真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

観音菩薩曰く:人類の精神状態が隠れている疫病を活性化します

2023-01-06 21:38:19 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

どうしてこんな状態になるのだろう、と考えたことがあるでしょうか。

社会の乱れた状況をしっかりとみていますか。

人類史の中で、伝染病はいつも戦争後に発生しました。

戦争前に人々の抵抗や反戦活動が平和をもたらす結果に達成できない時に、急性病害が瞬く間に発生して、社会の現況に対する深い不満を表します。

現象界が伝えているメッセージを深く思慮しなければならず、妄りに定論をつくってはいけません。

この時、憐憫の情がなければならず、人々に対してさらに和らいでゆったりと落ち着いているべきです。

世の中でかつて滅亡的な病害が発生したことがあり、後になって抑制され平定されたかのようでしたが、病害は消滅したことはなく、社会の情勢に従ってどんどん猛威を増しています。

人類の精神状態が隠れている病害を活性化するのです。

みなさんはなぜ権力者の錯誤によって、一般市民が災いに合わないといけないのか、と疑問に思うでしょう。

この道理は、なぜ悪人が罪をつくりながら、聖人が害を受けるのか、というものに似ています。

聖人が害を受けなければ、人類は痛みがわからないのです。

恐怖はただ免疫力を低くします。

よくよく考えて、考えた後に調整すること以外に、プラスの目標に向かって提昇、改変することでなければ、あなたたちは何も改変することができないのです。

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第四章 三期末劫の起こるべき原因とその証明 (二)紅陽時代

2023-01-06 21:30:17 | 天道の淵源

(二)紅陽時代

紅陽時代の期間は、周の建国頃からはじまって清朝に終わる約三千年間です。

ヨーロッパ地中海ではギリシャ世界の成立時にあたり、アフリカ、西アジアではヘブライ、フェニキア王国の胎動期にあたり、インドではガンジス川流域の都市国家建立時に始まり、十九世紀で終わっています。

この時代の人心は青陽時代に比べて数等悪く、十八の浩(おお)きな劫難によって審判淘汰されました。

名づけて、「赤明火劫(せきめいかきょう)」と言います。

つまり、この時代に十八回の激烈な火の大戦・大災難が起こった訳です。

わけても火による焼き討ちが無残だったので、火劫と名づけられました。

殺され、焼けただれた屍骨(しかぼね)は山の如く堆(うず)まり、血は流れて河となりました。

十八の時期に区切られ、その変わり目には必ず無数の無辜(むこ)の人命が殺戮と掠奪(りゃくだつ)と放火で洗い清められ、その都度犠牲者が累々と煎じられました。

中国では、東周・春秋・戦国・嬴秦(えいしん)・前漢・後漢・三国・西晋(さいしん)・東晋・南北朝・北唐・南唐・五胡十六国(ごこじゅうろくこく)・北宋・南宋・元朝・清朝と合わせて十八の時代になっています。

ヨーロッパ地中海、中近東では、アッシリア・ペルシャ戦争によるアテネの興隆、アレクサンダーの世界帝国建設とその崩壊、列国の栄枯盛衰、第一第二のポエニ戦争、アウグスツス時代、ローマ朝の盛期、そして衰退に伴って民族の大移動、地中海世界の分裂、東ローマ帝国の繁栄、フランク王国の西欧統一、ノルマンの活躍、十字軍の遠征と、その終末による西欧世界転換の契機から近代に至るまでの死闘の繰り返しを大別して十八に分けられます。

日本やアジアの諸国にも同じように時代の変遷時には必ず争乱がありました。

仏宋では十八個の数珠(じゅず)を持ち、これを十八羅漢珠(じゅうはちらかんじゅ)と名づけられています。

一個の数珠は一回の災難があることを物語り、十八個の数珠は即ち紅陽時代十八の劫難を暗示しています。

人心の善悪の数は相半ばの状態でありました。

老〇様(ラウム)は、善悪・玉石ともに崩壊されるのを忍びず、天道を伝えて真宗を授けられました。

釈迦仏は天盤を掌られ、仏法を宏め、形式を掃き、着想を戒められました。

この時代の人は獣面から人面に進化しましたが、心は仏心から人心に退化しました。

この時代に二度目の普度が開かれ、衆生を塗炭(とたん)の苦しみから脱(のが)れさせられました。

紅陽時代の道運は南方に位し、天に在っては亨正(こうせい)となり、地に在っては夏季に当たります。

夏季は紅花の満開期であり、熱帯地であればある程、真紅の色彩を放ちます。何報は五行の中では火に属し、五色では紅(くれない)となっている故に紅陽と言います。

この三千年間(あるいは三千百十四年間)の一切は紅(赤)色を最上としました。

華やかなりし文明の最盛期の「豪華絢爛(ごうかけんらん)」という言葉は、そっくり赤に当てはまる名詞であります。

衣冠・礼装から一切の建築装飾に至るまで多分に赤色か、それに類した色彩を使っています。

天命は帝王の時代から離れて仏仙聖賢の間に伝えられました。

文王が苦心して、後天の八卦を画き完成されました。

後天の八卦は先天不易の易理を基礎にして時勢の変遷を明察した変易の易理であります。

明師によって伝える三宝は、「玄関の一点」と「六字真経の口訣(くけつ)」をもって神通呪(じんつうじゅ)となし、「蓮華の合同」を合わせて証としました。

蓮の華は赤色に属し、蓮根と蓮の葉の中間にあります。

これは道統が中間である聖賢の間にあることを証明しています。

「道あれば明師なり、道なければ妄師なり。」と言われているのは、すなわちこの時代を指しています。

午未(うまひつじ)の交替期とは、すなわち紅陽と白陽の交替期です。

紅陽の末法と白陽の正法接続期が現代の時代です。

元亨(げんこう)あれば利あり、春夏あれば秋あり、青・紅陽あれば白陽あることは当然であります。

以上が紅陽の簡単な説明ですが、更に白陽時代の状態と災難・厄運を述べてみます。

続く


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性理題釋~五十八、気天象天は破壊す

2023-01-06 21:28:43 | 性理題釋

五十八、気天象天は破壊す

気天は陰陽あり、変化あって即ち生死があります。生死があれば即ち終始があります。

孔子様は『物に本末あり、事に終始あり』と申されました。然るに天地日月、鬼神や人類飛落の動植物は皆物でありますので、一切本末があります。

四季の循環の寒来たりて暑去る事や、風雪雲晴、日月の盈虧(えいき:物事が栄えたり衰えたりすること)、晦弦(かいげん)や朔望(さくぼう)等は一切事でありますので、皆終始がある訳であります。

気天の終始は十二万九千六百年で十二会に定められ、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を以て名づけたのであります。その中の六会は物が閉収してなくなる訳であります。

子会より午会に至るまでは、無から有をなし遂げた境地であり、午会から子会に至るまでは有から無に還るのであります。

天は子会に開き、戌会に没しますが、地は丑会に闢(ひら)き酉会に没します。人は寅会に生まれて、申会に没し、亥会に混沌に入り、子会に至って又天が生ずる訳で、このように循環してやまないのであります。

史記に『天は子に開き、地は丑に闢き、人は寅に生ず』と記されてありますが、このように説いたのは、すべて気天には終始があることを証明したのであります。

気天に終始あれば、象天の終始は当然説く必要がない訳であります。

又気天の変化は、小さいものを以て大きく推(お)して見ても同様であります。

例えば一日には昼夜があり、又十二時間に分けられますが、その昼は陽に属し、夜は陰に属して、一日は一開と一閉があり、日々同様に廻るのであります。

一年には四季があり、ちょうど十二ヶ月に分けられ、春夏は陽をなし、秋冬は陰をなして、一年もまた一開と一閉があって、年々同じようにめぐるのであります。

これを推して一元を見ますと、一元も又十二会に分けられ、子会に陽が生じ、午会に陰が降りますが、午会はちょうど一日の正午に当たる訳であります。又子会はちょうど一日の夜半に当たりますが、子は万物を開く始めとなり、午は万物を閉じる始めとなります。

午会以前は無より有に入り、午会以後は有より無に入る訳で、午会は一元中に極めて大きな関頭に当たる訳であります。

故に午会の気数の変化は、又一つの大きな奇局になるのであります。そこでこの理を推して考えて見ると、今日を以て明日を推すことが出来、今年を以て明年を推測することは勿論、大小は一理でこれを以て推して行けば、必ず一元会を知ることが出来るのであります。前の一元会を推して、後の一元会を同様に知ることが出来るので、これは符節を合わす如く、我々の心にはっきり致す訳であります。

続く

理天・気天・象天の図

元会の図

 

十二元会図


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