秀策発!! 囲碁新時代

 「囲碁は日本の文化である」と胸を張って言えるよう、囲碁普及などへの提言をします。

東日本大震災  江戸の名君

2011年05月13日 | 囲碁と、日本の未来。
 日本列島は自然環境に恵まれた豊かな土地。しかしその反面、自然災害に襲われ続けた歴史の国でもあります。その度に人的被害や食料不足の問題などがありましたが、その時々の最高の叡智をもって乗り越えてきたのです。今回の東日本大震災でもそうでしたが、
 「どんな困難に見舞われても、日本は必ず立ち直ると信じています」
 という励ましのメッセージを外国から頂けるのは、そういった歴史の裏付けがあるからなのでしょう。
 江戸時代屈指の名君、出羽国米沢藩主・上杉鷹山。歴代の米国大統領、セオドア・テディ・ルーズベルトやジョン・フィッツジェラルド・ケネディ等が、「日本の政治家の中で一番尊敬している人物」と伝え聞きます。そんな鷹山公もまた、天明の大飢饉の際には藩政改革を強硬に実行し、その名を残されたのでした。

 そんな鷹山公と同時代、陸奥守白河藩主・松平定信公もまた倹約令や米の買い取りなどを行い飢餓対策を行ったのです。
 定信公は後に幕府老中として採用され、『寛政の改革』を行います。祖父である徳川吉宗による『享保の改革』に習い、倹約令による財政再建を行おうとしました。しかし、厳しすぎる倹約令に反対する人達が多く、志半ばで解任されてしまいのす。
 その一方、この時代には有能な人材が多く出たようです。『鬼平犯科帳』で知られる、鬼平こと長谷川平蔵がその一人。当時貧困などが原因で江戸には来たが、やはり江戸でも仕事が無く食にも飢え、犯罪を犯してしまう。そういった人たちを一律に罰するだけではなく、更生と職業訓練による社会復帰を目指す施設、「人足寄場」を作りました。


 また学校の歴史の教科書には書かれていませんが、1749(寛延2)年に二本松藩(いまの福島県)の領内にて、『積達騒動』という事件がありました。その簡単な説明を。

 この年の米の出来は例年の4割程度であったにも関わらず、二本松藩は例年通りの年貢割付を行ったため、農民たちは一機を起こそうと集まった。
 この騒動の沈静化させるため、その土地の有力者であった冬室彦兵衛という人物が、農民たちの要望を二本松藩に伝え、年貢の減免を実現させる。

 日本史をひも解けば、災害などに立ち向かった為政者の名前が数多く出てきます。
 「歴史を勉強しても意味が無い」
 と考える人も多いようですが、意味が無いなんてことは全くない。特に災害関連においては、数多くのヒントが隠されているようです。