前回の記事で書きました、ドキュメンタリー番組です。
マリー・アントワネットと、彼女が愛したプチ・トリアノン。
プチ・トリアノンや、彼女のファッションや好みなどから
彼女の人間像と同時に、当時求められていた王妃像からの逸脱など
絡めながらのドキュメンタリーでした。
やはり!圧倒的に美しい映像が!!!見応えあります。
広大なヴェルサイユの片隅にあった小さな村。
アントワネットが作らせた、人工の村。
美しさも自然を模した人工の自然。
そしてプチ・トリアノン・・・
修復作業の様子から、当時の絢爛豪華さが伺えます。
1789年10月5日・・・アントワネットはある知らせを受けます。
女性を中心としたパリからの市民の集団が、
ヴェルサイユを目指して行進している、と。
・・・・有名な「ヴェルサイユ行進」ですね。
Wiki情報、貼っておきますね。
Wiki情報 「ヴェルサイユ行進」
プチ・トリアノンから宮殿に戻るアントワネット。
これが、プチ・トリアノンとの永遠の別れとなります・・・・
そしてヴェルサイユの最後の日でもある・・・・
そして・・・アントワネットが最初にヴェルサイユに来た時から
物語はスタートします。
1770年・・・14歳のアントワネットは、
将来の国王ルイ16世となるルイ・オーギュストとの婚姻のため
ヴェルサイユへやって来ます。
ハプスブルク家の王女であるアントワネット・・・
その彼女でも圧倒される豪華な宮殿。富と贅沢の館。
・・・・・・番組はドラマ形式で続くので、見ていても面白い(笑)
そして、宮殿などは本物だし・・・・豪華豪華!!!(ニンマリ)
それにネェ・・・
アントワネットをはじめ王家の方々や取り巻き達の肖像画も
たくさん紹介してくれます。
加えてアントワネットの髪型など、当時のファッション画も満載。
・・・・・いやいや、このドキュメンタリー・シリーズ
今まで色々、何度も見ていますが・・・・
これだけワクワクニヤニヤしたのは・・・・ナチス関連以来??(笑)
見ていて、すっごく楽しいです♪♪
ルイ・オーギュストとの婚姻のため、ウィーンからやって来たアントワネット。
当時も噂?ではないでしょうが・・・・
ナレーションでは「2人の性格は正反対」と言っていますがね(笑)
この結婚を決めたのは、
フランス国王ルイ15世とオーストリア女大公マリア・テレジア。
同盟関係の強固のため・・・・はいはい政略結婚ですね。
専門家の話
(管理人からの御注意:何人かの専門家が登場して解説してくれます。
あまりにも多いので・・・・
この記事では“専門家”で統一させていただきます)
専門家の話では
フランスとオーストリアの王室間の結婚は
当時のヨーロッパの力の均衡をひっくり返す
革命的な外交戦略であった、と。
歴史的に敵対関係にあった2つの国が、同盟国になったのだ・・・・と。
孤独なアントワネット。
多分敵対関係にあったことから、快く熱烈大歓迎!という人ばかりでは~だし。
そして専門家は、ヴェルサイユの調度品や美術品などが
若いアントワネットには、古臭く思えたのでは、とも語っています。
ルイ14世の時代からのものばかり・・・・
専門家の話
ヴェルサイユはルイ14世にとって、富と権力を示すものであった、と。
宮殿内の美術品には、王家の威光を見せるものが多く並んでいる。
そして同時に、儀礼を重んじる空間でもあった・・・・
王に接近し寵愛を得ようとする貴族達の争い。
装飾などは、ブルボン王朝のプロパガンダ!とまで言っていますね(笑)
太陽王ルイ14世の絶対的な権力と支配の象徴・・・・
若いアントワネットは、この雰囲気を毛嫌いしていたという。
貴族をはじめ、ヴェルサイユの人々はは舞台で演じる俳優のよう。
本当の自分・・・・生きている自分ではない・・・
そして結婚式の夜・・・初夜を見届けようと寝室に集まる大勢の人々。
専門家の話
大勢の人々が見守る中・・・・
夜の挨拶を済ませると、やっと人々とベッドの間にカーテンが閉まる・・・
見えないが声は聞こえる。
そして、何をしているかも・・・・14歳のアントワネットの衝撃は大きい。
ウィーンでの宮廷儀礼は、フランスに比べて緩やかであった。
ヴェルサイユではプライバシーなどない・・・・
専門家の話
朝起きてから就寝するまで・・・常に人に囲まれている生活。
アントワネットには28人の女官がいたという。
女官を選ぶのは国王であり、アントワネットの意見など反映されない。
そして、バカらしい?着替えの様子が説明されます。
下着姿で立っているアントワネット。
人の手で運ばれるドレス・・・・女官達が一列に並んでいます。
左の袖の担当女官、右の袖の担当女官・・・・アァ・・・・
そこに義理の姉の王女が部屋に・・・・最初からやり直し~。
このシーンもドラマで描かれています。
アントワネットが、「あぁバカらしい」といった顔で(笑)
専門家の話
王家の人々が身に付ける服装には、厳格で複雑で細かな決まりがあった。
ここで、当時の貴婦人のファッションがズラズラ~と映像に出てきます。
当時はプリンセスしか着用が許されなかったコルセットのグラン・コール。
(検索すると出てくるから、1度見て~)
アントワネットは、このグラン・コールの着用を拒絶した。
専門家の話
アントワネットのグラン・コール拒否は、大きな反響を呼んだ。
しかし決して好意的ではない。
未来の王妃が、特権の証とされるグラン・コールを身につけないのは
宮廷の女性全員への侮辱である、と解されたのだ。
専門家の話
アントワネットは、宮廷儀礼の重要性を甘くみていた。
宮廷には、ささいなことにも厳密な決まりごとがある。
そのしきたりを無視したことで
アントワネットは、周囲の嫉妬や怒りを買った。
やがて、多くの敵を作ることに・・・・
母親であるマリア・テレジアは
娘を案じると同時に、両国の同盟関係が脅かされる危機を見逃さなかった。
そして大使にアントワネットの動向を秘密裏に報告するよう命じる。
(メルシーさん、かしら??笑)
そしてテレジア自身も、アントワネットに諌める手紙を書き送る。
紹介された手紙では
アントワネットに、夫に仕え従い、夫を喜ばせようと務めるよう
促しています・・・・
ルイ15世は狩りが大好きで。
お供に夫と共にアントワネットも参加した。
当時女性は、横乗りで乗馬するのが普通だったが
アントワネットは、跨って馬に乗ることを好んだという。
将来の王妃が馬に跨る!
そしてアントワネットは、その姿を肖像画にしたと。
(馬に跨る肖像画が、紹介されます)
そして、その姿はルイ14世の乗馬姿の肖像画とポーズが似ている、と。
専門家の話
男性王族と同じ姿で肖像画を描かせるアントワネット。
無能なルイ16世(当時はまだ国王ではない)との結婚で
手綱を握っているのは自分だ、と
アントワネットが主張しているのでは、との憶測が広がった。
年配の女官達を遠ざけるアントワネット。
夫の姉達も同様だ。
噂、噂、噂・・・・自分の意思とは異なることが広がっていく・・・
アントワネットは、友人が欲しかった。
身分や資産ではなく、何でも打ち明けられる友人が。
若い人たちを周囲に集め始めるアントワネット。
快活で楽しい人たち・・・やがて「王妃のサークル」と呼ばれる仲間達。
肖像画を見せながら、メンバーが紹介されます。
ランバル公妃、シャルル・フィリップ(アルトワ伯・義弟)
ポリニャック公爵夫人(チョー有名・笑)などなど・・・
そして気に入ってたのが、パリで行われる仮面舞踏会。
毎晩毎晩通っていた、と。
仮面を付けて匿名で・・・・しかし実際には皆が知っていたというが。
そして・・・・この舞踏会でフェルゼンと出会った。
(フェルゼンは、アントワネットの身分を知らなかった)
2人は特別な感情を持つようになった、と。
1774年5月10日 ルイ15世崩御。
アントワネットは、フランス王妃となった・・・・そして・・・・
アントワネットは、これを“解放”と受け止めた。
自分が自由になれると。
しかし実際には、以前よりももっとしきたりに縛られるようになってしまった。
王妃になった瞬間から
全ての行為が、“公のもの”になったのだから。
アントワネットは、夫である国王におねだりをした。
自分の離宮が欲しい、と。
そして夫は、望みを許可した。
プチ・トリアノン・・・・これがアントワネットの離宮だ。
専門家の話
アントワネットは、プチ・トリアノンを自分の開放の場とした。
国王でさえ、自分の招待がないと立ち入ることはできない。
プチ・トリアノンでは、自分に戻ることができる。
専門家の話
アントワネットは、危険な賭けをしてしまった。
宮廷内の貴族同士の争いを
自分と貴族の対立、という風に変換してしまった、と。
・・・・・それがやがて、王室に破滅をもたらすとは・・・・
ここもドラマで描かれています。
若いアントワネットが、プチ・トリアノンで笑顔で行き来し
窓を見ると・・・・
そこには、窓を見上げる女性の姿が。
冒頭で登場したアントワネットの姿です。
ヴェルサイユ行進の知らせを受け、宮殿に戻るために
兵(侍従?)に先導され、小走りで進むアントワネット。
ふと立ち止まり、プチ・トリアノンを眺める・・・
若いアントワネットが、その姿=未来の自分、を見る、という演出。
専門家の話の通り
この自分の行いが、未来の王家にどのように作用するのか・・・
まだ知らない若いアントワネット・・・・
長いので~「前編<2>」に続けさせて下さいマセ(ペコリペコリ)
マリー・アントワネットと、彼女が愛したプチ・トリアノン。
プチ・トリアノンや、彼女のファッションや好みなどから
彼女の人間像と同時に、当時求められていた王妃像からの逸脱など
絡めながらのドキュメンタリーでした。
やはり!圧倒的に美しい映像が!!!見応えあります。
広大なヴェルサイユの片隅にあった小さな村。
アントワネットが作らせた、人工の村。
美しさも自然を模した人工の自然。
そしてプチ・トリアノン・・・
修復作業の様子から、当時の絢爛豪華さが伺えます。
1789年10月5日・・・アントワネットはある知らせを受けます。
女性を中心としたパリからの市民の集団が、
ヴェルサイユを目指して行進している、と。
・・・・有名な「ヴェルサイユ行進」ですね。
Wiki情報、貼っておきますね。
Wiki情報 「ヴェルサイユ行進」
プチ・トリアノンから宮殿に戻るアントワネット。
これが、プチ・トリアノンとの永遠の別れとなります・・・・
そしてヴェルサイユの最後の日でもある・・・・
そして・・・アントワネットが最初にヴェルサイユに来た時から
物語はスタートします。
1770年・・・14歳のアントワネットは、
将来の国王ルイ16世となるルイ・オーギュストとの婚姻のため
ヴェルサイユへやって来ます。
ハプスブルク家の王女であるアントワネット・・・
その彼女でも圧倒される豪華な宮殿。富と贅沢の館。
・・・・・・番組はドラマ形式で続くので、見ていても面白い(笑)
そして、宮殿などは本物だし・・・・豪華豪華!!!(ニンマリ)
それにネェ・・・
アントワネットをはじめ王家の方々や取り巻き達の肖像画も
たくさん紹介してくれます。
加えてアントワネットの髪型など、当時のファッション画も満載。
・・・・・いやいや、このドキュメンタリー・シリーズ
今まで色々、何度も見ていますが・・・・
これだけワクワクニヤニヤしたのは・・・・ナチス関連以来??(笑)
見ていて、すっごく楽しいです♪♪
ルイ・オーギュストとの婚姻のため、ウィーンからやって来たアントワネット。
当時も噂?ではないでしょうが・・・・
ナレーションでは「2人の性格は正反対」と言っていますがね(笑)
この結婚を決めたのは、
フランス国王ルイ15世とオーストリア女大公マリア・テレジア。
同盟関係の強固のため・・・・はいはい政略結婚ですね。
専門家の話
(管理人からの御注意:何人かの専門家が登場して解説してくれます。
あまりにも多いので・・・・
この記事では“専門家”で統一させていただきます)
専門家の話では
フランスとオーストリアの王室間の結婚は
当時のヨーロッパの力の均衡をひっくり返す
革命的な外交戦略であった、と。
歴史的に敵対関係にあった2つの国が、同盟国になったのだ・・・・と。
孤独なアントワネット。
多分敵対関係にあったことから、快く熱烈大歓迎!という人ばかりでは~だし。
そして専門家は、ヴェルサイユの調度品や美術品などが
若いアントワネットには、古臭く思えたのでは、とも語っています。
ルイ14世の時代からのものばかり・・・・
専門家の話
ヴェルサイユはルイ14世にとって、富と権力を示すものであった、と。
宮殿内の美術品には、王家の威光を見せるものが多く並んでいる。
そして同時に、儀礼を重んじる空間でもあった・・・・
王に接近し寵愛を得ようとする貴族達の争い。
装飾などは、ブルボン王朝のプロパガンダ!とまで言っていますね(笑)
太陽王ルイ14世の絶対的な権力と支配の象徴・・・・
若いアントワネットは、この雰囲気を毛嫌いしていたという。
貴族をはじめ、ヴェルサイユの人々はは舞台で演じる俳優のよう。
本当の自分・・・・生きている自分ではない・・・
そして結婚式の夜・・・初夜を見届けようと寝室に集まる大勢の人々。
専門家の話
大勢の人々が見守る中・・・・
夜の挨拶を済ませると、やっと人々とベッドの間にカーテンが閉まる・・・
見えないが声は聞こえる。
そして、何をしているかも・・・・14歳のアントワネットの衝撃は大きい。
ウィーンでの宮廷儀礼は、フランスに比べて緩やかであった。
ヴェルサイユではプライバシーなどない・・・・
専門家の話
朝起きてから就寝するまで・・・常に人に囲まれている生活。
アントワネットには28人の女官がいたという。
女官を選ぶのは国王であり、アントワネットの意見など反映されない。
そして、バカらしい?着替えの様子が説明されます。
下着姿で立っているアントワネット。
人の手で運ばれるドレス・・・・女官達が一列に並んでいます。
左の袖の担当女官、右の袖の担当女官・・・・アァ・・・・
そこに義理の姉の王女が部屋に・・・・最初からやり直し~。
このシーンもドラマで描かれています。
アントワネットが、「あぁバカらしい」といった顔で(笑)
専門家の話
王家の人々が身に付ける服装には、厳格で複雑で細かな決まりがあった。
ここで、当時の貴婦人のファッションがズラズラ~と映像に出てきます。
当時はプリンセスしか着用が許されなかったコルセットのグラン・コール。
(検索すると出てくるから、1度見て~)
アントワネットは、このグラン・コールの着用を拒絶した。
専門家の話
アントワネットのグラン・コール拒否は、大きな反響を呼んだ。
しかし決して好意的ではない。
未来の王妃が、特権の証とされるグラン・コールを身につけないのは
宮廷の女性全員への侮辱である、と解されたのだ。
専門家の話
アントワネットは、宮廷儀礼の重要性を甘くみていた。
宮廷には、ささいなことにも厳密な決まりごとがある。
そのしきたりを無視したことで
アントワネットは、周囲の嫉妬や怒りを買った。
やがて、多くの敵を作ることに・・・・
母親であるマリア・テレジアは
娘を案じると同時に、両国の同盟関係が脅かされる危機を見逃さなかった。
そして大使にアントワネットの動向を秘密裏に報告するよう命じる。
(メルシーさん、かしら??笑)
そしてテレジア自身も、アントワネットに諌める手紙を書き送る。
紹介された手紙では
アントワネットに、夫に仕え従い、夫を喜ばせようと務めるよう
促しています・・・・
ルイ15世は狩りが大好きで。
お供に夫と共にアントワネットも参加した。
当時女性は、横乗りで乗馬するのが普通だったが
アントワネットは、跨って馬に乗ることを好んだという。
将来の王妃が馬に跨る!
そしてアントワネットは、その姿を肖像画にしたと。
(馬に跨る肖像画が、紹介されます)
そして、その姿はルイ14世の乗馬姿の肖像画とポーズが似ている、と。
専門家の話
男性王族と同じ姿で肖像画を描かせるアントワネット。
無能なルイ16世(当時はまだ国王ではない)との結婚で
手綱を握っているのは自分だ、と
アントワネットが主張しているのでは、との憶測が広がった。
年配の女官達を遠ざけるアントワネット。
夫の姉達も同様だ。
噂、噂、噂・・・・自分の意思とは異なることが広がっていく・・・
アントワネットは、友人が欲しかった。
身分や資産ではなく、何でも打ち明けられる友人が。
若い人たちを周囲に集め始めるアントワネット。
快活で楽しい人たち・・・やがて「王妃のサークル」と呼ばれる仲間達。
肖像画を見せながら、メンバーが紹介されます。
ランバル公妃、シャルル・フィリップ(アルトワ伯・義弟)
ポリニャック公爵夫人(チョー有名・笑)などなど・・・
そして気に入ってたのが、パリで行われる仮面舞踏会。
毎晩毎晩通っていた、と。
仮面を付けて匿名で・・・・しかし実際には皆が知っていたというが。
そして・・・・この舞踏会でフェルゼンと出会った。
(フェルゼンは、アントワネットの身分を知らなかった)
2人は特別な感情を持つようになった、と。
1774年5月10日 ルイ15世崩御。
アントワネットは、フランス王妃となった・・・・そして・・・・
アントワネットは、これを“解放”と受け止めた。
自分が自由になれると。
しかし実際には、以前よりももっとしきたりに縛られるようになってしまった。
王妃になった瞬間から
全ての行為が、“公のもの”になったのだから。
アントワネットは、夫である国王におねだりをした。
自分の離宮が欲しい、と。
そして夫は、望みを許可した。
プチ・トリアノン・・・・これがアントワネットの離宮だ。
専門家の話
アントワネットは、プチ・トリアノンを自分の開放の場とした。
国王でさえ、自分の招待がないと立ち入ることはできない。
プチ・トリアノンでは、自分に戻ることができる。
専門家の話
アントワネットは、危険な賭けをしてしまった。
宮廷内の貴族同士の争いを
自分と貴族の対立、という風に変換してしまった、と。
・・・・・それがやがて、王室に破滅をもたらすとは・・・・
ここもドラマで描かれています。
若いアントワネットが、プチ・トリアノンで笑顔で行き来し
窓を見ると・・・・
そこには、窓を見上げる女性の姿が。
冒頭で登場したアントワネットの姿です。
ヴェルサイユ行進の知らせを受け、宮殿に戻るために
兵(侍従?)に先導され、小走りで進むアントワネット。
ふと立ち止まり、プチ・トリアノンを眺める・・・
若いアントワネットが、その姿=未来の自分、を見る、という演出。
専門家の話の通り
この自分の行いが、未来の王家にどのように作用するのか・・・
まだ知らない若いアントワネット・・・・
長いので~「前編<2>」に続けさせて下さいマセ(ペコリペコリ)