二銭銅貨

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さくら隊散る

2006-05-02 | その他映画
さくら隊散る ( 評価なし)
1988.04.30 近代映画協会、天恩山五百羅漢寺、カラー、横長サイズ
監督・脚本:新藤兼人、原作:江津萩枝
インタビューなど:滝沢修、小沢栄太郎、宇野重吉、千田是也、
         杉村春子、長門裕之、乙羽信子(語りも)

さくら隊とは太平洋戦争中に、内閣情報局が世論を制御しようとして企画した移動演劇隊の1つ。この移動演劇隊は地方へ巡業に出かけて行って国民に活力を与えることが期待されていた。その活動内容は内閣情報局によってチェックされているけれども、それでも芝居を続けなければ演劇人として意味が無いので、多くの演劇人がこの移動演劇隊を組織して地方で活動を行った。

さくら隊は広島で巡業中、原爆に被災して、隊長の丸山定夫以下、高山象三、園井恵子、仲みどり、島木つや子、羽原京子、森下彰子、小宮喜代、笠絅子の9名が死亡した。

この映画は、ほぼドキュメンタリで、一部、いわゆる再現映像をおりまぜて当時の様子を分かりやすく表現している。

遭難した9名の内、宿舎からかろうじて逃げ出すことのできた4名についてはその後の経過が分かっているので、その経歴と共に、被災後1-2週間で亡くなるまでの状況を詳しく紹介している。死亡原因は原爆症で、これは骨髄が放射線で駄目になって白血球が極端に少なくなり、最後はひどく苦しんで死亡するものである。

原爆症で無くなった園井恵子の宝塚の後輩である乙羽信子がナレーションをしている。その園井恵子が母役で出演した「無法松の一生」の映像が、少し出てくるが、そこに子供役の長門裕之が映っている。インタビューでは長門裕之は当時の園井恵子が、彼を本当に自分の子供であるかのように可愛がってくれたと語っている。これは、園井恵子の役作りの一面でもあったのだそうです。

数多くの証言者たちによって、原爆被災時の話や、軍国主義化していく時代の中での軍部による演劇活動に対する統制に関する話が語られるけれども、一番強く印象に残るのは、戦前に活躍した演劇人たちの演劇にかける情熱と強い意志の力です。戦争だろうと、核兵器だろうと、何であろうと芝居を続ける演劇人のしぶとい心の強さです。「ペンは剣より強し」と言いますが、「芝居も剣より強し」です。
06.04.30 NFC


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