夏目漱石の吾輩猫
2006/10/27 金
文学の中の猫(4)漱石の吾輩猫
猫の変身譚、江戸歌舞伎など近世文学では化け猫の話が大人気でした。
『花野嵯峨猫魔稿』は、佐賀鍋島藩の化け猫騒動のお芝居です。
鍋島家は、主家筋の竜蔵寺家の断絶で、佐賀藩の領地を全面的に徳川幕府から安堵された。領土が鍋島家のものとなってしまったことを怨んだ竜蔵寺政家と高房の怨霊が愛猫に宿って、鍋島家に災いをなすという「愛猫変身譚」のひとつ。
「猫」は、近代文学現代文学の中でも大活躍。
しかし、近代文学に出てくる猫になると、江戸の化け猫とはだいぶ雰囲気も変わります。
夏目漱石の最初の小説は「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という書き出しで始まります。1905(明治38)年に雑誌「ホトトギス」に連載し、ホトトギスの売り上げをのばすほどの人気を博しました。
元ノラ猫の「吾輩猫」には、死ぬまでほんとうに名前らしい名前がなかったようです。あるいは「名無し猫」として有名になってしまったために、名前をつけるわけにはいかなくなったのかもしれません。
カーポティの『ティファニーで朝食を』の中で、ヒロインのホリーは「キャットcat」という名の猫を飼っていますが、これは「キャット」という名の猫であって、名前はあります。
吾輩猫は、漱石家で何て呼ばれていたんでしょうか。
1908年にこの「吾輩猫」が死ぬと、漱石は知人に死亡通知を出しました。
庭に猫のお墓をたてて、『猫の墓』というエッセイが書かれました。死して後なお、漱石にネタを提供、偉大なる名無しの御猫サマです。
現在、新宿区立漱石公園に猫塚がありますが、これは、「吾輩猫」のお墓ではなく、漱石の妻筆子が立てた「夏目家歴代ペットの供養塔」を復元したもの。
漱石の『猫の墓』から引用。
早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。
漱石は、猫が弱っていったようすを描写し、死んだあと墓標をたててやった顛末を記す。
ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾に腹這になっていたが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸声を挙げた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢(じゅばん)の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。
明くる日は囲炉裏(いろり)の縁(ふち)に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪(まき)を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈(へっつい)の上に倒れていた。
最後の一節。
猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。
漱石夫人筆子さんも、この猫のおかげで夫の文名があがったことを思えば、猫命日にカツブシの猫まんまを供えるのをおろそかにはできなかったことでしょう。
<つづく>
00:00 |
宮沢賢治 猫の事務所
2006/10/28 土
文学の中の猫(5)宮沢賢治「猫の事務所」
猫が出てくる宮沢賢治の童話、といえば『注文の多い料理店』の、さんざん注文をつけたすえに、狩り好きな紳士たちを料理して食ってしまおうとする山猫。
『どんぐりと山猫』の「かねたいちろ様~山猫拝」という手紙を出して、どんぐりたちの裁判官として一郎を迎えにいく山猫。
『セロ弾きのゴーシュ』、ゴーシュの部屋をたずねてきた三毛猫は、ゴーシュのチェロで「インドの虎狩り」の演奏を聞き、部屋中を暴れ回ります。
「猫の事務所……ある小さな官衙(かんが)に関する幻想…… 」は、1925(大正15)年、3月に賢治が農学校を退職する直前に「虚無思想研究」3月号に発表した作品。
タイトルのはじめに「寓話」とわざわざ記している作品です。
「貧しい農民たち」の中に直接関わろうとした賢治は、農学校を退職したあと、開墾をはじめ、農民として生きていこうとします。
東北の農民たちの悲惨な生活に比べて、公的な給与を得てぬくぬくと生きているように思える「教員室の教師」たち。お役所の役人たち。彼らは、地域の農民のことを考えるより、上目遣いで上役への取り入りと仲間いじめに励んでいるかのように見えます。
そんな「事務所ぐらし」に耐えられなくなった賢治が、「事務所の閉鎖」を寓話として書いているのが「猫の事務所」です。
事務所で働く猫たちのうち、いちばんみすぼらしく醜い竈猫(かまねこ)。
「かまど猫」は、貧しい暮らしの中、寒さをしのぐためにカマドの灰のぬくもりをもとめて、一晩をかまどの中ですごします。だからカマド猫はいつも灰に汚れてみすぼらしい毛並みをしているのです。
かま猫を、事務所の他の猫たちがいじめます。かま猫はつらい毎日をがまんして毎日いっしょうけんめい働きましたが、病気で一日休んだ翌日、猫たちはかま猫の仕事をとりあげて追い出そうとはかりました。
宮沢賢治『猫の事務所』冒頭からの引用です。
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。
書記はみな、短い黒の繻子の服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがってばたばたしました。
けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまっていましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やっとえらばれるだけでした。
事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはいましたが、眼などは中に銅線が幾重も張ってあるかのように、じつに立派にできていました。
さてその部下の
一番書記は白猫でした、
二番書記は虎猫でした、
三番書記は三毛猫でした、
四番書記は竈猫でした。
<つづく>
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2006/10/29 日
ことばのYa!ちまた>文学の中の猫(15)かま猫いじめられる
「猫の事務所」の事務長黒猫は公平な猫で、かま猫をかばってくれました。
が、他の書記猫たちは、よってたかってかま猫をいじめるのでした。
宮沢賢治の『猫の事務所』昨日の続きを引用します。
竈猫(かまねこ)というのは、これは生れ付きではありません。生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはいってねむる癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳にはまっくろにすみがついて、何だか狸のような猫のことを云うのです。
ですからかま猫はほかの猫には嫌われます。
けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれない筈のを、四十人の中からえらびだされたのです。
大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まっ赤な羅紗をかけた卓を控えてどっかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子にかけていました。
ところで猫に、地理だの歴史だの何になるかと云いますと、
まあこんな風です。
事務所の扉をこつこつ叩くものがあります。
「はいれっ。」事務長の黒猫が、ポケットに手を入れてふんぞりかえってどなりました。
四人の書記は下を向いていそがしそうに帳面をしらべています。
ぜいたく猫がはいって来ました。
「何の用だ。」事務長が云います。
「わしは氷河鼠を食いにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらがいちばんいいだろう。」
「うん、一番書記、氷河鼠の産地を云え。」
一番書記は、青い表紙の大きな帳面をひらいて答えました。
「ウステラゴメナ、ノバスカイヤ、フサ河流域であります。」
事務長はぜいたく猫に云いました。
「ウステラゴメナ、ノバ………何と云ったかな。」
「ノバスカイヤ。」一番書記とぜいたく猫がいっしょに云いました。
「そう、ノバスカイヤ、それから何!?」
「フサ川。」またぜいたく猫が一番書記といっしょに云ったので、事務長は少しきまり悪そうでした。
「そうそう、フサ川。まああそこらがいいだろうな。」
かま猫は、他の猫からたびたびいやがらせをされ、いじめを受けてきました。かま猫はかろうじて公平な事務長の助けで仕事を続けています。
ある日のこと、ひどい風邪をひいて一日休んだかま猫が、ようよう事務所に出てみると、かま猫の仕事は取り上げられており、同僚の猫たちからは「無視」というイジメを受けました。あいさつをしても返事はなし。だれも声をかけようともしません。
「かま猫」はとうとう泣きだしてしまいました。
<つづく>
00:00 |
2006/10/30 月
猫の事務所の解散
宮沢賢治『猫の事務所』のラストシーンです。
かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいて居りました。
事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらっとこっちを見るだけで、ただ一ことも云いません。
そしておひるになりました。かま猫は、持って来た弁当も喰べず、じっと膝に手を置いてうつむいて居りました。
とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。
それでもみんなはそんなこと、一向知らないというように面白そうに仕事をしていました。
その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うにいかめしい獅子の金いろの頭が見えました。
獅子は不審そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩いてはいって来ました。
猫どもの愕ろきようといったらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまわるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。
獅子が大きなしっかりした声で云いました。
「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
こうして事務所は廃止になりました。
ぼくは半分獅子に同感です。
いじめに耐えかねて、泣き出したかま猫。
そこへ一匹の金色の頭をした獅子が現れました。事務所で「地理や歴史」を調べる仕事をしていた猫たちに、獅子が大きなしっかりした声で事務所解散を命じました。
猫の事務所は、「ぜいたく猫」が旅行するときのために地理や歴史を調べる仕事を続けていました。でも「かま猫」をいじめて泣かせて、それで続ける「立派な仕事」など必要ない。
金色の獅子が 「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
と、言ったのに対して「ぼく」は、「半分同感」と書いています。
「いじめ」があり、それを解決できない事務所も学校も、「そんなことで勉強も教育も要った話でない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」と、私も半分思います。
あとの半分は「この世からいじめをなくすにはどうしたらいいのか」と、考え続けることだと思っています。
猫の事務所は、金色の獅子の一声で解散となりました。
現実のこの社会にいる私には、そういう解決方法は「半分賛成」
金色の獅子が「いじめ集団の解散」を命じてくれるのを待つのではなく、自分自身の問題として考え続けます。「半分賛成」の、のこりの半分の部分です。
<つづく>
00:09 |
2006/10/31 火
かま猫、よだか
賢治は鋭敏な心で現実の社会をみつめ、いじめを受けることについての作品を書き上げました。
『猫の事務所』のタイトルには、ほかの作品には書き込まなかった「寓話」という文字を書きいれています。
「寓話=擬人化した動物などを主人公に、教訓や風刺を織りこんだ物語」という語を冒頭においたのは、この童話を「人間の世界のできごとを動物を主人公にしておきかえて発表する」と、賢治が強く意識して書いたからだと思います。
宮沢賢治が「猫の事務所」を発表してから80年以上たちます。
賢治が、人間の世界にあることを、動物の話として描いたいじめの物語。賢治は、いじめをする集団はすべて解散してしまいたかったことでしょう。しかし、金色の獅子が「猫の事務所」の解散を命じてから80年後も、いじめはなくなりませんでした。
『猫の事務所』のほか、いじめを受ける醜い動物の話に『よだかの星』がよく知られています。『よだかの星』は教科書に採用され、広く教材となってきました。
この教材を国語の時間に読んだあと、クラスの中のひとりに「よだか」とあだ名をつけ、「おまえ、星になっちゃえば」と、からかった、という話を聞いたことがありました。
いったい何をこの教材で教えたのでしょうか。
教科書会社が発行している「指導書」のとおりに『よだかの星』授業を展開して、教材会社が発売しているテストをさせて、採点しておしまいにしたのでしょうか。
研究授業で校長先生に「適切な指導でした」と、褒められたのかもしれません。
「よだか」とあだ名されている子がクラスにいるとわかったあと、教師は何をしたのでしょうか。
このところ、連日のように「いじめ」を苦に自殺する子供たちのニュースが続いています。小学生中学生高校生、、、、、
いじめを受けていて、苦しんでいる子がいたら、、、、、、私には直接何もしてやれないのがつらいですが、どうぞ死なないで。死んじゃいけませんと、叫びたい。声が届きますように。
子供がいじめを受けて苦しんでいるのに、何もしてやれない教師や学校であるなら、そんな学校は存在価値もありません。こどものイジメの実態を、保身のために隠す教師、校長。報告書に「当校のいじめはゼロ」と書き込めば、いじめはなかったことになると思っている先生たち。
いじめを受けた子の親が「なぜ親に言ってくれなかったのか、もっと早くから相談してくれなかったのか」と、悲しむ気持ち、わかります。私も同じでしたから。
子供は、親には自分が学校でみじめな思いをしていることを知られたくないのだといいます。子供は、「いじめられている惨めな自分」を、親には知られたくないのです。
せめて親にだけは「うち子供はしっかりやっている。学校でも元気にやってるから安心だ」と、思ってほしいのです。
「親には、自分のことが原因でつらい思いをさせたくない」と思ってしまう子もいるのです。
カフェの中にも、下記のようなコメントを、障害や病気と闘っている人のサイトにつぎつぎと書き込んでいく人もいます。
他者を傷つけることでしか自己確認ができない人が存在するのは確かです。
投稿者:n********
障害者はウザイ いつ死ぬんだ 早く死ね 楽になるぞ (2006-10-28 19:26:47 )
投稿者:n********
障害者は生ごみ おまえの友達も同じ (2006-10-28 21:17:21)
このような書き込みを人のサイトに残していくということは、きっと自分自身の心もこわれ傷ついている気の毒な方なのだと思います。
自分自身が大切にされていない、存在価値を認めてもらえない社会で、自分よりいっそう弱いものをいじめるしか自己表現ができない人たち。
でも、このような書き込みをした人は、相手がむきになって怒りを表したりすること自体が楽しいのですから、日記に怒りを書き込んだりすると、相手の思うつぼになるのかも。
真に戦うべきは、このようなこわれた心を生み出してしまう、社会の構造なのかもしれません。
夫が、息子に読めと言って渡した『格差社会』(2006年9月20日発行、岩波新書)。
読み終えた息子は、「読み終わったらハハに回せってチチに言われたから、ハイ、次、どうぞ」と言って本をこちらによこしました。
「数字が出てくるから、カーチャンには理解できないかもしれないって、チチがいってた」という余計な一言もありましたが、わたし、ちゃんと数字つきで1年前に、自分でも同じようなこと書いたんです。「ジニ係数の話」
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponia0509c.htm
読み終わって、「これから格差が広がっていくと、ますます殺伐とした社会になって、親たちは、なんとか自分の子だけは上のグループにいれたくて、人をいじめようが何しようが、トップクラスから落ちこぼれないことを願い、競争社会の勝ち組になることを子に託すのかなあ」と、思いました。
「よりいい大学」に入るためには、履修をごまかすということを高校ぐるみでやったりする世の中です。
他者を思いやったり、共に生きていこうとするより、「とにかく人をけ落としてでも上に行くこと、競争に勝つこと」が奨励されている現在の社会なのですから、いじめられて星になろうとするよだかも、ただ泣きながらいじめに耐えるかま猫も、ますます増えていくように思います。
本当に、これでいいのでしょうか。かま猫を泣かせたままで、よだかを苦しませたままで。
猫と庄造とふたりのをんな
2006/11/02 木
文学の中の猫(6)猫と庄造とふたりのをんな
谷崎潤一郎の『猫と庄造とふたりのをんな』(1934年)は、豊田四郎監督によって映画化されました。(1956年)
猫を溺愛する庄造を森繁久彌が演じています。昭和の「ダメンズ」です。その母おりん、浪花千栄子。
庄造は芦屋付近に暮らしている、甲斐性なしのマザコン男。ぐうたらの、典型的ダメ男です。
どこへ勤めに出てもすぐやめてしまい、父親がなくなったのをしおに家業の荒物屋を継ぐというふれこみで家にもどりましたが、もとより商売に身をいれる気なぞなし。
荒物屋は母親のおりんが仕切っていますが、母親の手ひとつでは家業も傾き、地代も払えぬまま借金がかさんでいます。
庄造をめぐるふたりの「をんな」前妻と後妻。プラス母親。
しっかり者の前妻品子(山田五十鈴)は、しっかりしているゆえに姑とは折り合わなかった。子供ができないからという理由をつけて、おりんは品子を追い出します。
母親おりんは、小金持ちの兄から「借金を棒引きにするから、自分の娘福子(香川京子)を嫁にもらえ」と言われて、承諾。
福子は、庄造にでも押しつける以外に始末の方法がない、という不良娘でした。
気弱で優柔不断な庄造、嫁は品子でも福子でもどっちでもいいけれど、いっしょに寝るなら猫のリリーが一番。
庄造の猫かわいがりようは、前妻にも後妻にも嫉妬心を呼び起こします。
庄造にしてみれば、あしかけ4年とはいっても実質いっしょに暮らしたのは2年ちょっとの前妻よりも、嫁にきたばかりの後妻よりも、リリーとの仲が一番長い。20歳のころから30過ぎの今までいっしょに暮らしてきた。リリーが誰よりもかわいい。いっしょにいたい。
庄造の愛猫リリーを、谷崎は「イギリス人は鼈甲(べっこう)猫と呼んでいる」と描写しています。
欧洲種の雌猫。肉屋の主人の話だと、英吉利人はこう云う毛並みの猫のことを鼈甲猫と云うそうであるが、茶色の全身に鮮明な黒の斑点が行き亙っていて、つやつやと光っているところは、成る程研いた鼈甲の表面に似ている。何にしても庄造は、今日までこんな毛並みの立派な、愛らしい猫を飼ったことがなかった。
文豪谷崎は、無類の猫好きとして知られています。庄造の猫によせる思いを書いている部分、そのまま谷崎の述懐だろうと思えます。
それにつけても猫の性質を知らない者が、猫は犬よりも薄情であるとか、無愛想であるとか、利己主義であるとか云うのを聞くと、いつも心に思うのは、自分のように長い間猫と二人きりの生活をした経験がなくて、どうして猫の可愛らしさが分かるものか、と云うことだった。
なぜかと云って、猫と云うものは皆幾分か羞渋みやのところがあるので、第三者が見ている前では、決して主人に甘えないのみか、へんに余所々々しく振舞うのである。
リリーも母親が見ている時は、呼んでも知らんふりをしたり、逃げて行ったりしたけれども、さし向いになると、呼びもしないのに自分の方から膝へ乗って来て、お世辞を使った。
彼女はよく、額を庄造の顔にあてて、頭ぐるみぐいぐいと押して来た。そうしながら、あのザラザラした舌の先で、頬だの、頤だの、鼻の頭だの、口の周りだのを、所嫌わず舐め廻した。夜は必ず庄造の傍に寝て、朝になると起こしてくれたが、それも顔じゅうを舐めて起すのであった。
<つづく>
00:03
2006/11/03 金
庄造と猫のリリー
庄造が「猫と同衾」するという描写も、実際に谷崎自身が猫といっしょにふとんに入っていたのだろうと思える描きようです。
寒い時分には、掛け布団の襟をくぐって、枕の方からもぐり込んで来るのであったが、寝勝手のよい隙間を見付け出す迄は、懐の中へ這入ってみたり、股ぐらの方へ行ってみたり、背中の方へ廻ってみたりして、ようよう或る場所に落ち着いても、工合が悪いと又直ぐ姿勢や位置を変えた。
もし庄造が少しでも身動きをすると、勝手が違って来ると見えて、そのつど体をもぐもぐさせたり、又別の隙間を捜したりした。だから庄造は、彼女に這入って来られると、一方の腕を枕に貸してやったまま、なるべく体を動かさないように行儀よく寝ていなければならなかった。
後妻の福子は資産家の娘。母親おりんにとっては、実の姪。家作を持参金として嫁に来たうえに、実家にしばしば帰って小遣いをもらってくる。福子の持参金がめあてのおりんには、福子がわがままし放題でも文句は言えません。しっかり者の前妻には厳しかったおりんですが、福子に対しては、下着まで洗ってやろうとするくらい、大甘です。
後妻が家に入った事情を知った先妻品子は、腹の虫がおさまらない。庄造への未練半分、姑への怒り半分で、策略をたてました。
先妻品子は、後妻福子に、庄造がだれより愛しているのはリリーだと告げます。原作では、冒頭部分。品子が変名で後妻の福子あてにおくった手紙の形ではじまります。
谷崎とくいの「女の語り口」がさえています。
夜、いっしょに寝るのでも、庄造にとって、リリーが一番。庄造と夜をすごしたいなら、庄造がこよなく愛する猫のリリーが邪魔になるはず。
もしほんとうに庄造がリリーより福子を大切に思っているなら、リリーを手放すはずだ、と、品子は、たきつけます。福子のために、リリーを品子が引き取ることにしたいと誘いをかけたのです。
先妻の親切ごかしのことばにに乗ってたまるかと思っていた後妻福子も、夫のリリーへの偏愛ぶりが、しだいに我慢ならなくなります。
リリーを品子に引き渡すことを決意し、「あたしと猫とどっちが大事?」と詰めより庄造に、猫を品子に渡すことを承諾させました。
品子は、姑に追い出されてから妹初子の家に居候しています。初子の家の二階、品子の部屋で、品子はそれなりにリリーをかわいがるようになりました。
庄造の妻でいた間は、妻より愛されている猫をねたんだものでしたが、今となってはかわいくてたまらないのが不思議。
母親おりんも、後妻福子も、自分自身の見栄と意地を満たすためだけに、庄造を将棋の駒のように奪い合う。本当に純粋に自分を愛してくれるのは、リリーだけ。庄造はリリーが恋しくてたまらない。
外出も後妻福子に厳しく監視されている庄造は、福子が実家に帰ったすきをみはからって、のこのこと品子が居候している初子の家へ出かけていきました。
リリーにひと目合いたい。膝の上にのせて、なでてやりたい。品子が家から出ていったのを見届けて、品子の部屋に入り込みます。
金の力で姑に気に入られた福子、庄造が何より愛する猫リリーを手なづけた品子。
庄造はこれからどちらの女の家にいたいのだろうか、、、、
猫のリリーに森重久弥の庄造は語りかける。このセリフは原作にはなく、映画のオリジナル。
「、、、、、そやからねえ~、女は怖いって言うてるやろ?なあ、リリー?ああ、お前も雌やったなあ~(笑)」
(リリー)「・・・・・・・・・・」(リリーは見た目不細工だけれど、演技派猫です)
「いいんにゃ、わての気持ちをイッチバン、わかってるのは、リリー、お前や、お前しか、おらへんて!なあ、、、、わてにはお前しか、おらへん!、、、、お前しか、おらへんようになってしもたわ、、、、、」
美しい女性に隷属的に支配されることこそ最高の幸福と信じていた文豪谷崎。
猫に隷属的に支配され、猫へ愛情を捧げ尽くすのも、谷崎にとっては愛のひとつの姿だったのでしょう。
<つづく>
00:05
村上春樹といわし
2006/11/04 月
文学の中の猫(7)村上春樹と猫
現代文学の中で、「次の日本人ノーベル文学賞作家」に一番近いと言われている村上春樹。
作家として立つまえは、「ピーター・キャット」という名のジャズ・バーのオーナーマスターとして生計をたてていました。「ピーター」は村上夫妻の飼い猫の名前。
「村上春樹と猫」の関係は「村上春樹とスパゲッティ」以上にたくさん語られていると思うけど、まずは「いわし」の話から。
「いわし」とは、1982年『羊をめぐる冒険』に出てくる雄猫。年をとっていて、不器量な猫です。
「猫のことなんです」と僕は言った。
「猫?」
「猫をかってるんですよ」
「それで?」
「だれかに預かってもらえないと旅行にでられない」
「ペット・ホテルならそのへんい幾らでもあうだろう」
「年取って弱ってるんですよ一ヶ月も檻の中に入れておいたら死んでしまいますよ」
「爪がコツコツと机をたたく音が聞こえた。「それで?」
「お宅で預かってほしいんですよ。お宅なら庭も広いし、猫一匹預かるくらいの余裕はあるでしょう?」
右翼の大物「先生」の依頼で、北海道へ羊を探しに出かけることになった「僕」は、「年寄り猫」を、先生の秘書との交渉で預かってもらうことになった。
朝の十時に例の潜水艦みたいな車がアパートの前に停まった。
運転手が猫を迎えに来た。
「可愛い猫ですね」と運転手もほっとしたように言った。
しかし、猫は決して可愛くなかった。というよりも、どちらかといえば、その対局に位置していた。家はすりきれたじゅうたんみたいにぱさぱさして、尻尾の先は六十度の角度にまがり、歯は黄色く、右目は三年前に怪我したまま膿がとまらず、今では殆ど視力を失い欠けていた。運動靴とじゃがいもの見分けがつくかどうかさえ疑問だった。足の裏はひからびたまめみたいだし、耳には宿命のように耳だにがとりついていたし、年のせいで一日に二十回はおならをした。
妻が公園のペンチの下からつれて帰ってきたときにはまだ若いきちんとした雄猫だったが、彼は七〇年代の後半を坂道に置かれたボウリング・ボールのように八曲へ向けて休息に転がり落ちていった。おまけに彼には名前さえなかった。名前のないことが猫の悲劇性を減じているのか、それとも助長していいるのか、僕にはよくわからなかった。
<つづく>
00:30
2006/11/05 日
命名「いわし」
「よしよし」と運転手は猫にむかって言ったが、さすがに手は出さなかった。「なんていう名前なんですか?」
「名前はないんだ」
「じゃあいつも、何ていって呼ぶんですか?」
「呼ばないんだ」と僕は言った。「ただ存在してるんだよ」
「でもじっとしてるんじゃなくてある意思をもって動くわけでしょ? 意思を持って動くものに名前がないというのはどうも変な気がするな」 』
「鰯だって石を持ってうごいてるけど、誰も名前なんてつけないよ」
「だって鰯と人間とのあいだにはまず気持の交流はありませんし、だいいち自分の名前が呼ばれたって理解できませんよ。そりゃまあ、つけるのは勝手ですが」
「ということは意思を持って動き、人間と気持が交流できてしかも聴覚を有する動物が野前をつけられる資格を持っているということになるのかな」
「そういうことですね」運転手は自分で納得したように何度か肯いた。
「どうでしょう、私が勝手に名前をつけちゃっていいでしょうか?」
「全然かまわないよ。でもどんな名前?」
「いわしなんてどうでしょう?つまり、これまでいわし同様にあつかわれていたわけですから」
大物右翼「先生」の運転手は、猫に「いわし」という名を付けます。名無しではない。しかし、群泳する中から一匹を指さすことすらむずかしい、「いわし」という名。
名はあるけれど、「他から識別されることを拒否しておきたい名前=いわし」
僕にとっての猫。
それで気がついたんです。僕には失って困るものがほとんどないことにね。女房とは別れたし、仕事も明日で辞めるつもりです。部屋は借りものだし、家財道具もロクなものはない。財産といえば貯金が二百万ばかりと中古車が一台、それに年取った雄猫が一匹いるだけです。
「僕」にとって、雄猫一匹は「たったひとつの、失ってはこまる命持つもの」です。
でも、名無しという特権的な立場から、群れのなかの一匹のような「いわし」という猫には似合わない名が付けらて、僕の手元から引き離されます。
僕は、たったひとつの失ってはこまる生命体「いわし」を預けて、北海道へ「羊」をさがしに出かけます。
「名前の無い猫」は、「吾輩猫」から「いわし」まで、「ただ存在している」ゆえに、文学の中に屹立する。
この「いわしの命名」にまつわる「運転手と僕の会話」は、村上春樹流の文体でさらりと書いていますが、言語論にとって、「言葉と認識」「他者と自己との認識関係と命名論」にとって、とても大きな問題を含んでいます。
<つづく>