建国記念の日は、やはり、どこかで、同じ思いを持つ人たちと一緒に祝いたい気持ちを抑えることができないので、毎年、この日は、日本会議が開催する奉祝行事に参加することにしている。
毎年参加して感じるのだが、若い人が少ない、ということです(笑)。
本当に、老人が多い、という印象を毎年受けるのです。
まあ、日本は急速に高齢化社会になっているのだから、別に、高齢の人が多いからといって驚くこともないと思うですが、それにしても、ちょっと、老人の人が多いなあ、これから、日本は大丈夫なのだろうか、と一抹の不安も起こってきます。
まあ、それはともかく、「建国記念の日」の意義とは何なのでしょうか。
私は、なぜ、この日本という国がこの地球という惑星に存在するのかという意味を確認するためだと思っています。
では、日本という国が存在することの意味、意義、とは何なのか。
私は、高校生の時に、生長の家の練成会を受けて、講師の方々の熱烈な愛国の講義を受けたり、創始者の谷口雅春先生の愛国の書を読んで、大きな影響を受けました。三島由紀夫がかつて、十代の頃に感銘を受けた教育に帰郷(ハイムケール)していくと語っていましたが、私にとっても、高校時代に学んだ谷口雅春先生の教えが、魂の故郷だな、と最近ますます痛感するようになってきました。
谷口雅春先生は「君民同治の神示」で、
「人間生命が神より生まれたる神聖なるものであるという自覚がその外延であるところの国をも神より生まれたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。」
と述べられていますが、この自己の神聖性の無意識的自覚の集合である民族的無意識が日本神話を生んだのではないかなと思っています。これはユングの集合的無意識の理論からヒントを得たのですが・・・・・。
日本書紀曰く、
「上(かみ)は即ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下(しも)は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(よ)からずや。」
谷口師はこの箇所を解釈して次のように述べられる。
「天皇はその国を私有のものとみられないで、天の大神より国を授けられ、それを治めるように預けられたものであるという敬虔なお気持ちがあらわれているのであって、武力で先住民族を征服して国土を奪取したというような考えが微塵もないことに注目しなければならいのである。・・・・・
「下(しも)は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。」というお言葉は、キリストの「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」という教訓とまったく同じ精神なのである。神の国の正義を自己の内に養い、修養して、よろこべば喜び来るの原理にしたがって、慶び積み、心を明るくして神の光を自己に受信し得る波長を心に起こすのである。そうすると、自然に「その余のことは汝らに加えらるべし」である。だから、「然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(なさ)ん」であって、「この然(しか)して後に」の語には千鈞の重みがあるのである。暴力や詭計や武力を背景としての強制力によってかくならしめるというのではなく、神の国の秩序であるところの「正しきを養い、慶びを積み、ひかりを重ねて」来たならば、自然に実相が顕現してそのようになるというのが「しかして後に」であるのである。
したがって、「しかして後に」来るところの、「然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(なさ)ん」ということは決して侵略精神ではにのである。・・・・・六合(りくごう)とは天地四方であり、あらゆる方角の国々にもそれぞれ独立国としての都は現存するけれども、更にそれを総合する世界連邦政府の都を兼ねて開くというのであって、神武天皇の時代にこのような世界連邦の構想を建国の理想に掲げられたことは、神武天皇の霊感の素晴らしさを物語るものである。そしてそれが世界連邦の構想であるということが解れば、「八紘為宇(はっこういう)」ということも決して侵略精神ではないことが理解できるのである。元来、紘とは冠の紐のことである。「紐」は「緒」ともいうのであるが、「緒」は「玉の緒」すなわち「魂」をあらわすのであり、お公卿さんがかむる冠の緒を顎の下で一つに結び合わすように、世界各国各民族の魂を仲よく結び合わせて、それを一つの家庭の如くするというのである。」
私も、この谷口雅春先生の神話解釈に同感である。
私は、日本の歴史とは、つまるところ、この神武建国の国家理想というものを実現させるべく歩んできた、追求の過程だと思う。日本民族の最も深奥の、比較しがたい、個性的存在になろうという欲求こそ、ユング心理学のいう個性化の過程であり、日本の歴史を動かしてきた原動力だと思う。そういう視点から、日本の歴史を眺めてみると、なぜアジア民族解放のための大東亜戦争を闘わなければならなかったか、より深い意義が理解できてくるのではないだろうか。そして、今後の日本の使命というものの方向性も見えてくるのではないだろうか。渡部昇一さんは、イギリスの歴史家オーウェン・バーフィールドの言葉を借りて、民族の歴史とはそれぞれの民族の虹(理想)を描いたものであると語っているが、日本の歴史もまさに、試行錯誤を述べながらも、日本の理想を描いたものでなければならないと思う。
それでは、御皇室の弥栄と日本国の隆昌を祈念して、
アインシュタインが語ったと言われている(最近、別の人間が語ったという説が有力になっているが)予言を、掲載させてもらいます。
この予言はいろんな人の琴線に触れるのか、ほうぼうで、よく引用されています。
「近代日本の発達ほど 世界を驚かしたものはない
この驚異的な発展には 他の国と異なる何もかがなくてはならない
果たせるからこの国の 三千年の歴史がそれであった
この長い歴史を通して 一系の天皇をいただいているということが
今日の日本をあらせしめたのである
私はこのような尊い国が 世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた
なぜなら世界の未来は進むだけ進み
その間幾度か戦いは繰り返されて 最後には戦いに疲れる時がくる
その時人類はまことの平和を求めて 世界的な盟主を挙げねばならない
この世界の盟主なるものは 武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた 最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ
世界の文化はアジアに始まって アジアに帰る
それはアジアの高峰 日本に立ち戻らねばならない
我々は神に感謝する
我々に日本という尊い国を 作っておいてくれたことを・・・・・」
毎年参加して感じるのだが、若い人が少ない、ということです(笑)。
本当に、老人が多い、という印象を毎年受けるのです。
まあ、日本は急速に高齢化社会になっているのだから、別に、高齢の人が多いからといって驚くこともないと思うですが、それにしても、ちょっと、老人の人が多いなあ、これから、日本は大丈夫なのだろうか、と一抹の不安も起こってきます。
まあ、それはともかく、「建国記念の日」の意義とは何なのでしょうか。
私は、なぜ、この日本という国がこの地球という惑星に存在するのかという意味を確認するためだと思っています。
では、日本という国が存在することの意味、意義、とは何なのか。
私は、高校生の時に、生長の家の練成会を受けて、講師の方々の熱烈な愛国の講義を受けたり、創始者の谷口雅春先生の愛国の書を読んで、大きな影響を受けました。三島由紀夫がかつて、十代の頃に感銘を受けた教育に帰郷(ハイムケール)していくと語っていましたが、私にとっても、高校時代に学んだ谷口雅春先生の教えが、魂の故郷だな、と最近ますます痛感するようになってきました。
谷口雅春先生は「君民同治の神示」で、
「人間生命が神より生まれたる神聖なるものであるという自覚がその外延であるところの国をも神より生まれたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。」
と述べられていますが、この自己の神聖性の無意識的自覚の集合である民族的無意識が日本神話を生んだのではないかなと思っています。これはユングの集合的無意識の理論からヒントを得たのですが・・・・・。
日本書紀曰く、
「上(かみ)は即ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、下(しも)は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(よ)からずや。」
谷口師はこの箇所を解釈して次のように述べられる。
「天皇はその国を私有のものとみられないで、天の大神より国を授けられ、それを治めるように預けられたものであるという敬虔なお気持ちがあらわれているのであって、武力で先住民族を征服して国土を奪取したというような考えが微塵もないことに注目しなければならいのである。・・・・・
「下(しも)は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。」というお言葉は、キリストの「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」という教訓とまったく同じ精神なのである。神の国の正義を自己の内に養い、修養して、よろこべば喜び来るの原理にしたがって、慶び積み、心を明るくして神の光を自己に受信し得る波長を心に起こすのである。そうすると、自然に「その余のことは汝らに加えらるべし」である。だから、「然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(なさ)ん」であって、「この然(しか)して後に」の語には千鈞の重みがあるのである。暴力や詭計や武力を背景としての強制力によってかくならしめるというのではなく、神の国の秩序であるところの「正しきを養い、慶びを積み、ひかりを重ねて」来たならば、自然に実相が顕現してそのようになるというのが「しかして後に」であるのである。
したがって、「しかして後に」来るところの、「然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(なさ)ん」ということは決して侵略精神ではにのである。・・・・・六合(りくごう)とは天地四方であり、あらゆる方角の国々にもそれぞれ独立国としての都は現存するけれども、更にそれを総合する世界連邦政府の都を兼ねて開くというのであって、神武天皇の時代にこのような世界連邦の構想を建国の理想に掲げられたことは、神武天皇の霊感の素晴らしさを物語るものである。そしてそれが世界連邦の構想であるということが解れば、「八紘為宇(はっこういう)」ということも決して侵略精神ではないことが理解できるのである。元来、紘とは冠の紐のことである。「紐」は「緒」ともいうのであるが、「緒」は「玉の緒」すなわち「魂」をあらわすのであり、お公卿さんがかむる冠の緒を顎の下で一つに結び合わすように、世界各国各民族の魂を仲よく結び合わせて、それを一つの家庭の如くするというのである。」
私も、この谷口雅春先生の神話解釈に同感である。
私は、日本の歴史とは、つまるところ、この神武建国の国家理想というものを実現させるべく歩んできた、追求の過程だと思う。日本民族の最も深奥の、比較しがたい、個性的存在になろうという欲求こそ、ユング心理学のいう個性化の過程であり、日本の歴史を動かしてきた原動力だと思う。そういう視点から、日本の歴史を眺めてみると、なぜアジア民族解放のための大東亜戦争を闘わなければならなかったか、より深い意義が理解できてくるのではないだろうか。そして、今後の日本の使命というものの方向性も見えてくるのではないだろうか。渡部昇一さんは、イギリスの歴史家オーウェン・バーフィールドの言葉を借りて、民族の歴史とはそれぞれの民族の虹(理想)を描いたものであると語っているが、日本の歴史もまさに、試行錯誤を述べながらも、日本の理想を描いたものでなければならないと思う。
それでは、御皇室の弥栄と日本国の隆昌を祈念して、
アインシュタインが語ったと言われている(最近、別の人間が語ったという説が有力になっているが)予言を、掲載させてもらいます。
この予言はいろんな人の琴線に触れるのか、ほうぼうで、よく引用されています。
「近代日本の発達ほど 世界を驚かしたものはない
この驚異的な発展には 他の国と異なる何もかがなくてはならない
果たせるからこの国の 三千年の歴史がそれであった
この長い歴史を通して 一系の天皇をいただいているということが
今日の日本をあらせしめたのである
私はこのような尊い国が 世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた
なぜなら世界の未来は進むだけ進み
その間幾度か戦いは繰り返されて 最後には戦いに疲れる時がくる
その時人類はまことの平和を求めて 世界的な盟主を挙げねばならない
この世界の盟主なるものは 武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた 最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ
世界の文化はアジアに始まって アジアに帰る
それはアジアの高峰 日本に立ち戻らねばならない
我々は神に感謝する
我々に日本という尊い国を 作っておいてくれたことを・・・・・」