性理題釋の六十九、大学の知・止・定・静・安・慮・得という修行の工夫があります。
内には止まるを知って性を守り、外には止まるを知って妄りな行為をせぬようにするのでありますが、後者は自然の意であります。
止まる事を知る事に由って定まり、定まった後に能く静まり、静まった後に心神が安らかになり、心神が安らかになれば、よく慮る事が出来るのであります。
この慮るとは外ではなく、即ち悟りであります。
理天(最高極楽浄土)とはどういうものであるか、又私慾とはどういうものであるかを慮り、自分自身の行う所の是非や、曲直(きょくちょく)及び合理や不合理を思慮し、悟る事であります。
悟りに至る修行の工夫として「禅の十牛図」では
ウイキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3
- 尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
- 見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
- 見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位[8]。
- 得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます[1]。
- 牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
- 騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
- 忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
- 人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
- 返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
- 入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
旧約聖書では、アダムとエバァをエデンの園から追放した理由は、智慧の実を食べた人間が、生命の樹の実を食べ永遠の命を得ると、神々自身(ドラコ・レプテリアン)の地位が脅かされることを恐れた為となっています。
実際には天が彼らを進化させる(融和)させる為ですが、物質的なものを求める彼らは聖書を改竄しています。
波動の低い世界にとっては自分たちこそがすべてなのです。
イスラエルの「嘆きの壁」は機会を逃し、その結果を恐れる宗教行事であり、現在の大混乱もカルト集団による節度のない妄想の表れです。
動画の中の法隆寺の相輪や、カバラの生命の樹も、あるいはミトラの秘儀も、みな同じ人類の設計図、創造の意図、すべては『道すなわち真理』を得る轍でした。
そして、その佳期が到来し、永遠の命を保証する『三宝』を授記できるわけです。
人類の歴史はこれが核心でありすべてです。
世情を背景にして、今皆さんの心の領域で起こっている変化は、やがて心神が安らかになり、慮ることが出来る境地になります。
はかり知れない転生、経験に基づく悟りや解脱そして超生了死とは、あなたの中で【今が永遠の命】に到達する醍醐味です。
1261+1255【総】 永遠の命・「生命の樹」の謎Mystery of Tree of Lifeクリスマス・ツリーは生命の樹であった