【写真で見るきょうは何の日】“夢いっぱい"だった公営住宅
1955(昭和30)年4月5日、快晴の下、子供が遊ぶ東京都新宿区の都営戸山アパートは洗濯物でいっぱいだ。
戦後、焼け野原も多かった東京の住宅不足解消に鉄筋の集合住宅が建ち始めたのは48年の都営高輪アパートが最初。2間に台所が付き、風呂はなくてもガス・水道に水洗トイレが備わった、当時にしては夢の住宅だった。
ただ、70年代の後半から公営住宅の建設は減少。今世紀に入ると「住宅供給は民間に」という動きが加速したため、全国で多くの自治体が建設を抑制する傾向にある。特に大型公営住宅の基礎を築いた東京都は、石原慎太郎知事が就任してから新規の建設はない。
公営住宅は現在、高齢の住民が多くなって地域コミュニティーの形成が難しくなったり、各地で家賃の未納が相次ぐなど、さまざまな問題を抱えている。
2010.04.05 ZAKZAK
1955(昭和30)年4月5日、快晴の下、子供が遊ぶ東京都新宿区の都営戸山アパートは洗濯物でいっぱいだ。
戦後、焼け野原も多かった東京の住宅不足解消に鉄筋の集合住宅が建ち始めたのは48年の都営高輪アパートが最初。2間に台所が付き、風呂はなくてもガス・水道に水洗トイレが備わった、当時にしては夢の住宅だった。
ただ、70年代の後半から公営住宅の建設は減少。今世紀に入ると「住宅供給は民間に」という動きが加速したため、全国で多くの自治体が建設を抑制する傾向にある。特に大型公営住宅の基礎を築いた東京都は、石原慎太郎知事が就任してから新規の建設はない。
公営住宅は現在、高齢の住民が多くなって地域コミュニティーの形成が難しくなったり、各地で家賃の未納が相次ぐなど、さまざまな問題を抱えている。
2010.04.05 ZAKZAK