『サン★ロレンツォの夜(原題A NOTTE DI SAN LORENZO)』(1982年/パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ監督/イタリア)を見た。
物語は、「流れ星に願いをかける"聖ロレンツォの夜"。母親が語る6歳だった頃の思い出は、1944年の夏、トスカーナの小さな村サン・マルティーノの家々がドイツ軍に爆破を予告された時の出来事だった。近くのモンテリッキエーリまで来ているらしいアメリカ軍を探すため、村を出た数十人。危険な道だったが、6歳の少女には怖くもあり妙にワクワクする旅でもあった。やがて小麦畑の中で、元は同じ村人だったパルチザンとファシストが対峙し・・・」という内容。
ドイツ軍が出した"村人を一ヶ所に集合させろ"との通達に対し、司祭はここなら攻撃されないだろうからと聖堂への集合を村人に呼び掛けたが、ガルバーノ(オメロ・アントヌッティ)は「ドイツ人は信用できない。2日前にドイツ兵が殺されている。これは仕返しの罠かもしれない」と疑い、村からの脱出を皆に呼び掛ける。
この推測は不幸にも的中し、予告通り午前3時に家々は爆破され、ドイツ軍はさらに、外から鍵を掛けた聖堂を爆破した。
このエピソードで特に可哀想だったのは、新婚のコラード(クラウディオ・ビガリ)と、ペリンディア(ミリアム・グイデッリ)の二人。
出産が近い妊婦のペリンディアを心配した母親が「道端で出産するより聖堂のほうが安心だから」と途中で引き返していたのだ。
人生、どんな選択が良いのか。
ベストを選んだつもりではあっても、それは後になってみなければ分からない。
ドナーティは「このご時世に何が安全なのか、誰に言える!?」と憤っていたが、皆ギリギリの状況で究極の判断を迫られ続けていたのかもしれない。
「あれ!?」と思ったのは、ドイツもイタリアも(日本もだが)第二次世界大戦では連合国軍と戦争をした枢軸国陣営ではなかったか?という点だったが、1943年にイタリアが無条件降伏をした後は、ドイツ軍がイタリア北部に進行していたようであり、本作ではファシストの黒シャツ隊とパルチザンの激しい銃撃戦の場面が描かれていた。
これは、1982年の"第35回カンヌ国際映画祭"において、"審査員特別グランプリ"を受賞した作品らしく、なかなかに興味深い内容の面白い作品だった。
物語は、「流れ星に願いをかける"聖ロレンツォの夜"。母親が語る6歳だった頃の思い出は、1944年の夏、トスカーナの小さな村サン・マルティーノの家々がドイツ軍に爆破を予告された時の出来事だった。近くのモンテリッキエーリまで来ているらしいアメリカ軍を探すため、村を出た数十人。危険な道だったが、6歳の少女には怖くもあり妙にワクワクする旅でもあった。やがて小麦畑の中で、元は同じ村人だったパルチザンとファシストが対峙し・・・」という内容。
ドイツ軍が出した"村人を一ヶ所に集合させろ"との通達に対し、司祭はここなら攻撃されないだろうからと聖堂への集合を村人に呼び掛けたが、ガルバーノ(オメロ・アントヌッティ)は「ドイツ人は信用できない。2日前にドイツ兵が殺されている。これは仕返しの罠かもしれない」と疑い、村からの脱出を皆に呼び掛ける。
この推測は不幸にも的中し、予告通り午前3時に家々は爆破され、ドイツ軍はさらに、外から鍵を掛けた聖堂を爆破した。
このエピソードで特に可哀想だったのは、新婚のコラード(クラウディオ・ビガリ)と、ペリンディア(ミリアム・グイデッリ)の二人。
出産が近い妊婦のペリンディアを心配した母親が「道端で出産するより聖堂のほうが安心だから」と途中で引き返していたのだ。
人生、どんな選択が良いのか。
ベストを選んだつもりではあっても、それは後になってみなければ分からない。
ドナーティは「このご時世に何が安全なのか、誰に言える!?」と憤っていたが、皆ギリギリの状況で究極の判断を迫られ続けていたのかもしれない。
「あれ!?」と思ったのは、ドイツもイタリアも(日本もだが)第二次世界大戦では連合国軍と戦争をした枢軸国陣営ではなかったか?という点だったが、1943年にイタリアが無条件降伏をした後は、ドイツ軍がイタリア北部に進行していたようであり、本作ではファシストの黒シャツ隊とパルチザンの激しい銃撃戦の場面が描かれていた。
これは、1982年の"第35回カンヌ国際映画祭"において、"審査員特別グランプリ"を受賞した作品らしく、なかなかに興味深い内容の面白い作品だった。