『羅生門』(1950年/黒澤明監督)を見た。
物語は、「平安時代。京の都の荒れ果てた羅城門で、杣売り(そまうり/志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)の三人が雨宿りをしていた。あまりの退屈さから、とある事件の参考人として検非違使に出廷したという杣売りと旅法師の話を聞いていた下人だったが・・・」という内容。
その事件とは、洛中洛外に噂の高い多襄丸(三船敏郎)という女好きの盗賊が武士・金沢武弘(森雅之)を縛り上げ、妻・真砂(京マチ子)を手篭めにし、さらに金沢を殺したというもので、その死体の発見者が杣売り、金沢夫妻の最後の目撃者が旅法師だったのだという。
杣売りは、各々の見栄のために一切真実を証言しようとしない当事者達を嘆き、「分からない・・・、分からない・・・、どうしてなんだろう・・・」と悩み続けるのだが、杣売りの男は、実は事件のすべてを見て知っていたことから、悩み続けるはめに陥ってしまっていたのだ。
まぁ、その辺りは自業自得だ。
自分も関り合いになるのは御免だからと、本当のことを話していないのだから。
面白いのは、裁きの場に巫女(本間文子)が呼ばれ、霊媒師として殺された金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう場面。
そんなの有りかよ・・・というエピソードだ。
(^_^;)
どうやら正直なのは、旅法師と放免(加東大介)の二人だけだったらしいのだが、検非違使の場では誰が嘘をついているか、正直に証言しているかなどは分からない。
平安の世も、昭和でも平成でも、人間なんてものは、自分に都合の良いことを真実としているのだろう。
この作品は海外で高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞したらしい。
日本映画として初めて海外映画祭でグランプリに輝いたのだという。
素晴らしい。
(^_^)
物語は、「平安時代。京の都の荒れ果てた羅城門で、杣売り(そまうり/志村喬)、旅法師(千秋実)、下人(上田吉二郎)の三人が雨宿りをしていた。あまりの退屈さから、とある事件の参考人として検非違使に出廷したという杣売りと旅法師の話を聞いていた下人だったが・・・」という内容。
その事件とは、洛中洛外に噂の高い多襄丸(三船敏郎)という女好きの盗賊が武士・金沢武弘(森雅之)を縛り上げ、妻・真砂(京マチ子)を手篭めにし、さらに金沢を殺したというもので、その死体の発見者が杣売り、金沢夫妻の最後の目撃者が旅法師だったのだという。
杣売りは、各々の見栄のために一切真実を証言しようとしない当事者達を嘆き、「分からない・・・、分からない・・・、どうしてなんだろう・・・」と悩み続けるのだが、杣売りの男は、実は事件のすべてを見て知っていたことから、悩み続けるはめに陥ってしまっていたのだ。
まぁ、その辺りは自業自得だ。
自分も関り合いになるのは御免だからと、本当のことを話していないのだから。
面白いのは、裁きの場に巫女(本間文子)が呼ばれ、霊媒師として殺された金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう場面。
そんなの有りかよ・・・というエピソードだ。
(^_^;)
どうやら正直なのは、旅法師と放免(加東大介)の二人だけだったらしいのだが、検非違使の場では誰が嘘をついているか、正直に証言しているかなどは分からない。
平安の世も、昭和でも平成でも、人間なんてものは、自分に都合の良いことを真実としているのだろう。
この作品は海外で高く評価され、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞したらしい。
日本映画として初めて海外映画祭でグランプリに輝いたのだという。
素晴らしい。
(^_^)