鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

本当に惜しいことを、

2019-03-16 14:50:41 | 思いつくまま

   

   

 きょうは朝方こそ冷え込みましたが、その後は順調に気温も上がり、午前11時22分には11.9度まで上がりました。 風もあまりなく、陽射しがあり明るく、申し分のない3月16日土曜日というところでしょうか。

 

 もうサッカーのJ1リーグ戦は始まっています。ベガルタ仙台はさっぱり勝てません。そこそこいい戦い方はしているのですが、それでも勝負の世界では結果的に勝たなければ意味がありません。今度は相性のいい鳥栖戦か、何とか勝って欲しいのですが。

 

 そしてあと2週間も経たないうちにプロ野球も開幕します。今年の東北楽天は、去年とは違ってそこそこいい線を行くのではないかと思って喜んでいたのですが、ここにきて則本が慢性疲労から来る肘痛で手術をして前半の出場は無理なようです。最初は寝違いからくる筋肉痛とかっていたのですが・・・・。

 

 やはり東北楽天の投手陣としては、則本と岸の二人がしっかりしてこそ何とか試合ができると思うので、美馬がどこまで頑張ってくれるか、辛島が好投してくれるか、そして藤平がどこまで進歩ししているのか、最後は松井裕樹ですね。まさか去年の二の舞はないともうのですが、しっかりと押さえてくれないことには勝ち続けられません。

 

 まあ打線の方は補強したこともあり、そこそこ打ってはくれると思います。やはり投手ですね、しっかりと試合をつくってくれないと・・・・。

 

 

 

 今午後3時頃です。久し振りに、本当に久しぶりにX-JAPANのCDを聞いています。ラジオやCDはBOSEの7万円のプレイヤーで聴いています。いつもは入っているCDはベートーベンンの第九が多いのですが、きょうは天気がいいから?X-JAPANのCDに入れ替えて聴いています。

 

 (分流沿いの梅は一生懸命咲いているのですが、なかなか咲き揃いません。やはり川沿いは寒いからなのでしょうか。でもとってもきれいです。)

 大分前のCDです、X-JAPAN BALLAD COLLECTION というもので、10曲が入っています。気に入ったのは Forever Love が2曲入っていて、2曲目の演奏はギターでの演奏というか伴奏です。 カッコして Last Mix と書かれています。

 

 私はこのギター伴奏による Forever Love が好きなのです。実際誰が演奏しているのかは分かりませんが、私は勝手に Hide が演奏(伴奏)しているものと思っています。オーケストラバージョンよりもこのクラシックギター(に聞こえるのですが)バージョンの方が、いつもというわけではないですが、時としてとっても深く訴えかけてくるのです。極論すると歌よりもギターのメロディが訴えかけてくるのがたまらないのです。

 

 Hide というともう何年前になるのでしょうか、”自殺”したということで、告別式には数万煮んのファンが参加し、しかも極めて整然と、他の人たちの迷惑にならないように静かに並び、Hideを偲び線香を手向けたということでした。道路の清掃までしたのでしたか?新聞の社会面で大きく報じられました。

 

  (分流沿いに咲いているこの花(木)は何だと思いますか?)

 この前といっても今年の始めか、去年の秋以降か全くはっきりしませんが、NHKのプレミアムかなにかでHideの特集を放送したことがありました。録画して見ました。ほとんどのことは覚えていませんが、なかでYosikiの言葉が忘れられず、いまでも覚えています。

 

              (巨大なネコヤナギの木でした。)

 Hideは自殺したのではない、首の筋肉の疲労をとろうとした、首筋を延ばそうとしてドアのノブにタオルをかけ自分の首にもかけたのだと。ということは自殺ではないということですよね。あれだけフル活動していれば心身ともに疲れはたまり、疲労回復のためにもいろいろ工夫していたのでしょうから。

             

 

              (密集して咲いているということか。)

 何にしてもすごい才能を持っていたミュージッシャンであったことは確かで、本当に惜しいことをしたものです。 そうそう彼の死後に発売されたCDも持っています。いろんなミュージッシャン達が演奏しているCDです。 hide  TRIBUTE  SPIRITS  です。GLAYや布袋寅泰、LUNA SEA が参加しています。

 


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どうなるのやら?

2019-03-15 16:21:41 | 思いつくまま

 

 

 

 きょうは最高気温が10度を超えました。10.1度が最高気温となるようです。最低気温は1.2度で、風も大したことなく、気持ちのいい一日だったといっていいでしょうか。 朝方は見渡す限り雲のない青空でした。その後は雲も出てきました。

 

 だから気温が下がった(下がり続けているのは、ブログのアクセス数です。)のかもしれませんが、それでも大したことはなく、朝の見守りに立ったときは4度前後の気温でした。 まあ子どもたちはとっても元気で、信号が変わると坂をものともせずに走ってきます。

 

 そうなると、大体は信号がピコピコしてストップということになるのですが、はあ~はあ~息を切らしながらも前を向いています。本当に子どもの内部に秘めたるエネルギーは素晴らしいと感心するばかりです。

 

 こちとらは躓かないように歩くことで精いっぱいなのです。河原の散歩をしている時にもちょっとした段差で前につんのめり、危うく転びそうになります。でも何とかトントントンと体勢を崩しながらも転ばないでいます。 

 

 

 悔やまれるのは去年の9月28日の河原での転倒です。躓いたのではなく、全く思いがけずに滑ってスッテンコロリでした。辛うじて受け身みたいなものはとれましたが、結局は左の小指を骨折したようで、今は固まってしまって真っ直ぐになりません。自業自得です、病院へ行かなかったのですから。

 

 

 小学校の卒業式は来週です。6年生や6年生と思われる子どもには、時間があれば卒業式のことを話したりもしました。またこの時期は異動の季節でもあります。折角親しくなった中学生ですが、とても人懐っこくて向こうからいろいろ話しかけてきて仲良くなったのに、今度千葉県に引っ越しだということです。

 

 (悠仁さまも「お茶小」を卒業しました。) 

 

 なんか淋しそうな姿でした。6年間仙台で過ごしたということです。入学・卒業、転入・転出お異動の季節ですが、引っ越しをするにも今は何かと大変なようですね。運送会社の経営も厳しいようで、何しろなり手不足です。便利さに慣れていく中で、何か大事なことが疎かにされてきたようです。

 これはコンビニにも言えますね。いつしかコンビニは24時間が当たり前で、住宅の周りに複数あってもおかしくないくらいに増えていますが、コンビニの経営は少しも楽にはなっていないようですし。コンビニの店長に聞くとまさに残酷物語です。

 今回の問題で、セブンイレブンは24時間営業でなくてもいいようにしたようですし、苦学高額のの賠償金も請求しないようです。前よりは少しは良くなったようですが、、本部による搾取という構造は少しも変わっていないようで、根本的な解決からは程遠いようです。

 個人的には、今回の問題でセブンイレブンは使わないようにしようと思い実行しています。もともとコンビニの利用はほとんど夏に限られていて、利用回数もとっても少ないのですが。

 

 いよいよ新元号の発表まであと2週間余ですね。「大化」から「平成」まで270余の元号が使われてきました。3月11日に新聞に元号一覧が載ってましたが、本当にいろいろあるものです。昔の人もいろいろ考えたのだなと思ってしまいます。日本人の知恵、智恵が籠められている感じです。

 

 今回は退位ということで、江戸時代以来今までなかったことのようでどうなるのか興味津々です。でも政権中枢では、独裁者周辺ではここでも独裁者への忖度が充満しているのではないかと思わざるを得ない感じがしています。

 今までは漢文からの選定が圧倒的だったようですが、独裁者の鶴の一声で、国文、漢文、日本史、東洋史という広範囲な分野から選定作業をするようです。ここには中国の文化からは採用したくないという魂胆がみえみえです。個人的には売国奴がいまさら何を言うかというところですが、選択の幅を広めたことで一番危惧するのは、もうお分かりでしょう、何を言いたいか。

 

 そうです、もしかしてもしかして「安」の字や「晋」の字がそれとなく潜り込まされているのではないかということです。そういう不安心配があります。何しろ有能な人が雲霞のごとくいるいう自民党で、独裁者の三選まで出てくるのですからもう何をかいわんやです。どこに有能な人材がいるのだと突っ込みたくなりますが。

 

 それで「安」の字が付く元号を拾ってみました。 天安・安和・治安・保安・久安・安元・仁安・安貞・正安・応安・慶安・安永・安政 と13もあります。 多いですねえ。 個人的には戦争のない時代が30年間も続いたということもあり、平成の「平」のつく元号も悪くないかなと思います。 天平(だけのものと、天平の下に2文字がついて合計4文字の元号が4つあります。感宝、勝宝、宝字、神護)・寛平・承平・平治・正平・平成 の6つあります。

 安心、安全、安寧 とは真逆の政策を実施している今の政権の独裁者の一文字の採用だけは何としても避けたいです。勘弁してほしいです。新天皇陛下にこれ以上失礼なことはありません。まさに昔の不敬罪に該当します。

 


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合格おめでとう!

2019-03-14 16:45:53 | 思いつくまま

 

 いやあきのうから風が強く、しかも冷たく吹き荒れていました。きょう日中も結構強い風が吹きました。 だから服装はすっかり冬のものに逆戻りです。 とくに首回りにはしっかりとマフラーを撒いて風の侵入をシャットアウトしないと。

 

 そうそう朝カーテンを開けたら、車の上にうっすらと雪が積もっているじゃないですか。余計に寒さが身に沁みます。まあ道路には雪はありませんでしたが。

 

 じつはきのう我が家では車のタイヤの交換をしました。正しくはしてもらったのですが。12カ月点検だったので、向こうから言われてとおりにラジアルタイヤを積んでいってついでに交換してもらったわけです。車は我が家の奥さんが持って行きました。 

 

 この頃車に乗るのは奥さんのほうが圧倒的に多いです。買い物が中心ですが。時々は送ってもらったりもしています。昔奥さんが、私も免許を取りたいと言ったときには、危ないからやめとけと言ったのに、今はいろいろと重宝しています。なんとまあ勝手なことでしょう。

 

 きょうの午前5時の気温は1.3度でした。きのうの5時は5.3度、おとといは8.6度もあったのです。きょうの最高気温が丁度8.6度のようです。すごい天気の変化ですね。こういう三寒四温を繰り返すから年寄りには困ります。

 

 困るといえば、みなさんはどうですか”花粉症”。 おとといか私はとうとう病院へ行ってきました。症状は鼻水が流れ放題、かってに出てきます、流れ落ちてきます。 でもま鼻水は咬めば何とかなります。

 

 どうにもしようがないのが、目のかゆみです。朝起きると痒くて痒くて・・・・。もう我慢できん!と眼科医へ行ってきました。目薬をもらい、ついでに鼻水用の噴霧薬も出してもらいました。 そのおかげで何とか我慢できていますが、すっかり良くなったというわけではまったくありません。

 

 まあそれでも毎朝時間がとれれば河原の散歩は欠かしていません。やはり一日に一回は川を、広瀬川を見ないと落ち着きません、一日が始まりません。川はいいですよ、何といっても。誰に言われるまでもなく?、毎日流れているのですから。 ゆく河の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、でしたっけ。

 

 川の流れと草や木、そして鳥たち、その上には白い雲、青い空、しかもいろんな自然の音が出向開けてくれます。みなさんもぜひ河原へ行きましょう。でもゴミは持ち帰ってください。

 

 

 きょう午後からある団体の会長会議があり、代理で出てきましたが、帰りの地下鉄に乗ったら向かいの席には親子連れが。 お母さんと息子のようです。最初お母さんが茶封筒を持っていましたが、程なく息子に渡しました。

                        

 丁度こちらがわに封筒の表が見えるように持ったので、少し見えました。 高校の入学準備用の封筒でした。入学準備物一覧と書かれて、その下に6段くらいに渡って持ち物らしき文字が書かれていました。

 

 その親子を見ていてとっても心が和みました。何か嬉しくなりましたね、こちらも。多分高校に合格したのでしょう。2人とも落ち着いていて、今までの苦労や努力が報われたという感じが静かに、しかし確実に漂っているかのようでした。喜びの輪が二人の周りを取り囲んでいるかのようでした。

                  

 春だなあ、春なのだと実感した次第です。

 

 おめでとうございます。


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強い風が吹いたりして、

2019-03-13 15:39:58 | 思いつくまま

 

 

      (午前9時頃。そういえばこの頃地域猫を見かけません。)

 

  (このままの水量が望ましいですね。)

 きょうはお昼までは最高の天気でしたね。気温の変化もきのうと同じように上がり続けました。最高気温はお昼過ぎに観測した13.2度のようです。

     

 

 でもお昼頃からとっても風が強く吹いたりもしました。この辺でも春一番というのかな、それは知りませんが、なんでも瞬間最大風速23.5メートルを記録したようです。今は風も止み、明るい日差しが差し込む陽気となっています。 空はどこまでも青いよりは、少しは白い雲があった方が風情が出ていいと思うのですが、みなさんはいかがですか。

 

     

 

 8年となる3・11を迎えましたが、今はまたマスコミ界は平常に戻りつつあるように感じます。でもさっき見た時事通信社のニュースでは、法務委員会では面白いことが起こったようです。記事を引用します。

 

 時事通信社  2019/03/13 14:45

 『 立憲民主党など主要野党は13日の国対委員長会談で、葉梨康弘衆院法務委員長(自民)が野党議員の質疑中に割り込んで発言したのは「質問妨害だ」として、謝罪と撤回を求める方針を決めた。応じない場合、解任決議案提出も検討する。

 問題発言があったのは8日の法務委。茨城県内の法務省施設整備費が東日本大震災の復興予算に含まれていることに関し、国民民主党の階猛氏が「いかがなものか」と山下貴司法相にただした。

 すると、茨城3区選出の葉梨委員長が唐突に、「茨城県も被災県だ。水戸の法務総合庁舎、全壊した、地震で」などと発言。階氏が抗議してもやめなかった。 』

 

 この自民党の葉梨委員長の発言をどう思いますか、どう理解しますか。委員長が質疑中に口をはさみ、しかも講義を受けても発言をやめなかったということは言語道断、あるまじき行為だと思います。きちんと謝罪すべきだと思います。

 

 でも私は大嫌いではありますが、彼の気持ちは分かるような気がします。前にも何回か書いているように私としては大きな被災を受けた宮城県に住む者として、東日本大震災では何かというと被災3県として「岩手・宮城・福島」が取り上げられますが、同じ宮城県に住む者としても大きな被害を受けることがなかった(不便は長期間にわたって味わいましたが)私としては常にどっちつかずの立場というか、自分を被災者として言っていいのだろうかという後ろめたさみたいなものが常にあります。申し訳なさということも感じます。

 

 そういう私が思うには、8年前の東日本大震災というと何かというと被災3県ばかりがクローズアップされることに他の県の人たちはなんか割り切れなさを常に感じているのではないかと思います。被害を受けたのは3県の住民だけではないという思いです。 またそういう気持ちは今後とも持ち続けていくべきものとも考えます。

 

 ただ、そのことを大声で言うか、自分や周囲だけの範囲で言うかの違いでしょう。この自民党の委員長は常日頃から3県だけへの特別な取り計らいに我慢がならなかったのでしょう。茨城県も当然太平洋に面していますし、大きな津波に襲われて人的物的な被害を被っていたでしょう。

 

 もっと局地的な震災地震津波であれば当然茨城県は大きく取り上げられたことでしょう。でも2011年3月11日の巨大地震、巨大津波では茨城県よりもはるかに多くの人的物的損害を受けた県が東北地方にあったのです。 いわば茨城県の被害はそれに隠されてしまったわけです。 それが常々委員長の気持ちの底にあり、今回そのことがマグマとして噴火してしまったということなのでしょう。

 

 そういう意味では葉梨という自民党の議員は自分に正直というか、率直になったとうことでもあるし、質問を聞いている内に自分の気持ちの中に溜っているマグマが我慢がならなかったのでしょうね。だから割り込んで発言をし、抗議を受けてもやめなかった、もういい出してやめられなくなったのかもしれません。 

 

 こういう気持ちを抱いている人はまだまだ一杯いるのでしょうね、そう思います。それだけ震災の規模が大きかったということになります。 そういう人たちの気持ちも今後大切にしていく必要があるように感じます。

 いつにもなく自民党の委員長の発言に、彼の内面の気持ちを慮ることによって寄り添うような内容のブログとなってしまいました。珍しいことです。でき得れば自民党の議員の発言でなかったらよかったのに・・・・。

 論調をガラッと替えます。

 今度は野党に不満です。「解任決議案」の提出も”検討”する、とありますが、提出すべきです。何でこうも弱腰なのか、歯がゆいです。何でもったいぶるのか?不可解です。納得できない、あまりに不合理である、一方的過ぎる、強権過ぎるというのであればどんどん解任でも不信任案でも提出するべきです。

 結果は自民党等の多数で否決されるでしょうが、それでいいのです、そういう事実が記録として残されればいいのです。後世の人が見ていかにひどい強権政治が行われていたのか分かるようにすべきではないでしょうか。

 

 分流沿いの梅も咲き始めました。

 


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あの日の食事内容

2019-03-12 17:18:05 | 思いつくまま

 

 きょうは暖かく申し分のない天気の一日でした。風もないです。驚いたのは朝5時の気温が8.6度にもなったことです。午前5時としては今年一番の高い気温ではないかな。その後も午後2時までは順調に気温は上がりました。ということで最高気温は午後2時1分に記録した14.2度のようです。

 

 広瀬川の水量はお陰さまで好ましいくらいに増水しています。このまま行くことはないのでまた水位は下るでしょうが、一進一退をくりかえして夏を迎えることになるのでしょうか。増えすぎても少なすぎても困るなんて贅沢な悩みなのでしょうけど。

 

 

 

 きのうのマスコミは3・11関連でいっぱいでした。テレビでのあの津波の威力は何度見てもぞっとします。気仙沼地方を襲ったあの真黒な津波は海底のヘドロ等を巻き込んで、海底を削りながら陸地を襲ってきたとのことです。あんなどろどろな津波に襲われ、巻き込まれたのかと思うと言葉になりません。

 ここであの日の前後の我が家の食事を振り返ってみたいと思います。私は例の新潮文庫の「マイブック」をその数年前から利用して、毎日の食事と毎日の生活の様を短歌に利用してきました。お恥ずかしながら当時を振り返って見ます。第2の職場で働いていました。

 前日2011年【3月10日】から。 朝食:玄米(大分前から玄米を食べるようにしていました。冷凍して作り置きしていました。)・味噌汁(あさり)・手作りジュース、昼食:弁当(白米)・カツフライ・厚揚げ・ほうれんそうのおひたし・ミニトマト・レタス・ブロッコリー、夕食:玄米・味噌汁(あさりと雪菜)・豚肉・おでん・グレープフルーツ・黄桃

 そして、【3月11日】はこうです。朝食:玄米・味噌汁(トーフとなめこ)、昼食は夫婦で外食しました。東北電力ビル地下の飲食店街で「七ツ森丼セット」(ラーメン・豚肉生姜焼き丼・きゃべつ・漬物)を食べました。880円でした。なぜ外食したか、それは14日から夫婦で香港マカオへ旅行するからでした。旅行用の靴を買いに出かけました。

 そして、午後2時46分は自宅で迎えました。そのあまりの長い揺れに夫婦とも家屋の倒壊、圧死を覚悟しました。2人とも1階にいたのですが、動けませんでした。

 3月11日の夕食は「パン」と書かれています。地震により電気とガスの供給が止まりました。ですがありがたいことに水は出てくれました。 11日の気温は最高気温は6.2度で、最低気温は氷点下2.5度でした。(8年後は、10.9度ー6.2度でした。何という落差)

 【3月12日】 朝食:ナン・インスタントスープ、昼食:パン・ジュース、その後バナナ、夕食:パン・おかゆ (電気と都市ガスは止まりましたが、我が家には古臭い石油ストーブがありました。マッチで点火できるストーブですが、これが貴重でした、重宝しました。電気や電池なしでもマッチだけで点火できるストーブは是非とも災害対策用に一つはあった方がいいと思います。  8年前の12日の気温は、8.8度ー氷点下1.1度でした。 今年は、14.2度ー6.9度です。

 【3月13日】 朝食:おかゆ・インスタントみそ汁・熱いお茶(敢てお茶と書くということは、よほどありがたかったからでしょうか)、昼食:カップめん・パン・バナナ半分、 そして夕方午後5時30分頃電気が復旧しました。 夕食:おかゆ玄米・インスタント味噌汁・豚肉・まいたけ・ほうれんそうのおひたし・りんご・バナナ・伊予かん、となっています。我が妻が果物等を買ってきたのか、もともと家にあったのか?超豪華な夕食となっています。  この日の気温は16.5度まで上がりました。最低気温は氷点下0.5度でした。

 【3月14日】 朝食:白米(在庫の玄米がなくなった?)・納豆(大好きです!!)・インスタント味噌汁、 昼食:おにぎり2個・インスタント味噌汁、夕食は、パエリヤ風ご飯・おひたし・味噌汁、となっていました。 当時の気温ですが、最高気温は19.6度を記録していました。最低気温は2.3度

 ひっきりなしに余震がありました。いつでも逃げられるように服を着たまま家族で雑魚寝風にして寝ました。でも我が家はとっても恵まれていました。被災されたみなさまには会わせる顔がないくらいです。いまでも我が家の住人は本当に被災者と言っていいのか?と申し訳ないくらいに感じています。 きのう改めてテレビで当時の映像等を見ると、本当にそう思ってしまいます。

 全てが甘かったです。何しろ11日現在というか12日でもですね、14日には仙台空港から香港マカオに行けるのではないかお夫婦で思っていたんです。馬鹿でした。いくら電気が止まってテレビを見ることができなかったとしても、11日の大地震を甘く見てました。情報が目から入らないと、こんなにも無知でいい加減になるものなのでしょうか。みなさんもいざという時のために我々の情けなさを心に留めておいていただければいいかなと思います。せめては反面教師として役立ってくれればいいかなと思います。今は停電しても当分はスマホで代用できるかな。

 今まで恥を晒して当時の食事の内容を書いてきましたが、最後に当時の為替レートを記憶していますか?10日(木)は1ドル82.76円、11日(金)は1ドル82.78円、14日(月)は82.09円となっています。 日経平均株価は、10日は10,434.38円、11日は10,254.43円、14日は9,620.49円と株価は下がっています。

 

 3・11を迎えてやはり気持ちはまだ落込んでいます。 でもきょうの河原の散歩の時、元気な若者たちの姿を見ました。

 

 東北大学の応援団です。河原でも練習していたのか。何かかっては部員がいなくて困り果てていたようでしたが、また復活したのでしょうか。


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あの日から 8年

2019-03-11 17:12:14 | 思いつくまま

 

 

 かなりの強い本降りの雨が続きましたが、午後過ぎには止んでくれました。よく降ってくれました。広瀬川も濁流となっていますが、本来の川の流れになってきました。(午前10時過ぎ頃)

 

 

 今までの3・11はこんなにも雨が降ったという記憶はないです。いつもそれなりに晴れてはいたように感じますが、8年目にしてこんなにも雨が降ってきました。8年間の悲しみの雨でしょうか。まとまって降ったかのようです。気温はきのうよりは7度も低かったです。最高気温は10.9度のようです。

 

 

 

 秋篠宮様が追悼式に出席されました。秋篠宮様のお言葉です。 全文です。

『 今日、3月11日、未曽有の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、2万人を超える死者および行方不明者が生じた東日本大震災から8年になりました。この当時の状況は、8年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

          

 被災地においては、この間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛(たゆ)みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、様々な形で力を尽くしてきました。

          

 その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、復興の歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた地域においても、多くの地域で避難指示が解除されるなど、本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。

             

 しかし、その一方では、今なお多くの被災者が、被災地で、また避難先で、依然として不自由な暮らしを続けている厳しい現実があります。とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによって自らの家に帰還できない人々が多いことや児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残っていることに思いを馳(は)せると心が痛みます。さらに、避難生活が長期化する中で、齢(よわい)を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康のことは、深く心に掛かります。

 

 困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。

            

 東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを心より願っております。

              

 今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。 

 

 

 秋篠宮様のお言葉の間に挿入しました写真は、当ブログのフォトチャンネルからの再掲です。 「西国三十三所観音霊場 平成の東北開帳」です。58枚もありますが、西国33カ所すべての札所の掛け軸(御軸)はブログの左隅にあります「フォトチャンネル」から、3・11を迎えるに当たり是非ご覧いただけたらありがたいです。

 「概要」を再掲させていただきます。

『 平成24年(2012年)3月6日から8日まで宮城県利府町にある「グランディ21」で「西国三十三所観音霊場 平成の東北出開帳」という催しが開催されました。

  これはその一年前の東日本大震災で亡くなられた人たちの慰霊と復興を祈祈るため、西国三十三所が一堂に会して宮城県で出開帳を行うというものでした。

  場所となったグランディ21は、東日本大震災で亡くなられた宮城県民の遺体を安置していた場所でもあります。

  『観音様は生者の願いを聞き、死者を極楽に導く。御軸とともに現地に行こうと全寺一致で決めた』そうです。「出開帳」とは、本尊や秘仏を安置する寺院以外で公開することです。

  当時私も引き付けられるようにしてグランディ21へ行きました。そこで見た各寺の「御軸」と言われるものの素晴らしさに感銘を受けお祈りしてきましたが、その時あるお寺の人に言われました。

  『各お寺の御軸は本になっていないものもあり、とても貴重なものですから、どうぞ写真を撮ってください。』 嬉しかったですね。その言葉を聞いて写真を撮りました。そしてこのブログにも三日に亘って紹介させていただきました。(2012年3月8日・9日・10日)

  その後はそういうことがあったことを忘れていましたが、このブログの「アクセス解析」から「ページごとの閲覧数」を開くと「ページ名」や「閲覧数」が分かります。近頃その「ページ名」の中に「西国三十三所観音霊場 平成の東北出開帳」という文言が多くはないけどよく出てくるようになりました。

  それならばと専用の「フォトチャンネル」をつくって見やすくしたらどうかと思った次第です。 』

 フォトチャンネルには、”大川小学校”のフォトチャンネルもありますので、そちらもご覧になっていただけましたら嬉しいです。


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3月10日

2019-03-10 21:25:46 | 思いつくまま

 

         

  

 いやあ、何ですか今日のこの天気は、気温は。 最高気温は17.8度(12:47に記録)にもなりました。この寒がり屋の私でさえ、きょうの日中は一時的にですが、暖かいを超えて暑いなあとさえ感じました。

 

 

 午後7時までの気温は10度を超えていまして、午後9時でも8.5度という気温の高さです。もうきょうは参りました。(余談ですが、日本人は万歳三唱をよくしますが、そのときあなたの両方の手のひらはどうなっていますか?手のひらを ①相手に見せるようにしていますか?それとも ②手の小指側を相手に見せるようにしていますか? 正解は②です。①は降参のときの手の上げ方だそうです。)

 

 

 今日は朝からいたるところ春の息吹、気配がムンムンでしたね。そんな中午前中は夫婦で絵の展覧会へ行ってきました。夫婦二人ともよく知っている人が絵を出品しているということで、、県立美術館へいった次第です。

 

              (美術館の帰り、澱橋から上流を撮影)

 

 彼の絵は何か今までの画風とは異なり、風景画から人物画へと移行しているのでしょうか、油彩ですが何か色合いも今までよりは薄くというか、サッパリしてきたような感じを受けました。加齢によるものか、淡泊になりつつあるように感じました。

 

 それでいて人物の描き方は深みを感じましたが、今の境地がカンバスに表現されているのでしょうか。

 

 午後からは夫婦で外出し、身体の運動をしてきました。結構疲れてしまいました。気分転換にはいいのですが。

 

 

 きょうは3月10日です。あしたは3月11日。あの日からちょうど8年になります。そのためにマスコミ各社は3・11のことを大きく取り上げています。そのことはいいことですし、被災地に住む者としてありがたいとも思っています。

 でもだからといって、3・11の陰で3・10が忘れられていいはずがありません。3・10、3月10日は東京大空襲の日です。1945年3月10日。このことをマスコミはもっと取り上げるべきではないでしょうか。

 オキナワではまさに玉城知事が、米軍基地の移転と新基地建設で、政治生命を賭けて国家権力と戦っていますし、日米安保や日米地位協定等のことを、3・10という日を挟んでもっともっと取り上げてしかるべきでしょう。

 日本の家屋は木と紙でできていてとっても燃えやすいことを十分知りながら、更に完璧な超上空からの爆撃空襲、地上で爆発する爆弾ではなく、日本の家々を燃やすために焼夷弾をこれでもかこれでもかと言わんばかりに投下し、それも逃げ道を塞ぐ形で、周囲から燃やし始めて徐々に中心地に向かうという人殺しを楽しむような焼夷弾攻撃、同じ人殺しでも、兵隊を殺すのではなく、民間人を老若男女関係なく焼き殺そうというのですからもう何をかいわんやです。人間が住んでいるとは考えなかったのでしょうね。一晩で10万人もの民間人をまるでゲームかのように殺しまくった日なのです、3月10日は。

 そういう意味でも3・11とともに3・10も常に忘れないように記憶し続けることが何が何でも必要だと思います。(8・6や8・9も当然のことです。)

 東京大空襲を忘れないようにと訴え続けている早乙女勝元さんはきょうも朝日新聞の声欄に投稿しています。少し引用させていただきます。

 『 (東京大空襲から1週間後早乙女さんは級友と言問橋へ、友の安否の確認のため行きました。) 「おい、ありゃ何だ?」桜並木を前にした級友の悲鳴に、私はぎょっとなった。桜は一面の満艦飾だった。   防空頭巾や焼け焦げの毛布まで、衣服や布が手の届かぬ高い枝にまでからみ、北風にぴらぴらとはためいている。  大空襲の夜、隅田川と言問橋に殺到した人々の身につけていたものが、上空を飛んで枝という枝にからみついたのだろうか。私の心臓は凍りついた。 』 いかに空襲による猛火が凄まじかったか、想像を絶するものだったか・・・・。

 そして、最後にこう書いています。 『 私たち生者には、決して忘れず黙らずの「継承」が必要ではないのか。 』

 

  美術館の池の鯉 人面魚もかっていました。 

   数がずいぶん少なくなった!

     

              分流の小魚


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祝 卒業

2019-03-09 17:46:36 | 思いつくまま

  

                     (午前9時前頃)

 

 何という天気でしょうか!!春そのもの、春が来た!(こういうNHKの朝ドラがあったっけ?) 朝から空には雲一つなし。 かといって放射冷却による冷え込みらしいものもなく、一日素晴らしいとしか言いようがありませんでした。

 

 

 最高気温は13.7度のようです。とってもあったかく感じましたが、それでも6日の方が15.2度で暖かかったのですね。いかに6日が暖かかったか。

 

 

 

 卒業生に堤防で咲いている、咲こうとしている春の花を捧げます。

 

                       

 そんな中中学校の卒業式があり、来賓として出席しました。 217名の若者よりも若い人たちが中学校を育っていきました。平成15年生まれの子どもたちです。若い!若すぎる!(ということはないですが)

 

 

        (卒業生全員での「こころようたえ」よかったです)

                         

 こんなに天気に恵まれた中学校の卒業式はあまりなかったのではないでしょうか。この分では入学式も桜が満開だったりして・・・・。

       

         (「群青」もとってもよかったです。素晴らしいハーモニーでした。)

 何にしても卒業おめでとうございます。ようやく義務教育が終わりました。これからは高校大学と進む人が大半でしょうが、これからが本番です。勉学にスポーツに励んでください。

           

 体と頭を最大限に活用して、自分の未来を自分で切り開いていってほしいです。(無責任かもしれませんが、私にはできませんでした。) 校長先生の式辞にもありましたが、やる前から諦めることだけはやめてほしいです。

 

 いつも後悔することは、もっと勉強しておけばよかったなあということです。今はいくら勉強しようとしても、全く頭に入りません。記憶として残りません。NHKで語学講座を聞いていますが、覚えられません。悔しいですね。

                      

  

 卒業した今となっては、あとは希望した高校に無事合格することですね。卒業と合格が張るとともにやってきますように!!


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国際女性デー

2019-03-08 13:49:53 | 思いつくまま

          

         (地域猫も風を避けて乾燥した草むらでじっと耐えていました。)

 朝方のラジオで言っていました。きょうは国際女性デーだと。 なんかちょっと違和感があったのですが、昔は、前は国際婦人デーと言っていませんでしたか。 「婦人」からもっと普遍的な「女性」にしたのでしたっけ。 この拙いブログを読んでくれている女性のみなさん、無知をお許しください。

          

                             (午前9時頃)

 そのためか?新聞では論な分野での女性の比率というものを取り上げていました。いずれもものの見事に日本における女性の比率は他国に比して低いものとなっています。世界に誇れる”日本の文化”といってもいいのでしょうか。(皮肉ですから)

 

        (雨が降ったのですが、大勢に影響なしでした。)

 日本を支配して好き放題に牛耳っている自民党には素晴らしい女性議員が一杯いますね。そんじょそこらの男なんか全く目じゃない独立したかつ個性的な女性政治家がたくさんおります。”雲霞の如く”いるとはいいませんが。

          

 でも世間を賑わせているばかりで、献身的に女性の地位向上等を目指しているような、そう感じることのできる議員さんに出会ってはいません。 というかそんなことよりも自分自身の出世とか実績を上げることばかりに熱心ではないのかなと、悲しいかな思ってしまいます。

 

 自民党の大物実力派女性議員に投票している人たちは男女どちらが多いんでしょうか。知りたいものです。

         

 きのうの新聞のコラムに興味のある指摘が載っていました。「経済気象台」という主に経営者や学者、その道の権威者が匿名で寄稿しているコラムです。きのう7日は”働き方改革の本丸”というものです。

 

 大学のゼミで抜群に優秀な女性が、地方公務員となり、順調に出世し結婚もして2児の母親となったのですが、問題は男の方、夫です。「妻の社会的地位が自分よりも上昇することで夫は次第に卑屈になり、精神を病んでDVに走るようになった」ため離婚したとのこと。

         

 「優秀な人材が仕事を辞めなかったことは、世の中のためにはよかったと思うのだが、そのために彼女が払ってきた犠牲はあまりにも大きい」、と嘆いた後、こう言います。

 『働き方改革の掛け声がかかって久しいが、改革の本丸は実は働き方改革ではなくて、男の側の意識ではないのか。女性を様々な職種に送り出すことができたとしても、「女のくせに」という感覚が男の側に残り続けるなら、彼女のような悲劇は決して減らないだろうし、働く女性が結婚や出産に二の足を踏み、少子高齢化も加速しかねない。』 と。

 痛いところをついてきます。確かにそうですね。自分自身を振り返ってみても頷き、下を向くばかりです。本当に男っていうやつはどうしようもない生き物ですね。自戒です。その典型は、もちろん・・・・・・です。

 

 きのうですか、SMFCから今年2回めのオファーがあったのですが、喜んだのも束の間募集内容を呼んでガックリ。 18歳から40代の人が対象だそうです。 その年代の人たちだけで200人も集まるんでしょうか??

 この社会は子どもから年寄りで出来ているのだ!なんて叫んでも空しいばかりですね、ドラマの内容がそうであるのであれば致し方ないと諦めるよりほかはありません。日程的には大丈夫だったのですが・・・・。 もうこれからはますます募集枠から自動的に締め出されるようになるのでしょうね。それが”老いというものか”なんて嘆いて見せたりして、馬鹿です。

               

 きょうの天気は何でしょうか。風が強く、気温は上がらず、いっそう体感温度は低く感じてしまいます。 午後2時過ぎ間での最高気温は8度のようです。きのうは小雨でも今日ほどは寒くは感じませんでした。

 広瀬川分流にはカモもサギも姿を見せませんでした。ただ強風が吹き抜けるだけ。分流の水面に波紋を広げるばかり。でもその中にもこんな悲しい?情景が静かに進行していました。きのうは岩盤底に分流に鎮座ましましていたのですが、きょうはこうなっていました。

  風があるので、

    分流の下流に流されて、

 

   きのうはこうなっていました。

 動いたのはサッカーボールですが、不動のものもあります。これです。

  ただの石ですが、きのうは

 こう見えました。アシカかオットセイのように感じました、雨に濡れていると。

 

 乾燥していると、ウサギのようにも見えます。

  

                      


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雨の日のお恵み!?

2019-03-07 22:35:26 | 思いつくまま

 きのうは夕方近くになっても寒くなかったのでまた河原へ足が向いてしまいました。丁度太陽が西の小山に沈むところでした。夕焼けです。いろんな形の雲があったので、夕焼けにも変化を与えてくれます。ご覧ください。

 

 

 

 

 

 そして本流の大きな岩の上にはカモの群れが。

 

 

 (以下今日のこと)

 

 ほぼ位置に小雨が降っていた感じですが、午後6時のラジオで言っていましたそれでも降水量としては11ミリとか。 でも10ミリを超えたということは今年の仙台に限っては珍しいことであり、嬉しいことでもあります。 何でも去年の12月中旬以来とか言っていました。いかに今冬は降水量が少ないかお分かりになりましょう。

 

 そしてきょうの一日の気温の変化です。深夜も深夜に最高気温(11.0度)を記録して、その後の日中は5度台から6度台を動いていました。午前5時の気温が6.9度で、お昼は5.9度です。 きのうはお昼以降10度を超えていたのに・・・・。

 

 

 きょうは忙しかったです。お昼寝をする時間もなく、小雨の中を歩いたり(学校との打ち合わせです。午前中)、自転車に乗ったり(長時間の役員会です。午後)、夜(サークル活動)は車に乗りました。体も頭もよく使いました。でも確実に私の物忘れ傾向は進んでいます。昔の老人性痴呆症です。認知症よりも、わたしには痴呆症が似合うかも・・・・。

 

 帰宅したのが午後9時過ぎで、だからこのブログも遅くなってしまいました。今午後10時46分ですか。猛烈に眠いです。眼がしょぼしょぼです。

 

 

 雨が降ると普通は気分が落ち込みますが、今のように川の水量があまりに少なかったりすると恵みの雨でもあります。また雨の日の河原の散歩は時として雨の日だからこそ見れるもの、雨の日でなければ見られないものが見られたりします。

 いつもの広瀬川の分流なのですが、また小雨の日も何日かあったはずですが、きょうに限ってこう見えてしまいました。

 

 (ちょっと遠くから見ると”アシカ”に見えてしまいました。改めてそう思いながら見てみても確かに似ていると納得したのですが)

 だから雨の朝を迎えると、きょうはどんな光景を見せてくれるのか、どんな変わったことが起きるのか、少々期待したりしています。(くどいですね) 

 これです。鮎の陸舐めならぬカモの上陸。

 

 最初は分流の右岸ヘチにいました。それが私が近付いていくとともに中洲に上陸して歩き出しました。

 

 後をカメラで追ったら、何となんとナント中洲には先にカモたち3羽が来ていたではありませんか。合計4羽となりました。

 

 そしてゆっくりと中洲の右岸側投下本流側へ歩いて行きました。

 

 雨が降ったりするとニンゲンがあまり来なくなるから、カモたちは少々油断するというか、ゆとりを持って行動するようです。(と思います。)

 


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啓蟄ですが、

2019-03-06 13:49:04 | 思いつくまま

  

           

 一昨日あたりからでしょうか、鼻水が止まりません。いくら洟をかんでもかんでも勝手に出てきます。困ったものです。 何か目の方も気のせいか痒くなりつつあるような感じがします。

 (二つとも自宅の花)

 (下のシクラメンはとっても小さくて、本当に愛らしいものです。花も咲き、芽も二つほど出てます。)

 

                  

 まずは鼻水です。止まりません。花粉症の症状でしょうか。去年初めて花粉症でまじめに通院しましたが、もらった薬、目薬も、ではさっぱりよくなったという感じがしなくてもう同じ病院へは行きたくないし。

 

        (上から見たところ。クリスマスローズ?)

 まあまだ可愛い花粉症の症状ですし、しばらく付き合って行こうとは思っていますが、果たしてこの先どうなることやら・・・・。

            

 

 啓蟄だそうです。 「日本の旧暦と七十二候」によると、「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」とのこと。蟄虫とは冬ごもりをしている虫で、蛇や蛙なども含めた小さな生き物を指すそうです。 小さな命にも暖かい眼差しを注いでいたことが感じられるようです、とのこと。

 

 この時期の季節の風物詩では、土筆(つくし)、猫柳、球筋魚(いかなご)が紹介されています。夫婦で土筆を探してはいるのですが、まだ早いようです。

                       

 でもネコヤナギはもうかなり咲き始めています。ふわふわしたラグビーのような毛は芽ではなく花だそうです。

 

 

                        (午前九時過ぎ)

 

     

  (小魚がいます。)

 (高いところに止まっていました )

 

     

 

     

 きのう紹介したサッカーボールは下流に流されていました。これならとれます。

 

 またサッカーボールの運命はいろいろで、民家の植栽に挟まっていたりもします。

 

 

 きのうの撮影ですが、本流の上流にいました。嬉しいです。

 

 

  仲のいい夫婦です。

 つがい、夫婦と言えば、これもそうではないかと思うのですが。いつも分流にいる二羽のカモです。

 

 

 

         


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地球防衛家のヒトビトと、

2019-03-05 13:34:11 | 思いつくまま

   (ちょび髭猫)

 

 きのうと比べたらきょうはいかにも春らしい感じの日となっています。気温的にそんなに高くなっているということでもないのですが、外は明るいし、風もないし何と言っても穏やかなのです。

 

 気温は午前10時で7.8度、お昼で10.6度となっており、午後1時過ぎで最高気温は11.3度です。この分では今後さらに気温は上がっていくでしょう。 お昼前に自転車で図書館まで行ってきましたが、ちょっと厚着しすぎたかなと思ったくらいでした。

 

 でも朝の見守りの時は、途中から東風が吹いて来て、お恥ずかしながらようやく治った右耳のしもやけに容赦なく吹き付けるのです。時々毛糸の手袋で耳を覆ったりもしましたが、それでもちょっと辛かったです。

 

 まあそれでも元気な子どもたちを見たら自然に口元もほころびます。数十メートル前から坂をものともせず走ってくる子どももいるのですからすごいものです。 それにしてもよくよく見るとこれで小学生?と思われる子どもが数人いますね、男女とも。

 

 優に私より大きいのに、ランドセルを背負っている姿はなんか微笑ましい限りです。これが本当に同じランドセルかと??に思うほど大きさが違って見えます。この子たちもあと1ヶ月で中学生ですね。どんな中学生になるのか。さらにすくすくと育って欲しいですが、背が高いと中学ではバスケット部やバレー部等に引っ張られそうです、否が応でも。必ずしもスポーツに向いている子どもばかりじゃないから、ある意味大変かな。

 

 『毎朝の「行ってらっしゃい」は朗らかに「行ってきます」が小さなときほど』(24日の朝日歌壇から 詠み人忘却です。すみません) 

 

 私も朝の見守りの日は、(わざと)大きな声を出すことを心がけていて、あいさつしなかったり、声が小さかったりすると、子どもたちに発破をかけたりしています。”おはようございます”と”いってらっしゃい”、何十回言ってるか?自分の元気のためもあります。

                

 私が中学生になったのは昭和35年かな、今の天皇陛下が結婚した年だったか、何も知らずに友達に誘われるままバレーボール部に入ったら、そこは地獄?でした。その頃のバレーは9人制で固定制だったかな。 まあ練習の前にコート上の小石やコークスの欠片拾いから始まって、厳しい練習が待っていました。

 

 何といっても先輩の高校生たちが指導(しごき?)にやってくるのですから、毎日元気に。顧問の先生の姿を見たかどうか全く記憶にございません。先生はほったらかしだったのではないでしょうか。

 

 大崎八幡神社(今は宮)の約100段の石段を何度も走らせられたり、当時はうさぎ跳びですか、これも一杯やらせられました。突き指防止というか、強くなるようにということか、腕立て伏せならぬ、指立伏せをやらされました。 いやになって逃げ出したりしたときには、校門や裏門に見張が立って、掴まり、掴まると先輩に平手打ちをされて説教されたものでした。 約60年近く前のことであります。

 

 ともに3月1日です。

  ①  

                       ② 

  ③  

                        ④ 

 そしたら、「かたえくぼ」でも  

 

 今、私が思っていた以上にまじめに国会では児童虐待防止に取り組むようです。本当に子どもたちのためになるような内容の法改正をいてくれたらいいのですが、中途半端なことにだけはならないでほしいです。 

 結愛ちゃんや心愛ちゃんのことを忘れないようにしないと。3日の朝日歌壇から引用させてもらいます。

 『結愛(ゆあ)に心愛(みあ)どちらにもある愛の文字どちらにもない親からの愛』

                                         ・・・神戸市 安川さん

 『お父さん、お母さん、先生、世の中の大人のみなさまサヨウナラ心愛』

                                       ・・・近江八幡市 寺下さん

 『少女ありき「心」と「愛」の名を持ちて心も愛も知らずに活逝きぬ』

                                        ・・・水戸市 阿部さん

 24日の歌壇にも載っていました。

 『望まれて命は生れき結愛ちゃんと心愛ちゃんの名に「愛」の字がある』

                                        ・・・観音寺市 篠原さん

 『心愛ちゃんの妹にこの真実を伝える時が来るのだろうか』・・・横浜市 毛涯さん

 

 

 亡くなった二人の子どもの世界にも花が咲きますように    (合掌)

 

 

 


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変な天気で、

2019-03-04 15:57:46 | 思いつくまま

  きょうの地域猫 

 

             (午前9時頃 小雨模様)

 

 きょうの最高気温は(午後4時前ですが)3時に記録した 9.1度 のようです。時系列に見ていくと不思議な動きです。 午前5時で5.6度ととってもあったかい、、7時では5.9度、10時には少し下って5.2度、お昼からまた少し上がって6.0度、午後2時は8.1度という動きをしています。

 

     

 予報どおりですか、昼前からというよりは9時頃か、小雨が降ってきましたが、午後からは止みました。風はないです。曇り空。

 

     

 

 きのうですか、Tリーグの強豪によるトーナメントがあり、男子は張本が完勝と言っていい勝ち方をしました。水谷を相手にしてです。大したものです。

 

    石川選手も貫録勝ち 

 この頃の卓球の試合を見ていると何と言ってもバックハンドが美しいしとっても力強いですね。 是非ともそのようにバックをマスターしたいのですが、無理でしょうね。 でも学区内の町内対抗の卓球の試合ではたまにバックハンドがきれいに決まることもあるのです。

 でも使用しているボールはラージボールで、それがちょっとつまらないです。スマッシュなんかはなかなか決められない。まあ親睦親善が第一ですからそれでいいのですが、試合となるとついついカッカしてしまいがちで、ニンゲンができていないということを思い知らされます。

 

 きのう夜食べた京のれん市で買ったお寿司は美味かったですね。 

          これです。

 

 「とり松」の”網野名物ばらずし”です。ふたをとるとこうなっています。

               

 

 1.5人前を二人で半分にして食べました。 網野名物ばらずしとは、丹波の風土が産んだ隠れた逸品ということで、このおすしは、京都丹波地方の一部にのみ古くから伝わる全国でもここだけの独特のおすしだそうです。

 鯖(さば)をおぼろとし、数々の具と共に当地方でまつぶたと呼ぶ長方形の木箱に段上に重ねて作り、木べらで四角に切って取り分けて、お祝いごとなど、人の集まりには各家庭で必ず作ってもてなすそうです。

 4種類買ってきて、これで3種類は食べましたが、あと1種類残っています。これです。

     もう少ししてからの楽しみです。 

 

 

    2月28日の新聞記事は勉強になりました。

① His Majesty the Emperor Emeritus

② Her Majesty the Empress Emerita

 His Majesty the Emperor

④ Her Majesty the Empress

⑤ Her Imperial Highness Princess Aiko

⑥ His Imperial Highness the Crown Prince

⑦ His Imperial Highness Prince Hisahito

          

 ①は上皇、②は上皇后、③は天皇陛下、④は皇后陛下、⑤は愛子さま、⑥は皇嗣(秋篠宮)さま、⑦は悠仁さま の英語訳です。久し振りに英和辞典を引いてみました。 そしたら、majestyは「威厳」という意味で、Majestyとなると「陛下」という意味になります。emeritusはラテン語で、「名誉職の」という意味です。a professor emeritusは「名誉教授」

 

  英語ついでに、「英会話タイムトライアル2月号」から。

  膝が悪いんです。 I  have  a  bad  knee.

  体が硬いんです。I’m  so  stiff.

  足が筋肉痛です。My  legs  are  sore.

  「トイレに行く」は、Nature  is  calling. (=自然が読んでいる)

  そして、これはこの歳になって初めて知りました。人間生きていく上で必要な生理現象、「用を足す」とき、[大]の場合は go number two  で、[小]の場合は go number one と言い換えられるとのことです。面白いですね。西洋の人間もなかなかやるものです。覚えておいて損はないです。


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桃の節句、

2019-03-03 13:59:21 | 思いつくまま

 きのうの夕方近くの広瀬川河畔です。なんか夕焼けをしみじみと見たのは本当に久しぶりです。

 

 

 

                (しつこいことはお許しください。)

 

 

                 (きょう午前8時50分頃)

     

 きょうの天気は申し分ないです。1日の時みたいに、あったかくて風もなく気持ちも軽く嬉しくなります。 2時前の気温の最高は、11.9度となっています。

 

     

 

     

 

 きょうは3月3日、お雛様、桃の節句、といっても我が家では直接は関係ないですが。そうはいってもやはり雛様の姿は見てみたいものです。 2月26日の研修会場でいいタイミングでお雛様の姿を見ることができましたので、今年も紹介させていただきます。

 仙台福祉プラザで見られます。 かえりびなです。

 

     

 

     

 「かえりびな」 もうすぐ満8年になる東日本大震災、その大震災の行方不明者が家族の元に還ることができますようにと願ったお雛様です。 全国から寄せられた着物や帯の古布で6人の方が人形を作ったそうです。「仙台かえりびなの会」主催です。

 260対のお雛様が飾られています。3月14日まで飾っているとのことです。 なおちょうど2年前のこのブログでも大きく取り上げていますので、そちらもご覧ください。2017年3月3日のブログです。

 

 お雛様ということからではないのですが、今市内の老舗(200年の歴史があります)のデパートで「京都歴代のれん市」をやっておりまして、朝早く(といっても10時前)夫婦で出かけて狙ったものを買ってきました。そしてお昼に早速食べました。

  フルーツサンドです

               

 何でも「日本一のパン処、きょうとのサンドイッチ。」「クリケット」のフルーツサンドです。イチゴがたっぷり入っていて、しかもクリームで包まれています。”パンケーキ”と言ったところですか。ケーキをパンで挟んだものです。初めての食感。イチゴケーキを食べている感じでした。 12切り入れで1,301円です。

 それとこれも買いました。

  何でしょうか?

   田舎風 おはぎ です。

 おはぎと言えば地元では”さいちのおはぎ”が超有名ですが、京都のおはぎがどんなものか一回は食べてみたかったですね。 中身はこうです。

  

 「葵やきもち総本舗」の”京おはぎ味くらべ”です。 6個入れを買いました。広告では5個セットのおはぎでしたが、説明では「あんこ・さくら・きなこ・抹茶・胡麻」となっていました。6個ではあんこが二つ入っているようです。

 お昼に食べたのは、あんこ・ごま・きなこの3種類ですが、仙台とは違っていたのが、ごまときなこにはもち米のなかに”あんこ”が入っていたことです。残りは夜ですね。楽しみです。

 他による食べる予定のものはこれです。

         中味は後のお楽しみに。

  これも後で。

 

                  

      散歩帰りの時の地域猫です。 

 

 

 

 

 


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仙台にも UFO?

2019-03-02 13:52:40 | 思いつくまま

 (いやはや参ってしまいますね、これできょう2回目です、入力したものが一瞬のうちに消え去ってしまったのは・・・・。どういうことですか!!これは。範囲を選んで消去のキーを押したりはしていません。裏ワザでの消去のやり方なのかなあ。何にしても頭にきます。英語入力の時にそうなってしまったのですが、なぜか最初から入力しているところまでの部分すべてが掴まえられてすべてが消え去るのです。それもあれよあれよという間に、というよりも本当に一瞬にして入力したすべてが掴まえられて消え去るのです。悔しいですね、ここまで機械に馬鹿にされるとは、情けない、恥ずかしい! 政治屋と違って恥を知っていますから。)

         散歩に行く途中 

  散歩からの帰り道

 

 

              (午前8時45分頃)

 きょうはきのうとほとんど同じような気温の推移を表しています。午後2時45分頃での最高気温も、きのうは12.5度ですか、きょうは11.4度となっています。

         

 違いは朝から霞んでいたということです。東のビル群が霞んで見えました。もやっている感じでした。その後も薄曇りという状態が続きましたが、今は雲を通して少しだけ明るさも見えるようになっています。

 

         

 きのうは高校の卒業式ということでしたし、帰りの堤防の暖かくて爽やかだったこと、本当にいい気持ちでした。

 

         

 

 先週の地元の新聞で知ったのでしたか、宮城県ともう一つの県にしかなくなってしまったUFOのことです。 正しく?はUFO型信号機です。正式な名称はあるようですが、形がUFOに似ているからそう名付けられたのでしょうね。

 これが地元にはあるのです。もう何十年も見ているので全く何も違和感は感じていませんでしたが、そのうちこれも無くなってしまうようです。今宮城県内には20余基しかないとか。こうなると実に貴重な信号機となります。珍しいと重宝がられます。(でも私だけかな、少し盛り上がっているのは)

 

 

 確かにこう見たらUFOか?よ思ってもおかしくはないですね。とくに夜に見たら「スワッ UFO が出たか?!」と思っても無理はないときがあるかもしれません。 まさかこの信号機がそんなに珍しいものになっているとは、そっちの方がおどろきですね。

 

 

 一つで交差点の交通を制御するのですから、大したものです。狭い四つ角の信号としてはすぐれものと言えないことはないでしょう。

 

 

   小魚が少しm度ってきた?

 また分流にはいつものかもが2羽ゆったりしていました。

 

 これは夫婦でしょうね。とっても仲がいいようです。ニンゲンンなんて足下にも及びませんね。

         

 


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