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上方しゃべくり漫才

2023年05月16日 | 笑い
「しゃべくり漫才」が好きだ。

センターマイクを挟んで、二人が動く事なく、普通の静かな喋りで笑わせる漫才。地味な様だが、「喋るだけで笑わせる」には大変な技がいる。

僕の大好きな「中田ダイマル・ラケット」(以下、全て敬称略)が心斎橋のホールで三夜連続で漫才をやった。うちの局の中継が入っていた。

この時の映像を是非ともDVD化して欲しい。僕の切なる願い。

うちの局のライブラリーには在阪局でいちばん「お笑い」のVTRが残っている。

何故なら、有川寛というお笑い好きのプロデューサーがいて、「お笑いネットワーク」「上方お笑い大賞」など、お笑い番組のVTRテープをほぼ全てライブラリーに保存していたからである。

この、映像ソフトが大事な今という時代、先見の明があったとしか言いようがない。

「オール阪神・巨人」の阪神が舞台でやっていた「モノマネ」。これはプロデューサー・有川寛さんが日頃からやっていた仕草、台詞の「モノマネ」だった。

阪神から辿って行って、有川寛さんまでたどり着くという企画を「11PM」で放送した事もある。

1965年から1990年、25年間放送が続いた「11PM」(大阪イレブン)はほとんどが生放送。放送当時、まだ、VTRテープの値段が高かった為、ほとんど残っていない。

1983年に入社した僕はライブラリーに保存されているVTRテープの少なさに愕然としたものだ。 

ほとんどのお笑い芸人のVTRが残っている中、うちの局に無いのは、「かしまし娘」だった。彼女たちのVTRを使う時は、毎回ABC朝日放送から借りていた。

それで思い出したのだが、「EXテレビ」をやっていた時、MCで売れっ子だった上岡龍太郎が二階のロビーに座っていた。そこに「かしまし娘」の末っ子・正司花江が通りかかった。上岡はサッと立ち上がり、花江に向かって深々と頭を下げ丁寧に挨拶をした。

僕は芸人の厳しい序列を見た。

話を「しゃべくり漫才」に戻そう。

「大木こだま・ひかり」という漫才師がいた。現在活躍している「大木こだま・ひびき」では無い。

「大木こだま・ひかり」は日本テレビのオーディション番組「お笑いスター誕生!!」(1980〜1986)という番組に出ていた。

毎週日曜の正午過ぎからやっていた番組だ。「B&B」「とんねるず」「シティボーイズ」などを輩出している。

毎週ネタをやって、10週勝ち抜くと日本テレビが責任を持って売り出してくれる。

桜田淳子や山口百恵、ピンクレディーを生み出した伝説のオーディション番組、日本テレビの「スター誕生!」(1971〜1983)の「お笑い版」だった。

この番組で「大木こだま・ひかり」は10週勝ち抜いた。

ところがである。10週目の番組の放送直前に「ひかり」が覚醒剤所持の容疑で逮捕されたのである。

失礼な事を書く様だが、「大木こだま・ひかり」の漫才は、現在の「大木こだま・ひびき」の漫才より圧倒的に面白かった。その漫才は奇跡だった。

二人の漫才は今となっては見る事は出来ない。多分、日本テレビのライブラリーに保存されているのだろう。10週勝ち抜いた回を見たい。

もう1組、僕の印象に強く残っている女性漫才師がいる。

「メンバメイコボルスミ11」(1985〜1988活動)

本当に低いテンションで、「やっている本人たちは全く笑わない漫才」。他とは一線を画し、とっても斬新な漫才だった。

「夢路いとし・喜味こいし」「(旧)Wヤング」「海原千里(今の上沼恵美子)・万里」等、素晴らしい「しゃべくり漫才」はたくさんあった。

関西で育った僕は子供の頃から土日の午後、そんな漫才を楽しみに見ていた。

大阪という土地が生み出した「上方しゃべくり漫才」。その伝統を継承する若い漫才師が現れる事を切に願う、今日この頃。

「芸人が出まくっているバラエティー番組」ばかりでは無く、「本芸」で勝負して欲しい。

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