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ぽかぽか春庭「短歌ノート」

2008-10-26 14:02:00 | 日記
短歌ノート
2007/01/07 日
ことばのYa!ちまた>短歌ノート(1)

 眼鏡と財布と鍵と通帳とハンコを年がら年中探し回っている。
 「保管場所を決めておけばどこにおいたか、すぐにわかるのに」と、いつも言われているのだが、もちろん決めてある。しかし、ものをなくす人というのは、毎日、「ちゃんとした置き場所にしまうまで、ちょっとの間だけ、臨時に、仮に、ここにおいておこう。ぜったいにすぐに、ちゃんとしまうから」と思って、「臨時保管」をしてしまうものなのだ。

 クレジットカードの引き落としに使っている通帳の残高が不足して、引き落としができなかった、という連絡が届いた。あら、たいへん。
 あわてて通帳をさがしたが。
 去年、「ちょっとだけ、仮に、臨時にここにおいといて、あとでちゃんと、、、、」と思った、その「臨時に仮にちょっとだけ」の場所がわからなくなった。

 引き出しやバッグや、私が「臨時にものをおいておきそうな場所」を探し回る。
 こういうときは肝心なものは見つからないが、以前から探しているほかのものがみつかることになっている。
 「まちがえてほかの古ノートといっしょにすててしまったのだろうか、なくなってしまって残念だったなあ」と思っていた「短歌ノート」がみつかった。

 短歌といっても、短歌になっているのかどうかさえおぼつかない。師匠もおらず、気が向いたときにひょこっと口にのぼることばの切れはしをメモしておいたノートだ。
 それでも、ノートがなくなってしまうと、そのときどきの心のつぶやきが消えてなくなってしまったような気がして、残念に思っていた。なくなって、そのままになって数年、ひょっこりと見つかった。

 ノートが出てきたので、一部コピーしておきます。
 そう、このころは、こんな気分でいたんだと、私の姿を残してきた歌、なつかしかった。

 「ウェブの中に記録しておけばなくさないかも」と、思ったのに、2005年と2006年の読書メモサイトが消えた。しかし、自分のサイトからは消えたように見えても、ブロバイダーの記録の中には残っていることがある、っていう話も聞いたので、パソコンよくわからない私ですが、メモの一部を写しておくことにします。

 うたの出来具合がいいわるいという規準でのセレクトではなく、日々の営みのなかで感じたことを忘れないため、母や姉ら亡くなった大切な人への思いを残すための記憶のよすがと思って選んびました。

<1998年3月>
 (新聞日曜版にオギノ博士の事績記事ありて)
我が排卵も命なきまま命無き無精卵焼くサニーサイドアップに
たったふたつ命となりぬ我が卵子受胎奇蹟の命なりしを

 (RPGゲームをする子)
幾たびも死んで幾たび生き返るRPGのみ好める子
「シマネキ(死招き?)」とう毒草に触れ勇者果て淡々リセット押す子の背中

 (先の代の地久節という日に)
生きながらもがりの宮に坐すごとき国母と呼ばれし女の一生

 (深夜のコンビニで)
コピー機の閃光コンビニ午前二時深夜の孤独を写しとらむか


<1998年3月>
 (テレビの自然番組をみて)
アイアイもベローシファカも滅びゆくマダガスカルの森の荒廃
否(いな)否と吠えるましらよ虚虚虚虚と啼く鳥熱帯雨林の滅亡

<1998年8月>
 (新宿にて)
唇(くち)赤き老い街娼(たちんぼ)の口ほどの日輪沈みぬ二丁目の角

 (吉本ばななの感想を娘と語り合う)
「ばなな」読み、娘と交わす感想が、バナナシェイクにふるふる溶けてく
子音母音子音母音と重なりて開音節にてもの言う我ら
 (母と私と娘と)
我娘(あこ)の歌と亡母(はは)の残せし歌並べ旧盆の夜はひとり歌よむ
娘(こ)の詠みし歌とわたしの腰折れを母の形見の句集にはさみぬ
ただ一度全国版に載りし母の一首をかたみに三十年生く

 (旧盆前後)
受身形(パッシブフォームPassive form)のパッシブ(passive)受苦形と訳したり殺され焼かれ屠らるる夏

 (日本語教室)
 午後クラスに満つる使役形「せる・させる」日本語覚えさせるが、わが職
「意向形」立とう進もう愛し合おうFormはかくもたやすきものを

 (文法を教えながら)
「抱かれれば、愛されれば」と仮定形しかない受動態(パッシブボイス)の一日(ひとひ)よ
「たい」「たけれ」会いたい見たい愛したい、動詞になれぬ希望の助動詞
 (ひらがなを教えながら)
「あ」「い」愛は日本語のLOVE愛されぬ妻なりし我が教えるひらがな
「こ」を九十度まわすと「い」だよ、留学生笑いつ手習い恋来い四月

 (エイトマン主題歌をきく)
殺人を犯せし歌手のうたう歌に低く唱和す我も罪びと

 (原宿界隈)
「ブラームスの小径」とう路地すりぬけてキラー通りへ向かう殺意か

 (夏の死角)
三角函数わからないまま塾やめて、さよなら三角またきて死角
詞(ことば)喰らう玻璃ハリ破離と詩歌食う飢えし心が食っても食っても
午後の曳航東京ベイにひかれゆく少年の刃先よ空を切り裂け


<1998年8月>
 (夏の葬列)
亡き叔父はとび頭(かしら)なり。葬列は木遣りうたいつ静かに歩む
炎天に黒列細く上りたり我がいえの墓は山中の墓
夏の葬列。くるくるくると黒き日傘を回していたり墓につくまで
 (銀河鉄道)
ジョバンニよ私も切符ないままで銀河鉄道廃線めぐる

 (夏の通勤)
顕微鏡の精虫遡行さながらに地下鉄階段群流くだりぬ

<2000年2月>
 (チョコレート革命)
 チョコムースのような歌詠む歌人いて、「革命?」なんとも甘すぎるんです

 (2月の居酒屋)
のんだくれ女がコップあおりつつ「カクメイが希望のことばだったよ」
コリコリと軟骨噛めば我が大腿四頭筋へと罅いる味す

 (路地の店)
元皇民朴の書きたるカナクギの「レイメンありマス」アリラン亭前

<2002年4月>

 (最終章の春・ホスピスの姉)
静心なく花の散るホスピスの窓よりながむる最終章春
枝えだに宿り木やどし けやき樹は若葉を萌やして大地母のごと
緩和ケア病棟の庭七本の桜の若木すこやかに立つ
ホスピスの窓にふりしく花追いて最期の春を瞳(め)に写しとる
プリンペランとう点滴薬を身のうちにポロンパランと注ぎて寝る姉
ホスピスの庭に光(ライト)をあふれさせ旅立つ人へのカーテンコール
 (姉のうたえる)
春の光浴び舞う花よ来年は私はいないがまた咲け花よ
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<2003年>
(17文字)
(5月4日に)我も手に釘打ちぬいてみる修司の忌

 (カフェ日記を書き始めたころの31文字)
09/27 宇宙(コスモス)へ旅立つ人へ一輪の秋桜たむけてグラスほす夜

<おわり>