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『薬物に溺れたヒトラーの秘密』<1>

2019-03-12 13:19:31 | ドキュメンタリー
  ナショナル ジオグラフィック (TV) 『薬物に溺れたヒトラーの秘密』


これも・・・ナショジオさんのドキュメンタリーですが、
何度も放映されている作品のようですね。
私は、初見で御座います。

ヒトラーが薬物中毒であった、ということは
多くの書籍やドキュメンタリー、そして証言で言及されています。

この作品では、ヒトラーの主治医であったテオドール・モレルを主軸に
まぁモレルが遺した日記から
ヒトラーの症状、投与した薬物を追う、というものです。

これは・・・かなり迫真モノでは?と喜び勇んで(笑)見る私・・・
と言っても、時間がまとまって作れなかった事情があって・・・
だから、途切れ途切れで視聴したから、あんまり分からん(笑)

その都度「あぁ、そうか!」などと洗濯物畳みながらみたり(主婦だから)
アイロン掛けながら「だからカァ!」とか納得しながら見たり(主婦だから)
ニャンコズにご飯を上げながら「ヘェ~そういう裏があったとは」と思ったり
(猫飼いだから)

てな感じで・・・
さすがに、主婦業しながら総統は・・・ネェ。
まさか総統も、数年後にこんなことしながら
自分の生涯ドキュメンタリーを見る主婦がいるとは、思わなかっただろうなぁ。

って、なんの自慢にもなりませんがネェ(そうそう)

いや、そんなあんなこと、やりながら視聴していますが
中身はちゃんとしていますよ!いや、番組が、ですがね(笑)

当然ですが、時系列にになっています。
モレルのプロフィール。
医師としての経歴。その野望=金が欲しかったみたい、ですね。
そして・・・顧客には外国人やドイツ人の裕福層がいたのだが
ナチスの台頭で、だんだんと顧客が減っていってしまう・・・
その理由のひとつとして、
モレルの容貌が、ユダヤ系に似ている、ということが語られます。

しかしモレルは、打開策としてナチ党に入党。
その結果、顧客も戻ってくることに・・・
そして幸運にも、ナチ党の支配層も顧客に加わるようになる。
そして・・・ナチスの高官から、ヒトラーの健康問題を耳にするようになる。

ヒトラーは、当時胃痙攣に苦しんでいた。
極端な菜食主義・・・好物の豆ばかり食べていたそうで。
(コレは知っている。どうもヒトラーは豆が大好きなのだ)

作品では、ヒトラーは歯が悪いので
豆をすり潰して食べていた、と言っています。
息が臭い・・・胃腸にガスがたまる・・・
あまり大声では言われませんが、(でもちゃんと書いてあるから・関連文献に)
放屁や便秘・・・胃腸関係には大分悩んでいた、とは知っていました。

・・・・この番組を見るまで、そういうことをあまり重きに考えませんでしたが
改めて考えると・・・こういう不調って、本当に憂鬱になるなぁって思いますね。
一般人でも憂鬱になりそうなのに・・・・
ドイツを背負って~なヒトラーは、大分苦しめられていたと推測できますね。
また番組では、ヒトラーの排泄物の記録も紹介。
その記録によると、やはり排泄物からも胃腸が不調であることが伺える、と。

そこにモレルが登場。
モレルを紹介したのは、エヴァ・ブラウンと言われています。
エヴァの元の勤め先の主人=つまりはヒトラーのお抱え写真家ホフマン、ですが
ホフマンの性病を治療したこと
(モレルは、性病をメインとした医師ではないのですが
 当時は性病治療を看板に掲げていた、ということです。
 また性病の医師というイメージから、ヒトラーの性病(梅毒)説が浮上したようですね)

そしてエヴァの母親がモレルの治療を受けていたこと、などから
エヴァが紹介したって流れなんでしょうね。

ヒトラーがモレルと会ったのは1936年。ある胃腸薬を処方する。
ムタフロールを処方・・・大腸菌の整腸剤、だそうです。

モレルは、ヒトラーの胃腸の不調を悪玉菌のせいだと考える。
そしてその治療に、健康な人の腸にいる善玉菌を使おうとする。
・・・・ムタフロールの素材は、WW1兵士の大便から取られた細菌であると、説明が。
ここで、野外で並んで排便する兵士達の写真が映ります・・・・!

モレルは、ヒトラーに何とか飲ませた、というが・・・・
そりゃ、ちょっとヒトラーに同情するかも・・・

如才ないモレルは、顧客の評判も上々。
ヒトラーも同様に、モレルを気に入った様子。
そしてムタフロールの効果が出始めて・・・ますますモレルを信頼することに。

1937年、モレルはヒトラーの主治医に任命される。
どうも軍人でもないのに、自分で軍服を作り着用し、御満悦だったそうで。

そして・・・・ヒトラーに対して、動物用の薬も使用していた、と。

またヒトラーの周囲の人々は、モレルに批判的だったことも紹介されます。
藪医者、ペテン師・・・

ドイツは欧州への支配を広げて行く。
オーストリア、チェコ、ポーランド、そしてフランス・・・

1940年フランスを降伏させた時の映像。
そこにモレルの姿が・・・・もう側近になっているのだ。

ドイツ連邦公文書館に保管されているモレルの日誌・・・
貴重な資料だ。他にはない貴重な資料。
それは・・・・ヒトラー自身を書きとめているから(そりゃそうだわ)
カレンダー形式で書かれている。
ヒトラーの日課、心や体の不調、それに対して行った治療などが
詳しく書かれている・・・・

専門家の説明
これはモレルの個人的な記録であり、
ヒトラーにどのような治療を施したのか、正確に書かれている。
専門家の予想では、この記録は
ヒトラーが死亡した時に、自分に疑いが掛からないように記録したのでは、とのこと。

この日誌は、WW2における重大局面で
ヒトラーがどう過ごしていたかも、記録されている。

・・・・1941年8月7日、ヒトラーからの呼び出しが。
ヒトラーは眩暈で座り込んでしまったと、訴える。
頭の中が変な感じだ・・・とも。

1941年8月は、ドイツがソ連に侵攻して2ヶ月目にあたる。
ドイツ軍は、当初は甘く見ていたソ連軍から反撃を受けている時期だ。

モレルを呼ぶ前に(多分軍部と)言い争いをしていたという。
そのため不機嫌でもあったヒトラーに対してモレルは・・・
蛭にヒトラーのこめかみから、血を吸わせたと・・・(はぁ?)
・・・・ヒトラーは、嫌がらなかったそうで・・・・

しかし効果が持続するわけでもなく・・・
モレルは、強力な薬に手を出し始める・・・・向精神薬だ。
バルビツール酸の向精神薬だ。

専門家の説明
「バルビツール酸を含んだ薬は、不安を抑えたり
 気持ちを落ち着かせたりする時に使われていましたが、
 今はもっと安全な薬があります。
 だから一般の人が目にするのは・・・
 多分獣医のところでペットを安楽死させる時くらいでしょうね」

モレルはブロムネルバチットというバルビツール酸の投与している。
(管理人注*このブロムネルバチットが検索しても出てこない。
 字幕もないので、この薬品名で合っているか?も絶対とはいえない。
 しかし分かるのは、常識では考えられないような選択ってこと)

モレルの日誌
「1941年8月8日 手が震えて放心状態の総統に
 およそ10mlのブロムネルバチットを与えたところ、ぐっすり眠った」

2人の専門家の説明。笑いながら
「そうね・・・」
「確かにグッスリ眠れたろうね」
「だって10mlでしょ。そんなに大量に与えたら眠るに決まっている」


モレルは、ほぼ毎晩その薬を与えた。
(頻繁ヒトラーの背後に映るモレル、という写真が映る。
 複数の写真。
 どれだけモレルがヒトラー近くにいたのかを、物語るように)

・・・・人種差別主義のナチスが、ドイツ人に求めたことのひとつ。
それは丈夫な体だ。
しかしヒトラーは、医者の治療に依存し始めていた・・・



・・・・・・・・続きます。長いよ~(アァ~~)





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