お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「サンダー」つながりで、「サンダー杉山」のことを思い出した。

2007年02月15日 | 健康・スポーツ
サンダー杉山(さんだーすぎやま)のリングネームでの活躍で最も知られる杉山恒治(すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は日本のプロレスラーである。新潟県糸魚川市出身。身長178cm、体重125kg(現役当時)。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功していた。

経歴
東海高校から同志社大学に入学し柔道部に所属していたが、1年の終わりに部を去る。中京大学の部にコーチ兼特待生としてしばらくいた後に、2年の進級時に明治大学アマチュアレスリング部に編入した。明治大レスリング部入部10日後に開催されたローマオリンピック最終予選でいきなり優勝を飾るが、経験不足を理由にオリンピック出場はならなかった。その後、ヘビー級の選手として全日本学生、全日本選手権を制覇し、東京オリンピックに出場。1965年にアマレスのエリートとして日本プロレスに入団し斎藤昌典(現・マサ斉藤)、グレート草津と共に「三羽烏」と称された。

1966年3月4日に本間和夫戦でプロレスデビューを果たしたが、新団体の国際プロレス旗揚げに参加する為、同年の夏にグレート草津と共に移籍した。国際プロレスで必殺技の雷電ドロップを武器に日本人として初めてビル・ロビンソンを破ってIWA世界ヘビー級王座を獲得するなど看板選手として活躍し、1972年には全日本プロレスに移籍。1973年に一度現役を退くが、1976年古巣の国際に復帰して、1978年から新日本プロレスにも参戦した。

現役引退後は『おはよう!こどもショー』に出演するなどタレント活動の後、名古屋で「サンダー杉山コーポレーション」を創立し、飲食業や自動販売機設置などの経営者として実業界でも成功した。また全日本プロレスは名古屋興行の際に選手の宿舎として杉山経営のホテルを利用していた時期もあった。

しかし、現役時代から患っていた持病の糖尿病が悪化し、肝臓病や胃がんも併発。入退院を繰り返すようになり、両足切断にも追い込まれた。しかし病室からメールで業務指示を出し、ビジネスへの情熱は最後まで衰えることはなかった。2002年11月22日に入院中の病院で心不全により死去。享年62。

丸っこい体格から繰り出す雷電ドロップの印象が強く、パワフルでユーモラスなファイトスタイルと捉えられることが多いが、アマレスで鍛えた素地は非常に高いレベルにあったといわれ、ビル・ロビンソンも好敵手の一人として杉山の名を挙げている。

得意技
雷電ドロップ(ヒップドロップ)

獲得タイトル
IWA世界ヘビー級王座
TWWA世界タッグ王座(&豊登)



テレビで、名古屋で実業家として成功したサンダー杉山さんを見た記憶がある。もしかしたら、「糖尿病」で足を切っていたかもしれない。御冥福をお祈りします。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サンダーバード2号の椰子の... | トップ | 日本テレビ、確か休みの日の... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (デザイン~お洒落ふぁくとりぃ~)
2007-02-15 18:14:48
こんにちわ。もしデザインアイテムに興味が有れば是非お立ち寄りください。
返信する

コメントを投稿