京都八幡高校レスリング部・京都八幡ジュニアレスリングクラブを指導する監督・浅井 努の日記

剛毅果敢(ごうきかかん)をキャッチフレーズに全国優勝を目指す。

中日本中学大会を振り返って

2012-03-19 | 中学生レスリング
中学生は3月に入り、先週の9~11日は富山遠征を実施。高校生相手に2日間で練習試合を10試合程度行いました。そして昨日18日は、中日本大会が開催されました。
拓磨は決勝で敗れましたが、1P、2Pとも相手にポイントを奪われた後の攻めは良かったと思います。ポイントを奪われた後ではなく、もっと最初からガツガツと攻めていれば、また違う展開になったと思います。
竜太郎は決勝こそいつもの切れのある動きに戻ってましたが、途中てこずる場面も多く、タックルが仕掛けられなかったのが悔やまれます。2月末~3月にかけて、長い間、高熱と風邪の症状で、10日間ほど練習から遠ざかったのも痛かったです。JOCに向けて全力を尽くして欲しいです。
優樹の3位決定戦は、後手後手に回り、相手のタックルをかなり受けました。常に相手に攻め込まれ、ディフェンスも甘く、簡単にポイントを許す…全く良いところなく惨敗です。もっともっと練習です。
晃次郎も今大会動きが良くなかったです。富山での練習試合では、高校生相手に常に攻めて素晴らしいレスリングを展開していました。竜太郎が敗れた高校生に、晃次郎は勝ったりと常に仕掛け積極的にタックルにいっていたので、相手に攻め込まれることもなく素晴らしかったです。だから今大会は一番期待していました。しかし、悪い場面が多かったです。簡単に足を触らせ、ディフェンスも甘く、返し技に頼るといった内容でした。正攻法で常に前へ出て欲しいです。
和世の試合は間に合わず見られなかったですが、先月の倉敷大会と一緒の流れと聞きました。日常の練習がまだまだ甘いです。
来樹の決勝は、かなり力の差がありました。全くレスリングさせてもらえず、技も体力も全ての面で3つも4つも上を走っています。まして相手は1学年下の1年生で、ボコボコにやられました。本人がどう感じ、これから危機感をもってどう取り組むかでしょう。まず、練習をしっかり積むことです。怪我が多すぎます。ちょっと追いこんだら「あっちが痛い。こっちが痛い」では、普段から追い込む練習が積めていないので、技もなければ体力もつくわけがありません。まずは1ヶ月、怪我なく全ての練習をやることです。
俊之の準決勝も来樹と一緒で、まだまだ力の差があります。昨年の全中選抜でも対戦していますが、差は縮まっていません。仕掛けるタックルに切れがありません。相手が余裕をもって反応しディフェンスしています。組み手もまだまだです。相手は手足の長さ、懐が深いのに、ましてや崩しも単発で、まっすぐに入ってしまっては、今日のような内容になってしまいます。
もう少しやってくれるかなって思っていたので、今大会は惨敗です。他チームは強いです。次回は4月1日の西日本大会ですが、少しでも今大会より前進できるよう全力尽くします。



森垣心・出世披露

2012-03-15 | 卒業生(OB)レスリング


3月11日(日)から大相撲・三月場所(春場所)が大阪府立体育館で開催中です。
この3月卒業した森垣心が3月3日(土)新弟子検査に合格し、この春場所に前相撲を取りました。
前相撲で2連勝し、見事一番出世を果たしました。
新弟子検査合格34人のうち、春場所の一番出世は、森垣含め13人です。
夏場所(5月6日初日・両国国技館)から番付にしこ名が載ります。
素晴らしいスタートダッシュが切れたと思います。

ということで、森垣心の一番出世披露が15日(木)に行われ、化粧廻し姿を見てきました。
化粧廻しがよく似合います。これで、まげが結えればさらに格好いいです。
化粧廻しは十両、関取にならないと付けることができません。
これから八角親方の指導をしっかりと吸収し、まず力士としての強い身体をつくり、
焦らずじっくりと稽古に精進し、強い力士になって、番付を上げていって欲しいです。
次は十両に上がっての化粧廻しを見たいですね。

<前相撲・一番出世とは?>
前相撲は、本場所の3日目(3月場所は2日目)から、序ノ口の取組の前に行われます。
出場する力士はその場所前の新弟子検査に合格した者と、序ノ口から番付外に陥落している者です。
相撲を取り翌場所の番付で序ノ口に四股名が載る資格を得ることを「出世」と言います。
入門者の多い3月場所では、「出世披露」を行う順序を決めます。
順序は先に2勝をした者からで、5日目までに2勝を挙げた者が一番出世、
6日目以降8日目までに2勝を挙げた者は二番出世、
9日目以降に2勝を挙げた者及び最後まで1勝以下だった者は三番出世とされ、
それぞれ当該期日の三段目の取組中に出世披露が行われます。

<出世披露とは?>
土俵を掃き清めた後、その日までに出世を決めた力士が、師匠や部屋・一門の関取の化粧廻しを身につけて土俵に上がり、
場内アナウンスによって所属部屋、四股名、出身地が読み上げられます。全員のお披露目が終わると、
幕下格以下の行司1名が土俵に上がり、
「これに控えおきます力士儀にござります(る)。只今までは番付外に取らせおきました(る)ところ、
当場所日々成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまする間、以後相変わらずご贔屓お引き立ての程、
ひとえに願い上げ奉ります(る)」と口上を述べます。
新序力士たちは四方に礼をした後土俵を降り、協会の各部署を訪問し挨拶をして回わります。


祝卒業・中村弦斗

2012-03-05 | 高校生レスリング
中村弦斗は幼少から寝屋川・エンジョイクラブで競技を始め、小学時代には八幡の選手が何度も対戦したが、一度も勝てなかったという小学校のときから印象強い選手でした。
中学時代は少しレスリングから離れましたが、元々実績があった選手であり、どうしても50㎏級の軽量級の選手が欲しかったし、京阪の寝屋川市駅から京都八幡高校の最寄り駅である樟葉駅までは約20分程度で来られる通学圏内でもあったので、積極的に声をかけました。
入学後は、1学年上の池田智、山本翔輝に揉まれ、力をつけていきました。何といっても、がぶりの技術力はとても高いです。特にがぶりからの無双は、初めて対戦した相手はまずかかります。何度対戦しても警戒しないといけないぐらい上手いです。他には差してからの攻撃などコンタクトからの攻撃を得意としました。
入学時、体重が52㎏台。その当時「3年では56㎏ぐらいで6㎏程度の減量になるかな」って思っていましたが、予想をはるかに超え、3年のインターハイ、国体では9㎏近く減量。予選、本戦と何度も減量が続きましたが、毎回弱音を吐かないで、よく落として試合に臨んだと思います。
性格的には森垣心と正反対で、物静かで口数が少なく、苦しい場面でもあまり顔には出しません。減量でも顔に出さず、弱気にならず、前向きに取り組んでいました。その姿は、後輩達も見習う姿でしょう。また、この1年は主将としても高校生、中学生の手本となり選手を引っ張り、リーダーシップを発揮してくれました。
この後は、地元の立命館大へ進学します。まずは、西日本での大会、新人戦、リーグ戦、西日本インカレと西日本で活躍し、いずれはインカレで活躍と…。一つづつステップアップして欲しいと願います。

祝卒業・森垣 心

2012-03-04 | 高校生レスリング
京都八幡では本年度、中村弦斗と森垣心の2名が巣立っていきました。
昨日3日は小中高の選手、保護者、指導者で送別試合と送る会を開催し送ることができました。

今日は森垣心について語ります。
心は、小学時代から地元橋本クラブで少年野球に取り組み、中学時代はもちろん野球部。
特に男山三中時代の3年時には「4番・ファースト」で活躍し、夏の京都府大会で優勝しました。
府大会優勝後、残念ながら近畿大会で敗れ、全国大会には出場できませんでしたが、
野球関係者からは「かなりバッティングが上手い」ということを聞きました。
当然、数校の高校野球部からスカウトも来ていましたが、夏の野球大会が終了後、9月からレスリングへ転向。
レスリングへの転向のきっかけは、原子紫文の声かけです。
OBの原子紫文も小学時代、地元橋本クラブで少年野球に取り組み、津田豊史、森垣心と一緒に練習。
ようは、少年野球で一緒のチームに所属し、先輩・後輩の間柄でした。
夏季休業中に、原子紫文が森垣に「レスリングは階級制で体重を活かせる」などと口説いてくれ、
8月に初めて練習に来た時のことを、いまでも鮮明に覚えています。
この時から体重が120㎏以上ありましたが、ただのデブと違い、デブの割には足が速く、身のこなしも良く、
身体能力が高い選手というのが第一印象です。
こういう経緯で入学し、1年では北村公平、山原翔一、2年では山原健太、池田智、3年では私と一緒に練習し力をつけました。
朝のランニングでは、日常130㎏あった選手だったので、長距離走は一切せずに、
正門前の坂道ダッシュや50メートル走など、かなり徹底してダッシュさせましたが、よくついてきました。

また、学習・生活面でとても苦労しました。
毎年3月の進級がかかる時期には冷や冷やもので、よく進級し卒業までたどり着きました。
これは、担任の先生はじめ、多くの教科担当の力添え・サポートのおかげであり、卒業できました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

卒業後は、大相撲へ転向します。
高校在学時、日常の体重がすでに130㎏あり、試合に出場するたびに10㎏近く減量していました。
いくら120㎏級であっても、軽量級に比べ落としやすいといっても、やはり毎試合10㎏の減量は厳しいです。
レスリングに以前のように130㎏級があれば話しは違ってきますが、この先、さらに筋力・体力がついて大きくなります。
これだけが転向理由ではありませんが、
減量が伴うレスリングから、減量とは無縁の大相撲に転向し、自分の身体を活かし、勝負する道を決めました。
相撲を覚えて、力士の身体になるには時間がかかります。焦らず、弱音をはかず、しっかり稽古を積んでいって欲しいです。
「何年かかってもいいから、関取になってこい」とエールを送ります。