3月も今日でおしまい。ということは平成22年度も今日でおしまいで、明日からは平成23年度が始まるということです。
でも、どうしても明日から新年度だとはどうしても思えない。その気にならない。去年までなら今日で旧年度は終わり、明日からは新年度だからと気分を入れ替えることができたのに、今年に限っては全く年度の区切りという感覚はありません。
3月11日以来ずーと地震時間が続いている感じ。というか、今日で区切ってはいけない、区切るべきではない、継続しているものとして認識、実感し続けるべき、そうしなければいけないという気持ちでしょうか。
あしたは4月1日、そうです、久しく忘れていたエイプリル・フールです。3月11日のことがエイプリル・フールであってくれれば、笑って済ませることができるのであればどんなにいいことか・・・。
なかでもやるせないのは、悔やんでも悔やんでも悔やみきれないことは、石巻市の大川小学校です。
児童108人のうち何と56人が亡くなり、18人が行方不明というのです。108人のうち74人、約70%の児童が津波にのみ込まれて亡くなっているのです。この数値、信じられますか。こんなことが許されていいのでしょうか。
新聞記事によると、地震のあとすぐに裏山に逃げようとしたそうですが、木が倒れてきたので裏山は諦め、では校舎の屋上はどうかと思ったそうですが、それも無理と諦め、道路を歩いて逃げようとしたけれど、とき既に遅く、こんなにもたくさんの児童が死んでしまったようです。
先生も13人のうち10人が死亡か行方不明といいます。
この児童と先生の死亡者数の多さ。目を覆いたくなります。信じられません、信じたくもないです。なんでこんな悲劇が起きてしまったのか。せめてもう少し何とかならなかったのか。
先生方のうちで誰かがリーダーシップをとって、強引にでも裏山に逃げるようにできなかったのか。一方では先生方のとっさの機転で先生も児童も全員無事だった学校もあったようですし、そうであればなおのことなんとかならなかったのか、と悔やまれます。
一瞬のうちに津波にのみ込まれてしまったたくさんの児童たち、その時一体何を思ったのでしょうか、何が何だか分からないうちに泥の津波にのみ込まれ翻弄されて死亡してしまったのか。そういう風にして子どもを亡くしてしまった親は、両親は一体どういう気持ちで冷たくなった子ども達と対面したのか。そんな現実を受け入れられるのか。できない、私にはできない、認められない。親としてどうやったら正気を保つことができるのでしょうか。分かりません。
せめて、人的な被害を受けなかった者としてはせめて、そのようなことがあったということをいつまでも記憶に留めておくべきかと考えます。それが亡くなった子どもたちへのせめてもの供養かと思います。
だから、今年は年度は継続しています。