台風9号は今は北海道に上陸したところですか。幸いにも宮城県には大した被害も及ぼすことなく、北上していきました。
悔やまれるのは?台風が宮城県ではなく、山形県寄りに北上したことです。山形県は雨で川はいたるところで増水したり、溢れています。
山形市の馬見が崎川も濁流となって溢れていました。そして最上川も凄い増水となっているようです。この前も竿を出した長瀬地区も4日の水位よりも1.7メートル近くも増水しています。これでは天気がよくなっても当分竿出しは無理でしょう。自然が相手ですから仕方がありません。我慢も修行のうちです。
ところで、今日9月7日は何の日でしょうか。以前WEBで沖縄タイムスを見ていたときに、ある記事が目に留まりました。ウチナンチューの新聞では報じられなかったものです。私もその記事を読むまでは分かりませんでした。
「沖縄歴史教育研究会」が、今年の5月から6月にかけて、沖縄県内の全高校に依頼した調査結果の報告記事です。
沖縄戦が終結した日を正確に答えられたのはわずかに6%、日本復帰の日については11%だったということです。
皆さんは沖縄戦が終結した日を記憶していますか。私は当然6月23日とばかり思っていたのですが、そうではないのですね。6月23日は組織的な戦闘が終結した日であって、「慰霊の日」になっていますが、実際に戦闘が終結した日は今日『9月7日』だそうです。
9月7日は、日本軍が降伏文書に調印した日だそうです。沖縄では日本が降伏した8月15日以降も戦闘が続き、琉球列島守備軍が嘉手納米第10軍司令部で正式に降伏文書に調印したのが9月7日だったということです。
つまり、沖縄は6月23日以降も戦場であり続け、多くの犠牲者が出ていたということになります。我々日本人は、日本人としてこのことをきちんと記憶し認識する必要があるのではないでしょうか。
沖縄が本土復帰した年月日は、1972年・昭和47年5月15日です。それまでの沖縄は日本でありながら日本ではなかった。
本土に復帰して35年、復帰してたったの35年なのかという思いと、戦後62年というのに、その間27年もの長きに渡ってアメリカの施政下に置かれ続けたのかと愕然とします。
それなのに沖縄は今でも本土の犠牲となり続けているという現実を、改めて再認識し、今後の在日米軍の再編がどうなるのかその行く末を見届けるとともに、少しでも沖縄の人たちにとっていい方向にいくように努力していく義務があるのではないでしょうか。(私が言うのもなんですが)
写真は、例によって宮城県美術館の敷地内にある彫刻の一つです。