お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

岡田有希子・・・AD時代、グラマーな子だなぁ~と思っていた。亡くなるなんて・・・

2008年01月21日 | テレビ番組
「FOCUS」の写真が生々しかったのをはっきり憶えている。僕はある生放送の番組のフロアー・ディレクターで彼女と会っている。胸の大きい子だなぁと若い僕は憧れた。でも、当時、アイドルは近寄りがたいものだった。M・Kさんにふられてたのが自殺の原因との噂もあり、それを峰岸徹さんが被ったといろんな人から聞いた。都市伝説なのだろうか。四谷の「サン・ミュージック」の前を通る度に、彼女のこと思い出す。亡くなった人は、その年齢で止まってしまうのだろうか・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=uEcbqiuFqCU

http://jp.youtube.com/watch?v=67Qf9yxviAs

http://jp.youtube.com/watch?v=_2l_rXntsT4
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤博一さんが肺がんで死去

2008年01月21日 | エッセイ・日記・意見
 俊足巧打でプロ野球の阪神、大洋(現横浜)などで活躍した加藤博一(かとう・ひろかず)氏が21日午後0時54分、肺がんのため神奈川県横須賀市内の病院で死去した。56歳。佐賀県出身。通夜は1月23日(水)午後7時、葬儀・告別式は1月24日(木)午後1時から延命寺(神奈川県逗子市逗子3の1の17)で。喪主は妻晴代(はるよ)さん。

 1970年に佐賀・多久工高(現多久高)からドラフト外で西鉄(現西武)に入団。76年に阪神へ移籍し、80年にはリーグ5位の打率3割1分4厘をマークした。83年に大洋に移ると、快足の高木豊選手、屋鋪要選手とともに「スーパーカートリオ」を結成。86年にはプロ17年目で初めてオールスターゲーム出場を果たした。

 90年に現役引退後は野球評論家として活躍した。

 ▼野球解説者で元阪神の江本孟紀氏の話 昨年11月にお見舞いに行った時には、4月までには治して仕事を頑張ると言っていた。解説でも一緒にやってきて、思い出はいっぱいある。早いよな。
(スポーツ・ニッポンより引用)


加藤さんとは、番組をやっている。もう12年以上前だが、当時の世界情勢の中で特に注目されていた「ボスニア・ヘルツェゴビナ問題」を生放送で解説して貰う為に打ち合わせの為、逗子の高台の御自宅まで御邪魔して、千葉大学の先生に僕が教えて貰った事を、僕が加藤さんに教えた。優しい人だった。笑顔が印象的。
今、「NEWS ZERO」で加藤さんの訃報に接し、とてもショックを受けている。


加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 2008年1月21日)は、佐賀県多久市出身のプロ野球選手(外野手)、野球解説者。右投両打。


来歴・人物
多久工業高等学校(現・佐賀県立多久高等学校)から1970年、テスト生で西鉄ライオンズに入団。二軍暮らしが続き、公式戦の出場は1972年の3試合にとどまった。

1976年に阪神タイガースに移籍し、レギュラーに定着。1979年に阪神と因縁のある江川卓に強い男として売り出した。プロ入り後の初本塁打も初登板試合の江川から打ったものであり、翌年を含めて江川から3本の本塁打を放っている。

1980年、打率.314で打率ベストテンの5位に入るとともに広島東洋カープの高橋慶彦と盗塁王争いを演じ、阪神から1956年・吉田義男以来の盗塁王誕生かと思われたが、高橋の38盗塁に及ばず34盗塁でタイトルを逃した(阪神の盗塁王はその後世紀を超えて赤星憲広が出現するまで誕生しなかった)。

1983年に横浜大洋ホエールズに移籍すると、2番打者に定着し、1985年には近藤貞雄監督の下、高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成。3人で3ケタの148盗塁を記録し、個人では48盗塁とリーグトップの39犠打を記録した。1986年には17年目で初のオールスター出場を果たす。目立った数字は残せなかったものの、そのキャラクターでファン、選手に親しまれ、1990年まで21年間の現役生活を送った。

現役時代から「面白いキャラクターの野球選手」として有名で、プロ野球界オフの主役としてプロ野球ニュースなどにたびたび登場していた。大洋時代に同じ阪神OBである江本孟紀も出演するテレビ番組で「第二の江本孟紀を目指す」と繰り返し、江本がテレて苦笑する中で、阪神時代から旧知の島田紳助に『加藤さんの場合は、江本さんではなく、第二の板東さん!』と芸人としてのツッコミを受けたことがある。

1991年よりフジテレビの野球解説者を務めた。

短距離ヒッターであり、小細工のきくタイプであるが、意外と大柄で180cm近くある。また、前述のように江川卓を比較的得意としており、時折打ち崩して存在をみせつけていた。

2008年1月21日午後0時54分、肺癌のため横須賀市内の病院で死去。享年58(56歳没)

家族によると、2年前に肺がんと診断され、がん治療のため入退院を繰り返しており、2007年2月には左肺を摘出していた。その後は回復し、すぽると!やCSプロ野球ニュースなどで活躍していたが、左足大腿骨に癌が転移し、2008年1月に容態が悪化していた。


エピソード
西鉄時代初期、薄給で食うにも困る経済状況ゆえシーズンオフに靴問屋の整理作業から飲食店のカウンターなどまで各種アルバイトをして糊口をしのいだ経験がある。(現役時代後年テレビ番組で明かした)
西鉄時代、初打席が対南海戦であった。捕手の野村克也に、野村:『若いね、いくつ?』、加藤:『20です。』と答えた瞬間にど真ん中にストライクの球が来たが、緊張のあまり手が出なかった。しかし、後日、同じく南海戦で打席で屁をかましてしまい、捕手の野村、球審まで手で仰ぐほどの臭さだったという(フジテレビ系『笑っていいとも!』テレフォンショッキング本人出演時より談)
タレントの才能は古くから有名で、阪神時代のオフの納会などには、ピンクレディーの形態模写をやってチームメイトの人気を集めた。選手時代晩年は、フジテレビの「プロ野球ニュース」でレギュラーコーナーを担当していた。
1981年の阪神ファン感謝デーでは、阪神甲子園球場で福間納や似鳥功(打撃投手)らとともにイモ欽トリオの形態模写を披露して、阪神ファンの人気を不動のものとする。大洋移籍後も阪神ファンの人気は変らず、1985年のシーズンで阪神が優勝に近づく頃に、多くの阪神ファンから「胴上げまでにまだ間に合うでえ、加藤!早よ(阪神へ)帰ってこい!」との声援を多く見受けた。同じ阪神から移籍した江夏豊や田淵幸一らとは違う声援を阪神ファンから受け続けた『阪神OB』の現役選手だった。現役引退後も関西のテレビ番組等では『阪神OB』として出演している。
高校時代は中堅手だったため、西鉄での入団会見では「背番号8をつけるまでやめない」と宣言、阪神時代の1981年に実現した。前任者の島野育夫からは「ケガする番号だからやめたほうがいい」と言われ、掛布雅之からも「32で結果を出したんですから32が加藤さんにとって一番いい番号なんじゃないですか?」と助言されたものの、プロ入りしてからの夢だったので32から変更したところ、島野の言うように怪我をしてしまった。加藤の後に、阪神で背番号8を受継いだ選手は吉竹春樹、田尾安志、久慈照嘉、本西厚博、佐々木誠、沖原佳典らと移籍か期待に応えられずに早々に引退している選手が多く続いている。なお、久慈の阪神復帰後の背番号は32で、本西も阪神在籍時は32→8だった。
なお現役時代、加藤は75→67→35(以上西鉄・太平洋時代)→32→8(以上阪神時代)→22→44(以上大洋時代)と7つの背番号をつけていた。大洋時代にフロントから「22番を銚子利夫に譲るから」と打診を受けた時に「背番号をルーキーに取られるぐらいなら引退する」と激怒したが、数日後には持ち前のプラス思考で「背番号を倍にしたら成績も倍になるかもしれない」と考え、44への変更を了承した。
ちなみにベースボールマガジンで背番号について関本四十四と対談した時には、「自分は44を『ヨイヨイ』と読んでいたが、ファンからは『シッシッ』と追い払われた」「背番号を22の倍の44にしたら成績が上がったから、今度背番号をその倍の88にしたらコーチにでもなれるかなと思っていたら、行き先が8チャンネル(=フジテレビ)だった」と笑いのネタにしていた。
大洋・横浜のファンであるやくみつるは後年、「スーパーカートリオ」の他の二人を引き合いに出して、加藤を堅実で信頼感のある選手であったと述べている。
大洋時代の1983年6月4日阪神戦(横浜スタジアム)、岡田彰布の左中間へのフライを追ってレフトの長崎啓二と衝突。この時長崎の顔面と加藤の顔面がぶつかったのでプロ野球珍プレー好プレー大賞では「空中キッス」と呼ばれ珍プレー大賞を受賞した。なお、受賞したのは加藤だけである。
後輩である掛布が東北楽天ゴールデンイーグルスの監督オファーを受けたように報道されたがその後田尾安志監督を発表されたことについて、田尾監督が解任された後にCSプロ野球ニュースにて「掛布は楽天の取引先である三井住友銀行の西川善文頭取とも会わされ、三木谷浩史オーナーと1週間後に会って翌日発表と決まっていたが、1週間経たないうちに田尾監督を発表した。楽天はおかしい」と問題提起した。
島田紳助・KONISHIKIとは古くからの親友として知られ、紳助からは「世界の福本(豊)に対し、町内の加藤」とよく言われた。
髪型は現役時代からパンチパーマだった。
打席でのヒッティングマーチは「蒲田行進曲」。加藤が代打に告げられた時のスタンドからの「ひろかずコール」は名物であった。現在では珍しくなくなった選手名連呼コールのはしりともいえる。加藤は、スタンドのファンがきっちり3回コールするのを待って打席に入っていた。
現役20年以上で「リーグ優勝」を1度も経験しなかったのは史上初である。
趣味は下駄の収集だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

工作の時代―「子供の科学」で大人になった

2008年01月21日 | 本・雑誌・漫画
工作の時代―「子供の科学」で大人になった (INAX BOOKLET)

INAX出版

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
大正13年に科学ジャーナリスト原田三夫によって創刊された雑誌『子供の科学』は、自然科学の入り口として子供たちに天文、動植物の生態、建築など科学のさまざまな分野の最先端を分かりやすく紹介してきました。また紙飛行機、ラジオ、モーターをはじめとする高度な工作図面を掲載し、実際に手を動かしてみることを通して、ものの仕組みへの興味や、より高度な知識、技術を求める子供の好奇心を刺激し続けています。
本書では、日本の技術を支えてきたかつての「工作少年」たちが高度経済成長期の工作を再現し、写真家・大西成明氏の撮りおろし図版で紹介。『子供の科学』が未来の大人たちに注いできたものづくりへの情熱を生き生きとクローズアップします。


それにしても、楽しそう。12月に出版されて、もう売り切れ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人妻魂

2008年01月21日 | 本・雑誌・漫画
人妻魂
嵐山光三郎
マガジンハウス

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
人妻→嫉妬→官能→不倫→離婚→再婚→流浪→心中未遂→自立→遊蕩→熟成→昼寝。
これぞ、究極の人妻すごろく。人妻はやっぱりステキです。
漱石、外、鏡花、芥川、安吾の妻、そして白秋の三人の妻、さらには与謝野晶子、平塚らいてう、林芙美子から幸田文、武田百合子まで、明治大正昭和を彩る人妻の波瀾万丈の人生。読み始めたらやめられない嵐山エンタテインメント文学史。近現代の有名人妻53人が勢揃い!


「人妻」という「響き」が「艶っぽい」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一簡単に自分を変える方法(CD付) ~言葉と声を磨く7つの習慣~

2008年01月21日 | 本・雑誌・漫画
世界一簡単に自分を変える方法(CD付) ~言葉と声を磨く7つの習慣~
白石謙二
フォレスト出版

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
■世界一簡単に自分を変える方法とは?

このページを見ていただきありがとうございます。
本書で紹介するのは、「世界一簡単に自分を変える方法」です。
これは安易な自己啓発の本ではありません。
本書は具体的に「自分を変える方法」をアドバイスしたものです。
この方法は、仕事・恋愛・家庭・友人などとの「人間関係」を大きく変えることができるからです。その具体的な方法を紹介します!

■欧米では常識! 声を変えるだけで、「話し方」「外見」「人生」が変わる!

それは、「声」を変えること。たったそれだけです。
声を変えると、まず「話し方」「外見」が大きく変わります。
話す声のトーンと大きさを少し変えるだけで、「好印象を与える話し方」になります!
話す声を変えるトレーニングをすると、普段使わない顔の筋肉を使うので、「表情」「若々しさ」「顔のライン」が大きく変わります!
そして、コミュニケーションにおける「話し方」と「外見」で好印象が与えられるようになると、人間関係が大きく変わります。だから仕事・プライベート両方でよい結果を出すことができるようになるのです。
実はこの方法は欧米では常識となりつつあるのです。

■日本に数少ない現役ヴォイスティーチャーが最強の習慣術を初公開!

著者は現役のヴォイスティーチャーです。
欧米ではもはや当たり前になりつつあります。アメリカの大統領や有力政治家はヴォイスティーチャーをつけて、声や話し方、自分の見せ方について指導を受けています。
著者は、日本に数少ないヴォイスティーチャーとして現役のモデル・芸能人・政治家・弁護士・医師・会社経営者・セミナー講師・学校教師・営業マンなどに対して「話すための声」を指導しています。
その著者がはじめて書いたビジネス書『言葉と声の磨き方』はamazon.co.jpで07年上半期ビジネスBooksランキング第4位を獲得しました。
本書では前作とは違った方法で「印象・評価」を変える方法を初公開しています。
それが「言葉と声を磨く7つの習慣」です!
CD付きだから、誰でも使えます!

■前作『言葉と声の磨き方』の読者の声

ここで、前作『言葉と声の磨き方』を読んだ方の声をご紹介したいと思います。

「声だけでこんなに変われるとは思いませんでした。
声の出し方でその人の印象がそれほど変わるとは知らなかった私は、これまでいくつもの大切な場面でかなり損をしていたことに気づかされ、悔しく、また恥ずかしくなりました。
この本を読んでからは、常にどの声を使って話すべきかを考え、自信を持って発声するように心がけるようになり、それが本当の自信を呼ぶという好循環が生じるようになりました。 もっと早くこの本に出会っていたら、間違いなく今とは違う人生になっていたと思います」

など、多くの声をいただいています。

■こんな人に読んでもらいたい

自分に自信がない人
話し方を勉強したけれど、うまくいかなかった人
自分の話し方・声が嫌いな人
人前で話すのが苦手な人
いい仕事・いい恋愛をしたい人
新しい自分を見つけたい人

著者について
白石謙二
(しらいし けんじ)

現役ヴォイスティーチャー
株式会社パワフルヴォイス代表取締役
株式会社ヴォイスワークス代表取締役

これまでなかった「話すため専門のヴォイストレーニング&ティーチングを行う」青山ヴォイスメイクアップアカデミーを立ち上げ、現在に至るまで、有名モデル・芸能人・政治家、検事、弁護士、医師、会社経営者、通訳、コーチ、セミナー講師、営業マン、企業研修担当者、電話オペレーター、スチュワーデス、モデル、お坊さん、板前、メイクアップアーティスト、ダンスインストラクター、ウォーキングインストラクター、受付、美容師、など多種多岐に指導。
また俳優、声優、ナレーター、リポーター、司会者、コンパニオン、TVショッピングナビゲーターなど話すプロの指導経験も豊富。
人見知り、引っ込み思案の人も馴染んでしまう包容力と愛嬌で人気。
自身もラジオ日本『土曜日曜競馬中継』でのCMナレーション、『ニュース&ミュージックスタンド』『アコースティックアイランド』での番組紹介ソング担当、NHK『いっとろっけん』、CX『めざましテレビ』出演、J-WAVE『WAKE UP TOKYO』、TOKYO FM『WONDERFUL WORLD』、ニッポン放送『森永卓郎と垣花王の朝はニッポン一番ノリ!』などテレビ、ラジオ、雑誌などメディアに多数登場。
著書に『言葉と声の磨き方』(フォレスト出版)がある。


47歳・・・「変わるべきか」「変わらないべきか」・・・後者に傾いてきている今日この頃。もう僕でいいじゃないか。自然に行動しようと思う。人にどう思われようとも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンスピ魂

2008年01月21日 | エッセイ・日記・意見
ペンスピ魂
1週間編集部,PenDolSa
講談社

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
世界最大にして最強のペン回し団体、韓国「PenDolSa」完全独占取材敢行
PenDolSa所属、2007年第一回世界大会覇者であるKTHの神技をあますところなく収録しました。
世界29万人を超えるPenDolSa会員のトップ、shark、Cloud Travelerも本書製作に完全協力。
全105技からなるペン回しの技体系はもちろん、KTHのフリースタイル撮りおろしにも成功しました!
本書の説明と合わせて、超わかり易い動画解説DVD70分も同梱。
動画と写真で世界一の技を盗みまくってください。

「世界一になるチャンスは誰にでもある」世界チャンピオン・KTH
「人気者になりたいなら、コレを見ろ!」PenDolSa内ランク1位・shark
「動画を見ながら練習するのが一番の上達法」世界大会で健闘・Cloud Traveler


こういう事がとても苦手な僕。憧れる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときどき意味もなくずんずん歩く

2008年01月21日 | 本・雑誌・漫画
ときどき意味もなくずんずん歩く (幻冬舎文庫 (み-10-2))
宮田 珠己
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る



「意味もなく歩く」と、いろんな事を考える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする