SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

日暮里舎人ライナー

2008年10月27日 21時22分53秒 | 日常
今年3月30日に日暮里と見沼代親水公園を結ぶモノレールが開通した。知っている人は地元以外ではあまりいないかもしれないが、実はこの路線は軽井沢に移住する前に住んでいた家の近くを通っていて、この路線が開通した頃はどこで何をしているのだろうか、と思いながら工事が進むにつれて、レールが伸びていくのをずっと見ていた。

開通後、トラブルがないこと(車体が落ちるとか)を見極めてから乗りに行こうとずっと思っていたのだが、先月、そろそろ大丈夫そうだろうと思い、(わざわざ)乗りに行った。



日暮里駅からスイカを使って乗り込んだ。
運転手は乗っていない完全無人の電車なので、一番前の座席に座れば運転手気分で先頭の視界を独り占めにできる。
が、その席周辺は立っている人もいるほどで前は見えなかった。



電車は日暮里駅を出ると進行方向を直角に変え、その後はずっと尾久橋通りの上を走る。隅田川にかかる尾久橋を渡り、荒川の扇大橋を渡って首都高中央環状線の上をまたいでいく。この上を通すために首都高を通行止めにして深夜に橋をかけていた時期が昨日のように思い出される。



終点は見沼代親水公園駅。
ここでひとまず降りてみる。駅名の由来となった公園があるが、小さな公園だ。よく車で通っていた道で、以前から小さな公園ということは知っていたが、やはり特に何もない公園だった。
この路線に乗ることを目的として乗った人も多かったようで、一緒に降りた人たちはこの公園でみな所在なげにうろうろしていた。
隣の駅の舎人公園は大きな公園なのだが。



レールの最後のところはこんな風になっている。



再び電車に乗り込み、そのまま住んでいたら最寄り駅になっていた西新井大師西で降りる。



ああ、何もかもが懐かしいと思いながら、以前住んでいた公団住宅まで歩いてみた。最寄り駅とは行っても歩いて20分程の距離はある。ここまで来たのでついでに前に住んでいた部屋の前まで行ってみた。玄関には貼り紙がしてあり、細かい字で何やら書かれている。来訪者は事前に連絡する事、とかいろいろ書いてある。何だか妙な人が住んでいる模様。公園のベンチが撤去されていたり、何となく全体的に荒れた感じになってしまっている。

(続く)

シェ・ソウマ

2008年10月26日 18時07分36秒 | たまーに行くならこんな店
前の記事でエルミタージュ ドゥ タムラで以前、予約が取れなかった話を書いたがそのときに行ったのが軽井沢の18号バイパス沿いにあるシェ・ソウマ。正式名称は「ラ・バスティッド・ドゥ・軽井澤・シェ・ソウマ」だそうだ。



「シェ」という文字が目に入ったコンマ数秒後には前歯の出っ張った人が右手を頭の上にあげ、左足をあげて右足に交差させる図柄が脳裏に思い浮かんでしまう(それはシェーのポーズ)。純日本人の宿命か。

店に入ると巨人の工藤投手に迎えられた。(いや、よく似た人)



夏のハイシーズンにも関わらず、客は3組程度しか入っていなかった。
そのうちの一人は中村勘三郎(前の勘九郎)だった。(うそ。よく似た人)



メインディッシュは魚と肉から選べる。
こちらは鮭。かなりなレアで、鮭はこんがり焼くべしという思い込みのある純日本人としてはちょっとどきどきした。



写真からするとチキン(記憶になく。。。)



そしてデザート。
(写真は全部ではありません)

最後に相馬さん、本人が見送ってくださった。
夏の土曜日の昼だったが、結構空いていた。たまたま空いていたのかもしれないが、もう少し客でにぎわっていてもいい店だと思う。

シェ・ソウマ

建物が奥まったところに建っているのでちょっと目立たないが、焼き肉南大門の隣。

エルミタージュ ドゥ タムラ

2008年10月24日 21時08分15秒 | たまーに行くならこんな店
軽井沢にある本店はしきいが高そうなので、御代田のメルシャン美術館店へ。



ハイシーズンは2週間前の予約も取れなかったが、この時期は1週間前の電話で予約が取れた。
当日行ってみると、もう予約以外の人は入れないくらいで、やはり人気店だ。















デザートが2種類でた。
5000円という値段の割には量が多く、途中、もう食べきれないかと思うほどだった。蕎麦屋もそうだが、量の多さは信州の特徴か。
フレンチとしては普通だと思うが、味はちょっと濃いめだ。(あっさり目が好みなので濃いめと書いたが、そんならフレンチに行くな、と言われてしまうに違いない)


寒冷化?

2008年10月24日 17時21分48秒 | 日常
中学生のころ『氷河期が来る』という本がセンセーショナルに売り出され、むさぼるように読んだことがある。著者は元気象庁の根本順吉氏でカッパブックスから出ていた(カッパブックスのシリーズも昔はよく読んでいたが、いつのまにかなくなってしまっていた)。内容については中学生だったこともあって半分も理解できていなかったと思うが、著者名や出版社や新聞広告などの周辺情報はなぜか鮮明に覚えている。

その後、寒冷化説を唱える人は温暖化説に押されてほとんどいなくなっていたが、最近になって寒冷化するという説が真剣に話されるようになってきたようだ。

たとえば
最近、地球温暖化が止まった、という「科学的な事実」がある
では、温暖化傾向が止まってきたという指摘があるし、
地球寒冷化では、アメリカの「Old Farmer's
Almanac」の最新2009年版で「地球は今後徐々に寒冷化していく」との予測を掲載していることを指摘している。
その根拠として太陽黒点数が減少していることが挙げられているそうだが、
太陽の黒点が約100年ぶりにゼロに、地球の気候に大影響かでは実際、太陽黒点数ゼロの記録が更新されたことが書かれている。
黒点が少ないということは太陽活動が低下しているということで、太陽活動の低下は地球の寒冷化を招くと考えられているようだ。

ヒートアイランドによって都市が温暖化しているのは確かだと思うが、地球全体が増大した二酸化炭素のために温暖化しているという話は最初に出した本を読んだ影響もあってか、ずっと眉唾だと思ってきた。

先日、あるテレビで鵜匠が出てきて、自らの自然観のようなものを語っていた中で「魚は湧いて出てくる」というような表現を使っていた。魚は弱いものだから人間が保護しなければならない存在だと現代の日本人は考えると思う。そういう現代の日本人の一人である自分も最初はこの「湧いて出てくる」という言葉にひどく違和感を感じたのだが、考えているうちに、それはかつての日本人の自然観を表しているのではないかと思うようになった。

明治以降、日本は西洋の思想によって自然は人間が征服していくものという考えを植え付けてきたが、それ以前は人間は自然の恵みによって生かされているものだと思っていたはずだ。
西洋の思想だと人間は自然を上から目線で見ることになるが、かつての日本人はその逆で自然は人間よりも上だと思っていた。「上から目線」という言葉を言い換えれば「人間の思い上がり」だ。自然の方が人間よりも上だと思っていれば、自然の(あるいは神の)恵みである魚が「湧いて出る」というのはごく素直に出てくる言葉だと思う。自然は弱いものだから保護するものだと思っている人は多いと思うが、それは思い上がりだ。実際、人間は木を切り倒し、人工物をこの地球に造って自然を破壊することを簡単にできるようになった。だが、ヒートアイランド現象のようにその報いは人間に返ってくる。

温暖化しているから二酸化炭素の排出量を減らしましょうというのも、人間が自然をコントロールできるという思い上がりから来ていると思う。今後、どうなっていくかはわからないが寒冷化していったとしたら、何とも皮肉なことではないか。


ル・コルビュジエ展

2008年10月23日 21時25分02秒 | 美術展・博物展


メルシャン軽井沢美術館でやっていた「ル・コルビュジエ 光の遺産展」を見に行った。前にここでやっていた「ウイリアム・モリス」展を見に行ったときには、その展示があまりにしょぼくて、しょせんは観光地の美術館かとがっかりしたことがあって、今度もそうかなと思いながら行ったのだったが、今回の展示はなかなかよくできていた。



コルビュジエは20世紀モダニズム建築の巨匠と呼ばれる建築家で、きのこの形のようなロンシャンの礼拝堂や共同住宅の先駆的建物となったマルセイユのユニテ・ダビシオンやスロープが特徴的なサヴォア邸など数々の建築を造った。日本の国立西洋美術館も彼による設計であるし、彼のもとで働いた日本人や影響を受けた日本の建築家も多い。



東京の美術館で以前、コルビュジエ展を見たことがあったが、そのときは建築関係者向けな玄人好みといった感じの展示だったが、この展示は自分のような素人にもわかりやすい展示になっていて好印象だった。
特にコルビュジエが東欧を旅した時に撮影した写真からは彼の作風の元になったようなものがうかがえたし、直角の詩と題された詩と挿し絵のある詩画集は彼の思想がわかりやすく表現されていて面白かった。(そう。コルビュジエは建築家でありながら絵も描くのだ)
そういえば、軽井沢のル・ヴァン美術館でもコルビュジエの絵を展示していたことがあった。





肩凝ったぁ像(勝手に命名)とミュージアムショップのツタの紅葉。



今年の6月に行ったときの肩凝ったぁ像とツタ。
この像を見るとどうしても指摘したくなる部分があるのだが、せっかくきれいな紅葉の写真でまとめたので、その話は自粛。。。

メルシャン美術館

2008年10月14日 23時03分46秒 | 日常
初めてハムスターという動物を触ったのはこのときのことだった。以来、ハムは自分にとって何かと気になる存在となってしまった。

「それ」を知ったのは確か今年の春ごろのプレスリリースだった。それによると、本物のハムスターのようにもそもそ動くと書かれていた。もそもそ動くとはどんな動きなのか、と興味があったが、アマゾンではいずれも評価が低く、買うのに二の足を踏んでいた。

先日、高崎に新しくできた巨大なヤマダ電機に行った時に、「それ」を見つけた。5匹くらい置いてあって、顔は全部微妙に違う。アマゾンのコメントのように顔がつぶれているのもあり、念入りに一番良さそうなのを選んで連れて帰ってきた。



奴はこんな風に箱入りだ。
臨場感を出すためにわざと写真はぼかした。(嘘。適当に撮ったためピントは合わず、ぶれた写真になってしまった)



出してみた。



動かした。
モーター音がうるさいし、ハムのもそもそした動きとはちょっと違うような感じだ。
しかし、触ったときの毛並みは実物とそっくりだし、手に取った状態で動かすと本物のハムが手の中で動いているような感触がある。たかだか1000円程度のおもちゃにしては良く出来ているのでは。アマゾンのコメントは辛口すぎると思う。

ちなみにこのハム、我が家に数時間の滞在ののち、嫁入りしていった。今頃は本物のハムと対面しているはずだ。


こちらからも買えます。


雲場池2008/10/12

2008年10月13日 16時54分30秒 | 雲場池
2008年10月12日の雲場池。
ウチから自転車で見に行った。
天気もよくて、雲場池もにぎわっていた。



紅葉の見頃は来週末あたりかな。



赤と緑のグラデーションを見るなら、むしろ見頃は今。



いい色です。



木によっては真っ赤なものも。



毎年、同じ木を撮っているような気も。



雲場池に行く前に軽井沢ロータリーのところにある竹風堂で栗おこわを買い、ここで景色を見ながら食べる予定だった。竹風堂の袋をぶらさげながら池の廻りを歩いていたのだが、いつものご飯ポイントは先客がいて空いていない。人も多くて栗おこわを広げる場所が見つからず、ウチに帰って食べようかと思ったところで、ツレがいい場所を思いだしてくれた。



それは市村記念館の前の池のほとり。



いちおう、池といえば池。
以前、市村記念館に寄ったときにここに東屋があるのを見ていたのだ。



これが市村記念館。大正15年に近衛文麿が別荘として購入した建物だ。



ここで無事、栗おこわを広げることができた。
竹風堂の栗おこわは注文するとその場でつめてくれるので、温かいのをいただくことができる。
前に小布施の竹風堂で買ったものはもう少し塩気が強かった気がする。店によって味が微妙に違うのかもしれない。

屋外で過ごすには寒い季節になってきた。
軽井沢の短い秋を楽しめるのももう間もなく終わりだ。

あれから141か月

2008年10月09日 23時29分40秒 | 日常
最近、気がついた事。
平日に空を見上げているのは、仕事に気乗りしない瞬間だという事。



そんなわけで、今日、資料を探しに2階に上がっていったときに、見上げてしまった夕焼け雲。。。

話かわって、噂のねんきん特別便が来た。
それにしても、こんなもの全員に送る必要あるのだろうか。
しかも、問題なくても全員が返信しなくてはいけない事になっている。
この印刷も郵送費も税金か保険料から出ているのだろう?
人の金だと思って!
紙の質も必要以上に良過ぎるし。
何だよこれは!

と怒りモードはこれくらいにして。。

これを見ると自分の歴史がわかって感慨深い。
会社員時代は厚生年金、辞めて独立した以降は国民年金となっているので、加入期間を見れば、それぞれをどのくらいやっていたかが一目瞭然なのだ。
それによると、会社員は10年と7か月。フリーランスになってからは11年と9か月経っている。もう11年か。
この11年で変わったことといえば、より謙虚になったことだろうか。(笑)
独立した頃は数人の知人から仕事のオファーがあったこともあって、自信過剰になっていた気がする。サラリーマンを卒業した立場からサラリーマンという人種を見下していたような気もするな。口には出さなかったけど、態度には出ていたかも知れない。でも、お客は皆、サラリーマンだから、そのうちそんな気持ちを抱えていては仕事にならないことに気付き。。。今はお客であればちゃんとぺこぺこできるようなった。(かな?)

そしてねんきん特別便の返信を出さなければ。
何という壮大な無駄だろう。
この書類を眺めていて「ねんきん」がひらがなで書かれているのも何だかバカにされている気がしてきた。国民をなめんなよ。
なめねこも言ってたぞ。

あれから2年

2008年10月02日 22時50分38秒 | 日常
住んでいる賃貸住宅の契約更新をした。
ということは軽井沢に引っ越してから早くも2年ということになる。
町内に新築中の家があと半年で完成というところで、更新料がもったいないが、骨組みしかない建物に住むわけにはいかない。

ところで、更新料というのはなぜ払わないといけないのだろうか。自分が大家だったら、安定した賃貸経営を目指して更新料は不要にすると思うが。

不動産屋のおばちゃん、相変わらず話し好きだった。
先日引っ越していったあの部屋は、軽井沢のアウトレットの何とかという店の店長で、こんど東京本社に転勤になったとか、別の部屋は11月頃に出ていく予定だが、入った頃は奥さんと子供の3人で暮らしていたのに今は1人になったとか、いろいろ喋ってくれた。

きっとウチも話のタネになっていることだろう。
どうせネタになるなら面白い方がいい。退出するときには、人生に疲れたので旅に出ようかと思います、とか言っておくことにするか。
風の向くまま気の向くまま 結構毛だらけ猫灰だらけ。。。((C) 寅さん)とかつぶやきながら。