今日の最高気温は何となんとナント、21.3度でした。暖かくなるという予報でしたので、マフラーはやめ、コートも中のライナーも外して出勤しました。手袋は持ちましたが、ポケットにいれたままでOKでした。
だけどこのまますんなりと暖かくなるかというと、どうなのでしょうか?去年は4月17日に雪が積もりましたから。まだまだ安心はできません。でも、自動車のタイヤはラジアルタイヤに交換しました。
書類の整理をしていたら3年前の新聞記事の切り抜きが見つかりました。今の状態にぴったりというか、皮肉というか、宮城県沖地震関係の連載記事です。
2008年(H20)6月10日からの7回シリーズです。30年後までに99%以上の確率で起こるとされる宮城県沖地震について、これでいいのかという検証記事です。たった約3年前のことです。
『検証 耐震力 宮城県沖地震30年』 第1回目は、≪「次」の被害想定≫です。
【内容】 国の中央防災会議は、2006年に死者290人、圏内の建物全壊約19,000棟と想定しました。30年前の死者は28人、全壊住宅は1,377棟だったのに、なぜ10倍を超したのか。 ここで起きる地震には二つのタイプがあり、一つは金華山沖の震源域が起こす「単独型」(30年前の地震がそう)、もう一つは金華山沖の震源域と、さらに沖合いにある別の震源域が同時に起こす「連動型」。 単独型の規模はM7.4前後なのに対し、連動型はM8以上となり、エネルギーは10倍近くになるため、単独型ではほとんど被害を及ぼさない津波も大型化し、県北部を中心に最大10メートルの大津波が襲うとみられている。
そして約3年後3月11日の現実は、どうだったか。 「連動型」ではあってもM9.0という未曾有の巨大地震となり、大津波が押し寄せ、宮城県だけでも死者は8,000人を超え、全体では13,357人(4/13)と二桁も異なる大惨事となりました。
予想は大体は当たってはいましたが、地震のエネルギーも津波も規模が大きすぎた、大きすぎたけど、大きすぎただけでそうかと、仕方がないと納得するわけにはいかない気持ちです。想定外、想定を大幅に超えるものだったと納得するわけにはいきません。
折角連動型の地震となり、Mも8以上、津波も10メートルとなるだろうと想定したのなら、被害者数が余りに少なすぎたのではないか、もちろん今だからそういえるのだともいえるのですが、それにしてもやはり少なすぎたと思わざるをえません。少ないために”津波”に対する心構えが甘くなってはいなかったか、津波が来ても大したことはないと思ってしまわなかったか。
数千人の死亡者が予想されると想定していれば、もっともっと真剣味、現実味が出て、現実の地震が強ければ強いほど、これは何をさておいても高いところに、内陸部に逃げなければならないと思ったのではないか、そうなれば少しは死亡者が減ったのではないかと思います。
でも、どう思っても全ては後の祭です。亡くなった人は帰ってはきません。空しさが漂うばかりです。 合掌