2025年4月某日 関東を二泊三日で旅行してきました。
その旅行話を書きたいのですが、時間がなくて。
で、この『吉原神社・吉原弁財天』のことだけ、先に書きますね。
なぜ先に書くか?書きたいからだ(笑)
旅行初日、東京数カ所巡りを予定していました。
先ずは、台東区・・・初めて行きます。
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の舞台、吉原。
その吉原は、今の江東区にありました。
ってことで、お約束ですが、台東区は大プッシュ!(?)
主人公:蔦屋重三郎が開いた書店、
耕書堂をモデルにした書店を、期間限定で開いているのです。
その耕書堂へ行こうと・・・勇んで駅を降りて・・・分からん(笑)
歩くと交番が見えたので、そこで道を尋ねようと・・・
でもねぇ「エッ?何それ?」みたいな反応でして・・・
江東区さん、もっと地元の方にも周知プリーズ!と思いましたわ。
住所から住宅地図で説明を受け・・・それでも分からん(笑)
自分では説明通り歩いている「はず」なんですけどね?
住宅地に入り込んで・・・「一体どこなんだ?」状態。
真っ直ぐな道ではなく、緩やかなカーブの道が続くので
遠くの方の前が見えなくて。焦る焦る。
最初が耕書堂で、その後増上寺そして王子稲荷へ行く予定でした。
夜は友人(コチラの在住)との夕食を約束していました。
だから、焦る焦る。
歩いていると、いきなり!出てきました!!
はい??なんですか??
吉原神社と吉原弁財天、知っていました。
しかし今回は参拝に伺う気持ちはありませんでした。
理由は、「怖いから」です。
同時に「気の毒に・可哀想に」と思う自分を想像できるから、です。
でも目の前に出てきましたよ。
一瞬「スルーするか?」とも思いましたが、
来たのだから行きましょう、ですよねぇ。
*注:よく「神社に呼ばれた」という表現をする方がいますが
私はあまりそういう風には考えません。
「行きたいから行く」で良いかと、思っています。
今回の件に関しては、「来ちゃったよ」という気持ちでしたね。
吉原弁財天さんの方に行き当たりました。
吉原弁財天は、吉原神社の場外末社ということです。
遊郭造成の際、湿地を埋め立てましたが、
池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、
吉原に住む人々の信仰を集めていました。
関東大震災の時、多くの人が炎から逃れようと池に飛び込みました。
そして亡くなりました・・・遊女も多く含まれていました。
この観音様は、溺死した人々の供養のため大正15年に造立された、とのことです。
神社内には、当時の新聞や写真も掲載されています。
そうね・・・だから・・・と思った瞬間「そうじゃないよね」と思いました。
時代も環境も何もかも違う。
そりゃ、私が想像できないような辛苦があり涙があり無念があったろう。
でも、それを「可哀想・気の毒」と思うのは違う。傲慢とさえ思う。
絶対の共通点は、同じ女性ってこと。
その時代でその環境で、一生懸命生きたのだから。それも同じ。
そうだね 一生懸命生きたよね 頑張ったんだよね
そこで その場所で その中で
そういう気持ちが出てきて・・・「それで良いのだわ」と思いました。
そう思いながら、観音さまにもあたたかな気持ちで手を合わせました。
杞憂でした。怖くないし、悲しくないし。
でも、私の迷子は未だ続く・・・御朱印をいただいて・・・
「耕書堂はどこでしょうか?」と社務所の方に問うと
「そこの道を~」と簡単に行ける風に仰る。
もう少し?と思いつつ歩くが・・・「どこ~~」状態がまだ続いて。
で、また出てきました・・・吉原神社!
ここも「来ちゃいました~」てな風に出てくる。
もうね、はい、行きましょう行きましょう・・・ですよねぇ。
九郎助稲荷さんで、今有名になっています。
ここでも、遊女を思いながらも、決して傲慢にならずに。
懸命に生きた女性たちに、思いを馳せました。
辛い中にも、笑い合ったり、楽しみがあったり。
そういう女性たちが祈った場所。
同じ場所で自分が手を合わせることは、光栄なこと。
そう思いました。
ここでも御朱印いただいて・・・「耕書堂は??」と半泣きでお尋ねして(笑)
「あ~、そこですよ」
そうです。そこ、でした(笑)
着いた~~~~。
何の決死隊?だよ???と思うぐらいの達成感(笑)
思いがけなく訪れた場所。
でも忘れられない場所になりました。
次回は、ちゃんと「行くぞ」と決めて行きましょう、ね。
この顛末記だけ、先に書いておきますね(ペコリ)