京都八幡高校レスリング部・京都八幡ジュニアレスリングクラブを指導する監督・浅井 努の日記

剛毅果敢(ごうきかかん)をキャッチフレーズに全国優勝を目指す。

祝・卒業(山原健太)

2011-03-05 | 高校生レスリング
健太は、翔輝と一緒で兄の翔一がいたこともあり来てくれました。中学時代、全く全中で勝てずに結果が出ていない選手でした。初めて健太を見たとき、とてもリーチがあり、体型的条件にも恵まれ、潜在能力が高い印象をいまでも覚えています。これで中学時代、全く勝てなかったのが不思議だったぐらいです。入学時は、2つ上に幸太郎、豊史、紫文、1つ上に公平、翔一と練習相手に恵まれ、力をつけました。1年の6月の近畿選手権団体には、公平を84㎏級へ移動させて、健太を74㎏級で全試合出場させたぐらいです。しかし、1年次にはよく怒りました。卒業した3選手の中で一番怒りました。実力がありながら、もっと自信を持ってやれば、良い試合・良い結果が出せるのに、気持ちがいつも弱気なために、それが表情・体に表れ、後手後手に回り、不甲斐ない試合をしていたのがこの頃です。1年時は、公平など多くの先輩方と胸を合わせ、2年生からは古家コーチと練習を積むようになってから、徐々に力を発揮するようになりました。力を発揮できるようになった頃から体も大きくなりました。入学してから1年半程は、怒って説教ばかりしてましたが、2年生の夏過ぎ頃から、怒ったことがありません。そのぐらい成長した選手です。3年では選抜、インターハイとあと一歩のところで優勝を逃しました。しかし、途中、膝の怪我など試練もありましたが、中学時代、全く実績がなかった状況から3年間で大きく成長してくれたと思っています。この後、青山学院大へ進みます。2・3年後のインカレ決勝は、公平と顔を合わせ、2人で優勝を争う姿を見たいです。っていうか、4月のJOCから見たいですね…。


祝・卒業(池田 智)

2011-03-03 | 高校生レスリング
マサルは東京・品川出身。中学時代、幸太郎や豊史と縁があったこともあり、八幡を志してくれてホント嬉しかったです。他校と違って、京都八幡は合宿所、寮なんて存在しません。従って、選手は八幡市、枚方・寝屋川など八幡市近隣の自宅から通学しています。監督の自宅で下宿させるところもありますが、私の住まいから高校まで片道約22キロ…玉露の産地で山の中の田舎、車で約45分程度、バスと京阪電車を利用したら1時間半以上と通学不便であったり、小学生の週3回の練習日に待たせないといけなかったり、まだ下の娘が幼稚園児だったり、妻の仕事・勤務上の問題等々から、津田さん夫妻に受け入れをお願いしたところ、快く引き受けて頂き感謝の気持ちでいっぱいです。こういった経緯を経て、マサルは津田家に入り、3年間頑張りました。
とても個性のある選手で、レスリングは細身で手足が長く、ローシングル、ハイクラッチを得意とし、攻撃型の選手です。1年次はインターハイ団体優勝に向け、50㎏級正選手として活躍。過酷な減量に耐え抜き、勝負どころではしっかり勝利しチームに貢献してくれました。その後、階級を60㎏級に上げ、1年の選抜では3位入賞。しかし、2年次のインターハイ予選、国体予選と不運も重なり僅差で敗れ、出場できないという悔しさを味わいました。この悔しさを経験してからのマサルの練習の取り組みは素晴らしいの一言です。これは、私だけでなく、あの場にいた全ての選手達は感じたことでしょう。ホントによく練習し、やらされる練習ではなく、自分から意識を持って・考えて・追い込む練習…。後輩達には見本にして欲しい選手です。3年次には選抜、インターハイ、国体と入賞できず、またまた悔しい思いをさせてしまいました。結果は出なかったものの、返し技・カウンター技を受けただけで、内容は開始から最後まで攻め抜いて、常に攻撃を仕掛けるのはマサルでした。勝負では負けましたが、内容では勝っていた試合だったと思います。国体後、試合がなくても後輩達と一緒に走り、筋トレをし、スパーリングをして、試合前と変わらず追い込む姿が見られました。高校3年間、大きな挫折を何度も味わいましたが、いつまでも腐らず、すぐに気持ちを立て直し、練習に邁進しました。大学へ行っても、この気持ちがあれば大丈夫でしょう。
最後に、マサルには八幡に来てくれて「ありがとう」と言いたいです。勝たせてあげられなかったことがホント心残りです。日大では、高校時代のリベンジをして優勝して欲しいです。本当の勝負はこれからですよ…。



祝・卒業(山本翔輝)

2011-03-01 | 高校生レスリング
本年度は3名の卒業生を無事送ることができました。3名ともホント個性的な選手でした。3名の卒業生の思い出を、階級順に記します。
山本翔輝は、2つ上の兄の勇輝がいたこともあり、京都八幡に来てくれました。中学時代から腰の調子が悪く、特に1年生の1年間は全くといっていいほど、練習ができませんでした。もともとハイクラッチやがぶり等、技術力が高く、走力など体力、筋力もあり、バランスのとれた選手でした。2年生に上がり、徐々に練習ができるようになり、力をつけていきました。とても物静かな選手です。闘志を内に秘めるようなタイプです。2年の秋からは55㎏級の主力選手として頑張ってくれました。いままで私が指導してきた選手の中でも、減量がきつかった選手の一人でしたが、翔輝ほど弱音を吐かないで、減量していた選手はいません。本年度の石垣島のインターハイ予選では、団体に賭けていたこともあり、個人の計量で失格。団体後の1時間半で落としてあげることができずに、辛い思いをさせました。また、11月には大学不合格の通知…。
最終学年の1年は計量失敗でインターハイ出場できず…大学不合格で進学先が決まらず…と大きな試練がありました。しかし、私の前では一切顔に出さず、弱気にならず、腐ることなく、前向きに取り組んだ姿は、後輩達も見習う姿でしょう。その後、最終的に乗り越えて、インターハイ予選後の国体予選にはしっかり減量し優勝。千葉国体に3名一緒に出場しました。大学も、不合格のあと勉強に取り組み、1月に受けた関大に合格と、最終的に壁を乗り越えてくれました。当初の大学については色々とあり、今となっては、当初受けた大学に不合格となって良かったです。この後は、関大へ進学してレスリングを続けます。まずは、西日本新人戦、西日本学生リーグ戦で正選手として出場、西日本インカレ、いずれはインカレで活躍と…。一つづつステップアップして欲しいと願います。