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ミシン考はじめに2008/08/03

2008-08-03 11:23:00 | 日記
nipponianippon
外来語について
「ミシン考」最終提出レポート
2008-09-18 08:24:30 返信フォームへ 掲示板へ戻る コメント削除

ミシン考最終稿
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1-1 はじめに
1-2 ミシン、みしん、美針
1-3 世界史におけるミシンの登場

2-1 日本のミシン
2-2 天璋院のミシン
2-3 ヘボン夫妻のミシン
2-4 ジョン万次郎のミシン
2-5 開成所のミシン
2-6 明治のミシン
2-7 明治女子教育とミシン
2-8 明治期以後の女子洋装の拡大
2-9 大正のミシン
2-10 大正から昭和へ、簡単服とミシンの普及

3  「ミシン」ということば

4  「みしん」記号論

5  明治期文学の中のみしん
5-1 モルガンの「人形とミシン」

6 おわりに

7 参考図版

8 引用参考文献

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1-1 はじめに
 日本文化は、かって4度にわたって外国からの文化の洗礼を受けてきた。
 大和奈良時代の漢字受容、漢語の大量流入、室町戦国期の西欧文化移入についで、3度目の海外文化輸入は、幕末明治期になされた。
 4度目の海外文化受容は、1945年から高度成長期になされたアメリカ文化移入である。現代の情報化またグローバリゼーションの流入は、5度目の「大量異文化流入期」とみなすこともできよう。
 (ここでいう「日本文化」とは、日本語を母語として意志を疎通する共同体が、「自分たちの文化」と認識している文化をさす)

 これまでの文化流入を歴史的にふりかえると、我々は、自己の基礎部分、精神的根幹を覆すことなく、海外文化を受容し、従来の文化と融合させてきた。

 言語文化の面からみると、日本語は、漢字の受容以来、漢語をそのまま取り入れ、日本語語彙として定着させてきた。発音は、呉音、漢音、唐音など、その語が日本に入ってきた当時の中国発音をとりいれた。
 外来語は、西欧語のうち、翻訳されずに外来の音のまま、日本語音韻体系にあう発音になおして日本語に定着したものを言う。

 外来語のうち、室町・戦国時代末期に日本へ渡来したポルトガル人宣教師によって伝えられたポルトガル語由来の語は、もはや外来語という意識も忘れられて日本語語彙に定着している。
 「かすてら」「てんぷら」「たばこ」などが、翻訳されずに、ポルトガル語の音声のまま日本語に定着した。「天麩羅」「煙草」「合羽」など、漢字当て字が作られ、今では日本語語彙として日常的に使われるようになっていて「外来語」という意識もなくなっている。

 17世紀後半以後、オランダや中国経由でもたらされる西洋文物は、平賀源内や蘭学者たちの耳目を奪い、幕末から明治時代にかけては、大量の「西欧文化」が日本へと流入した。
 1868年以後、江戸から明治へと時代が移り変わったことを、人々の目に具体的な事物として顕現したのが、陸蒸気(おかじょうき)、電信電話などの「西洋渡来」の品々だった。
 人々をして「文明開化」の時代になったのだと知らしめる物品、制度の数々。
 陸蒸気(蒸気機関車)の煙を見て、人々は文明の威力を思い知り、電話受話器から聞こえる「はるか遠くに住む人の声」に驚嘆した。

 この時代に輸入された物品のうち、翻訳され「新漢語」として漢字表現なされるようになった語が数多くある。
 railwayは「鉄道」、post systemは「郵便制度」、post stampは「郵便切手」など、「新漢語」に翻訳された。
 当初は、国家事業でなかったtelephonは、明治期の書生小説などには、「テリホン」「テーレホン」などと、カタカナ語のまま使われている。
 のちに電信電話が国家事業とされるに及んで、telegramは電信に、telephoneは電話に翻訳された。

 柳父章『翻訳語成立事情』は、社会、近代、個人など、抽象的概念の英語(をはじめとする西欧語)からどのように翻訳されていき、人々に受容されていったかという経緯について、論じている。

 西洋語がどしどし翻訳されていった一方、室町戦国末期の「たばこ」「てんぷら」などと性格を同じくする、「明治期に英語の音のまま日本語に取り入れられた語」が、日本語語彙として定着して存在する。
 今回の小論では、その中のひとつ「ミシン」について考察する。

1-2 ミシン、みしん、美針

 ミシンは、カタカナで書かれることが多く、外来語であるという意識がなくなってはいない。しかし、radioが、「らじお」とひらがな表記されることがまれであるのにくらべて、「みしん」と、ひらがな表記されても違和感なく日本語文章の中に書き込むことができる。

 また、ネット検索では「みしん工房」「みしん倶楽部」などの会社名がヒットし、ひらがな表記の「みしん」が日常生活につかわれていることがわかる。
 「たばこ」「金平糖」などはすでに外来語であることが意識されなくなっている。それほどではないが、「みしん」は、外来語意識が薄れている語のひとつではないかと思う。

 明治政府は、殖産興業によって富国をめざしたが、また同時に、幕末江戸幕府が結んだ「不平等条約」撤廃をはかって奔走した。
 日本が国際的に西欧諸国と対等な地位を持っていることを海外に示すため、政府は、国際交流事業のひとつとして、「鹿鳴館舞踏会」を、国家的行事として開催した。
 この「国家行事としての舞踏会」を、具体的に「目に見えるもの」として支えたのが、「洋装」であった。

鹿鳴館での洋装は、現代の女性たちの「おしゃれ」や「自己表現」などという「ファッション・衣装」感覚とは大いに違っていた。
 いわば「国家の威信をかけた服装」であった。
 この「洋装」を可能ならしめたのは、西洋人に教えを請うたり、試行錯誤しながら作り上げていった「洋服づくり」の技術である。伝統的な和服和裁の技術に加え、舶来の「ミシン」が威力を発揮した。
 以下、「ミシン」の語の由来来歴を考察するとともに、「ミシン」そのものと、「ミシンのイメージ」が、日本の「近代国家」「天皇制」「資本主義社会」の形成との関わりのなかに、どのように立ち現れてくるのかを考察したい。