SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

新海三社神社 その1

2007年12月20日 21時38分24秒 | 信州の寺社
新海三社神社は先日行った龍岡城のすぐ近くある。

佐久地方開拓神の興波岐命(おぎはぎのみこと)、諏訪大社の祭神・建御名方命(たけみなかたのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の三柱が祀られる。

興波岐命の父が建御名方命、伯父が事代主命という関係になる。興波岐命が父・建御名方命の命を受けて、佐久の開拓にあたり、最初にたがやしたのがこの神社の周辺だったという。



境内には双体道祖神などが置かれていた。



おや、このお方は?犬人間??
手の形からすると智拳印を結ぶ大日如来のようにも見えるし、説法印の釈迦如来のようにも見える。
いや、やはり犬人間か?(なんだそりゃ)



でっぷりとした狛犬に迎えられて進んでいくと



拝殿がある。
神紋は諏訪大社の梶の葉ですな。



拝殿前には大きな神木が天高くそびえていた。

(続く)

新海三社神社

仏像特集

2007年12月09日 18時55分42秒 | 日常
いま、本屋に『大人のウォーカー』と『男の隠れ家』という雑誌が並んでいるが、その2誌ともが仏像特集をやっている。
少し前には『日経おとなのOFF』が仏像特集を2回に渡ってやっていた。
そして、NHKでは「にっぽんの仏像100選」という番組をやっているし、東京国立博物館では去年「仏像」という展示会をやっていた。
これほどまでに仏像という単語が一般のひとの目に触れることはいまだかつてなかったと思う。

そういう私もかつてこういう本を出していて、いまはその後継本を作っているところだったりする。以前のは京都と奈良で1冊としたが、今度の本はそれぞれを分けて出すことになっている。いま書いているのは京都の本。
来春の出版の出版に向けて、今年の初めから少しずつやってきた本作りもあともう少しのところまできた。
前の本と同様に初めて仏像を見てみようと思う人や、仏像に興味を持って本格的にお寺を回って見てみたいと思う人のためのガイドブックとなっている。
原稿は基本的に全部書き下ろしだし、紹介数も大幅に増えているので、前の本を持っている人が買っても損はないと思います。(^^;

ちなみに、5刷までいった前の本は既に出版社に在庫はなく、後継本が出るために増刷予定もないらしい。そのためアマゾンでは定価より高いプレミア価格がつけられて中古本が売られている。著者としてはありがたいことなのだが、売れてもこちらには1円も入ってこないという点ではちょっと複雑な気分。

この仏像ブームが今度の本で追い風になってくれることを願いながらも、残りの原稿を頑張って書き上げなければ。


佐久の五稜郭

2007年12月02日 18時54分45秒 | 信州の史跡
先日、佐久の地図を眺めていたときのこと。
地図に星形の地形が描かれていることに気がついた。

龍岡城五稜郭

なんじゃこりゃあ( (C) Yusaku Matsuda )
と調べてみると、なんと佐久に五稜郭があったというのだ。
函館の五稜郭は幕末、戊辰戦争最後の舞台となり、また土方歳三終焉の地としてもよく知られているが、これは知らなかった。
佐久の五稜郭は函館のと同じ構造をしている。城の名は龍岡城という。

造ったのは三河国奥殿藩主の次男として生まれた松平乗謨(のりかた)。
新し物好きだったらしい。
この地に転封されたあと、特に戦略上の要害とも思えないこの地に、洋風の城を造った。慶応三年には竣工祝いを行っているが、実際には未完成のままで終わったようだ。

さっそく行ってみた。

これが城の全景。


お堀。
石垣は高遠藩の石工を招いて築いたという。
石は千曲川から産出される佐久石。
この角度から五角形がわかる。






城の建物は明治になってから、買い取られたり、取り壊されたりした。
この建物は御台所だったが、買い取り手が付かず、取り残され、その後学校として使われた。
その後、昭和4年に現在の城の端に移転復元された。
小学校はいまも城内にある。


いちょうの葉が校庭を埋めていた。


葉を落としたのはこの木だろう。