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気分はいつも、私次第

『ヒトラー帝国の黒幕たち:ハンス・フランク』

・・・・・・・・前半は良かったが、後半で失速(自分比)


さて、ポーランド総督府の総督ハンス・フランクです。
いつもこのブログでは
だ~れも気にしていないだろうが、それでも声を大!にして言う!

カール・ヘルマン・フランクとは別人物ですから!!

はい、ご了解下さい(ペコリ)


先ず「なぜハンス・フランクは知られていないのか?」
からスタート。
・ポーランドで数々の残虐行為に手を染めた張本人なのに?
・中産階級の弁護士が、なぜ?
・第三帝国の中心的人物なのに?

・・・・でも知られていない?ってことから、スタートしました。

次には、このブログでは、何度も登場していますが
ハンス・フランクの息子であるニコラス・フランクが登場。
父親との家族写真、まだ権力を握る前のヒトラーと父の写真
父ハンスは、ヒトラーの顧問弁護士であったのだ。

さて、フランクはなぜナチ党に共感したのか?の説明。
当時の多くのドイツ人同様、
WW1後のドイツの混乱、壊滅的な失業率
連合国軍への莫大な賠償金・・・・
多くの人達と同じだ。
ドイツを取り戻す!と叫ぶヒトラーの共感し、期待したのだ。

1928年、フランクはヒトラーの弁護をして、勝訴する。
その後ナチ党そしてヒトラーの顧問弁護士となった。

ある事件が、フランク、そしてヒトラーとナチ党に
転機となる。

1930年9月 帝国国軍の兵士3人が、裁判にかけられた。
3人の兵士は、革命のようなグループを作り、訴えられていた。
3人は、ナチスの信条を広めていたのだ。
フランクは、兵士だけではなく
ナチズム自体を擁護する弁護を行った。

この裁判で注目を浴びたのは
ヒトラーの証言台に立たせたことだ、

ヒトラーは、社会に不満を抱く若者だけではなく
中産階級の支持も必要だと考えていた。
中産階級の多くは、法律を守る人達であり
法の支配により社会が安定すると考える層である。

そこで、この裁判の弁論で
「ナチ党は、社会を安定した構図にさせることができる」
という印象をつけようとしたのだ。

ヒトラーは証言した。
「兵士達の考え方は正しくても、手段が間違っていた。
 我々は法に従う」

メディアは大きく取り上げる。
これはフランクにとって、大きな実績となった。
結局兵士達は有罪となったが
フランク同様、ナチ党も大きな成果を手に入れる結果となった。

1930年の国会選挙でナチ党は投票率約18%を獲得。
(管理人注
 前述の裁判は1930年9月と紹介されています。
 そして国会選挙の投票日は1930年9月14日(Wiki調べ)
 裁判のことを調べても、ちょっと出てこないので・・・・
 投票日直前にヒトラーが証言したのだろうか?
 ちょっと謎なので、ココに記しておきます)
ナチ党は、第二党に躍進。
社会に受け入れられたのだ。
その後ヒトラーは権力を掌握。フランクも役職を得る。

ここで映像では、威勢よく演説するフランクの姿が紹介されます。
まぁ、この方はかなり威勢の良い演説を行う人らしくて。
結構強気で語気を荒げて・・・・強いイメージを打ち出していますが・・・・

さて、ココからポーランドについて、が始まります。

ドイツの支配下のポーランドの様子。
国民の姿・・・・映像や写真で紹介されています。

私が感じた限りですが
ユダヤ人のこと・・・ゲットーのことなどと同時に
ポーランド人の虐げられた姿も紹介しています。

なぜか??ですが
当時のポーランド人は、食糧配給が全く足りなくて
(ユダヤ人はそれ以下、です)
なんとか闇市で禁制品を入手して、料理する・・・
と、歴史家の方が当時の料理を再現、していました。

・・・・・・・・・これ、意味あるのかな?
私にはサッパリ・・・・

そしてフランクが、ポーランドの抑圧者として語られます。
ユダヤ人もポーランド人も、過酷な環境下におき、死に至らしめた、と。

この辺から、私が困ったことに(苦笑)
番組の口調からは
フランクはポーランドの支配者、という印象を受けるのですが。
勿論、時には総督府という言葉も入れていますが。

番組自体が、こういう言葉なのか?
邦訳が端折っているのか?分かりませんが・・・・

フランクは、ポーランド全域を支配下に置いていた?
最初はそうなのか?
インテリ層を逮捕し処刑する作戦=AB行動を計画したのはフランクですが。
(ついでにいうと、副官はザイス・インクヴァルトでした)

これは指導層や知識層=反ドイツ行動の指導的立場になる人材
を排除する目的。
教師、宗教指導者、作家、政治家などを・・・・抹殺する作戦です。

ポーランド人は、自分の名前を書ける、数も〇〇まで数えられればいい。
そしてドイツを神と崇め、忠誠を誓うようにすればよい。

確か・・・・言葉はこの通りじゃないかも?ですが
当時のポーランド人に対するドイツの政策の1つの側面です。
つまり、奴隷にしようと。

でね・・・・
強制収容所のこともフランクは知っていたはず。
何が起こっていたかも、知っていたはず。
しかしフランクは、ニュルンベルク裁判で「知らない」と言う・・・・

私もフランクは収容所の存在、何が起こっていたかは
知っていた、と思いますよ。
ただ・・・・フランクの支配下ではなかった。
たとえ、総督府に存在しても・・・と思っています。
そこは・・・・ヒムラーの領域ですから・・・・

って言っても通じないだろうネェ。

フランク個人の汚職。
自分の財を蓄え、美術品や宝飾品を集め・・・

ダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』は、
フランクが気に入り、執務室に飾っていた、と言われています。
その後行方が~でしたが、フランクの家から発見されたそうで。
・・・・妻が売り飛ばしてなくて、良かったわ(苦笑)

フランクの妻も、贅沢品大好きで
確か・・・・毛皮を求めてゲットーまで行った、らしいです。

・・・・・・・・・・なんだろうねぇ・・・・・・その神経は・・・・・

番組でも、「どうしてこんな残虐行為ができるのか?
と何度も問われています。
劣等人種=ウンターメンシュ・・・・スラブ系、ユダヤ系・・・・
人間ではない。人間のような姿をしているが人間ではない。
だから、何をしても良いのだ。

ラストにまたニコラスが登場。
父に対する思いを語ります。
当然、父を憎に、理解できないと。
そして、なぜ罪を認めないのか・・・と。

う~ん・・・・どうなんだろ?このドキュメンタリーは・・・・

ラストに再び
「なぜハンス・フランクは有名ではないのか?」が問われます。
歴史家は
「西欧やアメリカが、WW2の東欧に関心がないから」
という理由を述べていますが・・・・

後半の???謎?に関しては
私も、「あなた方もあまり関心が・・・」と言いたくなりました。


ケチつけて、ゴメンなさい。

威勢の良い時のフランクの写真や映像が沢山出てきて
その点は、見応えありました。
ニュルンベルク裁判で、意気消沈し、
ある意味精神的にダメージが・・・・と言われていた顔とは
全然違うナァ~と思いながら見ておりました。

またポーランド総督府時代の写真の中の1枚に
ザイス・インクヴァルトの姿を発見!!!!も、書いておきます(笑)
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