にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

ぽかぽか春庭「落語でおいしい日本語食堂」

2008-08-22 13:34:00 | 日記
食うか食われるか【落語で美味しい日本語食堂】
 メイド喫茶に漫画喫茶、ジャグリングカフェ、マジックショウレストラン、なんでもありの日本ですが、「にほんご食堂」はいかがでしょうか。雅楽やら落語やらライブで聞きながら、日本語トリビア楽しめる、一石二鳥の美味しい話。


呼び込み口上

【1】ぱる子の呼び込み「いらっしゃいませ」

(1ー1)食前に尺八生演奏はいかが?
<おしぼりをサービス>

 いらっしゃいませ。こんにちは。席亭春庭にかわりまして、ご挨拶申し上げます。
 モギリ、めくり、お茶だし、なんでもこなすパル子です。
 職名は、ウェイトレス、メイド、コンパニオン、なんでもいいんだけど。「落語演芸ライブつきにほんご食堂の従業員」ってとこで。
 
 ぱる子といっしょに、落語をサカナに日本語トリビアで一献傾け出見るのもなかなかオツで、、、、。
 酒の肴は、サンマにうなぎ、豆腐をはじめ、おつまみ豊富。仕上げのお食事も、釜だきごはん、蕎麦もございます。デザートにはまんじゅうも羊羹も。

 「え~、日本語毎日しゃべっているし、メールもできるし、今更勉強せんでも、十分、日本語の達人だ!」と、自信たっぷりの人もどうぞ、ひとくちお味見を。
 「そりゃ、漢字とか自信ないけど、毎日の生活では不自由なし」と、思っている人、食わず嫌いをなくしましょう。日本語トリビア、おもしろいんですよ。まあひとくち食べてみてね。

 「また、日本語の正しい使い方とか、説教かよ、ことばなんて通じればいいんだよ、と、思ったあなた。
 「正しい日本語」なんて、にほんご食堂にはありません。乱れて、こわれて、いいんです。

 キャバレークラブ、略してキャバクラとかってお金のかかりそうなクラブ活動には、ご無沙汰、ふところに秋のかぜ、お出かけしないっていう真面目なあなた。そう、あなたがモテないことには変わりないから、暇つぶしにごいっしょにニホンゴを楽しみましょうよ。
 ぱる子がまじめにサービスいたします。

 ぱる子、つつとあなたのおそばににじり寄り、
 「いらっしゃいませぇ!あたしぃ、このお仕事を始めてからまだ日が浅くてぇ、あまりいろいろわかってないけど、いっしょうけんめい勤めさせていただきま~す。よろしくねっっ。

(1-2)ご来場のごあいさつ
     尺八、古楽乱声(こがくらんじょう)

 お客さん、ようすがいいわねぇ。本気でサービスしちゃうから。はいっ、まずはおしぼり。

 「ようすがいい」なんてチョウ古い日本語つかうところをみると、年は百歳越えているだろうってっ!ま、女に年齢はきかないものよっ。あとでぱる子が「おんな」か「をんな」か、教えてアゲル、、、

 お客さん、本番?生、いく? あ、うち、尺八生演奏禁止なの。ひちりきと笙の笛なら、演奏できるけど。
 はい、ひちりき演奏ね。かしこまりました、喜んで!

 では、ひちりきを演奏します。1曲目は「越天楽」でぇ~す。
 ♪ヒューヒャアラ、ヒャラヒャラリコ、ヒャアラー リィコォリー~♪。

 普段は1曲だけなんだけど、お客さん、あたしのタイプだから、特別に2曲演奏するわね。サービス、さーびす。

 あれ?何かべつのサービス期待した?
 だから、尺八生演奏はできないって言ってるでしょ。
 ぱる子のサービスでは、ひちりき笙の笛で、「雅楽」演奏聞かせるんですよぉ。
 東儀秀樹の本番生演奏じゃないのが残念だけど、CDとかで。

 日本文化の神髄の紹介ですわん。あ、神髄いらないの?随喜のほうがいいんですか。ヒゴ特産のほうの。

 では、2曲めを。あら、いらないの?せっかくのスペシャルサービスなのに。
 2曲めがすごくいいんです。
 「越天楽」ほど、知られてないんですけど、「古楽乱声(こがくらんじょう)」って曲なんです。乱声、、、すごっく乱れちゃおうと思ったのにぃ。残念!

 ほらほら、もっと飲んで乱れましょうよ。ろれつ回らなくなってもOK。
 「ろれつ」ってのは、雅楽演奏の「呂」と「律」の音階「呂律りょりつ」がなまったものだって。
 ほらね、雅楽演奏も、ちゃあんと現代日本語に生きてるの。
 楽しく乱れつつ、呂律まわったニホンゴを習得できます。斯うご期待!

 席亭春庭が懇親経営の「落語で美味しい日本語食堂」
 メイドぱる子もがんばります。

 二つ目修行中の三人が落語かたりながら、日本語トリビア伝授いたしますれば、なにとぞごひいきにお運びくださりたく、よろしくおねがいたてまつって申し上げあげあげ、、あれ、ろれつが回らなくなってきた。

 高座をあい勤めますのは、古今鼎東西線、鶴屋南北線、討究目黒線の三人でございます。いずれも修行中の身ゆえ、ろれつ回らなくなることもございますが、どうぞ、あたたかい目で応援してやってくださいまし。

 じゃ、「違いがわかるオ・ン・ナの高座」をきいていってね。


( ♪出囃は「食い放題インターナショナル・ダイエットは明日から」)
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=inter (HPうたごえ喫茶のび)

♪ 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 腹は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの

♪ 聞け我等が雄たけび 天地轟きて 脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな) 今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの

2007/01/20
突き出しチョットお味見

【2】突き出しつまみ食い(お茶を一服、日本語の音)
ハハは強し、ヲンナもオンナもみなつよし

(2-1)日本語も性転換?
    「今は昔」でどんどん変わる、昔むかし、日本の母はパパだった
<熱いお茶をご提供>

 どうも、飛びはね呼び込みモギリメイドの、ぱる子、少々やかましかったかと存じますが、ご容赦のほどを。あれでも、春庭亭をもり立てて、お客さん呼び込もうって一生懸命なんですから。
 ああみえて、パル子、一応生まれたときから「オ・ン・ナ」のようでございます。よくは知りませんが、ニューハーフとかじゃありませんで。

 女をもう、ン十年やってるから、ちょっと新鮮味が落ちてるかもしれません。出産2回のジュクじゅくのじゅく女でそうで。
 ぱる子申しますに、「アタシ、娘と息子を育て上げた、心やさしきニッポンのハハなのよ、塾で教えた経験もアリの塾女なのよ、と語っておりましたが、何を教える塾だったのやら。

 え?パル子に「古楽乱声」を強制されそうになった?もう、ほんと、失礼いたしました。乱れ声の塾だったのかもしれませんね。

 申し遅れました。鶴屋南北線と申します。
 飛びはね熟女のぱる子に代わりまして、すこしく、日本語のお話を。
 少々かための噛み心地ながら、噛めばかむほど味の出てくる、するめのようなてれすこのような、ふか~い味わいですので、どうぞ、お逃げにならず。

 まずは、お茶だし。緑茶も番茶もございます。一服どうぞ。お熱いのでお気をつけて。ぬるめがお好みなら、ふーっと、さまして召し上がってっくださいまし。

 パル子、心やさしき日本の母だと自称しておりますが、さあて、母は、昔パパだったってことをこれからお話申し上げます。

 昔、むかし、日本の母は、全員パパだった。
 昔はパパが子供に胸のおっぱい飲ませていたんです。
 えっ、母はパパから性転換したの?って、驚かれるかと存じますが、性転換ならぬ、音声転換なんです、これが。

 日本語は、昔と今とではだいぶ変わってきています。語彙も発音も変わってきました。
 「日本の母は、昔むかし、全員パパだった」というクイズのヒント→ 昔むかしの日本語は、現代のH音がP音だった。

 実はヒントがそのまま答えです。日本語H音は、室町末期ごろは、F音でした。
 現代語では、ハHa ヒHi フFu ヘHe ホHoと、フの音にF音が残っています。「ふじやま」を英語表記するとき、ヘボン式ローマ字ではFujiyamaと書いています。

 「はひふへほ」の発音、室町末期はファ・フィ・フ・フェ・フォFa Fi Fu Fe Foと発音していました。
 さらに遡ると、Fa行の音はP音だったから、は行の音は、ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ(Pa Pi Pu Pe Po)と発音していました。

 「ハハ」は、パパと発音していた。花はパナと発音し、春はパルでした。春庭は、パルニワ。

 H音とF音の違いを知る方法があります。

 口の前に手のひらをかざす。「今日は寒いですね。手を温めましょう。息を吹きかけて温めて」
 手のひらに「ハーッ」と息をかける。ハーッというと、温かい息が手にかかる。

 次に、「やかんにさわった。あ、熱い。やけどしそう。手のひらの温度を下げましょう。息を吹きかけて」というと、今度は「フーッ」と息をかける。

 どうして、寒いときは温めるために「ハーッ」といい、熱いお茶をさますときなどは「ハー」ではなく、「フーッ」というのか。

 そう、H音は、のどの奥から息を出すので、息が温かい。F音は、唇から出す息なので、寒い。ハヒフヘホのうち、「フ」だけが、唇から出るF音で、仲間はずれです。

 普段は、自分の口から出る音が、どのように作り出されているかなどということは、意識しないでことばをしゃべっています。

 「今は昔」で、どんどん変わる、昔むかし、日本の母はパパだった
 

2007/01/28

突き出しオトメの味
(2-3)突き出し乙女試食
    オンナとヲンナ、ヲトメと姥

 ハハがパパだったころの古代の発音、「わゐうゑを」は、ワ・ウィ・ウ・ウェ・ウォwa wi wu we wo という半母音であったものと思われます。

 平安時代に、ひらがなが出来て「あめつちの歌」や「いろは歌」が成立するころには、すでにwuは「う」と同じになっていて、wuに相当する仮名文字はありませんでした。
 でも、wiゐ、weゑの発音はア行の「い」「え」と別の発音でした。「woを」と「oお」も別々の発音。

 古代語で「おんなonna」は年をとった女性、「をんなwonnna」は若い女性をさし、異なる発音で区別していました。
 しかし、現代では、「お」と「を」の発音が同じになり、「おんな」は、若くても年寄りでも同じ「女」です。

 現在、「を」の文字は、助詞の「を」にのみ使用されていますが、「お」と「を」の発音は同じ。訓令式ローマ字表記ではどちらも「o」です。
 謡曲の発音では「お」と「を」を区別し、また、方言によっては、昔の発音通りにきちんと「を」は「wo」、「お」は「o」と、区別している地方もあります。

 たとえば、九州地方の方はお年寄りだけでなく高校生たちも、助詞の「を」は、今でも「をwo」だそうですし、長崎出身の福山雅治の歌を聴くと、彼は、「をwo」と発音しています。

 『ミルクティ』で♪愛される明日を夢みる~、『桜坂』♪恋をしている~、などでも「をwo」が聞き取れますが、『セーラー服と機関銃』でいちばんはっきり分かります。
♪愛した男たちwo~ ♪タダこのまま冷たい頬woあたためたいけど~ ♪いつの日にか僕のことwo 思い出すがいい~ ♪希望という名の重い荷wo~


 文字による日本語の記録が始まった飛鳥奈良時代以前に、「男」「乙女」が日本語単語として存在していました。
 「若い」という意味の「をと」。プラス「女」(め)で、「乙女」(をとめ)。

 「をとこ」は、「をと」プラス、「子」です。この「をと」に人をつけると、をと人(ヲトヒト)→弟(をとうと)。

 奈良時代に「小さいという意味の「を」と女性をあらわす「み」、人をあらわす「な」をもとに「をみな」が成立。平安時代に「をみな」の「み」が撥音便化し、「女」(をんな)に変化しました。「をんな」は、若くて小さい女性。

 「をのこ」「を人=をひと→をっと」の「を」は、若い牡。

 「大きい」という意味の「お」をもとに「おみな」が成立。撥音便によって「おんな」となる。「おんな」は、大きい女、年取った女。
 のちに、「み」がウ音便化して、「嫗(おうな)」も成立。

 古語で「み」(女を表す)に対応する言葉は、「き」(男を表す)です。イザナキは男の神、イザナミは女の神。
 ここから、「おんな」の対義語「翁」(おきな)が成立。中世になると、翁の対義語として「姥(うば)」も出現してきました。

「をとこ」「をのこ」vs「をとめ」「をんな」→若い方
「おとこ」「おきな」vs「おんな」「おうな」「うば」→年寄りのほう。

 花の「をとめ」の時代は短し。あっという間に蕾みも満開、を!という間にをとめも散りぬる。
えっという間に女盛りもゆきすぎて、おお、たちまちにして姥となる。

 一方、「産」(むす)と「子」(こ)から「息子」、「産」(むす)と「女」(め)から「娘」(むすめ)という言葉ができた。現在「娘」は、一般の若い女性をさすが、もともとは、親からみて、自分が産んだ「め」のこと。

 さて、「をんな」と「おんな」、おつきあい願うなら、どちらでしたか?
 わたくしは「女」ですが、ひらがなだと、さて、どちらやら。現代かなづかいでは、若くても古びていても「おんな」でいいんですもんね。

 あ、「姥だろう」って言った人、怒りますよ!、、、、、正解ですが。

<ハハとヲトメとオンナとヲンナ おわり>

( ♪出囃は「食い放題インターナショナル・ダイエットは明日から」)
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=inter (HPうたごえ喫茶のび)


2007/01/28

明烏
【3】明烏 (赤飯食べて、ことばの意味の拡大縮小)

(3-1)明け方に、デレる?

 古今鼎東西線、明烏をお伺い申し上げます。

 日本語の生々流転、花がパナからファナへ、それからハナへなど音声が移り変わってきただけでなく、文法も語の意味も、日々あらたに生まれ変わっております。

 文法の変化の一例。
 年輩者が毛嫌いしていた「出れる」「見れる」の「ラ抜き可能形」。
 今、若者は99,9%こちらです。変わってしまったんですから、もう、変化は止められません。

 たまに「今朝は、6時半の新幹線で宇都宮を出られましたから、1限目の授業に間に合いました」なんて、「出られる」を使う日本人学生がいると、「おっ、ラレル派、残存だね」と、思ってしまうくらいです。

 現在、宇都宮高崎あたりは東京まで通学派が増えています。新幹線で通っても、東京に下宿するより安いんだって。でも、近頃の学生さんが明け方の電車に乗るのは、なかなかたいへんみたい。

 昔、私は親元から「でれる」とばかりに東京をめざしましたが、今の学生、「親元にいたほうが、ご飯も作ってもらえるしぃ」と、親がかりでいるほうを喜ぶっていうんですから、世も変わりました。
 パラサイトしていたほうが、楽っていうんですから。

 うちの与太郎なんぞも、親元通学派でして。大学まで自転車通学していて、ガールフレンドのひとりもできそうになく、これはこのまま一生パラサイトかな、と、、、、
 いつの世も、親というのは我が子の成長が気になり、どうにか早く世の酸いも甘いもかみ分けて、一人前になっておくれ、と育てているんですが。

 江戸の昔も、親御がセガレの成長を心待ちにすることは、おんなじでございました。
 え~、『明烏』をご紹介いたしましょう。

 堅物で、部屋にこもって本ばかり読んでいるという金持ちぼんぼんの若旦那がおりました。
 二十歳をすぎても、読書の秋とはいわず、一年中、論語だの実語教だのと、本を読んですごしております。

 たまに外へ出てまたと思うと、「お稲荷さまへ参詣いたしましたら、善兵衛さんがいらっしゃいまして、若旦那、若旦那、お赤飯をめしあがれと申しましたから、ごちそうになってまいりましたが、お煮しめのお味がまことに結構でございましたから、おかわりをいたしまして、三膳ちょうだいいたしました」と、無邪気なもので、親父さまも、「あきれたねぇ、どうも、こまった跡取りだ」と、思案顔。

 数えの21をすぎても、とんとネンネのままの息子をながめて、「世渡りにはつきあいも大事、あそびも社会勉強のひとつなのに」と、案じた親父さん、「これでは一人前の男になれないんじゃないか、息子を少し変えてやってくれまいか」と、町内のワルふたりに、吉原遊びの案内役を頼みました。

 堅物の息子に、社会勉強をさせてやりたい、少しは世の中の柔軟さを身につけさせたいという親心。まるきりの坊やですのでちょっとはオトナの男にしてやってほしい、というわけです。

 吉原遊びに使うお金は、旦那持ちだと心得て、ワルふたりは、若旦那を連れ出しました。 おいなり様への参詣だということに仕立て、吉原大門を鳥居だと言って中へ連れ込みます。
 
(3-2)若旦那生まれ変わる

 江戸が東京へと移ってからも、樋口一葉が名作『たけくらべ』で
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝(どぶ)に 燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の 行來(ゆきき)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、、、、」
と、描写いたしました、吉原大門。

 現在の吉原は、ソープ街として生き残っております。ソープ街といっても、洗濯石けん卸問屋じゃ、ありません。

 さて、だまされたと知り、堅物の若旦那は逃げ帰ろうとします。「ここは悪の巣窟」なんて思っている場所ですから。
 帰してしまったら、旦那から「息子をオトナの男に変えてやってくれ」と、頼まれたことがフイになります。

 そこで、ふたりは、「三人いっしょに大門をくぐったことは、ちゃんと帳面に書いてあるから、一人で帰ったりしたら、怪しいやつと思われて、とっつかまる」と、若旦那を脅し、ようやく妓楼にあがりました。

 てんやわんやの一晩がすぎ、若旦那、敵娼(あいかた)の布団のなかで、ちゃんと世の中のお勉強を仕上げる、という一席です。

 若旦那、一皮むけて、あらたに生まれ変わったんじゃないでしょうか。
 あのですね、ここんとこの一皮むけたっていうのは、下半身のごく一部のことじゃなくて、全身新しい自分を発見できたってことですから。
 あらたに、あたらしい、ってところです。

 「若旦那の敵娼(あいかた)」と言っても、若い人には「アイカタ」といえば、「漫才ペアの相手を呼ぶ」「いつもいっしょにいる仲良し友達の片方」くらいの意味で使っていますから、廓噺など、江戸吉原の話のとき、「あいかた」といえば、客の相手をする娼妓をさすことを説明しなければなりません。

 「あいかた」などは、「ペアになる相手」とほぼ同義です。しかし、現在の使い方では「敵娼」という意味で使う人がいなくなっています。このような場合、「アイカタの意味が縮小した」といいます。

 「あいかた」の意味が縮小したのに対して、奥様は拡大しました。
 江戸時代には、ずずっと奥の間のそのまた奥に住んでいらっしゃるお屋敷の奥方を意味した奥様。

 現代では、もちろんお屋敷のおくぅ~のほうに住んでいる方もさしますが、春庭のように、玄関からずずっと奥に行こうと思うと、ベランダから下へ落っこちてしまうような2DKに住んでいていても、既婚女性にはとりあえず「おくさん」と呼びかけることになっています。
 奥様は「お屋敷の奥に住む方」から「既婚女性」へと、「意味が拡大した」

 奥様のように、意味が拡大した語もあれば、「女房」のように、「宮中へ宮仕えする女人」から「自分の妻」へと、意味が移行した語もあります。

 「房=部屋」のうち、女性が住まいする部屋が「女房」であり、宮中の部屋を賜っている女性をも「女房」と呼んだ。

 もう、意味が変わっていますから、春庭のように、自分の部屋もなく、台所にパソコンおいてキーボード打っていても「女房」です。

 意味が変われば、「女房」などの語源も忘れられてしまいます。
 かように、言葉の意味は、栄枯盛衰、常に生まれ変わるものなんです。

 女房など、「語源を知らないまま使っている」という語は山のようにあります。


(3-4)やばいセンセーと猟奇的な彼女

 昔と今と、意味が変わってしまった「あたらし」。
 変化が起きたのは平安時代のことでした。そんな昔のことは、だれも覚えちゃおりませんが、最近のことばでも意味はどんどん変わります。

 たとえば「ヤバい」
 私たちの世代では「ヤバい」は、「危ない、危険そうでよくない」という意味合いの俗語でした。「やばい薬」といえば、そんなもんに手を出したら人生ヤバくなってまいります。

 が、最近の若いもんは、「この服カッワイー。ねぇヤバくない?ちょー似合うから買おう」「ヤベェ、すげぇ美味ぇよ」なんて使い方をしており、相手に向かって「ヤバい」と言ったら、誉め言葉になるんでございます。

 「センセの授業、ちょーヤバい」と学生に言われたら、私、にんまりです。
 学生が「センセー、レポート提出の期限に出せないんです。1週間のばしてください」なんて、「ごねて」きたときも、甘いセンセで通しています。ヤバいセンセですから。

 私、「やばい」という語は、「やー様」関連の俗語と思っていたのですが、『広辞苑』には、江戸の戯作本、やじさんきたさんが登場する『東海道中膝栗毛』の用例として、「やば」をあげています。

 「おどれら、やばなこと働きくさるな」と言うせりふ。
 「やばなこと」は、けしからぬこと、奇怪なこと、危険なこと。

 語源については、「江戸時代の牢屋を意味する厄場(やば)から」と、堀井令以知が書いた岩波新書『ことばの由来』に、一説がある。
 「犯罪者を収容するところが厄場(やば)」と、書いてあります。

 このような語の印象、価値観が変わることを語彙論では「語の価値の上昇下降」といいます。 「やばい」のようなマイナスのことばがプラスの意味で使われるようになったり、「僕」という「しもべ」「召し使われる人」という言葉が「男性が使う一人称の語」に変わり、語の価値が上昇した場合もあります。

 また、「奥様」が「お屋敷の奥の方にいらっしゃる方」と、尊敬の念を含む語であったものから、「一般的に既婚女性に呼びかける語」へと、語の意味が拡大して、語の価値が下降した場合もあります。

 このような語の意味の変化と語の価値の上下は、外国のことばにもあります。
 韓国映画「猟奇的な彼女」、主人公の女子学生がかわいらしく、魅力的でした。でも、英語のタイトルは「My Sassy Girl 」。「私の生意気な女の子」でした。
 日本語できくと「猟奇的な」と「生意気な」では、ずいぶん語感がちがいますが。

 韓国語の「ヨプキジョク(猟奇的)」(怪奇・異常な)は、「普通と変わっていて、個性的でかっこいい」と、意味が拡大しているのです。
 ほかにも、韓国語では、「チュギダ」(殺す)が「かっこいい・いかす・すごい」に変わっています。

 英語でも、cool boyといえば、もとは「冷淡な、熱のない、ずうずうしい」男、だったのに、今では「冷静で理知的な、とても素敵で格好いい」男、に変わっています。


(3-5)寿司は一カンずつ食う?

 変わる言葉の意味。その大元を知ってみたいのも世の道理。
 ただし、言葉のみなもと、語源は諸説あり、どれが本当なのか、はっきりわかっている語は少のうございます。
 語源がはっきりしている語もあれば、なんだか諸説紛々でわからない語もあります。

 「どうして寿司を1カン2カンって、数えるンですか」と、好奇心のかたまり知りたがりの古今鼎がたずねると、寿司屋のおやじさん、待ってましたその質問、とばかりに「江戸前寿司は、一個を一貫の値段で売ってたから」と、蘊蓄語る人もいるし、「関西じゃ、巻き寿司を1巻2カンと数えたから」という人も。

 もっともらしい説だとつい、本気にしたくなりますが、『三枚起請文』にもありますとおり、遊女の「あんたと添い遂げられなければ死にます」なんてことばと、民間語源は、本気にしちゃいけません。

 わたくし、教わった語源を信じこんで、すぐ吹聴したくなるんですけれど、でも、日本語修行中の身だから、一応確かめてみると、はい、これ、みんな民間語源でした。

 江戸時代、屋台で売っていて、手軽な庶民の食べ物だった寿司。 
 1個が一貫文って、ほんとう?
 「一貫」、江戸300年間の時代によって貨幣価値に変動はあるけれど、現在のお金に換算すれば約1万円くらい。今でも、銀座老舗の鮨屋なら一カン1万円のあるとは思いますが、春庭御用達の回転寿司なら一皿100円200円。

 寿司ひとつが1万円もするんじゃ、春庭亭の一同、寿司屋がこわくて入れませんし、江戸の昔だって八っつあんも熊公もおいそれとは食べられません。

 そもそも、江戸時代は、寿司を1カン2カンとは数えていなかったらしい。
 この数え方が広まったのは昭和になってから、というのが、文献でたどれるところの限界みたいです。

 職人ことば、武家ことば、女房(御所)ことばなど、由来がわかっている語もございますが、たいていの「語源」は、こじつけだったり、民間語源といって、適当な話をそれらしくこしらえたものが多いんです。

 「結局、なんで1カンなのか、わからないんですねっ。ここまで真面目に読んできたのに、わかんないなら、書くな!ヘッポコ日本語教師め!」なんて、ごねる方がいたりしても、いかんともしがたく、、、、、。 


(3-5)涅槃でごねる

 江戸時代の「ごねる」
 私が今つかっている「ごねる」は、「強く主張し、文句をつけたり、いいがかりを言ったりすること」「ぐずぐずと理不尽な文句を言い続ける」という意味です。

 しかし、「ごねる」は、江戸庶民にとっての意味は違っておりました。
 意味が変化したのです。昔は「ゴネ得」のためにはつかっておりませんでした。

 ヤバイが誉め言葉になったというと、古い私たち世代はびっくりいたしますが、「ごねる」が「文句を言い続ける」という意味で使われているのを江戸の人が知ったら、驚くかもしれません。

 江戸時代には、「あいつもついに、ごねたよ」「シヌだの生きるだの騒いでたけど、やっとこ、ごねたかい。南無まいだ、ナンマイダ」なんていう会話で使っていました。
 浄瑠璃の『ひらかな盛衰記』には、「こいつ、ごねたか、しゃちばりかえって」という一節があります。

 それが、「ごてる」との混用から、「ごねる」が「理屈に合わないことを主張して文句をつける」ことに、意味が変わりました。
 今では「ごねる」を「死ぬ」意味で使う人はいません。

  「ごねる」のもとの形は「御涅槃る=ごねはんる 」という説があります。
 「ごねはんる」の省略語が、「ごねる」でした。

 涅槃(ねはん)とは、お釈迦さまが到達した静かで安らかな悟りの境地。お釈迦様は「御涅槃る」ことができたわけです。
 「ごねる」の語源が「御涅槃る」だったなんて、知りませんでした、わたくしも。

(3-6)別嬪とご涅槃る

 原義は「お釈迦様のように涅槃の境地に入る」だった「ごねる」。
 我ら凡俗は、どう逆立ちしても生きているうちはこのような安らかな涅槃の境地にいくことはありません。

 最後の最後まで世俗の欲にのたうちまわって生きるでしょうから、涅槃の境地に至るのは、死んだあとのことになってしまいます。
 そこで、凡俗江戸市民にとって「御涅槃る=ごねる」とは、「死ぬこと」でした。

 語源に諸説ある語、たとえば「べっぴん」さん。
 和風で江戸情緒のある器量よしには、美人さんというよりべっぴんさんのほうが似つかわしい。なぜ、美人を「べっぴん」と言うか。2説あります。

 一説によると。
 「特別によい品」を表すことばを「別品」と言った。
 人にも応用して美人を「別品」と呼び、二葉亭四迷は「別品」と表記しましたが、あて字好きの漱石は「別嬪」の字を使いました。

 もう一説では。大宝律令の「后」の規定から。
 古代の法律、律令のきまりでは、天皇は、公式には10人の妻を持てた。
 皇后は、皇族の娘からひとり選ばれる。「妃(きさい)」はふたり。「夫人(ぶにん)」は3人。「嬪(ひん)」は4人。

 一番下のヒンといえども、そんじょそこらの無位の家の娘じゃいけません。「嬪」に選ばれるのは、五位以上の位をもっている家柄から。
 この10人の妻は、いわば「律令に基づく公式の結婚相手」として遇される。

 もし、五位以下の家柄の娘がお気にめしたときはどうするか、「別格の嬪」として、「別嬪」が、非公式に閨(ねや)に侍(はべ)る。
 こちらの説は、もっともらしい分、こじつけのような気がしますが、もともと語源なんてのは、「ぜったいこれが正しい」というのがわかっているほうが少ない。
 
 どちらの説がいいかは、どうぞ、ご自由に。
 なんですっ?「別嬪」がどっちの説だろうとかまわないから、見目良き別嬪さんとふたりっきりで「涅槃」の境地にでも入ってみたい、ですって。
 
 はいはい、「御涅槃る」の境地で、別嬪さんに「シヌしぬ~」とでも言わせてやっておくんなさいまし。

 あ、ここで帰っちゃいけません。まだまだ、高座はつづきます。ここで読むのをやめてお帰りになるってぇと、大門で止められます。
 HP大門の門番が、ちゃんと頭数を数えていて、途中で読むのやめると、ロックかけることになっております。

 足止め食らったところで、明烏完食となりました。
 春庭・落語で美味しい日本語食堂、次回もよろしくお運びのほどを。
  お口に合うやらあわぬやら、ちょいとアブないお味かも。

<明烏 おわり>