司馬遼太郎記念館 2 ~菜の花の空から
記念館では司馬遼太郎が少年の頃からあこがれ、空想をかきたてたモンゴルをテーマにした企画展が開催されていた。
「街道をゆく モンゴル紀行」執筆の際、取材にも出かけたというが、大戦末期、学徒動員で満州の戦車部隊にいたというから、この地との拘わりは深かったに違いない。
特にゴビ砂漠は「日常の覊絆からにわかに解き放たれ、ひろびろとひろがる無償の理想的行為の可能な世界」として、思い入れは強かったようだ。
そこで、司馬遼太郎は、強く匂う草、満天の星、真紅の光が濃紺の天を縦横にかけめぐるごとくの日の出(↑画像)、砂丘、ラクダや馬の放牧などといった大自然を満喫する。
「昔は国境なんて、なかった。」遊牧民の古老がつぶやいた。
モンゴル民族衣装が並ぶ展示場。
国民的作家と云われる司馬遼太郎には誰もが一度は遭遇したであろう。
私も多感な頃、ご多分に洩れず、「竜馬がゆく」を皮切りに数々の司馬作品に夢中になった。
彼の歴史小説は史実に基づいているとはいえ、創作であるから、すべてを鵜飲みにはできないが、人生観を含めて、大きな影響を受けたことだけは間違いない。
その中でも、印象深い「菜の花の沖」は彼の命日名「菜の花忌」の所以ともなった物語で、もう一度、読み直して、高田屋嘉兵衛と再会したいと思った。
自宅の書斎の前では菜の花が満開であった。
司馬遼太郎は今でも空の彼方から、大好きだった菜の花を見つめている。
そして、世に棲む日々を懐かしんでいるに違いない。
そんな気がした。
2月12日は「菜の花忌」である。
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「街道をゆく モンゴル紀行」執筆の際、取材にも出かけたというが、大戦末期、学徒動員で満州の戦車部隊にいたというから、この地との拘わりは深かったに違いない。
特にゴビ砂漠は「日常の覊絆からにわかに解き放たれ、ひろびろとひろがる無償の理想的行為の可能な世界」として、思い入れは強かったようだ。
そこで、司馬遼太郎は、強く匂う草、満天の星、真紅の光が濃紺の天を縦横にかけめぐるごとくの日の出(↑画像)、砂丘、ラクダや馬の放牧などといった大自然を満喫する。
「昔は国境なんて、なかった。」遊牧民の古老がつぶやいた。
モンゴル民族衣装が並ぶ展示場。
国民的作家と云われる司馬遼太郎には誰もが一度は遭遇したであろう。
私も多感な頃、ご多分に洩れず、「竜馬がゆく」を皮切りに数々の司馬作品に夢中になった。
彼の歴史小説は史実に基づいているとはいえ、創作であるから、すべてを鵜飲みにはできないが、人生観を含めて、大きな影響を受けたことだけは間違いない。
その中でも、印象深い「菜の花の沖」は彼の命日名「菜の花忌」の所以ともなった物語で、もう一度、読み直して、高田屋嘉兵衛と再会したいと思った。
自宅の書斎の前では菜の花が満開であった。
司馬遼太郎は今でも空の彼方から、大好きだった菜の花を見つめている。
そして、世に棲む日々を懐かしんでいるに違いない。
そんな気がした。
2月12日は「菜の花忌」である。
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