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『アメリカ大統領選と文学的対話 』への感想2008/08/18

2008-08-18 22:08:00 | 日記
『アメリカ大統領選と文学的対話 』への感想

nipponianippon
 
 『ポール・オースターは「父親」という男性原理の危険性を自覚したところから、治癒と回復、生き延びることを模索しているように思われる。』
 『我々は、国家リーダーに「父親」イメージを重ね、男性原理の実現を求めるのが常だが、それが暴力と破壊に至る道であることは、歴史や今回取り上げた小説や戯曲が示すとおりである。今回のアメリカ大統領選に限らず、21世紀における社会的リーダーの資質と役割についての議論と考察を深める上で、文学的対話は有効であると考える。』

という松岡論の結びのことばは、文学に関わりたいと願っている私にとっては、「希望」を感じさせてくれることばでした。オバマ勝利の報をきいたオバマ支持者と同じくらいに。「文学に今、何ができるのか」という20世紀のおわりから今まで、あきるほど聞かされた文学無力論。それでも私は文学を読みたい、文学がなしえることばの力を信じたいと思って文学のしっぽにぶら下がってきました。
 21世紀の社会的リーダー論でも、人間が人間としてあるその存在のすべてについての議論でも、文学的対話の有効性を信じて、これからも読むことを続けていきたいと思います。

 11月5日。私は、出講先の大学が創立記念日全学休講になったので、午後1時すぎからのオバマ勝利演説をライブで聞くことができました。シカゴからの中継、アメリカ史にとって、これから長く語り継がれるのであろう15分の演説を聞きました。
 106歳で投票したというジョージア州アトランタ在住の黒人女性、アン・クーパーを演説にとりあげたのは、とても効果的だったと思います。(今や彼女は、アフリカ系アメリカンの中で、オバマの次に有名な人物になったそうです)

 同時通訳者の訳と同時に聞いてのことではありますが、彼の演説はとてもわかりやすく、聞きやすいと感じました。アフリカ系アジア系ヒスパニックその他の人々にもわかりやすい英語を、という配慮から練りにねった英語だったのでしょうか。上層白人英語とは縁遠い層が彼に投票し、得票のなかには、これまで一度も投票したことのない層が1割を占めたと、報道されていました。アメリカ経済をにぎっている富裕層からのからの反発に対してこれからどのような政策をしめしていくのでしょうか。狂信的白人主義者はアメリカ3億人の中の何パーセントかわかりませんが、とまれ、オバマは、今後「史上もっとも暗殺される危険性の高い大統領」として、生きていくことになるのでしょうね。オバマは、中絶法案に面と向かっては反対していないから、彼を支持しない、とする中絶反対論者もいるし、これから先、選挙勝利の熱狂がさめたあとに、どのような反発が噴出するのか、来年の1月就任演説のあとまで心配です。

 私が彼に感じたのは、ブッシュJr.にむき出しに現れていた「アメリカの父」たらんとする男性原理が、オバマの場合少し違うのではないか、という点でした。

 ブッシュJr.は、父親も大統領であった二代目ゆえ、より一層「父を超える偉大なアメリカの父」になりたいというやみくもな男性原理体現者として存在しているように見えました。一方オバマは、ケニア・ルオー族出身の実父とはすぐに離ればなれになり、インドネシア人の「母の夫」と子供時代を過ごした、という生い立ちのせいかどうかわかりませんが、ブッシュJr.のような「男性原理」一辺倒ではないように感じられたのです。

 タイ、インドネシアやマレーシアの男性は、仏教徒であれイスラム教徒であれ、キリスト教徒ユダヤ教徒的な「父」イメージとは、異なる印象を持つ男性が多い。モンスーン的アジアとでも言える、「大地の母」志向の男性達に私には思えます。留学生を通しての印象ですから、違っているかもしれません。しかし、日本もそのひとつである「母性原理」をその本来の姿としてきたアジアの人間にとって、オバマはブッシュやマケインよりははるかに親しみを感じさせる姿で勝利演説を行っていました。

 アメリカが「世界の父」であろうとすることから生じてきたゆがみに気付き、「父性」「力」「資本の力」で社会支配を続けようとする罅に気付くことが、オバマ政権下で可能になるのか、見続けたいと思います。Yes we can. たぶん、、、