゅぎ)、徳・資本主義(とく・しほんしゅぎ)』です。」
「ふぅーん。何な、それ?」
「民主主義は、国民の投票で、政治の舵取り役、リーダーを選びます。資本主義においては、大企業の役員さん方が、経済分野でのリーダーとなります。
 これらのリーダーは、徳を持った人がなるべき、あるいは、リーダーとなった人は、徳を持たねばならない、という考え方です。
 私が、作った言葉です。」
「徳ちゃぁ、何なぁ。」
「徳というのを一言で説明するのは難しいのですが、人徳のことです。
 例えば、政治家では、自分に投票してくれた人のために政治を行うのではなく、投票してくれなかった人のためにも、お金を寄付してくれたひとのための政治ではなく、寄付してくれなかった人のためにも、多くの方を、正しい方向に導くような政治を行う人が持っているものです。
 大企業のリーダーであれば、情報操作や嘘の製品提供等ではなく、本当の価値のある製品を世の中へ提供し、世の中を発展、繁栄に導ていける方、企業価値を高め、それを社会に還元するような経営を行う方が持っているものです。」
「なん課分かったような分からんようなやけど、要は、国や社会を正しい方向、良い方向に導いてくれるような人が持っている才能のようなもんかなぁ。」
「反面教師的な説明であれば、現在の多くの政治家の逆、現在の多くの大企業の経営者の逆と考えると分かり易いでしょうか。」
「ほんとなぁ、今の政治も、大企業も、何か変やしなぁ。」
「そのためには、多くの方が、レベルの違いはあれ、自らの徳(とく)を、高めるような思いや行いをすることが必要です。」
「そりゃぁ、難しいで。」
「レベルの違いはあります。リーダーとなる方は、より高い徳が求められるということです。」
「できれば、良いけどなぁ。
 ところで、徳・民主主義、徳・資本主義ちゅうのは、民主主義、資本主義の前に、徳を付けたものやなぁ。
 ゴジラの前に、シンを付けた「シン・ゴジラ」のパクリとちゃうか。
 今は、「ゴジラ マイナス1.0」の時代やからなぁ、「民主主義マイナス1.0」「資本主義マイナス1.0」の方が、いいじゃない?」
「マイナスにしちゃ、駄目でしょう。
 でも、今の民主主義や資本主義は、マイナス状態と言われても仕方がない状態です。
 気が付いていない方も多いようですが・・・」



 我が家の植木鉢の花に、ふと目をとられて、写真に収めました。
 春の訪れを知らせてくれるのは、桜だけではありません。
 ありがとうね。

 このブログを見てくださった皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。

 では、また。


新型コロナウィルスで考えたこと【108】-アフターコロナの世界-

2022-04-09 21:34:23 | 新型コロナウィルス

 新型コロナウィルスの「正体」は何なのでしょうか。
 つまり、新型コロナウィルスは「なにもの」なのかということです。
 おおまかに言うと、自然発生したものか、人工的に造られたものかということです。
 これが分からなければ、アフターコロナはやって来ないと思います。
 もし、新型コロナウィルスが、誰かが、特定の目的を持って、人工的に造られたものであるとするならば、「人類は、ウィルスや細菌とうまく共存してきた」といっても、ウィズコロナでは済まない未来が待っているだけのような気がするのです。
 新型コロナウィルスが人工的に造られた可能性が高いとする識者の方もいるようです。
 また、誰が、どこで、ということも言われています。
 そういった方々は、一人ではありません。
 しかし、残念ながら大多数でもありません。
 世界が、アウターコロナに向かうには、まずは、新型コロナウィルスの「正体」に対する認識を、多くの方々が、特に、人々を導くリーダーとなるような方々が改める必要があると思うのです。
 新型コロナウィルスの「正体」だけでなく、その他のことに関しても、日本や世界は、間違った認識が大勢を占めているように思います。
 ・新型コロナウィルスワクチン
 ・地球温暖化及び温室効果ガス原因説
 ・前アメリカ大統領選及びトランプ前アメリカ大統領悪いヤツ
 ・ウクライナ問題及びプーチン現ロシア大統領悪いヤツ
 ・ジェンダー平等問題、LGBT問題
 ・その他いろいろ 
 日本においては
 ・先の大戦に関連すること
 ・福島原発事故の被害に関連すること
 ・政府や地方公共団体の借金に関すること
 ・社会保障(年金、介護、医療)に関すること 等など
 これらについて、多くの人に影響を与えているのは、日本や先進国のリーダーの言動とテレビや新聞等の大手メディアの報道です。
 私は、これら、つまり、日本や先進国のリーダーたちの言動とテレビや新聞等の大手メディアの報道を、そのまま信用しなくなりました。
 新型コロナウィルスに関連していえば、ワクチンに関する日本政府の方針や大手メディアの報道です。
 また、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置を繰り返すことに関する日本政府の方針や大手メディアの報道です。
 今は、ネットでいろいろと情報収集することができます。
 必要なのは、正しいものを見極める目と行動する勇気だと考えます。
 多くの方が、「なんかおかしい」と、気が付くようになれば、政府や報道は変わっていくと思うのです。
 少しずつですが、ネットでなくても、私が正しいと考える情報が得られるようになっています。
 後は、それらを受ける側が、どうするかの問題です。
 希望的な予測ですが、アフターコロナの世界は、日本が、世界が、地球人類が、いろいろな意味で次元を超える時代になってもらいたいとと考えています。
 一段上の発展段階に入るということです。
 今、言われているような人と人とが直接会わないような世界ではなく、まずます、人と人とが触れ合っていくような時代になっていくと思います。
 また、現在は、非科学的と言われるようなものが、現代の科学の向こう側にあるものとして、科学においても、人々の認識においても、受け入れられるようになると思うのです。
 国際的には、国連等に変わる新たな国際秩序ができあがっていくのではないかと考えます。
 できれば、アフターコロナの世界への第一歩、地球人類のもう一段上の発展段階への第一歩が日本から始まって世界に広がっていけばいいなぁと願っています。
 それには、多くの人々の認識が変わる必要があると思うのです。
 一番変えなければならない認識は、「この世に、神も仏もあったもんじゃないよ」という認識かもしれません。
 是非、「神さま仏さまは、いるんだねぇ」と実感し、信じるという認識に変わっていただきたいと思います。

 当ブログ「新型コロナウィルスで考え方こと」は、今回で108回となりました。
 これで終わります。
 何とか、108回まで続けることができました。
 読んでくれた方々、ありがとうございました。
 皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
 これからは、母の介護に邁進する? つもりです。
 難しいでしょうが、何とか、母にアフターコロナの世界、日本が、世界が、かつてないほど素晴らしものになる状況を見せてあげたいと考えています。


 私の家にある柿の木に緑の葉が付いていました。
 昨年、母が大好きな柿を食べ過ぎて、下痢をしたため、
 「今年は、柿がなっても食べられんよ。」
 というと、
 「いや、食べるでぇー。」
 と返されました。
 柿の食べ過ぎの下痢といっても痛みもなく、ただひたすら水のような便を出すだけだったので、本人は、それほどつらくなかったようです。
 私は処理にたいへんでした。
 「鍛えられるわー。」
 神さま仏さまに?
 いや、母親にです。

 何かの目標に向かって、正しい方向で努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 がんばれ。
 負けるな。
 60歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


新型コロナウィルスで考えたこと【107】-コロナ禍を振り返って-

2022-04-02 13:56:38 | 新型コロナウィルス

 コロナ禍の始まりは、令和1年(2019年)12月、中国の武漢市からとされています。
 日本では、令和2年(2020年)1月に最初の感染者が出て、その後、全国に広がっていきました。
 私の住む大分では、令和2年(2020年)3月に最初の感染者が確認されています。
 コロナ禍となって、2年3カ月ほどが経過したことになります。
 次々と変異株が現れ、流行しては止み、また流行しては止みの繰り返しで、日本の現在の流行は、第6波とされています。
 当初の感染症対策として世界保健機構(WHO)は、手洗い・消毒をあげて、マスクは有効でないとしていましたが、その後、マスクの着用が有効であると変更したように記憶しています。
 多分、現在、生きている方にとっては経験のないことであるので、多少の右往左往は仕方ないにしても、これじゃ頼りにならないという印象を持ったように思います。
 日本政府も同じようなものだったと思います。
 自分で情報を集めて対応するしかない。
 まず、私が頼ったのは、幸福の科学という宗教法人の情報です。(私は信者の端くれです。)
 宗教法人ですから、祈願というのはあります。
 しかし、祈願の他にも精神的な姿勢、生活習慣、飲食物等の情報が、ホームページ、小冊子等で提供されています。
 「祈願で予防や治癒ができると本気で思っているのか」と問われそうです。
 思っています。
 30年ほど前ですが、幸福の科学の大川隆法総裁のお話を北九州の体育館で聴いたことがありました。
 私の購入したチケットは一番安いもので、その席では、お顔を見ることもできません。
 そこで、私は、お顔を見ることができるある場所で話を聴くことにしたのです。
 (その場所は内緒です。係員の許可をもらいましたので、OKだったと思います。でも、そこで話を聴くのは私一人だけでした。多分、他の方は恐れ多くてできなかったのではないかと思います。)
 話を聴き終わり、会場である体育館を出た後に私の身体に異変が起りました。
 身体の奥から暖かいものが湧いてくるような感じになったのです。
 よく「光が入って来る」という表現をされる方がいますが、それと同じ感覚かもしれません。
 当時、私は、お酒の飲み過ぎ等の不摂生で胃腸の調子が悪かったのですが、その暖かい感じは、私の不調を癒してくれるかのようだったと思います。
 現代の科学でも解明できていないことが多々ある。
 私の実体験から言えることです。
 では、それで、私の胃腸の不調が治ったかというと治りません。
 神さま仏さまの光や暖かさ等のようなものは、継続して受け入れることで大きな効果が生まれると思うのです。
 また、そもそも、光や暖かさ等を受ける側が、いつまでも不摂生な生活を続けているようでは完全に治癒するまでにはならないとも思うのです。
 医者がどんなに頑張っても、患者が、健康になるように思いや行いを改めなければ、本当の意味で病気が治らないのと同じです。
 そこで、まずは、自分でできる限りの自助努力をしてみることとしたのです。
 (でも、私は毎日自宅で神さま仏さまに感謝と祈りを捧げています。)
 先にあげた幸福の科学のホームページや幸福実現党のホームページからも情報を集めました。(私は党員の端くれです。)
 幸福の科学関連以外からの情報も集めました。
 過去の経験や知識も活用することにしました。
 最初は不安でした。
 自分が感染することもですが、介護している母や他人に感染させてしまうことが心配でした。
 幸福の科学のホームページや動画、制作しているラジオ番組「天使のモーニング・コール」等は、不安の解消にたいへん役立ったと感じています。
 「情報を集めて、正しい情報を見極め、その情報を自分の中で練り込んで、どのように行動するかを決断し実行する。」
 課題に直面したときの私の対処方法です。
 マスクが必要でしたが、当初はどこも品切れの状態でした。
 ネットでは、自作のマスク等の情報が話題となりました。
 そこで私も不織布マスクにハンカチを付けるという方法をやりました。
 マスクもハンカチも洗って再度使えます。
 これで何とか凌ぎました。
 消毒用アルコールも多くの店が品切れでしたが、私がいつも行くドラッグストアには消毒用のアルコールテッシュが販売されていました。
 購入数量は制限されていましたが、助かりました。
 これも何とか凌げました。
 そのような中、少したいへんなことが起こりました。
 大分県で初めて感染者が出た令和2年(2020年)3月に、左下腹部が膨らんでおり、鼠径ヘルニアだと思いました。
 右下腹部は過去に鼠径ヘルニアの手術を受けていたので、すぐに分かりました。
 大分県で感染者が多くなっていた時期で、病院でもクラスターが発生していたと記憶しています。
 鼠径ヘルニアは手術をしないと治癒しません。
 前回、10年以上前でしたが、2週間ほどの入院が必要だったと思います。
 母を自宅に一人にして、そんなに入院できません。
 また、手術で体力が落ちているときに感染したら一大事です。
 「なぜ、こんな時期に。」
 正直、そう思いましたが、悩んだり落ち込んだりしていても解決しません。
 とにかく前進するしかありません。
 そのようなときに、「前の手術からかなり時間が経っている。短期間の入院で手術できるように技術が進歩しているんじゃないか」という思いが浮かんだのです。
 そして、ネットで1泊2日の入院でできる鼠径ヘルニア手術という情報を見付けました。
 私の住む大分市でも、やっている病院を見つけました。
 その病院の院長と担当の医師が私の大学の先輩だったので、この病院にお任せしようと決めました。
 後は、いつ手術するかです。
 「暖かくなると感染者が減少するのではないか」との仮説を立てました。
 当時、WHOでは、それを否定していました。
 すでに暖かい東南アジア地域で感染者が減少していなかったからです。
 でも、私は、重要なのは、気温でなく、気温の変化ではないかと考えたのです。
 5月の連休明けくらいから感染者が減少したように記憶しています。
 すぐに、病院に行って、1泊2日で手術を終えました。
 これも何とか乗り切りました。
 母も頑張ってくれました。
 手術後は、下腹に力が入れられるようになって、元気が湧いてくるような感じがありました。
 少し「戦えるかな」という気持ちが湧いてきて、精神的に安定できたような気がします。
 それでも、まだ、治療薬等はありません。
 幸か不幸か、コロナ禍の始まりとされる令和1年(2019年)12月の前年の平成30年(2018年)12月に病気になり、仕事の多くを他の方にお願いしていたため、人と接する機会が減っていたのです。
 それまでは、仕事と母の介護・家事との両立を目指していたのですが、私の体力・精神力等を考慮し、母の介護・家事を中心の生活に切り替えたのです。
 収入は減りましたが、予算を立て、何とかやりくりしています。(一応、公認会計士ですから)
 徐々に体力も回復し、何とか再発もなく、私も母もコロナに感染することもなく、今日までやってきました。
 その後も、いろいろと課題や悩むことはありましたが、先にも述べたとおり、「情報を集めて、正しい情報を見極め、その情報を自分の中で練り込んで、どのように行動するかを決断し実行する」で、なんとか乗り切ってきました。
 振り返ってみると、課題だけでなく、それを解決するヒント、助けてくれるヒト、モノ、コト等も与えられていたような気がします。
 多くが与えられていたような気がします。
 感謝、感謝です。
 (これからもお願いします。)
 私がコロナ対策として気を付けていることは、政府や大手メディアの言う「マスク、手洗い」に加え、政府や大手メディアでは言わない「うがい、鼻うがい、歯みがき、口内洗い、入浴、目洗い、日本茶(葉っぱも食べます)、ルイボスティー、酪酸菌、ニンニク、身体を温める、胃腸の調子を整える、必要以上に恐れない、自分なりの勇気を持つ、栄養ドリンク、早めの風邪薬・頭痛薬等(市販薬)、食事・休養をしっかりとる 等、そして、神さま仏さまへの感謝と祈り」です。


 クラレという会社の新聞広告を使ってゴミ袋を少し飾ってみました。
 ゴミ収集の方がすこしでも緊張感が緩んでくれれば幸いです。
 ところで、笑顔っていいですよね。
 宇宙人にも笑顔はあるのでしょうか。
 もし、笑顔が、地球人類に特徴的なものだとしたら、笑顔を創った地球の神さまは天才。

 人生の目標に向かってコツコツと努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 課題解決のヒントは必ずある。
 がんばれ。
 負けるな。
 60歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


新型コロナウィルスで考えたこと【106】-このブログ「新型コロナウィルスで考えたこと」を振り返って-

2022-03-23 22:44:15 | 新型コロナウィルス

 このブログ「新型コロナウィルスで考えたこと」を書き始めたのは、gooブログでの新型コロナウィルスを題材にしたブログの募集のようなものがあったのが、きっかけだったと思います。
 文章を書く練習のつもりで始めたのが、いつの間にか、今回で106回になりました。
 「人を説得する文章を、できるだけ短時間で書く」ことを目標にしたつもりですが、なかなかうまくいきません。
 人を説得する言葉をひねり出すのは難しいです。
 面倒くさいです。
 「テレパシーのように、思いがすぐつたわればいいのに」等と考えることもあります。
 でも、この面倒くささ 面倒くさいことの中に、人として、人類としての、進化・向上・発展の仕掛けがあるような気もします。
 面倒くさいけど、智慧を絞って、やり続けたいと思います。

 なかなか文章が出てこずに、無理やり書いたものもあります。
 それも良い経験、勉強になったと考えています。
 他からとってきた情報をそのまま載せても駄目で、自分の中に落とし込み、自分のオリジナルの考えを付け加えるようなことをしないといけないということに気が付きました。
 最近は、ある出来事や報道等を題材に、自分の中で、ある程度、考えがまとまり、文章が出てくるまで待つようになりました。
 自分の頭の中で、考えていると、インスピレーションのように、言葉が下りてくることがあるのです。
 実は、ブログの文章に限らず、考えが下りてくるときもあるのです。
 自分とは違う誰かが、「こういう表現の方がいいんじゃないか」とか、「お前の言いたいことは、こういうことではないか」とか、言ってくれているかのようです。
 いつも、このような状態になる訳ではありません。
 体調が悪いとき、疲れているとき等は、駄目なことが多いように思います。
 守護霊、指導霊といった考え方があります。
 そういった方々が私に異次元からインスピレーションを与えているという考え方です。
 もしそうなら、ありがたいことです。
 今回で106回、よく続いたと思います。
 このブログを通して、いろいろな気付き、発見があり、自分なりの成長も実感しています。
 このような機会を与えてくれている方、ブログを読んでくれている方に感謝、感謝です。


 私が介護をしている母の寝室に、ミニバラを買って置いてみました。
 撮影は下手ですが、実際には、もっときれいです。
 部屋に花があると何となく雰囲気が良くなります。

 自分の目標に向かって、コツコツと正しい方向で努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 がんばれ。
 負けるな。
 60歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。


新型コロナウィルスで考えたこと【105】-国の財務書類-

2022-03-18 22:28:42 | 新型コロナウィルス

 毎年、「国の財務書類」が、作成・公表されています。
 財務省のホームページで閲覧することができます。
 どのようなものかを簡単に説明すると、歳入と歳出に企業会計を適用して、ストック情報(貸借対照表)、フロー情報(業務費用計算書、資産・負債差額増減計算書)を作成したものです。
 一般会計と特別会計を合算した「国の財務書類」、一般会計のみを対象とした「一般会計財務書類」、連結対象法人を含めた「連結財務書類」が作成されています。
 一般会計と特別会計を合算した「国の財務書類」について、当該財務書類を作成し始めた平成20年度からの推移をみてみると、フロー情報では、作成以来、超過費用状態、企業でいえば赤字が続いており、ストック情報では、資産・負債差額がマイナスの状態、企業でいえば債務超過の状態にあります。
 ところで、「国の」となっていますが、厳密には、政府の、つまり、日本政府の財務書類というのが正しいと考えます。
 国の、つまり、「日本国の財務書類」となると、政府、地方公共団体だけでなく、その他の公的企業、民間企業、個人(家計)等も含めた、連結財務書類となると思うのです。
 通常、連結の財務書類を作成する場合、連結の範囲に含まれる企業間の債権と債務は相殺されて表示されなくなります。
 問題となっている日本国債(日本政府の借入金)の残高のうち、日本国内で購入されている金額は、私の考える「日本国の財務書類」のひとつである「日本国の貸借対照表」では表示されなくなってしまいます。消えてしまいます。
 よく言われている「日本の国債は多くが日本国内で買われているから大丈夫」論、「国債を発行しても国内で買われる限りまだまだ行ける」論等と同じような結果になってしまいます。
 でも、これで本当にいいのでしょうか。
 単純に考えて、連結企業グループ内に毎年赤字を計上し、債務額と債務超過額が増加している企業があったとしたら、なんとかせんといかんでしょう。
 悪いことに、その企業は赤字や債務額や債務超過額を減少しようとしないのです。
 コロナ禍であること等を利用して、増加しようとしているのです。
 さらに、価値を生み出したり、価値を貯めたりしている連結グループ内の他の企業から価値を奪い取る方法を知っているため、少しずつ奪い取る金額を多くしていこうとしているのです。
 この企業は、連結グループの親会社のつもりでしょうが、実は、国民である民間が親会社のはずです。日本は民主主義国家なのですから。
 「誰か、この連結グループ内のお荷物企業を止めてくれ。」と、私は心の中で思っています。
 ちなみに、私の考える「日本国の財務書類」においては、ストック情報である「日本国の貸借対照表」だけでなく、フロー情報である「日本国の損益計算書」も作成する必要があります。
 そうすると、日本国内の税による政府の財源と日本国内で使用される政府の業務費用等も相殺消去されてしまいそうです。
 民間部門と公的部門を一緒にするのに損益計算書でいいのか、できた財務書類は、赤字や債務超過ではないのではないか、どんな財務書類ができるのか、作成の仕方は連結財務諸表と同じでいいのか等、考えると目が回ってきます。
 将来への宿題とさせてください。
 とりあえず、日本政府の赤字や債務超過や国債発行残高の増加は、なんとかせんといかん。
 赤字や債務超過や国債発行残高に対して、国会議員や関係する国家公務員に、債務保証という責任を負わせるほどのことをしないと、この無責任の傾向は止まらないと思うなぁ。


 スイセンです。
 アップで撮影してみました。
 もう少しお日様の光が欲しかったです。
 でも、春はもうすぐそこまで来ていることを実感させてくれます。

 何かの目標に向かって、コツコツと正しい方向で努力を継続している皆さん。
 未来はあなた方の手の中にあります。
 ここ数年、いろいろなことが起きますが、今、自分ができる自助を努力を継続していってください。
 必ず成果を手にすることができます。
 必ず成果を手にしてください。
 がんばれ。
 負けるな。
 60歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。