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ある技術さんからの「定年退職の葉書」。

2006年04月09日 | テレビ
僕がディレクターデビューした1985年頃、「技術」の人達は40代で、「技術打ち合わせ」はとても怖かった。
「○○がしたいんですが・・・」と僕が言うと、TD(テクニカル・ディレクター)が、「それをすると『逆光』になるからアカン。俺たちは『CMが生だった時代』から、テレビ作っているんやぞ」とケチョンケチョンに怒られた。

昭和30年代に開局した時、たくさんの人間を採っているので、新たに定期採用が始まったのは、僕達の入社より4年前から。
だから、ディレクターが20代で、技術さんが40代という構図になってしまったのだ。こちらは一人。技術さんは、カメラ・音声・VE・照明とたくさんいるので、なかなか、「技術打ち合わせ」で喧嘩できる雰囲気では無かった。

しかし、うちの局の旧社屋は、5階が「制作部」と「制作技術部」になっており、深夜、番組が終わってから、新人ディレクターは「制作技術部」の先輩達のところへ行き、一緒に酒を飲みながら、今日の番組の「良かったところ」「ダメだったところ」等、いろいろ話をしてくれた。やがて、ディレクターの経験を積む事で、仲良くなり、僕が「技術的にかなり無理な事」を言っても、「一生懸命、できる方向」で考えてくれる様になっていく。

ロケなどの下見の時に大切なのは、ちゃんと「夜、美味しいお酒が飲める店」を見つけておく事。これが鉄則だった。
「おい、○○(僕)。今日の晩飯はどこや」と絶対ロケの当日、訊かれるからである。

何故、こんな事を書いたかというと、その「技術さん達」が定年を迎え、どんどん辞めていく時期になっているからである。その中の一人で、大学の先輩でもある「技術さん」から定年退職の挨拶状が届いた。この人はスイッチャーとVEを当時やっていたのだが、僕は、そのスイッチングが大好きだった。そして、大阪・ミナミのスナックへ遊びに行って無茶くちゃな事をしていた。それが楽しかった。

「男女雇用均等法」が施行される前で、「制作部」にも「制作技術部」にも、女性はほとんどいなかった。「男と男の付き合い」である。

今、女性ディレクターも増え、女性のカメラマン・照明助手などもいる時代。番組の数も20年前とは格段に増えて、僕達が経験した「制作技術」に育てて貰うという事は減っているのでは無いかと思う。新社屋になり、「制作部」と「制作技術部」のフロアーも違う階になったし。
当時のTDさん(制作技術チームのボス)3人は鬼籍に入られた。そのうちの一人の方とはよく徹夜で麻雀をしたものだ。TDさんは負けていると、僕達を帰してくれない。麻雀が強ければいいのだが、しばしば24時過ぎても「負けている」。だから、結局、徹夜になるのだ。

「有り難うございます」と当時の技術さんに言いたい。あの場で、鍛えてくれたお陰で、僕は僕なりに頑張って来れたと思う。入社して、20年「番組制作」をやり、いろんな人達と出会った。
一枚の「葉書」がディレクターになった当時の「熱い思い」を蘇らせてくれたのである。


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