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アグラ〜ウダイプール〜ムンバイ

2020年04月15日 | 旅・外国
タージマハルで有名なアグラ。この街は、観光都市でもある事から治安が非常に悪い。夜、ホテルから外出するのは厳禁だ。身ぐるみ剥がれかねない。また、この街では、観光客とリキシャの支払いのトラブルがとても多い。リキシャには、タクシーのメーターの様なものは付いていないから、まず乗る前に金額の交渉をしなければならない。金額が決まったら、その額を紙に書き、もう一度、運転手に確認。そして、リキシャに乗り込み、支払いの時、先程支払い金額をメモした紙を見せ、お金を支払う事になる。

 

黒色の看板があるお店があり、美味しそうなパンが焼き上がる匂いがした。

お店に近づいて行くと、黒い看板がかすかに動いている。これ、ハエの集合体であった。また、さとうきびをその場で絞ってジュースを作ってくれる屋台があり、このジュースはひたすら美味であった。

ここで「インドの買い物」について書いておこう。


インドでは一つの物を買うのに三十分位の時間は十分かかる。というより、それくらいの時間をかけないと「適正な価格で商品が買えない」のである。

お土産物屋に行ったとしよう。ある商品が欲しくなり、値段を聞く。200ルピーと店の主人に言われる。こちらはすかさず30ルピーと言う。主人はありえないと英語で叫ぶ。私は「他の店を見て来る」と、店を出る。後ろを見ずにしばらく歩いていると、かならず店の主人が追いかけて来る。

「150ルピー。これ以上は負けられません(Our Last Price)」と私を店に連れ戻す。

いやいや「50ルピー」と私。

「他の店を見て来ます」

また、店を離れ、他の店に行こうとする私。

またまた追いかけて来る主人。

「120ルピー」

交渉が成立した80ルピーになるまで、こんな事を繰り返すのである。もともと商品には、観光客向けに現地価格の2~3倍の価格が設定されているから、80ルピーでも儲けになる。

どんな商品を買う時も「この手続き」が必要なので、買い物にはすごく時間がかかったのを憶えている。

タージマハルは王様が亡くなった王妃の為に作ったお墓である。世界遺産。

完成後、ガンジス川を挟んだ向かいに王様自らの墓を建てようと計画していたがその夢が叶う事なく、亡くなった。

アグラに泊まっている時、添乗員のラジプットさんから朗報があった。ウダイプールで明日泊るホテルがレイク・パレス・ホテルに決まったというのだ。このホテルの予約は本当になかなか取れないらしい。本当にラッキーだ。古代マハラジャがその財力を使って、湖の中に建てたホテルなのである。ホテルは湖岸からボートに乗って行く。

ホテルの中庭には噴水、客室のフランス窓の下を見ると眼下が湖水である。

「007/オクトパシー」にこのホテルが出てくる。

ウダイプールに移動し、観光に行こうと思っていると、先輩のFさんの下痢が止まらなくなった。熱もあるようだ。フロントに頼んで医者を呼んでもらう。

医者の診察が終わり、処方箋を書いてもらい、私がボートに乗り、湖岸の街へ薬を買いに行く。インドではポピュラーな、ポカリスエットの粉末の様なもの。

それをホテルに帰って来て、お湯に溶かしてFさんに飲んでもらう。後はベッドに横たわり安静を保つ。私もこの二日後、下痢に悩まされた。原因は道端で食べたリンゴらしい。

インドには公衆トイレがほとんど無い。インドの農村では家にそもそもトイレが無く、朝、国道沿いに老若男女のお尻が並ぶ。

朝、ホテルでちゃんとトイレでしていくのだが、ツアー中でトイレに行く事がなかなかできないのである。

しかも、添乗員のラジプットさんとF先輩、そして私三人のツアーゆえ、ラジプットさんの説明を真剣に聞く必要があるのだ。これが30人位のツアーだと、他のものを見ていようが、添乗員さんの話を聞かずにいようがとがめられる事は無い。

観光スポットにはさすがにきれいなトイレがあるのだが、次の観光地やホテルへの移動中の車内では、振動で便が出ないように腰を浮かしながら車に乗っていた。

 

旅の最終目的地は、ムンバイ。イギリスの植民地の名残りを色濃く残し、ニューデリーと違って、高いビルも多い。

この街で見つけた不思議なもの。タクシーのメーターが運転手と逆サイドのボンネットの上にあったのだ。そうするとどういう事になるかというと、お客さんが乗り込んだ時、運転手が運転席を出て反対側に回り、メーターを倒す。支払いは運転手が再び運転席から反対側に回り、メーターを止める。なんとも面倒くさい。

いよいよ、インドから日本に帰る日。ラジプットさんと私たちはムンバイ空港に向かう。エア・インディアのカウンターで手続きをしてくれるラジプットさん。

私たちの所に戻って来て・・・

「塔上予定のエア・インディアの機材(飛行機)が成田空港を24時間遅れで出たので、明日の今頃、カウンターに来て欲しい」

という。

「えーっ」と驚く私たち。

「今晩のホテルはエア・インディア持ちで手配済です。ただ、私はこれからニューデリーに次のお客さんを迎えに行かないといけないので、明日のチェックインはおふたりにお願いします」

とラジプットさん。

 

ホテルの部屋からホテルの電話交換手を通して日本の職場に電話をかける。かなり待ったが繋がらない。

ホテルでの夕食。食べ終わったところで、生バンドの演奏が始まる。

私はボーイにチップを渡し、「misty」をリクエスト。お酒を飲み、いい気持ちになる。

部屋に戻り、日本へ電話。何度しても繋がらないので、電話交換手に関西弁で怒りの声をあげたら、すぐ繋がる。インドの人にも「怒っている」という感情はすぐ伝わったのである。会社に出社が1日遅れる事を伝えられた。

安心して就寝。忘れられないインド旅行になった。

 (1985年)




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