鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

5日の、広瀬川(その1)

2009-10-06 22:15:33 | 広瀬川

 午後から雨とかの予報でしたが、見事外れました。雨が降らないのは働く身としては嬉しいですが、川のことを考えるともっと降って欲しいような気がしたりして、まあ、人間は勝手なものです。

 せも強力な台風が日本を縦断するような感じですので、これから嫌というほど降るかもしれません。

 写真は5日のものです。1枚目は覚えているでしょうか、女郎蜘蛛が一杯いた二股に分かれた木です。そのときも大きい女郎蜘蛛がいました。前と変わっていたのは、3センチくらいの毛虫が捕まっていたことです。蜘蛛の巣にからまっていましたが、まだ元気でもがいていました。当然写真を撮ろうとしたのですが、なぜか上手くピントが合いませんでしたので、やめました。

   

 根元にはこんなものが置かれていました。4日にここで芋煮会を開いていたグループが置いていったものでしょう。組み立て式のテーブルとキャンプ用の食器類の入れ物でしょうか。当然、とりあえずここに置いていったのでしょう。

            

 こんな石の河原にも花は咲きます。草木の生命力は素晴らしく、逞しく、かつ凄いものです。

 コスモス、秋桜、いい言葉です。花自体は好きです。大好きです。山口百恵の歌もいいけど。

 でも、何か寂しいんですよね、コスモスが咲き始めると。 秋が来て、アユ釣りも終盤を迎えるからです。ああ、嗚呼、アユとも間もなくお別れかという気持ち、沈んだ、憂鬱な気分にさせられてしまうから。 侘しいんですよね。

  

 始まりがあれば終わりもある、必ずいつかは終わる。それは知っているつもりですが、毎年のことではあれ、毎年のことなのですが、その期間熱中、集中すればするほど、おわりが儚く悲しいものになってしまう。普通なら、熱中したというのであれば、やるだけやったというのであれば、悔いが残らないだろうということがいえるのでしょうが、なぜかアユ釣りに関しては、そういう気持ちにはなれないし、ならない、ここ何十年も。これは一体どういうことなのでしょうか。

 とうに不惑は過ぎているのですが、この件に関してはいまだに迷い惑っています。

 意外とこういう気持ちになるからこそ、アユ釣りがおもしろい、やめられないということなのかもしれません。 これは女性には分からないことなのではないでしょうか。 もしかして、この気持ちは、男のロマン、浪漫かも・・・。

コメント (3)
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