刀 備州長舩祐定 元亀八年


刀 備州長舩祐定 元亀八年
二尺三寸九分強、反り八分半。これもがっしりとした造り込み。板目鍛えの地鉄は、地景を交えて肌が強く立つ。一見則重を思わせる肌合い。刃文は湾れ調子で、刃形が不明瞭である点も則重風。帽子は特徴的な激しい乱れで火炎風。匂と小沸の複合になる焼刃は、肌目と感応した沸筋、匂筋、金線、砂流しなどが激しく交じり合って刃中を縦断、そのまま帽子へと連続している。戦国期における相州伝の影響は、ちょっと遡った勝光や宗光が皆焼出来の刃文を焼いて明らかだが、戦国時代末期にも別の形で相州伝の影響が現れているともいえる。因みに、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、他国でも相州伝が流行している。





刀 備州長舩祐定 元亀八年
二尺三寸九分強、反り八分半。これもがっしりとした造り込み。板目鍛えの地鉄は、地景を交えて肌が強く立つ。一見則重を思わせる肌合い。刃文は湾れ調子で、刃形が不明瞭である点も則重風。帽子は特徴的な激しい乱れで火炎風。匂と小沸の複合になる焼刃は、肌目と感応した沸筋、匂筋、金線、砂流しなどが激しく交じり合って刃中を縦断、そのまま帽子へと連続している。戦国期における相州伝の影響は、ちょっと遡った勝光や宗光が皆焼出来の刃文を焼いて明らかだが、戦国時代末期にも別の形で相州伝の影響が現れているともいえる。因みに、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、他国でも相州伝が流行している。


