SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

細雪

2008年01月29日 19時11分43秒 | 日常


朝から細かい雪が降っている。
今シーズン何度目の降雪だろう。
東京だったらこんなに細かい雪が積もる事はあり得ないが、寒冷地の軽井沢では一日降れば結構な量が積もる。

夕方、仕事が一段落したところで雪かきをした。
最高気温が0度を越えない日の雪はさらさらのままだ。

融けずに残っていた前回、前々回に作った雪かきの山の上に新しいさらさらの雪を乗せていく。
たそがれ時に薄白く光る雪にはぞくっとする美しさがある。


退場

2008年01月28日 19時06分02秒 | 日常
今日、長年会員となっていた情報処理学会に退会届を出した。
入会したのは1986年だったから22年間も会員だったということになる。
いまの仕事の内容は「研究」とはほど遠く、毎月送られてくる学会誌もほとんど目を通す事もなくなった。会誌に時折、前の職場の仲間の名前を見ることがあり、それを見ては頑張っているんだなと思うこともあったが、それを見るためだけに会費を払うのもばからしいことだ。これから出費も多くなる事だし、この際、退会することにしたのだ。

ネット上でその退会手続きを終えたところで1通のメールが来た。
エルゴソフトからのものでパッケージ事業終了を伝えるものだった。
Macユーザーにはお馴染の会社で日本語入力システムegbridgeやワープロegwordを開発している。これらの開発を終了するというのだ。
http://www.ergo.co.jp/
情報処理学会の退会には何の感慨もなかったが、こちらはショックだった。

特にegbridgeはもう10年以上愛用しているし、かつてアップル社で「ことえり」の開発に関わっている知人もegbridgeは「ことえり」よりも変換速度が速いし、一番使いやすいと言っていた。「ことえり」はOSに添付されている日本語入力システムのことで、彼はライバルを褒めちぎったのだ。アップルの社員がそんなことを言っていいのか、と思ったがそれは確かにその通りなのだった。
変換速度は抜群に高速で、時には自分が本当にキーボードを打っているのか、それとも何者かが勝手に打ち込んでいるのか、と思うくらいに速かったし、変換内容も賢く使い勝手が良かったのだが、いくつか前のバージョンで付いたスマート予測変換機能によって、もはやこのソフトを手放せないようになった。

そして、今春に出版される本の原稿はMac上でegwordを使って書いた。
これまで原稿書きはワープロソフトでなくテキストエディタを使っていた。私は縦書き原稿のためには縦書きで書けるエディタを使いたいと思う人間だ。
Macで縦書き可能なエディタはMacOS9以前の時代に1つだけあったのだが、OSXでは探した限りでは存在しなかった。

そのため、それ以前の本はすべてWindowsのO's Editorというのを使っていた。
しかし、文章書きの効率を考えると、どうしてもegbridgeを使いたいと思った。
MacOSXで動く縦書き可能なテキストエディタはやはりなく、自分で作るかとも思ったが、更に探してみるとワープロなら存在した。それがegwordだった。

縦書きができること以外に、必要な機能として、
・決められた文字数で書かなければならないので、文字数指定ができること。
・書いたデータは、テキストファイルに変換できる事。
があったが、egwordはその条件をクリアしていた。

更に予想外に重宝した機能はルビ機能だった。egwordは画面上で漢字の脇にルビを表示でき、これをテキストファイルに変換するときは、たとえば「漢字」に「かんじ」というルビを振った場合、「漢字<<かんじ>>」と出力してくれる。これによってDTPをやってくれる人には<< >>で囲まれた部分がルビなので、と言って渡すことができるのだ。

テキストエディタを使っていたときでも直接テキストに「漢字(かんじ)」のように入れればいいのだが、これだと本来ルビとして文字数にカウントされないものを本文に入れるため、正しい文字数の把握ができなくなってしまう。
そのため、テキストにルビは入れず、校正のときに手書きで入れるようなことをしていた。egwordの場合、この機能のおかげで、文字数を正確に把握しつつルビが入れられた。

日本語入力のようなOS機能に依存するものは、今後のOSのバージョンアップで使えなくなってしまう可能性が高い。

それにエルゴソフトは受託開発をしつつ、パッケージソフト事業を続けてきた会社で、ウチも受託開発からの脱却を目指している中でこの会社の存在は心強く思っていた。(規模は違い過ぎるが)
その意味でもパッケージソフト事業からの撤退はショックだった。

「ことえり」もずいぶん良くなったと思うが、いまさらegbridgeから戻る気にはならない。
あるいは、アップルがエルゴソフトの開発者を採用して、「ことえり」にその技術を搭載してくれるようなことになったらいいのだが。

アップルのシェアが伸びてきているだけに残念だ。
エルゴソフトよ、これまでありがとう。(泣)

室生犀星文学碑

2008年01月25日 18時27分58秒 | 軽井沢の史跡
吉村山荘のすぐ近くの矢ケ崎川に降りたところには室生犀星文学碑があった。



『かげろふの日記遺文』で「野間文芸賞」を受賞した記念として、犀星が自らが設計して建立したものだという。碑文は詩「切なき思ひぞ知る」。
そういえば、初めて犀星の顔を知ったときは衝撃的だったな。
「ええっ。このおっさんが?」と。(笑)



かたわらには朝鮮風の二体の石像が立っている。
これは、犀星が満州旅行の帰路に釜山で買い求めたものだという。
そして、この下には夫妻の遺骨が分骨されて埋められている。



誰が置いたのかどんぐりが石の上にあった。



まだ軽井沢に雪の降る前、12月上旬の良く晴れた日のことだった。

室生犀星文学碑

小さな森の家

2008年01月21日 19時18分42秒 | 建物探訪
吉村順三という建築家が建てた小さな山荘が軽井沢にはある。
この家は、吉村みずから、写真にコメントを付けつつ解説を書いた本に掲載されている。

『小さな森の家 軽井沢山荘物語』

この本を読んだのは軽井沢に移るずいぶん前のことだった。そして移住先に軽井沢を決めた理由の数%はこの本によると思う。

この家はどこにあるのだろうと、時々思い出すことはあったが、改めて調べてみようとも思わず、引っ越してからも見に行く事はなかった。

しかし、先日、あらためてこの本を開いてみると、場所のヒントは本の中に書かれていた。

かなり寒くなってきた去年の12月の上旬のよく晴れた日に、探しに出かけた。
そしてその家は旧軽井沢銀座を抜け、矢ケ崎川脇の道を少し遡っていくとあっさりと見つかった。

カーブのある坂道のアプローチがあり、その先にはコンクリートで固めた1階部分の上に木造の2階部分が乗る、あの写真で見た家が建っていた。

本の写真はもっぱら新緑に囲まれているが、冬枯れのこの季節に見るこの家も美しい。

手前の傾斜のあるアプローチの地形に合わせたという傾斜を持つ片流れの屋根も写真のままだった。屋根には囲いのある露台が乗っている。この家は屋上にも上がれるようになっているのだ。

ただし、アプローチ手前ところには鎖が張ってあり、中には入れないようになっていた。鎖を乗り越えて入るのは簡単だが、それでは不法侵入になってしまうので、そこから、憧れの家を遠目に眺めるだけで我慢した。
シンプルな形状なのに、わくわくする気持ちよさ。
そして、家の中から見る外の木々の景色はどんなだろう。

写真も撮ったが、個人の家なのでここには載せない。

あとでこの家を知るひとから、もうひとつ先の道を入れば、この家を背後から見る事ができたと聞いたが、そのときは知らなかったので、そこで引き返した。
また今度見に行ってみよう。近いんだし。

C56

2008年01月18日 21時43分03秒 | 信州の史跡
旧中込学校の隣にC56が展示してあった。
小海線で走っていた車両らしい。



細身の胴体が可愛らしい。



三菱重工業のプレートが取り付けられている。
調べてみると101の車両は1937年に製造されている。
7月に蘆溝橋事件が起こり、そして12月には南京城陥落と日中両軍が激しく衝突し、長い戦争に突入していった年だ。



隣には客車が置かれていた。
外のフェンス越しに見るだけで、中には入れないのが残念。



線路の分岐器部分も敷かれていた。



そして、冬の青空に映えて信号機が立っていた。

佐久・旧中込学校(つづき)

2008年01月15日 19時04分07秒 | 信州の史跡
入り口を入った廊下の左側が音楽室。



オルガンが並んでいた。
「山葉オルガンの保険證」も展示されていた。保険證とは今で言う保証書か。



オルガンのつまみの部分のアップ。
何だかわからないが、かなり本格的。



教室。



2階に登る階段。
昔の日本家屋同様にかなり急だった。



実際に使われた教科書も展示されていた。
学業をしている、という感じの本格的な内容。



『中等小学作文大全』
「金子借用の證」とか「田畑質入れの證」とか、実用的な作文例が並んでいるのは、ちょっと驚き。



「志を立てよ」
いまの日本でもこういう教育をすればいいのに、と思う。
サラリーマンの大量生産所として小人物ばかりを作り上げている今の学校というところ。小学生として通っている頃から疑問に思っていたがね。

佐久・旧中込学校

2008年01月14日 16時42分32秒 | 信州の史跡
12月の三連休に雪が降った翌日、佐久の旧中込学校を見に行った。
佐久に映画を見に行き、始まるまでの時間潰しのつもりであまり期待しないで行ったのだったが、これが結構面白くて大いに「メートル上がった」(注)のだった。

(注)
昭和の中頃に使われていた言葉で、今風に言うと「テンション上がった」と言い換えられるだろう。このとき見に行った映画が『ALWAYS 続・三丁目の夕日』で、この中でも使われていた。現役で使った世代ではないが、面白い言い回しなので、この際、流行らせてやろうとたくらんでいるのでR。(笑)




中込学校は明治7年、村民協議の上で学校を新築する事を決め、アメリカに留学後、建築等を研究して帰国した下中込村出身の市川代次郎という人に依頼して、洋式学校を建築した。



建築費用のほとんどは村内からの寄付金でまかなったという。
明治になり、新しいものがどんどん入ってきた時代、教育こそが新しい国造りの礎だと考えていた、当時の人たちの教育への熱意が伝わってくる。



八角の塔の上には方角を示す漢字が取り付けられている。
この塔は太鼓楼と呼ばれ、時を告げる音を響かせた。



造ったのは地元の大工。自分たちが見た事もない建物をおそらく面食らいながら造った事だろう。
正面入口には西洋風のバルコニーが取り付けられている。



裏に回れば和風の屋根。
何度かの改修を受けているようなので最初から付いていたものかはよくわからない。



中に入ると廊下奥にステンドグラスがあった。



そして、2階の奥にも。
この建物はこの地域の人たちにとっての誇りだっただろう。



ステンドグラス越しに浅間山が見える。



どれだけの子供たちがこの学校で学び、この廊下で遊んだことだろうか。

(つづく)

重要文化財国史跡旧中込学校


ひげづら

2008年01月14日 00時17分06秒 | 日常
土曜日の午前中に降っていた雨は昼過ぎに雪となり、年末以来の積雪となった。
そして翌日は最高気温が-2度。きのうの雪はほとんど融けることなく、そしてわが車も笑ったまま、こんな顔になっていた。



散歩がてら近所で甘いものなどを買って、店を出たとたんに強い風が吹き、屋根の雪が舞い上がった。



ウルトラマン大博覧会

2008年01月11日 21時58分34秒 | 日常
もう12月の中旬のことになるが、六本木ヒルズでやっていた「ウルトラマン大博覧会」というのを見に行っていた。
本当は隣のミッドタウンに新装になったサントリー美術館でやっていた「鳥獣戯画展」の方を見たかったのだが、mixi情報によるとかなり混んでいるらしかったので、こっちも面白そうと思い、ヒルズに来てしまったのだった。

http://www.roppongihills.com/jp/events/macg_ULTRAMAN.html

入り口には怪獣が並んでいて、うれしいことに、ここだけ撮影可となっていた。



カネゴンさん。子供ゴコロにお金というものについて考えさせられたものだった。



ピグモンさん。こんなに赤かった?
あ、当時は白黒テレビで見てたからか。



シーボーズさん。去年、雪がまだらに残る浅間山にこの怪獣の姿を重ね合わせたのだった。「シーボーズ?」



ジャミラさん。子供心に悲しい話だと思ったな。



名前忘れました。糸でつり下げられた状態でウルトラマンに振り回されている様子が滑稽だと子供心に思いながら見ていた。

展示の後半にはウルトラマンが掲載された雑誌やその雑誌用のラフや生原稿が展示されていて、当時の雑誌の作り方なんかを興味深く見てしまった。あーやだねー、大人は。



ヒルズから見下ろした国立新美術館。
黒川紀章氏、選挙に出たりして元気そうだったのに。



東京の冬の空ってこうだった。
自分にとって冬の空というのは、いまでもこういう雲ひとつない青空だったりする。



こういうごみごみした景色は決して嫌いな訳でもなかったりする。
軽井沢移住を後悔しているわけではないけど、なんだか、こういう景色が無性に懐かしい。



静かな午後のひととき。



外に出たらもう空の色が変わっていた。
冬の夕暮れは早い。
早く軽井沢に帰ろう。

みの里

2008年01月07日 15時35分56秒 | 蕎麦屋
昨日の蕎麦屋特集に入れ忘れたところがあった。

【みの里】



散歩道の途中にあって、ずっと気になっていた店。
写真のように急坂を上がった先にある。
ただし、行ったのはだいぶ前なので例によって具体的な味は忘れているが、おいしかったという記憶だけはある。
そして名前も忘れてしまったが一日数食限定の蕎麦を頼んだところ、
「良かったら塩でもどうぞ」とつゆと一緒に塩が添えられていた。

塩で食べる蕎麦というのは初めてだったが、こうすると蕎麦の味がはっきりわかってなかなかの美味。蕎麦によほどの自信がなければこんなことはできないだろう。

面白い事に、ふだん天麩羅は塩の方がいいと言っているツレは蕎麦は塩よりつゆの方がいいという。逆に天麩羅は天つゆ派の私は塩で食べる蕎麦を気に入ってしまった。不思議なことに。

冬季は予約のみ。

みの里