SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

木もれ陽の里

2008年06月25日 19時39分04秒 | 日常
去年だったか一昨年だったかにできて、何の施設なのかよくわからないと思っていた木もれ陽の里に行ってきた。デイサービスや健康増進のための設備がある保健センターという役割らしい。
40歳以上の国保加入者向けの特定健康診査を受けに行ったのだ。
前に受けた健康診断は東京に居たときなので、4年ぶりだ。

朝8時半に行ったら、もう待っている人で溢れていた。受付番号が101番でそのとき呼んでいたのが60番だったからその時点で40人が待っていたことになる。何でも7時に来た人はその時点でもう大勢の人が集まっていたという。
受付時間は8時半から9時で都合の悪いひとは7時半から9時半の間に来るようにと書いてあったのだが、ほとんどの人はかなり早い時間から来ていたらしい。軽井沢は朝が早い。

本を持ってきた読みながら待っている人もいる。軽井沢は違うなと思ったのは、読んでいる本の内容。高倉健みたいな容貌の人は『一茶集』という本を読んでいたし、クリエータ風の人は『アイディアの出し方』みたいな本を読んでいた。本、持ってくればよかった。

1時間後にようやく呼ばれ、血をとられたりバリウムを飲まされたりして終わったのは11時半だった。
健康診断のようなものはめったに行かないので実はバリウムを飲むのは初めてだったりする。飲みにくいと聞いていたが、飲んでみると全然そんなことはなく、台に乗せられぐるぐる回されたりしたが、それも特に苦痛でもなくすんなり終わった。

ただ、家に帰ってからしばらくしたら激しい腹痛におそわれた。ネットで調べるとバリウムが腸で固まって亡くなった人もあるらしい。死なないための健康診断で死んでしまっては本末転倒だ。
水をたくさん飲んだりして腹痛の闘志で、いや不屈の闘志で踏ん張った(?)結果、どうやら生命の危機は脱したようだ。腹痛も治り、食欲も出てきた。あとは結果に異常がないことを祈るばかりだ。

木もれ陽の里、中にいろいろな施設があったらしいが、長くかかった健康診断でふらふらになっていたので、まっすぐ帰ってきてしまった。また機会があったら見学してみよう。


山之神社

2008年06月23日 21時11分45秒 | 軽井沢の史跡
烏明神から湯川を渡った対岸にある山之神社。



素朴な名前がなんともいい。
でもここは山ではないのだが。
どこかから移されてきたのだろうか。



鳥居のたもとにあった石仏。
手を頬に当てていることから如意輪観音だろう。



鳥居の奥には小さな祠が祀られる。



ここから湯川に降りられるように階段が整備されていた。



降りて見上げると巨岩があった。さきほどの祠はこの岩の上に乗っている。
ここも岩石信仰と関係がありそうだ。
ねじれた木の根がまるで注連縄のようになっていた。



ところで川沿いの岩にはこんな丸い穴があいている。



こっちにも。



こっちにも。
この穴は甌穴と言って、自然にできたものだという。
岩盤の表面に節理や割れ目があると流水や波の侵食がそこに集中し、周囲よりも早く削られてできる、ということが説明板に書かれていた。

古代の人はこういう穴には神秘を感じなかったのだろうか。
穴の神というのがあっても良さそうだが。

山之神社

烏明神横の石仏

2008年06月22日 14時17分40秒 | 軽井沢の史跡
前回記事で書いた烏明神から道路を挟んだ先には石仏が祀られていた。



一番向かって右側の大きい石には
「○○○観音大士」と書かれている。
○○○の真ん中がかろうじて「意」と読めそうなので、「如意輪観音大士」と解釈した。それに以前、「女街道」でも紹介した石碑の中で唯一仏像名に「大士」と入っていたのが如意輪観音だった。



人型の像の向かって右側の石には「馬頭観世音」と彫られている。
こうした石塔が置かれた目的は馬の供養のためとされるが、『石の宗教』によれば、馬頭観音は同時に養蚕守護の仏としても祀られていたという。



問題はこの石像。
果たして何なのだろうか。

向かって右下には「油井村願主」、像の左側には「十月吉日」と彫られている。油井の集落はここから湯川を挟んだすぐそばにあり、かつてここの住民がこの石を造ったことがわかる。この石像は昔からここにおかれていたとは限らないが、集落から見れば川向こうに置かれているという関係にある。
その「油井村願主」の上には「天」と読める文字が彫られている。これが仏教の石仏だとすると「天」の上の文字と女性形に見えるこの像からして弁才天かとも思えるが、形からすると観音像であるようにも思える。

例によって疑問符だらけで終わる今日この頃の記事である。

烏明神

2008年06月18日 17時09分25秒 | 軽井沢の史跡
ここ最近、休日になると町内のあちこちを自転車で走り回っている。
5月中旬の日曜日、行き先に決めたのは釜ケ淵近くの神社。車で通るたびに気になっていた神社だ。

中軽井沢からそこに行くには、車だったら鳥井原の交差点を通って湯川の西側の道路を通るだろうが、この道を自転車で通るには交通量がちょっと多くて怖い。
他に道はないだろうかと地図を見てみると、湯川の東側にも道があることがわかった。縮尺の小さい地図でないと載っていないような細い道だ。



その道に入ると途端に静かな田園風景が広がる。
途中、ぬかるんでいるところがあったり、東大がさくらそうの生態調査をしている場所があったりした。
泥川の橋を泥川ダムを見ながら越えると、その神社があった。



石の鳥居には烏明神(からすみょうじん)と書いてある。
名前からするとここは修験道のにおいがする。

明神とは、神は仏が姿を変えて現れたものだとする仏教の本地垂迹説の立場から神を呼ぶ場合に使う名前で、仏教の息がかかった神社だということがわかるし、烏天狗は修験者の姿であると言われるから、烏というのはそういう関係かもしれないと思ったのだ。

そんな話はともかくとして長い石段を登ってみた。



社殿が見えてきた。



ふりかえるとこんな感じ。
写っている建物はペンション。



社殿の脇には巨石があり、その上には石の祠が乗っている。
磐座(いわくら)だ。



祠は壊れていた。



大きく横たわる石の別の場所にもう1つの祠が乗っていた。



最後に祀られる神様にご挨拶を、と社殿の中を覗いて思わず息を飲んだ。
祀られるのはまさしく岩そのもの。磐座なのだ。

というよりは、もともとは外の岩と同じように祠を乗せただけのものだったところに、社殿を建てたという感じだ。

あとで調べてみると、軽井沢町観光経済課が発行する『軽井沢案内 -2008-』にこの神社のことが載っていた。ここはイボができたときに、この石で撫でるときれいに落ちるという信仰があるのだそうだ。お礼に拝借した石の数の倍だけお返ししておかないと落ちたはずのイボがまたできてしまうという。石を返すというからこの巨石のことではなくて、社殿の中の石の廻りに敷き詰められた小石のことなのだろう。

たぶん、この話の方が古くからの地元の信仰で、あとに修験者なりが入ってきて「烏明神」という名前を付け、岩そのものへの信仰になっていったのではないか、という気がする。

烏明神

タイヤにダイヤが

2008年06月09日 21時43分49秒 | 日常
最近、気候もいいし、ガソリンは高いし、軽井沢は空気もいいし、自動車は二酸化炭素を出すしで、町内を自転車で走り回ることが多くなった。

そんなある日、気持ちよくペダルを漕いでいると突然、前輪からシャカシャカという異音がするようになった。

見るとタイヤに何かついている。



石か?



は、はあ?
タイヤよ、君はいつからそんなおしゃれさんになったのか。



ピアスだそうだ。
抜くとタイヤの空気も抜けた。
一見、ダイヤのように見えるが、ツレの見立てによるとジルコニアという人造ダイヤではないかということだった。台の部分はメッキだという。

パンク修理キットを買ってきて修理することにした。
最後にチューブを外側のタイヤのゴムの中に押し込むのに苦労したが、1時間ほど格闘してなんとか修理を完了させ、試運転に出かけた。

が、途中でタイヤのゴムがはみ出してしまい、ブレーキに当たってこすれる。
はみ出したゴムを手で押し込もうとするが、どうしても入らない。
近くに自転車屋があったのを思い出し、助けを求めた。チューブの上に外側のタイヤのゴムが乗ってしまっていたらしい。
自転車屋のオヤジ、こりゃダメだといいながら、チューブを全部出してから入れ直してくれた。結局、これに800円払った。
やれやれ、である。

古墳?

2008年06月06日 21時15分14秒 | 軽井沢の史跡
古墳に興味を持ってあちこちで見て回ったりしていると(というほど見ているわけではないが)、だんだん頭の中に古墳センサーのようなものができ上がってきて、目に入った地形が古墳に見えてくることがある。

先日、町内の杉瓜から発地に抜ける道を車で走っていたときに、突如その古墳センサーが反応した。周囲は何もないのにこんもりと盛り上がった地形があり、その上だけに木が生えている。古墳にありがちな形だ。



円墳だろうか?
近づいてみよう。



おお。巨石が乗っている。
古墳というよりは磐座(いわくら)だろうか。
しかし、そうだとすると手前には生ゴミなどが埋められたりしていて、信仰の場には似つかわしくない。



ただの巨石か。



回り込んでみると。。。
おおっ。何かあるぞ!



こ、これは。
何だろうか。

この石、古墳の葺石ではないだろうか。このくらいの大きさの石はさっきの生ゴミエリアにもごろごろしていた。



右側のは地蔵にも見えるが、手の形が普通の地蔵とは違う。
女性像だろうか?
しかし、耳が長いのは仏のようでもある。
左側は男性らしい。仏像ではなさそうだ。
前にかかっているのは托鉢のときに使う頭陀袋のようにも見える。
頭には頭巾をかぶり、頭頂部が出っ張っているのは髷を結っているのかもしれない。そうだとすると、在家の修行者か。
この2人は夫婦なのだろうか。
この地に何か縁のあった人なのだろうか。



更に回り込むと岩はかなり切り立った形をしているのがわかる。
さっきのところもそうだが人為的に削ったようなあとがあるのも気になる。
あれが葺石だとするとやはりここは古墳で、この石は石棺の蓋だろうか。
うーん、謎だ。

ここを見に行ったのは5月の初めで、まだ草もあまり芽吹いていなかったが、先日通ったらもう草に埋もれて、遠目には形がわからなくなっていた。
この地では、こういうものは春の初めか秋、冬の雪のないときにしかわからない。

場所は私有地のど真ん中なので、今回、地図はなし。