SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

ウェグナーに座ろう

2007年10月31日 22時33分28秒 | 建物探訪
高崎哲学堂で開催されていた「ウェグナーに座ろう」展に行った。
高崎哲学堂には、高崎で芸術文化を推進してきた井上房一郎という人が、自身の自邸として、アントニン・レーモンドの東京麻布の自邸を模して昭和29年頃に建てた建物が残っている。麻布のレーモンド邸は現存しないため、その家を偲ぶ貴重な建物としていまも大切にされている。



レーモンドという人はチェコ出身の建築家でフランク・ロイド・ライドのもとで学び、帝国ホテルの建築の際に来日し、そのまま日本に留まった。軽井沢タリアセンには移築された夏の家が残されている。

レーモンドは日本で設計事務所を開き、1976年に亡くなっているが、実はその事務所はいまも「株式会社レーモンド設計事務所」としていまも活動を続けている。

今回の展示はその家にハンス・J・ウェグナーの椅子を並べ、実際に座れるようにしたものだ。(10/28までで終了)

先週土曜日の台風による大雨の日に出かけてきた。
何もこんな雨の日に行かなくてもと思ったのだが、会期も迫っているのでやむなく行って見た。
だが、雨の日に行ったのは正解だった。



木で建てられたこの家は、雨が似合う。晴れた日に行ったらわからなかった。
室内に入ると、古びた木の香りを含んだしっとりとした空気を感じる。ちょうど古いお寺のお堂に入ったときに嗅ぐ空気とよく似ている。屋根を叩く静かな雨音が湿りを帯びた空気とともに心地よく五感をくすぐる。
この家は何だか懐かしい感じがする。
レーモンドという人のことはあまりよくは知らないのだが、障子が取り付けられ、和紙の貼られた襖がある木造のこの家を見るだけで、この人がいかに日本を愛したのかがわかる。



そして、ウェグナーの椅子。
ウェグナー好きの人が展示会のために提供した椅子だということで、椅子のひとつひとつに持ち主の名前が書かれていた。

Yチェアの名でよく知られているCH24を始めとして多くの椅子が置かれている。
どの椅子もちょっと座っただけでも座り心地の良さを感じる。
そして体がもう動くのを拒否する。ずっと座っていたい感じ。

いま販売されているカタログには載っていないリクライニング型の椅子も数種類あったが、これは本当に心地良い。横になると寝てしまいそうだった。

ウェグナーは現在に至るまでに500種類以上の椅子をデザインしたそうだ。座り心地はよく研究されている。

新居を建てたらウェグナーの椅子を入れよう。そして、このレーモンドの家も参考になる。



古いお寺や神社の建物をたくさん見てきたが、古来、日本の建物に雨どいはついていなかった。
雨どいは屋根のデザインをひどく醜くする。
普通の民家でも基本的にはいらないのではないかと思う。
そして、この家にも付けられていなかった。



落ちた雨は下に敷かれた小石が受け止める。
よく寺社にあるやり方。



雨どいがない結果、雨は屋根からカーテンとなって落ちる。
それもまた雨の美しい景色となる。

高崎哲学堂

すばる&オリオン座

2007年10月29日 21時35分14秒 | 日常
軽井沢に引っ越してきて感動したことはいくつもあるが、中でも家の中から窓ガラスの内側からでも怖いくらいにたくさんの星を見ることができるというのが、一番嬉しい驚きだった。

社会人になってからは時折空を見上げるくらいになったが、学生時代は星の写真なんかを撮ったりしていた。いい空に出会うためには電車や車でかなり遠くまで出かけるものだったのだ。それが家の中から簡単にこれだけの星空を見ることができるのだから。引っ越して初めてこの空を見たときには仰天したものだった。

先日の明け方、ふと目が覚めてカーテンを開けると満天の星空だった。
これだけ見えるなら窓ガラスを開けなくても写真に写るかもしれない、と思って一眼レフデジカメをガラスに立てかけて1分露光したのが下の写真。



真ん中少し左下の星のかたまりがすばるで、その左上のオレンジのが牡牛座のアルデバラン。
レンズをガラスに立てかけたときにピントリングがずれたらしくピントが合っていなかった。それに外の街灯の光がガラスに当たったためか、もやもやっとした光が入り込んでしまった。

窓から見える星では限られるので、ベランダに三脚を立てて写したのが下の写真。



オリオン座。
この時期、明け方には東の空にオリオン座がのぼってきている。
もう1枚撮ろうとしたときにはもう雲が広がってきて、オリオン座を隠してしまった。

軽井沢1年

2007年10月25日 23時06分22秒 | 日常
軽井沢に引っ越してからもう1年になる。
なんだかあっという間の1年だった。

引っ越してからしばらくは、自分がここに住んでいることが不思議でたまらなかった。浅間山が見え、離山が目と鼻の先にあるのを見てもそれが現実のものだという感じがなかなかしなかったものだ。車を10分も走らせれば旧軽井沢通りに着いてしまうのも、本当か?と思ったりした。
正直言うと、いまもかすかにそういう感覚はある。

それは仮の住居としての賃貸住宅に住んでいるせいではないかと思う。
自分の家が建ったときは、今度こそ本当に軽井沢に住んでいると思えるようになるのだろう。きっと。

軽井沢には、にこやかな人が多いと思う。軽井沢に来た観光客や別荘族は遊びに来たのだから、こういう人たちは当然嬉しそうにしている人が多い。それ以上に地元の人もにこやかな人が多い。話しかけると笑顔で対応してくれる。
そういう人に接すると自分はどうだったかと、反省してしまう。仕事に追われたりしているときなど、ついついしかめっつらになっていなかったかと。

よそ者が入り込みやすく、適度に都会化されているなんちゃって田舎なところがこの町のいいところだ。この町に来た人はずっと定住する人、都会に戻る人、田舎の良さに目覚めて本格的な田舎に行く人の3パターンに分かれると思う。
自分はどうなるか。もうちょっと住んでみないとわからない。でも、都会に戻るのはない、かな。



10月20日の浅間山(馬越ゴルフコースより)。かすかに冠雪しているのがわかる。
この雪も翌日には消えていた。

科野のムラ

2007年10月22日 21時50分19秒 | 信州の史跡
森将軍塚古墳から再び徒歩で降りるとそこには古墳時代のムラがあった。
長野県立歴史館の地下から発掘されたムラを復元したものだという。



縄文や弥生時代のムラを復元したものは三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡などで見たことがあるが、古墳時代のは初めて見るような気がする。



縄文や弥生の竪穴式住居だけではなく掘っ立て小屋みたいなものが出来ている。
復元と言っても地面の穴から想像したものなのだろうが。



家の中はこんな感じ。



倉庫かな。



鳥居の原形?
吉野ヶ里遺跡にもこういうように門の上に鳥形が取り付けられているものがあったが、こういう形のものが実際に出てきたのだろうか。
アジアにこういう門を集落の入り口に置いているという部族がいるということを聞いたことがあるが、それを参考にしたものだろうか。
と、復元したムラにあるこういう門を見るたびに思うのだが。。。

森将軍塚古墳

2007年10月21日 23時16分18秒 | 信州の史跡
山に登る前にこの古墳について森将軍塚古墳館で予習をした。
それによると、この古墳はいまから1600年ほど前に造られた古墳時代の前方後円墳で、「円」部の墳頂には長大な竪穴式石室があって、そこに古墳の主が埋葬されていたそうだ。主は当時の科野のクニを治めていた王と考えられている。

そして、石室には副葬品としてヒスイの勾玉、管玉、剣、矢じり、そして三角縁神獣鏡が収められていた。
三角縁神獣鏡は畿内ではよく見つかっていて珍しいものではないのだが、意外にも長野県下ではこれが唯一のものだという。

そして古墳館を出て古墳のある山を目指す。ここから有料のバスも出ているが、われわれは歩いて登ることを選択した。
登ること、およそ15分。いよいよ古墳がわれわれの前に姿を現した。



大きい。。。



前方後円墳の「方」部に登る。
周囲は葺石が敷かれ、円筒埴輪が回りを取り囲む。
復元したもので、ディズニーランドみたいなニセモノっぽい感じがするけど、ここに前方後円墳があったのは紛れもない事実なのだ。



「円」部に登り、「方」部を振り返る。
古墳の上に乗るのは初めて。いや、もともとは古墳だったところが神社となったようなところに登ったことはあるが、完全な古墳の上は初めてだ。
お墓の上なのにいいんだろうか、という気がする。



そして千曲市を見下ろす。
国見をして民の家から煙が立ち上るのを見る大王になった気分だ。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ あきづ島大和の国は(万葉集)

いや、ここは香久山ではなかったし、自分は大王でもなかった。



古墳の全景はこんな感じ。

(もうちょっと続く)

発掘された日本列島2007

2007年10月19日 21時59分19秒 | 美術展・博物展
なかなかリアルタイムに記事が書けず、この展示はとっくに終わってしまっているのだが、先月、千曲市にある長野県立歴史館に「発掘された日本列島2007」を見に行った。



毎年、その年の発掘の成果が展示されるもので、全国を巡回する。
いつも行くわけではないが、これまではこの展示は江戸東京博物館で見ていた。巨大な下駄みたいな合体ロボみたいなへんてこな建物だと酷評しながらも、その展示を見たあとは通常展示を見て楽しんでいた。江戸東京博物館の通常展示では江戸や明治以降の日本の生活風景を見ることができて、すごく面白い。

で、今年の「発掘された...」展だが、興味深かったのは弥生時代の神戸の北青木遺跡で浜辺に埋められた状態見つかった銅鐸。

そして、同じく弥生時代の愛媛の朝倉下経田遺跡では剣先を下に向けて地面に突き刺さった状態で銅剣が見つかっている。

埋められた銅剣といえば出雲の荒神谷遺跡を思い出す。以前見に行ったことがあるが、そこには尾根の斜面に358本の銅剣がびっしりと埋められていた。

銅鐸もあえて埋められた状態で発見されているものが多く、どういう意味なのかはっきりした定説はない。

大地というのは草木を芽吹かせ、育てさせる不思議な力があると古代人は思っていただろうと思う。銅剣や銅鐸を地面に埋めることにはその力に授かろうという素朴な思想があったのではないかと思っているのだが、果たして真相は。。。

この長野県立歴史館は森将軍塚古墳のある山の麓に建っていて、この隣には市立森将軍塚古墳館という建物が建っている。

せっかくなので、まずは隣の市立森将軍塚古墳館で予習をしてから森将軍塚古墳まで登ってみよう。



写真でもちょっと見えているが、この山の上に大きな前方後円墳がある。



市立森将軍塚古墳館入り口。
ちょっと前に問題になった中国の遊園地の着ぐるみかと思った。
公立の施設だから許可は取ってあるのだろう。
いや、きっとそうに違いない。

(つづく)

長野県立歴史館

手作り生餃子 晴天屋 ハレルヤ

2007年10月17日 22時51分05秒 | 食べ物屋さん
行ったのはまだ夏の暑いころだったと思う。
ツルヤを南に行った先の細い道沿いにあって、前から気になっていた店だった。



頼んだのは「杏仁セット」。
注文後に皮から作り始めるので少し時間がかかる。

でも窓の外は絶好のロケーション。



そして立体五目(四目?)など遊び道具もあるから退屈しない。



出てきた。



皮は究極的に薄く、焦げ目のついた表面はカリっとしている。裏はもちもち。
脂っこさがなくいくつでも食べられそう。
こんな餃子は初めてだった。

晴天屋

ある倒木の根

2007年10月16日 21時44分51秒 | 日常
発地で見かけた倒木。場所は地元の人がヤチと呼ぶ湿地帯で、その中でも特に木がたくさん倒れている一画があって、写真はそのうちの一本。
倒れる前は地面の上にただ乗っているだけだった、という感じの木。

追分火砕流のあった場所は地面のすぐ下が火山岩のために、木の根が下に入って行けず倒れやすいという話があるが、ここはそういう場所ではないようだ。下にたまたま岩でもあったのかはわからないが、下方向には根が生えていない。
立っている状態ではどう根が入っているかはわからないだろうし、こんな木が家の隣にあったら恐ろしい。



倒木を横から見たところ。右に向かって木は倒れている。縦方向の根が見当たらないし、木の太さに比べて根が細すぎる。



根の側から見たところ。地面は皿のようになめらかにえぐれているだけで、根が入っていた痕跡がない。

限界

2007年10月02日 21時40分03秒 | 日常
「くそっ、もう限界だ。」
さっきから体を震わせていた男はそう叫ぶと仕事部屋を飛び出し、車に飛び乗った。そして、車のヒーターを最高に上げてからアクセルを踏み込んだ。
午後の空いている国道18号線を西へと走らせたあと、一件のガソリンスタンドに車を入れた。

「これに灯油を。」
男は赤いポリタンクを店員に渡した。

  * * *

そんなわけで今シーズン、初めてストーブに火を入れたのだった。
やせ我慢するのもこれでおしまいだ。
ああ、暖かい。

これはハクションでありフィクションではありません。