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ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

マチウ・リカール師の幸福論

2008-05-31 15:08:16 | 仏教




マチウ・リカール師は、欧米では人気のある、有名なチベット仏教の僧侶です。ご存知の方も多いと思いますが、私も、リカール師の著書「僧侶と哲学者」(新評論)を読んだときからファンになりました。仏教の基本的な教えを、非常に分かりやすく説いて下さっている。最初フランス語版が出て、フランスでベストセラーになり、それから英語版が出て、日本でも1998年に翻訳出版されました(1999年時点で16の言語に翻訳されているということです。凄いですね。いかにこの本が世界中で読まれたかということでしょう。それだけ普遍的な価値観を提示しているからこそ関心を呼んだということでしょうか。)。この本の中では、仏教の教えのみならず、チベット問題についても熱烈に問題提起されています。今回の北京オリンピックの聖火リレーでフランスが最も抗議が激しかったというのも納得がいきます。やはり、リカール師の著書がベストセラーになるぐらいですから、チベット問題にたいする問題意識が非常に高いのでしょうね、フランスは。
リカール師は、最近、「Happiness: A Guide to Developing Life's Most Important Skill」という本を出しています。この本の読者評というのは、アマゾンを見てみると、まさに絶賛の嵐です。最も新しい感想文は次のようなものです。

Happiness by Matthieu Ricard, May 12, 2008
By Inge Hohndorf (Swansea Point,BC Canada)

This is the best book I have ever read on the subject of happiness. A real treasure.
Happiness is not a mystery but a possible goal for anyone who seriously wants to become a happier and better person. If you love science, literature and culture, Matthieu Ricard is the right guru for you.
A must read for everyone who loved his book "The Monk and the Philosopher".
A book you won't ever part with for you'll want to read in it again and again.
これは幸福というテーマについて読んだ本の中で最高の本だ。本当の宝物だ。幸福というのは秘密なものではなくより幸福なよりよい人間になろうと真剣に模索している人にとって達成可能な目標なのである。もしあなたが科学や文学や文化を愛しているなら、マチウ・リカールはあなたにとって正しいグルである。「僧侶と哲学者」の愛読者にとってこの本は読むべき本である。これからも繰り返し読みたくなるだろうから手放したくない本。




このような書評が続くものですから、興味をそそられまして、アマゾンで注文して、最近読み始めましたが、読者の感想通りなかなか面白い(笑い)。それで、このブログでも、紹介してみたいと思いまして、この本の宣伝も兼ねて、少しずつ英文と日本語訳を掲載していきたいと考えています。まあ、どこまで続くか分かりませんが。それで、この本に興味を持たれた方は是非、購入していただきたい。(笑い)英語の読書の醍醐味というのはこういう本を読むことによって得られるのではないかと思います。最近、いろいろな英語学習についての本が出ていますが、日本人にとって、やはり英語の本を読むことによって英語の力をつけていくのが最も近道ではないのかなと思っています。それと、書くことですね。英語の掲示板で論争することだと思います(笑い)。元NHKテレビ英会話上級講師松本道弘先生は、「書く英語」(プレジデント社)の中で、次のように述べられている。
「とにかく毎日書くことだ。・・・・一流の野球選手も毎日のバットのスウィングはかかさない。アナウンサーも毎日、声を出しているから声がなめらかに出るのである。一年間も山奥に閉じこもり晴耕雨読の生活を続けたあとマイクを握ったところで、普段の声が出るはずがない。英語を書けるようになりたいと思うなら、絶えず、書き続け、それを習慣化してしまうことである。スピードはそこから生まれてくる。・・・・・・完璧な英語をかくために時間をかけるのではなく、不完全でもいいからとにかく書いてみることだ。時間をかけたからとていい英文がひらめくという保証はない。逆に、速く書いた英文が必ずしも駄文とは限らない。多く、速く英文を書くことで、より速く自分自身の英語の限界を知るのである。そのことによって、ハッスルし、量を求めスピードアップする。その中から、質は生まれる。」
確かに、英語掲示板に投稿し論争することによって、痛切に、自分の英語の限界を感じますね(苦笑)。ともかく、書く習慣を身につけるための手段として、英語の掲示板を利用するというのは非常に賢明な方法ではないかと私は思っています。お金もかかりませんしね。少々文法的に間違っても気にする必要はない。要は、何が言いたいのか、メッセージが伝わればいいのですから。そのためにも、秘密の自分のお気に入りの掲示板を持っておくということですね(笑い)。

Once at an open meeting in Hong Kong, a young man rose from the audience to ask me: "Can you give me one reason why I should go on living?"

かつて、香港で行われた公開の会議において、聴衆の中のある一人の青年が立ち上がって、私に質問しました。
「あなたは私に何故私がこれからも生き続けていかなければならないのかという理由を答えてくれることができますか?」

This book is a humble response to that question, for happiness is above all a love of life.

この本は、その質問に対するつつましやかな回答です。幸福とは、結局のところ、人生を愛することであるからです。

To have lost all reason for living is to open up an abyss of suffering.

生きることに対するすべての理由を失ってしまうことは、苦しみの深淵に落ち込むことにつながります。

As influential as external conditions may be, suffering, Iike well-being, is essentially an interior state.

苦しみは快適な人生と同じように、自分の外側の条件と同じ位に、自己の内面の状態が決定的な影響を与えます。

Understanding that is the key prerequisite to a life worth living.

このことを理解することが生きるに値する人生を送るための鍵となる必要な条件なのです。

What mental conditions will sap our joie de vivre, and which will nourish it?

では、どのような心の状態が私たちの人生の喜びを奪ってしまい、また反対に、どのような心の状態が人生の喜びを育てていくのだろうか?
【語句】joie de vivre フランス語で「人生の喜び」という意味。

Changing the way we see the world does not imply naive optimism or some artificial euphoria designed to counter-balance adversity. So long as we are slaves to the dissatisfaction and frustration that arise from the confusion that rules our minds, it will be just as futile to tell ourselves "I'm happy ! I'm happy!" over and over again as it would be to repaint a wall in ruins.

私たちが世界に対する見方を変えるということはナイーブな楽観主義でもありませんし、不幸な状況を相殺するための人工的な幸福感でもありません。私たちがわれわれの心を支配してしまう心の乱れから起こってくる不満や挫折の奴隷でいる限りは、いくら私たちが、「私は幸福だ! 私は幸福だ!」と何回も叫んでみたところで、それはまるで廃墟の中に立っている壁を塗り直すことと同じようにまったく役に立ちません。

The search for happiness is not about looking at life through rose-colored glasses or blinding oneself to the pain and imperfections of the world. Nor is happiness a state of exaltation to be perpetuated at all costs; it is the purging of mental toxins, such as hatred and obsession, that literally
poison the mind.

幸福の探求とはこの人生というものをばら色の眼鏡を通して眺めることでもありませんし、苦痛や世界の不完全さに盲目になることでもありません。又、幸福とはなんとしてでも永続させようとする心の高揚感ではありません。幸福とは、本当に心を毒している憎しみや執着などの心の毒素を取り除くことなのです。

It is also about learning how to put things in perspective and reduce the gap between appearances and reality. To that end we must acquire a better knowledge of how the mind works and a more accurate insight into the nature of things, for in its deepest sense, suffering is intimately linked
to a misapprehension of the nature of reality.

幸福の探求とはどのようにしたら物事をバランスのとれた見方によって適切な位置に置くことができるのか、どのようにしたら現象とリアリティーとの間のギャップを少なくすることができるのか、を学ぶことでもあるのです。その目的のために、私たちは、どのように心は働くのかについてのより精確な知識を持たなければなりませんし、この世の中の事物についての本質に対するより的確な洞察を持たなければなりません。なぜなら、その最も深い意味において、苦しみというものはリアリティーの本質に対して誤った捉え方をしていることと密接に結びついているからです。

(p23)



日本の仏教者がチベット問題について中国に対して批判声明を出す

2008-04-09 23:35:59 | 仏教





作家宮内勝典さんの海亀通信では、チベット問題について積極的に発言されている。
やはり、巨大な不正が行われていることに黙ってはおられないのだろう。
四月五日の海亀日記では、次のように日本の政治家を斬っておられる。
全く同感だ。
http://pws.prserv.net/umigame/

「わが国の国会ときたら与党も野党もまるでなにごとも起こっていないかのように、つまらない政争に明け暮れている。首相も、まともなコメント一つ出していない。もちろん日中友好は大切であり、中国という巨大な市場を失うわけにもいかないだろう。

 そんな板挟みのなかでバランスを取りながら、なんらかの見解を述べうるのが政治家の力量であり、もっと露骨に言うならば、それが政治家の芸でもあるはずだ。だんまりを決め込んで、風向きをうかがっている為政者たち。まったく情けない、の一言に尽きる。」

この日記のページで、日本の仏教者がテレビで意見表明されていることを紹介してくれている。
この映像がユーチューブにアップされているということなので、このブログにも貼り付けさせてもらいます。
日本仏教は既に死んでいると思っているのだが、まだ、こういう人もいたのか・・・・。
このような勇気ある発言を聞いた日本の他の仏教者は、どういう思いでいるのだろうか。共感を覚える人も多かろうが、直ちに、頭の中で、損得勘定が迅速になされて、チベットも大変だが、われわれも将来の生活を考えていかねばならない。ここで、拙速な行動をとって中国のご機嫌を損ねては駄目だ。やはり、沈黙しておくのが得策だ。・・・・まあ、こんなところがほとんどではないでしょうか。

天台宗別格総本山書写山圓教寺大樹玄承執事長よりの声明



「いま私たち日本の仏教者の真価が問われています。
 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われる事に、心から悲しみと止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。私たちはあくまでも宗教者、仏教者として僧侶をはじめとするチベット人の苦しみをもはや黙って見過ごす事ができません。チベット仏教の宗教的伝統をチベット人の自由な意思で守ると言う事が大切な基本です。

 皆さんは日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。日本の各宗派、教団は日中国交回復の後、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。私も中国の寺院の復興に携わりました。しかし、中国の寺院との交流は全て北京(政府)を通さずにはできません。 ほとんど自由が無かった。

 これからもそうだと全国のほとんどの僧侶は知っています。そして日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流する事を北京(政府)は不快に思う事も知られています。あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると私は考えています。しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った動きは見られません。中国仏教会が大切な友人であるなら、どうして何も言わない。しないで良いのでしょうか?

 ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが今、亡くなろうとしています。私たちは宗教者、仏教者として草の根から声をあげていかなければなりません。しかし、私の所属する宗派が中国の仏教会関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いし、このように申し上げるのは私たちと行動を共にしましょうという事ではないのです。それぞれのご住職、壇信徒の皆さんがこれをきっかけに自ら考えていただきたいのです。

 オリンピックに合わせて中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないのならば私たちはこれから、信者さん檀家さんにどのような事を説いて行けるのでしょう。私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かも知れません。

          書寫山圓教寺執事長大樹玄承 平成20年4月5日」



現代人のための「チベット死者の書」

2007-05-09 06:19:20 | 仏教


この前の連休に、NHKのBSで、五木寛之さんの21世紀仏教への旅というのをやっていましたが、最終回のアメリカの取材では、コロンビア大学のロバート・サーマン教授を訪問し、いろいろお話されていました。
このアメリカの有名なチベット仏教学者の「チベット死者の書」の翻訳が朝日新聞社から発売されているようですね。
中沢新一先生のまえがきもあるようですし、これは読んでみたいです。
英語版は持っているんですが、今まであんまり「死者の書」には興味がなかったので、英語版のほうは、前半の仏教の歴史とか、死とは何か、の部分をを読んだぐらいだったのですが、今度翻訳が出たので、チベット死者の書について学んでいきたいと思っています。
英語版のアマゾンの読者の書評では、前半の簡潔な仏教の歴史や死についての解説が素晴らしいというのもあります。「The introductory essays concerning Tibetan Buddhism, living and dying in Tibetan and modern traditions, and the nature of death, are in fact worth much more than his translation.」 たしかに、これは同感です。
 
現代人のための「チベット死者の書

ロバート・A・F・サーマン著 鷲尾 翠訳

9784022502889
2300円(本体価格)/ 2415円(税込価格)
2007年05月08日発売
四六判並製■448ページ

チベット仏教がしめす「人類3万年の死の教え」とは何か? 現代人は死を遠ざけようとするあまり、逆に生の意味を見失っている。ゲールク派で修業、欧米人で初めて得度を受けたコロンビア大学教授が、根強く人気の、生きる指針の書を現代人のために解説した話題作。チベット文化・仏教の歴史的背景をふくめて、わかりやすく紹介する最適の入門書。ダライ・ラマ14世の序文、宗教人類学者の中沢新一氏による入魂の「まえがき」付き。

今月の雑誌の注目記事(2)

2007-01-14 22:10:02 | 仏教
今日は、非常に天気が良く、気持ちいい一日でした。
午後から、近くの運動場で、軽いジョッギングをしました。
ハンカチ王子こと斉藤佑樹君も早大の野球部で、始動しました。
本当に斉藤君は人気がありますねえ。
早大の野球部の監督も取材陣の多さにびっくりしていましたが、
やはりこれだけ騒がれるということは、何か、持って生まれたものがあるのでしょうね。
ともかく、爽やかです。
斉藤君の笑顔を見るだけで、気持ちよくなります。
斉藤投手が、将来の日本のプロ野球を引っ張っていくことは間違いないでしょう。
いまから、楽しみです。

一月の半ばともなると、かなり日が長くなりました。
こうして、だんだんと春に近ついていくのですね。
一年の時期でもっとも好きなときは、いつか、といえば、やはり今現在の一月、そして二月でしょうか。
寒いなかにも、未来にむけて、万物にエネルギーが蓄えられて発散されるときを待っているというような時期。
それがこの季節ではないだろうか。

さて、大法輪2月号の巻頭の口絵には、去年来日し、広島で、開眼法要を行っているダライラマ法王の様子が詳しく紹介されています。
そして、184pから189pにかけて、今回のダライラマ法王の招聘の責任者であられた野村正次郎氏の回想記が掲載されている。
いろいろ大変だった様子が伝わってきます。
この記事の中で、法王の信者に対するアドバイスも紹介されいます。
仏教というものは学習することが求められるということです。
頭を使わないといかん、ということですね。
特に、今回は、ナーガルジュナのテキストを学ぶことの重要性を説かれたということです。
なるほど、中観仏教の祖の空の哲学を学ばなければならないということですか。
しかし、これがなかなかむずかしいんですよね。
まあ、これは気長に学んでいかなければならないでしょう。
又、今回の落慶記念に行われたチベット密教の両界曼荼羅の灌頂会の模様も紹介されています。
今回のダライラマ法王によって、チベット仏教の血脈を日本仏教の曼荼羅の伝統へ加えられたということは、今後の日本仏教とチベット仏教のさらなる交流、そして、日本仏教のさらなる発展が期待されているということでしょう。



オウム、アーレフ問題理解のために(2)

2006-11-19 02:47:41 | 仏教
ちょっと、ここで、私が今まで読んで、参考になった本を挙げておきます。

江川 紹子 「救世主の野望」(教育史料出版会)
オウム事件発覚前から、オウムのいかがわしさを直感的にかぎつけて、オウムの未来は明るくないよ、と「予言」して、オウムに対する警戒心を決して怠ってはならないと警鐘を鳴らした先駆的な本。さすがタイム誌にもオウム問題の専門家として取り上げられただけのことはありますね。事件発覚前だけに、非常に価値のある本。この本によって、オウムに深入りせずにすんだ人も多かったのではないだろうか?(笑)

舛添要一「戦後日本の幻影<オウム真理教>」(現代書林)1995年8月19日
舛添氏は現在は国会議員だが、1995年当時は、国際政治学者の肩書きを持ち、メディアにも頻繁に登場していた。かつて東大教養学部助教授時代の教え子の中に、オウムに出家して事件にかかわった人間も出てきたことから衝撃を受け、なぜ、「ペテン師」「詐欺師」麻原に騙されたのか、その解明に乗り出す。
国際政治学者からの、戦後日本政治の問題点を指摘しながらの、オウム事件の分析、そして教育者としての視点からの、オウムを生み出した戦後教育の分析は、なかなか面白かった。やはりオウムは日本社会が生み出したのだ、というスタンスでオウムを考えていく著者の姿勢に共感を覚えるが、ただ、その分析はちょっと表面的ではないかという感じもする。

高橋英利「オウムからの帰還」(草思社)1996年3月22日
地下鉄サリン事件後、オウムのやり方に疑問を感じ、教団を飛び出して、その後テレビにも出演した元サマナの、オウムに入信する経緯や、在家信徒時代、サマナ時代、そして教団を飛び出す決意をした心境のことなどを書いた本。
オウムになぜひきつけられたのか、信者それぞれによって異なるのだろうが、理科系の頭の持ち主が、オウムの教義になぜ共鳴していくのか、そのあたりの様子がうかがえる本で、非常に興味深かった。高橋さんは、非常に真面目な人で、物事を根源から考えていこうとする人だ。だから、オウムにも惹かれたのだろうが、その当時の教団内の問題点も指摘されていて参考になった。

岩井軽「私が愛した「走る爆弾娘」菊地直子へのラブレター」(コアマガジン)1996年12月25日

岩井さんは、大学で特に仏教やインド哲学を専攻したわけではないが、ヨーガやインド思想に興味を持ち、大学時代ヨーガ道場に通ったり、佐保田鶴治氏の本などを読んでいた。であるから、知人から紹介されたオウムの教義にもなんの違和感もなく、すんなりと入っていけたという。
出家直前、あの地下鉄サリン事件に関与したとして指名手配されている菊地直子さんとマンションの一室で「共同生活」もしていた。そのあたりの様子も興味深いが、特に面白かったのは、オウムに出家して、サマナとして教団のワークをやっていくうちに、経験したオウムの、一般的な常識からはずれたトンデモ世界が描かれていることだ。岩井さんの言葉によれば、「麻原教祖のセオリー無視を決め込む非常識な態度が反映されたいる」結果ということになる。このセオリー無視のために、地域住民とのトラブル起こるのだが、なんせ、オウムでは、修行第一であるから、外部の世界に対する思いやりが徹底的に欠けていたことがこのトラブルの原因なのだということが、この本によっても分かってくる。