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■親の人生を受け取る、最後の対話
精神分析の祖、フロイトは、親の死は〈理解と説明のしがたい感情〉を呼び起こすものである、と言っているが、人は、皆、喪(うしな)ってはじめて考え始める。
「親とは、自分にとってなんだったのだろう」と。
親は、自分の命を生み出し、自分が今、ここにいることに深くつながる存在だ。にもかかわらず、謎にみちていて、実は、親のことなどなにも知らなかった、との思いに打ちのめされたりする。
フロイト研究で知られる本書の著者、リディア・フレムもそう。父亡き後、一人暮らしをしていた母を亡くし、両親の残した家を丸ごと片づける、という場面に直面し、彼女は、戸惑い、混乱する。
なにしろ、立ち入ることの許されなかった親の人生の痕跡があらゆる物にしるされているのだ。
母の美しい手縫いのドレス、著者が生まれた時の入院費、電話代の領収書などなど……。ナチスドイツのユダヤ人強制収容所から生き延びた過去を背負う母には、「自分の安否を伝える小さな紙切れ」という遺品もある。
その親から愛された記憶、愛されなかった記憶が蘇(よみがえ)る。誤解を繰り返してきた母と娘の関係の傷が痛みだす。
喪失感、罪悪感、解放感……、著者は、親の家を片付けるという困難の前で途方に暮れ、自問自答のごとくあふれ出てくる言葉を次々と吐き出していく。
著者のこのごく私的な体験の言葉が、読者の「親を喪った」日を思い起こさせる。当時の波立つ感情や苦痛が共振してくる。
喪失の苦痛や混乱は、言葉にすることで整理され、癒やされる感情だ。その意味で、遺品の整理は、親が子どもに与えた最後の対話の時間なのかもしれない。
この時間を経てこそ、苦しみも謎も含めて、親の人生をありのままに受け取っていける。それは自分自身を受け入れ、新しく旅立つために必要な儀式でもあるのだろう。
母の遺(のこ)した揺り椅子(いす)に座り、母の人生の謎に思いを馳(は)せる、そんな時間を私も著者から贈られた気がした。
◇
友重山桃訳/Lydia Flem ベルギー在住のフランス人。精神分析学者。
(朝日新聞より引用)
うちの父方のおばあちゃんが亡くなった時、彼女の若い頃(大正時代か?)の写真が数枚出てきた。おばあちゃんが何故その写真をずっと持っていたのか、僕の両親がその写真をどうするのか、二つの疑問が生まれた。後者は、「多分、処分したと思う」である。前者はおじいちゃんがおばあちゃんの亡くなる30年位前に亡くなっているので永遠に分からなかった。不思議な体験だった。
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