鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から6年4か月、ダイワ鮎マスターズ南東北大会

2017-07-11 21:13:34 | 小国川

 それにしても日本列島には暑い日が続きます。 富山市では37.3度にまで上がったとか。人間の体温よりも高いのです。ちょっと想像を絶します。 山形市も36.3度を記録したとか。もともと夏は暑いところですが、それにしても暑すぎます。舟形町の隣の新庄市は32度くらいだったかな。

 

   (午前4時30分頃の最上川)

 きのう10日は、9日深夜から10日未明にかけてB29の編隊による仙台空襲がありました。仙台空襲から72年目となります。もちろん私はまだ生まれてはいませんでしたが、親は小さい娘二人を連れて広瀬川の方に逃げていったと言っていました。以前にこのブログで詳しく書いたことがあります。

 

 9日の新聞では今年80歳の林さんの空襲体験の記事が載っていました。焼夷弾によって兄と二人左手や両頬にケロイドが残るやけどを負ったということです。そのため世間の目を気にするようになり、兄も卑屈になりながら青春時代を過ごしたということです。(今仙台市では23日の投票に向けて市長選が戦われています。)

 

 空襲や原爆で何十万人の人が無念の死を迎えなければならなかったのでしょうか。どれくらいの人が怪我ややけどを負ったのでしょうか。どれくらいの人が後遺症に苦しみながら生きなければならなかったのでしょうか。

 

 6日の「記者有論」によると、国家総動員体制だった戦時中は、曲がりなりにも空襲被害者らへの給付金制度があったといいます。しかし、敗戦とともにその制度は廃止され現在に至っています。しかし、軍人や軍属には恩給があるのに、民間人には「雇用関係がないから」という理由で支給対象としなかった。

 

 でも戦後70年を機に超党派国会議連が再結成され、紆余曲折しながらも何とか救済法案の素案ができたにもかかわらず、2005年の政府与党合意「戦後処理は終了した」と合意が壁になり提案さえできないまま現在に至っているといいます。

 (舟形町のすぐ手前にあります)

 そしてきょう11日は、あの日から6年と4か月の月命日となります。そしてその日いわゆる「共謀罪」(改正組織犯罪処罰法)がきょうから施行されました。

 

 その日に「ダイワ鮎マスターズ2017南東北地区大会」が開催されました。

 

 今夏2回目の鮎釣り大会となります。場所は同じ山形県小国川です。きょうも快晴、陸上はかんかん照りでしたが、川に入っている間は大して(ほとんど)熱さは感じませんでした。

  

                  ( 午前4時50分頃)

 水はどこまでも棲んでいて、瀬音も優しいし、加えてカジカガエルも快く迎えてくれます。釣り環境としては申し分のない状況でした。 きょうの参加者は120名でした。ダイワの大会にしては少ないですね。シマノに押されている感じがします。もっとも休日と平日という違いがありますが。

 

 ダイワもシマノ同様にA・B(上流・下流)の区別はなくなったものとばかり思っていましたが、抽選で上下に分けられてしまいました。 5時半からの受付よりも早く5時20分頃から受付開始となりました。3000円を支払ってワッペンを引きます。赤が上流、白は下流です。

 

 私はB-111でした。つまり下流域ということ。きょうこそは好きな経壇原に入ってやろうと思っていたのに残念結果となりました。でもダイワは50人づつに分かれてオトリをもらいますので、111ということは11番目にもらえるということになります。わるい数字ではありません。でも下流域です。

 

 今回は2回戦用にと一部分を開けておくということはなかったので、本部前から下流域となりました。ということは、楽をする気になればとっても楽ができるということです。悪魔のささやきとの内面の葛藤がありましたが、オトリを受け取り、一歩前に出たときに決まりました。すぐ目の前に入ろうと。

 

 何とかひとり分入れてもらえそうな場所が一番近いところにあったのです。オトリを受け取ってそのまま真っ直ぐ対岸へ向かうだけでいいのです。上流の人にあいさつをして何とか場所の確保はOKです。 こういうところです。

 (下流側)

         (上流側)

 

 上下の写真は7時のスタートを待つ兵(鮎釣り師)たちです。上が下流で、下は上流側です。

               

 きょうの使用竿は、シマノの 「鮎SP競ZA90-95 H2.5」 です。もしかしてナイロンやフロロでチャラ瀬で泳がせ釣りをするかも知れないということでこの竿を選びました。でも結局は右岸へチ狙いの瀬(平瀬・早瀬)釣りということになってしまいました。だから水中糸は9日と同じ複合メタルの0.08号です。

 川の中で待つこと約30分。ようやく7時、スタートとなりました。支給されたオトリ鮎は、結構元気そうで右岸瀬脇n導いて行ったら、すぐに心地よい当たりがありました。浅くなってるようで、鮎が白い魚体をくねらかしてもつれ合う姿が見えました。

 一投目から掛かりました。難なく抜きましたが、オトリ鮎よりも小さかったのでそのままオトリ交換せずに2匹目を掛けてきてもらいます。5分くらいしてまた同じところで本当に小さい当たりがありました。その場で抜いたら、空中に出て20センチくらいのところで川に帰っていきました。かなり小さかったです。10センチなかったかもしれません。

 その後もかなり小さい鮎が掛かりまして、ダイワの小さい鮎は員数に入れないという規定に従い放流したのが1回ありました。でも30分で3匹かな、取り込みました。すぐ前の人が快調で、次々にかけていたのですが、超大物を掛けたようで結局は糸切れとなりました。二ゴイかカワザイでしょうか。いるんですね、ここに。

 私は粘りました。ほとんど1メートル四方のところに居て、竿操作をして正面や下流域を泳がせました。まあ本音は動くに動けなかったということですが。でも粘り勝ちというのか、忘れたころに2,3匹が掛かってきます。もう駄目かなと諦めかけたころに奇しくも掛かってくれるのです。いちいち数えてはいませんでしたが、もしかして10匹くらいは掛けたかもしれないと思いました。

 でもバラシやハリに完全にのらないことも結構ありました。こっちの心積もりができる前に掛かってしまうと慌ててバラシテしまったり、まったくもってもったいないことです。 大きさも13センチくらいから16、17センチくらいかな。結構背掛かりが多かったです。

 午前10時終了、納竿です。シマノは10時までに本部前に帰還ということでしたが、差岩は時間一杯竿を出せます。検量の結果思ったよりも多く釣っていました。ナントなんと何と 14匹(オトリ込み)でした。 これならもしかして何とかなるかもしれないなあと思ったり、やっぱりこれでは無理だろうとおもったりして検量の途中経過を聞きます。

 最初はB(下流)のボーダーラインは(記憶では)12匹、次に13匹、14匹となり、諦めざるを得ませんでした。結果は、A(上流)は16匹、B(下流)は18匹でした。一番釣った人は、A/Bともに30匹を超えています。よくもまあ釣るものです。偉いです。もう感心するよりほかはありません。

 こうして今夏の鮎釣り大会の夢は潰えました。そして早目の帰途につきました。

 

                 2回戦出場者です。

  

                               

 

 

 


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