午後から雨とかの予報でしたが、見事外れました。雨が降らないのは働く身としては嬉しいですが、川のことを考えるともっと降って欲しいような気がしたりして、まあ、人間は勝手なものです。
せも強力な台風が日本を縦断するような感じですので、これから嫌というほど降るかもしれません。
写真は5日のものです。1枚目は覚えているでしょうか、女郎蜘蛛が一杯いた二股に分かれた木です。そのときも大きい女郎蜘蛛がいました。前と変わっていたのは、3センチくらいの毛虫が捕まっていたことです。蜘蛛の巣にからまっていましたが、まだ元気でもがいていました。当然写真を撮ろうとしたのですが、なぜか上手くピントが合いませんでしたので、やめました。
根元にはこんなものが置かれていました。4日にここで芋煮会を開いていたグループが置いていったものでしょう。組み立て式のテーブルとキャンプ用の食器類の入れ物でしょうか。当然、とりあえずここに置いていったのでしょう。
こんな石の河原にも花は咲きます。草木の生命力は素晴らしく、逞しく、かつ凄いものです。
コスモス、秋桜、いい言葉です。花自体は好きです。大好きです。山口百恵の歌もいいけど。
でも、何か寂しいんですよね、コスモスが咲き始めると。 秋が来て、アユ釣りも終盤を迎えるからです。ああ、嗚呼、アユとも間もなくお別れかという気持ち、沈んだ、憂鬱な気分にさせられてしまうから。 侘しいんですよね。
始まりがあれば終わりもある、必ずいつかは終わる。それは知っているつもりですが、毎年のことではあれ、毎年のことなのですが、その期間熱中、集中すればするほど、おわりが儚く悲しいものになってしまう。普通なら、熱中したというのであれば、やるだけやったというのであれば、悔いが残らないだろうということがいえるのでしょうが、なぜかアユ釣りに関しては、そういう気持ちにはなれないし、ならない、ここ何十年も。これは一体どういうことなのでしょうか。
とうに不惑は過ぎているのですが、この件に関してはいまだに迷い惑っています。
意外とこういう気持ちになるからこそ、アユ釣りがおもしろい、やめられないということなのかもしれません。 これは女性には分からないことなのではないでしょうか。 もしかして、この気持ちは、男のロマン、浪漫かも・・・。