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フリン先生、ありがとうございます。

2007年03月11日 | 教育・学校
昨日、西武新宿線の「武蔵関駅」から歩いて5分くらいのところにある、我が恩師・フリン先生がお住まいの施設に六甲高校の17.23.29.35.41期生、総勢約30人で伺った。フリン先生は今年87歳。数えで言う「米寿を祝う会」に出席させて貰ったのである。

先生は中一から高三まで6年間、担任を受け持たれ、それゆえ6年跳びの卒業生が先生のお世話になっているのである。僕が中学に入学したのが昭和47年(1972年)・・・という事は、いちばん最初にアメリカから来日されたフリン先生に教えて貰った17期の方々は昭和29年(1954年)に先生と出会っておられる事になる。映画好きの僕的には『七人の侍』『二十四の瞳』『ゴジラ』が公開された年。

フリン先生の出身地は、ナイアガラの滝に近いアメリカ・バッファローである。昭和29年に「六甲学院」に赴任され、僕らの卒業後、福岡の「泰星高校」、そして、記憶に間違いが無ければ、「萩教会」「津和野教会」「山口教会」で、学生の指導、カトリックの布教を続けられ、3年あまり前から現在の施設におられる。神父はプロテスタントの牧師と違って、妻帯できない。リタイアした神父の方々はフリン先生が現在おられる様な施設で余生を過ごされるのである。

昨日、先生は1時間あまりの間、終始ニコニコと笑みを浮かべ、体調も良さそうだった。とてもとても安心した。ただ、認知症的症状は進んでおられ、教え子が語りかけても、誰だかは分からない様である。ただ、「六甲の校歌」をみんなで歌った時、口ずさまれていたのが印象的で嬉しかった。

在校していた時は、六甲山での飯盒炊、アイススケート、夏休みの一週間かけたサイクリング(神戸→姫路→小豆島→高松→鳴門→洲本→神戸)などに連れて行ってもらった。特にサイクリングの途中の小豆島で僕が事故を起こしてしまい、先生にはとてもお世話になった。そういう意味でも、先生には「無償の愛」を教えて頂いたと思っている。不肖の教え子、それをどこまで実践できているかは・・・

フリン先生は、現在でも「栄光学園」「六甲学院」「広島学院」「泰星学園」ほか、多くの私立中学・高校で使われている英語の教科書「Progress in English」の著者でもある。

先生を囲み、24年に及ぶいろんな世代の方々と話をできる機会に参加できた事は良かったと思う。先輩の幹事の皆様、ありがとうございました。そして、フリン先生がこれからも健康でありますように。

先日映画館で久しぶりに観た『二十四の瞳』。僕は上映中、滂沱の涙を流し続けていた。恩師を持てた幸せ・・・それは何物にも変え難い幸せな事だと再認識した。


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